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2018/07/16

欧州㉗イタリア・地中海鉄道ラゴネグロ線 結局廃止になった地中海鉄道の傑作ループ線

  • 今はなき傑作路線のループ線

今回は、前回に引き続いてイタリアの迷鉄道会社、地中海鉄道MCLの作った3か所のループ線のうちの最後の一つ、ラゴネグロ線のカスペルッチオ・スパイラルをご紹介します。

1977年ループ線周辺を走るサヨナラ列車だそうです。
こちらからお借りしました
このラゴネグロ線は、ほとんどが全通できなかった地中海鉄道会社の路線の中にあって珍しく全線開通した950㎜の鉄道です。

地中海鉄道の概要に関しては前回のエントリをご参照ください。→こちら

起点は前回ご紹介したマルシコ・ヌォヴォ線の起点アテナ・ルカーノから南へ30㎞ほどイタリア国鉄線を走ったところにあるラゴネグロで、標準軌の国鉄線の終点です。

ここから複雑なアップダウンで半島を横断して、イオニア海側の国鉄線のスペッツァーノ・アルバネーゼ駅まで104kmを結んでいました。

この路線は海側から建設が始まり1915年に最初のカストリヴィラッリ駅~スペッツァーノ・アルバネーゼ・テルメ駅間の28㎞が開業しました。

例によって人口の少ない山の中を通る路線で、このカストロヴィラッリはラゴネグロ線沿線で最大の街ですが、それでも人口3万人ほどです。

1929年にはラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業、1931年には残りの峠の区間も開通し、地中海鉄道念願の半島横断がついに実現しました。

ループ線は1929年ラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業した時にカステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅の間に作られました。

曲線半径は上半分が100m、下半分が120m、勾配は地中海鉄道の標準規格でもあった60‰でした。カステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅間の3kmという比較的短い駅間距離で、160mもの高低差を上下しています。


  • 狂ってる?それ、褒め言葉ね
このラゴネグロ線、世界でも二カ所しかないラック式とループ線の両用線区だったことが最大の特色でした。ループ線だけでは高低差を吸収しきれなかったため、ラック式併用の100‰勾配を設けて無理やり乗り切るという荒業を使った地中海鉄道の傑作路線でした。ちなみに残りのもう一箇所のラック式併用ループ線はスイスのフルカ峠です。

ラゴネグロ線の勾配断面図。赤線はラック式区間です。
3カ所にピークのある複雑な上下動をする路線でした。
ループ線は左から右に向かって二つ目の谷に向かう下り坂の途中にありました
ラゴネグロ線には起点のラゴネグロ駅と隣のリベッロ駅間と、終点近くのカッサーノ駅前後に2ヶ所、合計3か所のシュトループ式という簡易な方式のラック式区間が設けられています。

ラゴネグロ駅~リベッロ駅間のラック式区間は85‰勾配の途中に全長200m高さ40mのセッラ陸橋を作って、その陸橋の上をラック式で登るという、現代から見るとかなり「頭おかしいの?」的なルート選定がなされています。

ド派手なセッラ陸橋。もはやオーパーツと言っても過言ではありません
こんな深い谷を直接跨ぐことはしないで、遠巻きするルートにするのが普通でしょう。陸橋でショートカットしたためにかえって勾配がきつくなっているようにも見えます。

建設年代を考えるととんでもなく傑出した土木技術ではありますが、ラック式で最高速度が時速15kmに制限されており、まるで時間短縮にはなっていません。

むしろ谷を遠巻きして30‰ぐらいの勾配にした方が距離が伸びても到達時間は早かったのではないかと思います。

どうも技術力を誇示したかったがためのラック式大規模陸橋ルートだったかのように思えてなりません。プロモーションビデオっぽいものがYouTubeにありました。これは必見です。



  • 創業と守成といずれか難き
ところが、せっかく全通したラゴネグロ線ですが、率直に言ってルート選定に無理があったようです。1952年に地すべりでセッラ陸橋が折れ曲がってしまって不通になってしまいました。

地すべりで折れ曲がったセッラ陸橋
今でもこの状態で放置してあるそうです
日本だと危ないと言って即撤去されそうです

こちらからお借りしました
地すべりと和訳しましたが、数年単位で地面が動く土地隆起に近い Bradyseismという現象だそうです。ほれ見ろ言わんこっちゃない、と突っ込みたくなりますよね。

セッラ陸橋を含む区間はバス代行にして営業は継続されましたが、1970年に今度は海側のラック式区間でエイアノ川にかかる鉄橋が流されてしまい、ここも不通となります。

つまり国鉄線に通じる両端部分がどちらも運転できない状態になってしまいました。

それでも両端区間をバス代行して離れ小島の中間部分だけで頑張って営業を続けていましたが、1978年についにギブアップ。全線廃止となり、この時にループ線も廃止されました。結局全線を通して列車が走っていたのは1931年から1952年までの約20年強だけだったことになります。

  • 我こそは地中海鉄道マニア
さてさて、この地中海鉄道、調べれば調べるほど面白い鉄道会社です。それだけで別のブログが立ち上げられそうな勢いですが、ここでは簡単にこの鉄道会社の特徴を列記してみましょう。いずれも後知恵の結果論の部分もありますが、そこはご容赦ください。

まず、最初に押さえておきたい特徴は「豊富な資金を持っていた」「かなりの高度な土木技術力と車両技術力があった」「需要とは無関係に壮大なイタリア南部路線網構築を夢見ていた」、この3点です。

地中海鉄道の路線図を再掲しておきます
現存しているのは中央上部のポテンツァから
右上のバーリを結ぶ路線だけです
これらの要素が複合して「無理なルート選定を無駄に高い技術力で補った、むしろ補えてしまった」「イタリア半島を横断することばかりに捉われて、都市間の移動需要にはまるで無頓着だった」という点が出てきます。

もともと粘着鉄道で最小曲線半径80m、勾配60‰(しかも連続勾配)は相当無理があるのですが、なぜか地中海鉄道ではこれがスタンダードで、どの線もこの規格で作られています。

ところが大型車は走らせられないし、スピードは上げられないしで第二次大戦以降自動車にまったく対抗できない主要因になってしまいました。その豊富な資金と技術をまっすぐ平坦に線路を敷くことに向けていれば、違った結果になっていたかもしれません。

無理なルート選定は、災害運休が続発したことに繋がりますが、とりあえず部分開業した路線が軒並み赤字路線になってしまったのも、突き詰めるとルート選定の問題と言えそうです。

さらに壮大な鉄道路線網を夢見て何か所も同時に着工した挙句、どこも全通できなかったのもまずかったです。末期は赤字盲腸線ばかりになって保守もままならなかったようです。ただし全通してももともとも需要のないところに引いた低規格な路線ばかりなので、どこかのタイミングで廃止された可能性が高いです。

地中海鉄道は、末期には豊富だった資金も底を付き、ついに1961年に整備不良による脱線転落事故を起こして多数の死者を出し、イタリア政府から事業免許を取り消されるという空前絶後の最後を遂げました。路線はすべてカラブロ・ルカノ鉄道(FCL)という別の民間会社に引き継がれています。

こうして見てみると地中海鉄道はマーケティング的経営学的観点からでは相当ダメな鉄道会社だったと言わざるを得ませんが、地方の一民間鉄道会社が3つもループ線を作ったその技術力・資金力と、ひたすらに半島横断にかけた情熱はむしろ讃えるべきかもしれません。とは言え整備不良で事故を起こして多数の死傷者を出すのはNGですね。

個人的には、この「細けーことはいいんだよ」的なノリでループ線をがんがん作って、もれなく廃止した地中海鉄道、嫌いではなくむしろ大好きです。




ループ線とは関係ありませんが、インフェリオーレ、スペリオーレと聞くと日本語で優等劣等のイメージがあってそんな言葉地名に使っていいのかよ、と思いますが、イタリア語では単に土地の高低を表すものでしかないようです。イタリア国内にインフェリオーレ、スペリオーレを頭に付けた地名がたくさん見つかります。日本語で下カステルッチオ、上カステルッチオと言ってるのと同じ感覚なんでしょうね。

次回は、上で少し触れたスイスのフルカ鉄道のループ線をご紹介します。



2018/06/05

欧州㉖イタリア・地中海鉄道 ブリエンザ&セッラ・ペダーチェ 果たせなかった半島横断

  • 超攻撃的鉄道会社、得意技は無理攻め

今回はイタリアの廃止ループ線を二つまとめてご紹介します。

1900年代初頭に設立された歴史に残る迷鉄道会社「カラブロ・ルカノ間のための地中海鉄道会社」が建設した3か所のループ線のうちの二つです。イタリア語でMCLと略します(Mediterranea=地中海、Calabro-Lucane)。

立派な土木構造物に客車一両のアンバランス
60‰の連続勾配を蒸気機関車で登っていたのは衝撃です(後年はディーゼル化されています)
技術的には超一級です。こちらからお借りしました

この地中海鉄道MCLは、もともとイタリア南部の鉄道路線の資産保有会社でした。実際の鉄道の運行にはタッチしない投資会社のようなものでしょうか。

それが1905年イタリア国鉄が設立された際に、保有するイタリア南部の標準軌路線が国鉄にがっさり買収されて、多額の現金を手にします。

この現金を使ってイタリア南部に壮大な、現代から考えると無謀なローカル鉄道ネットワークを自前で建設することにしました。こうしてイタリア南部の山岳地帯に次々と鉄道路線建設に着手していきます。

地中海鉄道MCLの路線図
黒線は国鉄線、赤線はMCL社線。点線は未成線。
なお、赤線部分も現在は大部分が廃止されています
ところがイタリア南部の半島中央部には標高1500m級の山脈が走っており、東のイオニア海側の沿岸と西のティレニア海側の沿岸を結ぶのはそう簡単ではありません。

比較的線路を通しやすいところには既に標準軌の国鉄線があったので、それ以外の残ったところはどこもドン引きするレベルの険しい山岳地帯ばかりでした。

それにもめげずに地中海鉄道はいくつかの東西連絡線を着工し、そのうち3か所にループ線が作られています。

まず一つ目はマルシコ・ヌオヴォ線のブリエンツア・スパイラルです。

このマルシコ・ヌオヴォ線はカンパーニャ州南端の街アテナから、イオニア海沿岸を目指した950㎜のイタリアンナローゲージ路線です。

途中山脈を何度も横切るドSなルート選定で、鼻息荒く1911年に着工しましたが、第一次世界大戦の影響で開通したのは1931年と、だいぶ工事に時間がかかってしまいました。しかも、起点のアテナ・ルカーノからマルシコ・ヌオヴォまでの30㎞弱だけの部分開業を余儀なくされています。

標高450mのアテナを出るといきなり分水嶺の峠を8kmで400mも上り、そこからループ線を使って標高700mのブリエンツアの街まで下るというダイナミックな路線でした。ループ線部分の勾配は60‰、曲線半径90mという粘着鉄道の限界スペックです。イタリアらしい壮大なアーチ橋を持った、ブリエンツアの街を眼下に一望するとても眺めの良いループ線だったと言われています。

この地形図はループ線の部分がちょっと間違っています
実際は時計回りに下るのが正解。この図では時計回りに上っているように描かれています

  • さすがに攻めすぎだよ
ところが、なかなか挑戦的な計画のマルシコ・ヌオヴォ線だったのですが、沿線人口を全部足しても1万人にもならない山中のローカル盲腸線の行く末は、大方の想像通り「イタリア一の赤字路線」でした。

こちらからお借りしました
ループ線跡のすぐそばに道路橋が作られましたが、廃線跡の構造物は残されました
開業時から旅客列車が1日3往復、貨物列車が週に1往復と惨憺たる運転状況で、1966年に地すべりで不通になったのを機に復旧されることなくさっさと廃止されました。列車の累積運行本数の少なさでかなり上位に来るループ線なんじゃないかと思います。

もともと部分開業ではとても乗客が見込めなかった区間ですが、途中のブリエンツアも終点のマルシコ・ヌオヴォも集落から外れたところに駅を作ったため、地元の人からも「これでは使えん」と言われたそうです。

辛うじて30年間持ったのは第二次世界大戦で被害を受けなかったことと、沿線に小規模な鉱山があったおかげです。ただし鉱山輸送にも取り立てて活躍したという形跡はありません。

現在、線路跡はほとんど道路になっており、ループ線の遺構の側に立派な道路橋が併行して建設されています。




  • 細々と列車が走ることもあるらしい
もう一箇所は長靴のつま先の方、カラブリア州コゼンツァからイオニア海沿岸の工業都市クロトーネを目指したシラーナ線です。


シラーナ線はマルシコ・ヌオヴォ線とほぼ同じ経緯で1910年ごろから工事が始まり、少しずつ東に向かって延伸していきました。ループ線区間の開通は1922年です。

ループ線は標高200mのコセンツァから15kmの標高600mのセッラ・ペダーチェに作られました。ここまでで既に400mも登っていますが、このあと標高1400mまで登る本格山岳路線です。アルプス沿いの山岳地帯を差し置いて、イタリア国内最高所の鉄道路線だそうです。

950㎜ゲージである点もマルシコ・ヌオヴォ線と同じです。イオニア海側の路線も1930年に残り30kmのところまで開通していましたが、最後に残った区間は結局着工されませんでした。

マルシコ・ヌオヴォ線と違った点は、中規模の集落を縫いながらサンジョヴァンニ・イン・フィオーレを結んでいたため、盲腸線ではありましたが2000年代初頭までは比較的順調に運営されていたようです。


ループ線の勾配は33‰、曲線半径100m、高低差約70mとかなりハードなスペックです。残念ながら木立ちに遮られて眺望はほとんどありません。

標高が高いので冬は雪景色になります

このシラーナ線、現在はバスに需要を取られてしまい、一般旅客営業は2010年に廃止されましたが、頂上の近くの一部区間(モッコネ~サンニコラ・シラヴァーナ・マンシオ間約13㎞)で観光鉄道として蒸気機関車が現在も運転されています。詳細は→こちら(トレノ・デラ・シーラ)


ループ線の部分は観光列車の運転区間外なので、現在は実質廃止状態です。ところが、観光列車の車両を麓のコセンツアで整備することがあり、回送列車を走らせるために線路設備は残してあるそうです。いや、どうせなら営業運転してよ、と思いますが。

また、せっかくだからサンジョヴァンニ・イン・フィオーレまでの全区間にシーラ・エクスプレスという名前の展望列車を走らせたらどうかという話が出ていますが(→こちら)、すぐに実現するというわけではなさそうです。



前面展望の動画がありました。→こちら
見事なぐらいに眺望が効かず、ループ線と言われても「はい?」という反応しか返せませんね。2018/7追記


次回は攻める鉄道会社、地中海鉄道MCLのもう一つの廃止ループ線をご紹介します。


2017/04/18

欧州㉓未成のループ線その1 シチリア島・リエージ線&フランス・トランセヴナール線

  • 欲張りすぎてはいけない

今回は不幸にも列車が走らなかった未成ループ線をご紹介します。完成したかどうかは別にして、工事したにもかかわらず列車が走らなかったというループ線を超マニアックに取り上げていきます。まずはヨーロッパの未成ループ線を2か所見てみましょう。

1ヵ所目はイタリア・シチリア島南西部のリエージ・スパイラルです。

シチリア島の南西部のカニカッティ近郊にはトラビア・タッラリータ鉱山という大規模な硫黄鉱山があり、19世紀には多くの人口を有していました。鉱石の搬出と鉱山労働者の通勤用に早くから鉄道建設が望まれていました。

ロープウェイのような運搬機械を使って鉱石輸送を行っていたようですが、イタリア国鉄線がカニカッティまで完成したことから、鉱山労働者が多数住んでいたリエージとカニカッティ間の全長34kmの鉄道建設が1910年ごろから始まりました。


まるで古代遺跡のような風景が続きます
開通していれば景色の良さではトップクラスになれたのに惜しいです
Ruggero Russoさんのサイトよりお借りしました
→UNA FERROVIA MAI NATA: LA CANICATTI' - RIESI
当初は早期開通を目指して950mmゲージで建設が進められましたが、第1次世界大戦で工事は中断します。

第1次大戦後の1930年代後半に工事を再開した際に、国鉄線と直通しシチリア島東西を結ぶ幹線級の路線にしようとの目論見で標準軌規格での建設に変更しました。

カニカッティ~ソマンティーノ間約20kmは既に950mmゲージ規格で土木工事の大半が完了していましたが、残りの区間の完成に合わせて標準軌規格に修正する計画だったようです。

ところが、1940年代に第2次世界大戦で再度工事が中断してしまいます。戦後は肝心の硫黄鉱山がすっかり斜陽化してしまい、ほとんど完成していた土木構造物だけを残して、線路が敷かれることなく1950年代に正式に放棄されました。

結果的には、標準軌規格に変更したことが敗着となってしまいました。なんとも皮肉なものです。950mmゲージのまま建設が続けられていれば、少なくとも一度は開業できたと思われます。

標準軌に変更したがために完成が遅れ、その数年の遅れが致命傷となった世界でも指折りのかわいそうな路線です。もっとも950mmゲージのまま開業していたとしても第2次大戦後のモータリゼーションで結局廃止になっていた可能性も否定できませんが。

衛星写真でもはっきりと痕跡が残っており、線路さえ引けばすぐにでも列車が走れた様子が伺えます。

なお、リエージは現在治安最悪のマフィアの町として有名になってしまっているようです。現地に行くには相当の気合いが必要かもしれません。



全線の様子はこちらが詳しいです。→Ferrovie Abbandonate イタリアの廃線 
これを見ると950mm規格の西半分カニカッティ・ソンマティーノ間と標準軌規格の東半分ソンマティーノ・リエージ間では明らかに線形に差があるのが分かります。


  • 合併された側の悲哀

もう1ヵ所はフランスの南部、ローヌアルプ地方の深い山の中に建設されたトランセヴナール線です。

ラ・ルー峠以北はほとんど完成していました
この路線は、1850年代にグランドセントラル鉄道会社が、パリからクレルモンフェランを通ってニームへ向かう最短ルートの幹線として計画されました。さっそく起点のル・ピュイから工事が始まります。当時のフランスの鉄道は全部民間運営で、儲かりそうとあらば際限なく鉄道が作られた、いわゆる鉄道狂時代でした。

ところが、グランドセントラル鉄道は1859年にパリ・リヨン・地中海鉄道(PLM鉄道)に吸収合併されてしまいます。

PLM鉄道は独自にクレルモンフェラン・ニーム間をアレス経由で結ぶセヴェンヌ線を建設している最中で、セヴェンヌ線が1870年に先に開業します。普通に考えて自社線の建設を優先しますよね。

クレルモンフェラン・ニーム間の幹線となる目標を失ったトランセヴナール線は地域ローカル線として引き続き建設されますが、重要度が大きく下がってなかなか工事が進まなくなりました。

30年かかってやっと起点のル・ピュイから約60kmのラ・ルー峠まで工事が進みましたが、ここで第1次世界大戦で工事中止のお決まりのパターンにはまります。

全長90kmのうちラ・ルー峠以北約60kmはほとんど完成していたにもかかわらず、1937年に発足したフランス国鉄SNCFはこの路線の工事続行を断念してしまいます。

ついに1941年にトランセヴナール線は正式に放棄されることが決定しました。せめて完成していた北半分だけでも開業させればよかったのにと思いますが、全線まとめて放棄された理由はよく分かりません。

最初に着工してから90年、結局トランセヴナール線には一度も列車が走ることはありませんでした。

トランセヴナール線の予定線が描かれている地図
トランセヴナール線のループ線はラ・ルー峠の南側にあり、北側=山の上の方から工事が進められていました。

一般的にループ線は標高の低い側から建設していくことが多いのですが、ここは逆だったようです。標高の高い方に工事の痕跡が残っています。ただし、ほとんど完成していた峠以北と比べると着工したばかりだったのでしょうか、衛星写真ではほとんど見分けが付きません。

右下から山脈を2回トンネルで横切ってモンペザ駅、その後ダブルへアピン、
最後にループ線という超大規模計画でした。この区間だけで高低差200mを上っています
今でも現地の地元の人には列車が走らなかったことを惜しむ気持ちが強いらしく、未成線の割には路線図や線路配置図などが豊富に見つかります。また駅ができる予定だったモンペザの役場にはループ線の模型が飾ってあるそうです。

マニア的にも完成していればヨーロッパ最大規模となっていた二重ループ線は非常に惜しい存在です。

企業経済と戦争に屈した未成ループ線。 歴史にifは禁物ですが、グランドセントラル鉄道が吸収合併される前に完成までこぎつけていれば、今でもフランス中央高地を南北に結ぶ幹線の一つとして活躍していたかもしれません。


 ループ線付近は痕跡が少ないので路線図はほとんど推測になってしまいました。

  • おまけ~ 実は日本にも・・・

さらにもう一か所。未成ループ線と言えば実は日本にもあります。奈良県の五新線立川渡トンネルです。

ここは奈良県の五条と和歌山県の新宮を結ぶ吉野杉の運搬用路線として計画され、戦時中の1939年から建設が始まっています。戦後1957年に思い出したように工事が再開し、1970年代まで少しずつ工事が進行していましたが、国鉄の累積赤字が問題となった1982年に全線工事凍結されてしまいました。

この路線の途中に立川渡トンネルというところが高低差50mのループトンネルになる予定でした。

立川渡トンネル前後の路盤は完成していましたが、肝心のループトンネルだけが未着工で、残念ながらループ線自体の痕跡はまったくありません。難易度の高いループトンネルは後回しにしたのでしょうか。詳しくは→こちら


ディープなループ線マニアの世界、次回もおそらく世界でも知っている人が1万人いるかいないかの超マニアックな未成・短命ループ線をご紹介します。


 

2016/12/16

欧州⑳レッチュベルグ鉄道&シンプロントンネル線 裏街道と呼ばないで


  • フランス語圏の町を結ぶ

今回はスイスとイタリアを結ぶアルプス横断鉄道の一つ、レッチュベルグ鉄道とシンプロントンネル線のループ線をご紹介します。

レッチュベルグ鉄道Lötschbergbahnはゴッダルドバーンの西側約60㎞フランス寄りのところでアルプス山脈を南北に横断する私鉄の路線です。スイス国鉄のゴッタルドバーンと違って、こちらは民間会社の路線ですのでレッチュベルグ鉄道と訳してみました。

民間会社といってもスイス連邦政府が約半分、ベルン州が約4分の1の株式を保有する日本で言えば第3セクター路線です。しかもスイス国鉄の列車がばんばん乗り入れているので、実体は国鉄線とあまり違いはありません。

ゴッタルドバーンの開通で鉄道の便利さが知られると、スイス西部のローザンヌやジュネーブからイタリア方面へも鉄道がほしいという要望が起こり、1880年代の終盤にジュネーブからローザンヌ、モントルー、ブリークを通ってシンプロン峠からイタリアに至るアルプス横断ルートが着工されます。

このルートは地名からも分かるように主にフランス語圏で、昔ナポレオンが開いた街道と言われています。いわばフランス系スイス人のためのアルプス横断ルートでした。ただし、不思議なことにローヌ谷の最奥部ブリークの町周辺だけはドイツ語圏だそうです。

ジュネーブからレマン湖畔を通って、ローヌ川のU字谷に沿って順調に工事が進み、1874年にブリークまで開通します。このローヌ川に沿って走るのがスイス国鉄のシンプロンバーンです。

さらに、ブリークから国境を越えてイタリアのドモドッソラへ向かう全長19㎞のシンプロントンネルが1906年に開通します。

ゴッタルドトンネルがスイス領内で完結していたのに対して、シンプロントンネルはスイスとイタリアの国境を越える国際トンネルです。

シンプロントンネルは上越新幹線の大清水トンネルが開通する1982年まで長らくの間、世界最長鉄道トンネルのタイトルホルダーでした。そういえば私も幼少の頃の鉄道大百科系の本でよくその名前が紹介されてたのを覚えています。ぶっちゃけ年がばれます。


  • これはヤバい

ところが、こうしてめでたく開通した2本目のアルプス横断ルートに危機感を覚えたのがスイス連邦の首都だったベルン周辺の地域です。東のチューリヒやバーゼルがゴッダルドバーンで、西のジュネーブやローザンヌがシンプロントンネルでアルプス横断ルートにそれぞれ直結するとなると、相対的に都市の重要度が低下しかねません。

レッチュベルガーの車両は黄緑色で山手線ぽいです
そこでベルン周辺の地方公共団体や有力企業がお金を出し合って独自のアルプス横断ルートを建設することとし、レッチュベルグ鉄道会社が設立されました。ベルンーレッチュベルグーシンプロンの頭文字を取ってBLS鉄道と名付けられます。

1913年にベルンからブリークまでの路線がBLS鉄道によって開通します。途中延長14㎞のレッチュベルグトンネルの掘削と、レッチュベルグトンネルからブリークまでのローヌ谷北岸の絶壁沿いは、地すべりや雪崩が多発する相当な難工事でした。

シンプロントンネルは以上のような経緯からジュネーブへ向かうシンプロンバーンと、ベルンへ向かうBLS鉄道線の二本のアプローチ線を持っていることになります。建設時の経緯から、シンプロントンネルの南側ドモドッソラまではイタリア国内ですが、国際特急以外は主にスイスの列車が走っています。

  • 変形ダブルヘアピンと完全トンネルループ

BLS線のループ線はレッチュベルグトンネルの北側とシンプロントンネルの南側に一つずつあります。

北側はダブルヘアピンの一部で線路が交差する珍しい形で、周辺の地名からミットホルツループと呼ばれています。BLS鉄道によって1913年の開業です。


南側はシンプロントンネルを出た谷沿いにあるヴァルツォスパイラルで、ループ線のほとんどがトンネル内です。こちらは前述のとおりシンプロントンネルと同時にスイス国鉄によって一足早く1906年に開通しています。

北はループで南はスパイラルと呼び方が違うのが気になりますが、南はイタリア語のElicoidale di Varzoを訳しているからだと思います。また、ゴッタルドバーンにならって、北側をLötschberg North Ramp、南側をSimplon South Rampという呼び方もするようです。

どちらも勾配27‰、曲線半径200mで、幹線としてはやや物足らないもののぎりぎり許せるスペックですが、開通時から電化複線だったのはさすがです。

ゴッタルドバーンのページにも書きましたが、山岳路線での複線のループ線は世界中でゴッタルドバーンとここだけです。(山岳路線以外ではレンツブルグハイブリッジナポリ地下鉄が複線ループですね。)

ループ線の前後は眺望のいい区間を走りますが、残念ながらループ線自体の眺望はトンネルに阻まれてあまり期待できないようです。


  • レッチュベルガーで連続通過を狙え

実は、2007年にレッチュベルグベーストンネルという全長34㎞の長大バイパストンネルが開通しており、スイスイタリア間の国際特急は全部北側のミットホルツループを通らなくなっています。

大自然の中を走るレッチュベルガ―。
色は似ていますが、山手線とは全く違った雰囲気です
しかし、建設資金不足でレッチュベルグベーストンネルの全長の約半分が単線になってしまい、線路容量確保のために旧線がほとんどそのまま残されました。資金はゴッタルドベーストンネルの建設に回されたそうです。

今のところレッチュベルガーという愛称のついた山手線によく似た色のローカル列車が毎時1往復(1日19往復)、ミットホルツループ線を走っています。そのうちの4往復がシンプロントンネルを越えてドモドッソラまでの直通便で、この直通便に乗るとミットホルツループとヴァルツォスパイラルを連続通過することができます。

ただし、直通便4往復のうち、1往復は深夜便、2往復はハイシーズン以外はブリーク止まりです。普段の日の直通列車は1日1往復ですが、ループ線マニアとしては狙い乗りして二つのループ線を同じ列車で連続で体験したいところです。

ミットホルツ駅を通過する客車列車
これは臨時列車でしょうか
なお、南側のヴァルツォスパイラルはミラノからスイス方面への特急列車が毎時1往復走っているので、同一列車での連続体験にこだわらなければ乗車機会は極めて豊富です。また、どちらのループ線も貨物列車が旅客列車の倍近くの頻度で走っているそうです。

BLS線は開通の経緯からどうしてもゴッタルドバーンの裏街道的な雰囲気が漂っています。

レッチュベルグベーストンネルが資金不足で単線になったり、チザルピーノという高速振子電車特急が故障多発で廃止されたり、派手なゴッタルドバーンループ線群から比べると撮影地に恵まれなかったり。日本での知名度も今一つなところがあります。

そんなちょっとかわいそうなレッチュベルグのループ線ですが、ゴッタルドバーンと比べなければ列車の通過本数などは世界トップクラスです。ループ線マニアとしてはチェックしておきたいですね。






次回はアフリカの連続ループ線をご紹介します。

2016/11/30

欧州⑲イタリア・ノルチャ線 伝説のイタリアのゴッタルド

  • 伝説の大規模ループ線

今回はイタリア中部、ローマの東北にあったスポレト・ノルチャ線の連続ループ線をご紹介します。

このループ線は世界的に見ても相当大規模なものでした。現存していれば間違いなく「大規模ループ線」のカテゴリに入れていました。

スポレト・ノルチャ線はローマの東北、ウンブリア州のスポレトからイタリア半島の中央にそびえるアペニン山脈の中腹の町ノルチャを結んでいた全長50kmのイタリアンナローゲージの民有鉄道でした。第一次世界大戦後の1926年に開通し、1968年に廃止されています。ちょうど戦間のイタリア好況期に開通し、モータリゼーションの進展とともに廃止された典型的なイタリアの地方鉄道でした。


もともとこの鉄道はアペニン山脈を越えたアドリア海側の町、アスコリピチェーノとを結ぶことを念頭に置いていたようです。ところがアペニン山脈の地形は想像以上に険しく、当初検討していたリエーティ~アントロドーコ~グリシャノ~アスコリピチェーノ間の路線を断念し、スポレト~ノルチャ~グリシャノ~アスコリピチェーノのルートで着工しました。

完成後はサブアルプス鉄道株式会社というスイス・イタリア間に路線を持つ民間会社が、ぽつんと離れ小島的に所有・運営していました。何とも不思議な運営形態の民間鉄道です。スイスのレッチュブルグ線の建設を担当したスイス人技師アーウィン・トーマンErwin Thomanという人が建設した関係でしょうか。

結局第二次大戦の敗戦により、アペニン山脈横断の夢は果たされないまま、分不相応な大規模な構造物を持つローカル盲腸線として戦後を走ることになります。


  • 古今東西廃線跡の再利用と言えば

 ところがスポレートは人口2万、ノルチャは人口5千人の小さな町です。山中の小村に向かう人々ではどう考えても鉄道を経営していくには需要不足でした。

1965年にサブアルプス鉄道株式会社は民間運営を諦め、スポレート運輸企業協会という半官半民のよく分からない協会に運営を譲渡しますが、あっさり3年で廃線となってしまいました。

しかし、廃線直後から「ウンブリア地方のゴッダルド」とも呼ばれたその雄大な車窓風景を惜しむ声が上がり、観光鉄道として存続を模索する話が出ます。

とりあえず自転車道として保存されましたが、これが予想外の人気となり、イタリアで有名なMTBコースとして知られるようになります。

今ではMTBの大会なども開かれています。そのおかげでノルチャ駅付近の自動車道路に転用された部分以外では構造物はほぼ完ぺきな形で残されています。

また、ループ線部分を含む20㎞程度を観光鉄道として再生する計画もたびたび出ていますが、今度はMTB愛好家から観光鉄道化反対の声が上がるというなかなかカオスな状態になったりもしています。


  • 帝王にも負けないインパクト


カプラレッチァ陸橋と大掘割
さて、ノルチャ線のループ線は、カプラレッチァ・トンネルを挟んで峠の西側に1つ、東側に2つループがある双子ループでした。

第1のループは、峠の西、スポレト側の標高550mの丘陵地帯にあるカプラレッチァ陸橋で自線をまたぐフルオープンループです。

尾根筋を使って高さを稼いでいるため、少し変わった形状をしていました。

このループ部分の約半分は大規模な掘割になっており、さすがにこの部分は崩落の危険が大きいとして現在通行止めになっています。


ここで80mほど高さを稼いで標高約630mにあるイタリア狭軌線最長だった1936mのカプラレッチァ・トンネルに入っていました。

トンネルの東側は断崖絶壁で、標高350mのネラ川沿いまで高低差280mを7㎞で駆け下りていました。ロングダートでダウンヒル、適度なカーブがあってトンネルと眺めの良い橋がある、とまさにMTBに打ってつけですね。

この東側の断崖がウンブリア・ゴッダルドと異名を取ったヘアピンターン5カ所のうち2カ所がループ線になっている大規模ループ区間です。曲線半径は最小80m、最急勾配は45‰と一般の粘着式鉄道としては限界に近いハードスペックでした。

確かに本家ゴッダルドバーンに一歩も引けを取らないド派手なループ線です。


  • ローカルゆえに廃止になり、ローカルゆえに愛される

ところがゴッタルドバーンに圧倒的に負けていたのが輸送力と輸送量でした。

冷静に見てみるとノリチャ線は極めて低規格で、開業時から電化されていたにも関わらず、スポレト・ノルチャ間の50㎞を2時間以上かかっていました。

需要が少なかったのはアペニン山脈を越えられなかったからだと書きましたが、本当に横断する気があったのか疑問が残ります。

少なくとも幹線鉄道としてイタリア東西横断を目指したものでなかったことは、ナローゲージである点や曲線半径・勾配などの線路規格を見る限り間違いなさそうです。

仮に山脈を越えて東西横断が実現していたとしても、このスペックではいずれモータリゼーションの波に飲まれていたのではないかと思います。その点では開業時から21世紀水準の高規格だったゴッダルド・バーンの足元にも及ばないでしょう。

とは言え、イタリアの美しい山並みを行く超大規模ループ線は記録よりも記憶に残る鉄道として、その痕跡は今でも人々に愛されています。私の最も行ってみたい廃線ループ区間の一つです。

なお、このノルチャ線沿線は昔から地震の多い地域で、つい先日2016年11月にも大きな地震があったそうです。ノルチャ線跡には調べた限り被害はなさそうですが、何かわかったらここに追記して行きたいと思います。




次回はこれまでにも話に出てきたレッチュベルグ線のループ線をご紹介します。






2016/09/22

欧州⑮イタリア・フランスその他のまちなかループ線 微妙なループ線がもりだくさん

  • 世界一のタイトル保持中、ただし参考記録

さて今回はまちなかにある少し微妙なループ線をまとめてご紹介する番外編です。

まずはナポリ地下鉄1号線。ここは海沿いにあるナポリの中心街から標高180mの山の上にあるヴォメロ地区を目指して坂を登って行く地下鉄です。

環状線になってる地下鉄路線は世界にいくらでもありますが、勾配を登るために作られたガチ勾配用ループ線を持つ地下鉄は世界でここだけです。

イタリアらしい遊び心なのかなと思いきや、最急勾配55‰、軌間1435mm、架線式の本格的な勾配路線なので侮れません。

中心部のMunicipio(=市役所)駅からSalvator Rosa駅までが蛇行しているのは、実はダブルヘアピンの要領で標高を稼ぐためだったりします。

ちなみに今でもヴァンヴィッテリ駅から3方向に向けてケーブルカーが走っており、これが地下鉄開業までは主役の交通機関でした。

こんな地下鉄があるのかと感心すると同時に心配になって世界中の地下鉄の路線図を確認してしまいましたが、勾配用ループ線の地下鉄はここだけでした。現在は西半分だけが開通していますが、将来的には1週つながって環状線になる予定です。

郊外の山の方から海に向かって建設が進められ、ループ線手前のヴァンヴィテッリ駅までは1993年、ループ線区間を通って市街地のダンテ駅までは2002年の開業と比較的新しい路線です。

2013年には長距離列車が発着するナポリ中央駅と連絡するガリバルディ駅まで開業し、名実とものに市民の足となりました。
これはトレド駅。カッコいいです。

地下鉄ですのでループ線からの景色などは到底期待できませんが、各駅は「ナポリ芸術の駅 Le stazioni dell'arte di Napoli」と銘打ってそれぞれ違った現代アートで装飾されており、ちょっとした美術館めぐりのような楽しみ方ができるそうです。

日中は9分間隔で運転されていて、1日の通過本数は平日で109往復218本もあります。

ループ線の旅客列車通過本数世界一ではありますが、あくまで地下鉄ですので、これは参考記録ですよね。

ただし始発が6時20分、終電が23時2分と一般的な日本の地下鉄よりも若干営業時間が短いです。


  • 物流を支える"暫定ループ線"
続いてはジェノバのヴォルトーリ支線 Bretella di Voltoriです。


ジェノヴァは古くからの工業港町で東西の海岸沿い、トリノ・アレッサンドリア、アクイテルメの4方向から鉄道が集まってくる交通の要衝でした。

北のトリノ方面から1853年に鉄道が引かれたのを始めとして、1868年にはサヴォナからピサへの海岸線の鉄道が開通、1894年にはアクイテルメからの路線が開通します。

ジェノヴァジャンクション構想図
左下のVoltri駅から分岐している黒線がヴォルトーリ支線。途中まで複線です。

ところが背後に山が迫っていて平地の少ないジェノヴァは、港湾への貨物輸送が盛んになるにつれて細かい貨物線がどんどん増殖し、収拾が付かなくなってしまいました。

旅客列車も貨物列車もジェノヴァの中心ジェノヴァ中央広場駅Genova Piazza Principeを通らなければならず、何度も入線待ち、出発待ちが必要になって時間ロスが馬鹿にならなくなってきました。

両隣りのジェノヴァ・サンピエール・ダレーナ駅とジェノヴァ・ブリニョーレ駅に大規模な操車場を作ったり、サンピエール・ダレーナ駅をバイパスする短絡線を作ったりしてなんとか100年近くやってきましたが、高速鉄道の時代になりジェノヴァを通過するだけで時間がかかるのではやってられない、と抜本的な遠近分離かつ客貨分離構想が本格化しました。これがジェノヴァ・ジャンクション構想です。

その構想に基づいて作られたのがヴォルトーリ支線です。2006年に第一弾が開通し、サヴォナ方面からアクイテルメ方面へジェノヴァ中心部を通らずに直通できるようになりました。また、ジェノヴァ西部の海岸沿いの発展の契機にもなっているようです。

1950年代のヴォルトーリ駅近辺。
JR西日本の須磨~垂水みたいな雰囲気です
こちらからお借りしました
全部開業するとジェノヴァの街の背後の山の下に大規模な鉄道のインターチェンジが出現することになります。イタリアの高速鉄道TAVもこのジャンクションを走る計画になっており、ゴッタルドトンネルを超えてロッテルダムまでヨーロッパの南北の軸を形成するテルゾヴァリコTerzo Valico(第三回廊)構想の一部にもなっています。かなり壮大なプランで興味深いです。

ヴォルトーリ支線は現在のところ旅客列車はなく、貨物列車のみが運転されています。勾配は16‰だそうですが、トンネル内で複雑に立体交差する計画となっていることから、もう少し急な勾配もあるかもしれません。

ジェノヴァジャンクションは2020年全線開業の予定です。これが完成してしまうと、実はヴォルトーリ支線はただの短絡線になってしまってループ線と言えるかどうか微妙になります。 とりあえず今のところは線形的にループ線に入れておいても問題ないでしょう。


  • パリのまちなかに突如出現する本格派オープンループ

ついでですので、イタリア国内ではありませんが、微妙なまちなかループをあと二つほどご紹介しておきます。

まずはフランスはパリのロワジール・デュ・グランゴデ公園にあるヴィルヌーヴ側線です。

衛星写真で見るとパリのまちなかに見事な盛土のオープンループが出現して一瞬目を疑います。ループ線の輪の中が公園とラグビー場になっているのも珍しく、理解するのに数拍必要になります。

にわかに信じがたいのですが、標準軌で曲線半径260mぐらい、勾配15‰ぐらいの立派な勾配用のループ線です。パリの郊外は意外と起伏があるようですね。ループ線の形状が楽器のホルンに似てるためホルン線Cor de chasseと呼ばれています。



これは乗務員の人が撮影した写真でしょうか
こちらからお借りしました
ヴィルヌーヴ側線はパリの郊外をぐるっと結ぶ環状線グランドサンチュールGrande Ceintre (パリの武蔵野線のようなものでしょうか。)の一部をショートカットするために作られた支線、グランドサンチュール・ストラテジーク線 Grande Ceintre Strategique の側線です。

グランドサンチュールの歴史は武蔵野線よりもずっと古く、1886年の開通です。ただ、支線や側線の開通した時期ははっきりしませんでした。

現在グランドサンチュールのところどころで近郊電車の旅客営業が実施されていますが、ヴィルヴィーヌ側線はいまのところ貨物専用です。

1960年代にオルリ空港の側に作られた世界最大の食品市場ランジス市場に向かう貨物列車が結構な頻度で走っているようです。

形は立派なループ線ですが、まったく山岳鉄道ではないので個人的には少し萌えませんが、パリ観光のついでにちょっと見物できそうです。





  • 夜も眠れなくなる謎の平面ループ

最後は、トルコの東の端、タトワン港の手前にあるループ線。ここはヨーロッパと中東、インドを結ぶ唯一の鉄道路線ですが、途中のヴァン湖で線路は途切れており、その間約120㎞は鉄道連絡船が中継しています。その連絡船航路のヨーロッパ側の港がタトワン港です。


タトワン駅は町の中心の高台にあり、港に向かってスィッチバックする連絡線が作られています。その連絡線の途中に方向転換用の平面ループがあります。平面ループなので当ブログでは本来完全に対象外です。

もともとここを当ブログで紹介するつもりはなかったのですが、この平面ループ線、レイアウトが奇妙すぎて頭から離れません。一見するとループする向きが逆に思えるからです。

この配線ですとループ線を通ると港に戻ってしまいます。船から貨車を引っ張り出して、一旦ループ線を通って向きを変えて推進運転でタトワン駅に行っているのでしょうか。そうするとアンカラ方面に出発する際に機関車が先頭になっています。でもそんなことするならタトワン駅で機関車だけ付け替えた方が簡便だと思うのですが。謎です。



まちなかループ線、イタリア編は今回で終了で、残すところあと3か所。次回はクロアチアのまちなかループ線をご紹介します。

2016/09/15

欧州⑭サンマリノ鉄道 復活を目指す戦火に消えた国民的ループ線

  • ミニ国家の鉄道はオールイタリア製

今回はサンマリノ鉄道のループ線をご紹介します。

サンマリノはイタリアの中央部にポツンとある周囲をイタリアに囲まれた小さな国です。山梨県ぐらいの大きさかな、となんとなくイメージしていたのですが、それよりもはるかに小さく、山手線の内側ぐらいの大きさしかないそうです。


しかしその歴史は古く、日本で言えば室町時代ぐらいにすでに共和制の国家として確立しており、1631年にローマ教皇から正式に独立国家として承認されています。国土は小さいですが9つの地方自治体に区分されています。

イタリア人が住んでいて、イタリア語を話しているけど別の国、という状況はなかなか日本人の国家観からは理解しづらいですね。

サンマリノの国土は大部分が標高749mのティターノ山の山地です。イタリアのリミニからサンマリノまで走っていた鉄道がサンマリノ鉄道です。サンマリノ鉄道と勝手に略していますが、実はFerrovie Concesseと言う独特の建設方式で建設され、ヴェネトエミリア電軌鉄道というイタリアの会社が運営していたイタリアの地方私鉄の一路線でした。開業当初から電化された軌間950mmのイタリアンナローゲージ路線です。

6往復時代の時刻表
ちゃんと一等と二等に分かれているようです
こちらからお借りしました
Ferrovie Concesseとは国が資金を出して鉄道を建設し、民間に付与して運営するというイタリア独特の鉄道路線の建設形態とのことですが、これは上下分離の一種なんでしょうか。

地上設備は国有のまま運営だけを民間会社がやっていたのか、設備ごと文字通り民間に払い下げてしまっていたのかまでは分かりませんでしたが、随分と先進的というか気前のいいスキームです。第一次世界大戦後の戦間期はイタリアではだいぶ景気がよかったようです。

1932年に完成し、当初1日2往復で運転が始まりましたが、すぐに6往復に増便されています。最盛期にはさらに運転本数が増えていたようです。全長32㎞標高差640mを1時間かけて上るタフな登山鉄道でした。

イメージ的には箱根登山鉄道(全長15㎞標高差520m)の勾配を少し緩くしたような感じのものです。サンマリノの国旗と同じ白とスカイブルーのツートンカラーの電車は地元の人に大変愛されていたことが伺えます。


  • 時代が悪かったとしか言いようがない
そんなサンマリノ鉄道ですが、不幸なことに時代はまさに大戦期。第二次世界大戦のさなかに空爆で線路が破壊されて不通になってしまいます。

サンマリノ鉄道は途中のセラヴァッレからと最後が急勾配
最急勾配は50‰を越えます
第二次世界大戦中に線路を爆破するのはだいたいドイツ軍によるものなのですが、ここはイギリス軍の誤爆だったというから救われません。

サンマリノ自体は大戦中、中立を宣言していたのにとんだとばっちりでした。

終戦後すぐ熱烈な鉄道再開運動が展開されましたが、敗戦国となったイタリア資本の民間鉄道だったのが災いしたのでしょうか、遅々として復興は進まないまま21世紀を迎えることとなってしまいました。


現在は車道になっているようです。
これはモンタルボトンネル
さて、サンマリノ鉄道には2カ所ループ線がありました。一カ所は山の中腹のポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネル、もう一カ所は終点のサンマリノ市街地への断崖を貫通するピアッジェ・ループトンネルでした。

ポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネルは20‰勾配で、ピアッジェ・ループトンネルは52‰という超急勾配でした。地形の関係で山の上の方が急勾配になっていたようです。








ピアッジェループトンネル付近の地図
山の南側斜面に回り込む形でループしていました
終点のサンマリノ駅とその一つ手前のボルゴ・マッジョーレ駅間は3.8㎞ですが、標高差が約150mもあり、全線の標高差の4分の1はこの一駅間のものだったというから恐ろしいものがあります。

ちなみにこの二駅間には現在ロープウェイが運転されています。例によって白とスカイブルーのツートンカラーのサンマリノ色ロープウェイで移動することができます。


  • いつか列車が蘇るのを信じて

現在も鉄道再開運動は続いており、鉄道開業80周年にあたる2012年、ついにサンマリノ駅からモンターレトンネルの出口までの800mで復活運転が実施されました。実に休止から68年かけての復活は大したものです。

引き続き再開区間を伸ばして、ボルゴマッジョーレ駅まで結ぶつもりとのことです。これが再開すると当然ループ線も復活するということになるでしょう。これは楽しみです。

ただし、この復活運転は今のところ日にちを限定した試運転程度の運転で、一般の観光客向けには公開されていないようです。ふらっと観光ついでに気軽に乗れるようなものにはまだなっていません。






このサンマリノ鉄道については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも最近紹介されています(→こちら)。

できるだけ見ないようにしてこの記事を書いたのですが、内容がもろかぶりな上に山下さんの方が詳細に解説されています。正直恥ずかしいです・・・。

次回はまちなかループイタリア編からイタリアのまちなかにある訳の分からないループ線をいくつかまとめてご紹介します。

2016/08/31

欧州⑬イタリア・イルノ線フラッテループ 不死鳥のごとく蘇ったループ線

  • 世界的観光地がより取り見取り
今回はイタリアの西側、ナポリから近いサレルノのまちなかループ線をご紹介します。

サレルノはナポリの南、特急で40分ほどのところにある人口13万人の古い港町です。港町ですが工業都市というよりも保養地の性格が強く、ソレント半島、アマルフィ海岸、ヴェスピオ火山、ポンペイ遺跡、パエストゥム神殿と言った超著名な観光地も余裕の日帰り圏内です。どこも1時間から2時間程度で行けるので、その気になれば組み合わせ次第で1日2カ所回れそうでもあります。

左手前の山の裏がループ線です
さて、今回ご紹介するイルノ線は、1866年に開通していた南ティレニア本線を経由してナポリへの物流を担うことを主目的に建設されました。当時サレルノを流れるイルノ川沿いには、急流を利用した水力発電をベースに繊維工業地帯が発展してきていました。

計画自体は1880年ごろからあったようですが、イルノ川渓谷をループ線で登る工事が大変な難工事となり、工期が大幅に遅延してスイス人の技術者が自殺してしまうという悲劇に見舞われています。ループ線部分は1893年に完成し、1902年にはイタリア中央部に向かうアヴェリーノ線のメルカト・サン・セヴェリーノ駅までの18㎞が全通しています。
サレルノ近郊の鉄道路線図
赤線の右側がイルノ線、左側がアヴェリーノ線
青線が南ティレニア本線
現在この路線をまとめてサレルノ循環線Circumsalernitanaとして
直通運行する計画が進んでいます

全通後は当初の目論見と異なって、繊維工業がらみの貨物輸送よりも地元の人の地域旅客輸送に積極的に利用されるようになります。

当初蒸気機関車牽引の客車列車が数往復するだけだったのが、1930年代には早くもディーゼルカーが導入され、1日10往復以上運転されるようになっています。このディーゼルカーはイルノ線全線の18㎞を26分~29分で走っており、この時代としては驚くほど俊足でした。

現代の日本の鉄道と比べてみても、信楽高原鉄道が15㎞を23分~25分、九州の甘木鉄道が14㎞を26分、武豊線が19㎞を32分(列車交換2回分の待ち時間を含む)といずれも当時のイルノ線は負けていないどころか速さで上回ってさえいます。1930年代のイルノ線は、ディゼルカーがかっ飛ぶ最先端のローカル線だったようです。

  • 諦めなければ実現する vs 嘘も百回言えば本当になる

ミヌエットも走っています。こちらからお借りしました
ところが、1960年代になるとモータリゼーションが進み、イルノ線は不採算路線ということで1967年にバス転換されてしまいます。

この時イタリア国鉄は利用者に対して事前に告知せず、ダイヤ改正と称して突然全便をバス転換してしまうという荒業を使ったそうです。今ではちょっと考えられませんね。

当然利用者から猛反発を食らいましたが、イタリア国鉄は「廃止ではない。休止だ」と強弁したそうです。

このまま本当に廃止かと思われたイルノ線が復活したのは、1981年に沿線に大学が移転してきたことがきっかけでした。大学側がイルノ線の再建費用を負担して路線を改修し、見事に復活を遂げています。

休止だ、と強弁していたのが結果的には嘘にはならなかったのですが、休止当初から大学の移転が見込まれていたのかどうか、今となっては分かりません。実際に列車の運行が再開されたのは1990年で、休止されてから23年が経過していました。

現在のところイルノ線は、世界中の廃止ループ線の中で、観光鉄道ではない一般の普通旅客鉄道として復活した唯一の例です。この点は特筆しておく必要があるでしょう。

  • ローカル線なのに高規格の謎
フラッテ駅とフラッテトンネルの入り口
こちらからお借りしました
ループ線はサレルノ駅から3つ目のフラッテ駅を出てすぐ始まります。サレルノ駅からフラッテ駅までは3㎞、列車で10分もかかりません。その気になれば歩いて行くことも可能です。

ループの大部分が全長約2400mのフラッテトンネルElicoidale di fratteの中になっており、眺望はあまり期待できません。勾配は19‰、高低差は約90mです。


注目すべきはフラッテトンネル内の曲線半径が450mもの高規格になっているところです。

20世紀初頭のローカル鉄道とは思えない大幹線級のスペックです。これはトンネルが長くなるのを承知で高低差を稼ぎに行ったものと推測できますが、カーブ・勾配・長大トンネルと3拍子揃った難工事になってしまったのも無理ありません。

1909年開通のカナダのキッキングホース峠のループトンネルがトンネル長を抑えるために曲線半径175mの急カーブを採用したのとは設計思想が真逆ですね。不採算でも廃止にならなかったのはこの規格の高さも関係していそうです。

現在イルノ線は平日18往復、休日7往復の列車が走っています。駅が増えて片道30分から35分程度かかるようになっており、かつてのように韋駄天ディーゼルカーを体験することはできません。これはちょっと残念です。

将来的には電化と合わせて大学構内へ直接乗り入れる新線を建設し、サレルノ近郊電車線(サレルノ・メトロ線。メトロと言っていますが地上線です)と直通する計画もあり、さらに発展が見込めそうです。

だいたい1時間に1本ずつ運転されているイルノ線ですが、大学の休暇期間中に運休したり、授業時間に合わせて2時間ほど列車のない時間があったりといろいろ罠があります。

ナポリからも近いのでふらっと乗りに行って半日で戻ってくることも可能ですが、列車の時間はちゃんと調べて行かないとハマりますので要注意です。

  • おまけ ~ 実現していればすごい名所になっていた幻のループ線
ナポリとサレルノを結ぶ南ティレニア本線は日本で言えば東海道線にあたるイタリア西海岸の超重要幹線です。ところがサレルノの町に入る手前に25‰~30‰の急勾配があり、輸送上のネックになっていました。

1915年ごろの計画図
これは実現してほしかった
1910年代に複線化が完成しましたが、急勾配のせいで思ったほど輸送容量を伸ばせませんでした。さてどうしたものか、と当時の人々が頭を悩ませ、その解決策の一つとして考案されたのが勾配を13‰に抑えた新線の建設でした。

この新線の案が右の図の赤線です。二つのループ線の間に鋭いヘアピンカーブがある豪快なループ線計画です。イルノ線のループ線と対をなす形となっているのも強烈。これが実現していればサレルノはループ線の街として世界に名を轟かせたに違いありません。

新設のループ線はナポリ方面行上り貨物列車専用とし、既存線の下り線は客貨両用、上り線はナポリ方面行旅客列車専用にする計画でした。

これが実現していると、峠の途中のヴィエトリ・スル・マーレ駅では貨物列車は上りも下りも同じ方向(山側)から進入してきて同じ方向に出発していくという風景が見られたはずです。ループ線マニアとしてはこれだけで大興奮できます。





結局、このプランは距離が伸びすぎということで却下されました。この輸送上のネックの解消には1977年、サンタルチア・トンネルという全長10kmの長大トンネルの開通まで60年間待たなければいけませんでした。





次回はまちなかループイタリア編の続き、微妙にイタリアではありませんが、サンマリノ鉄道をご紹介します。