2016/12/31

アフリカ③ケニア ウガンダ鉄道  絶滅寸前!ブリティッシュアフリカの4連オープンループ


  • 大英帝国の本気を見た

今回はアフリカ大陸のど真ん中にあるウガンダ鉄道のループ線を4つまとめてご紹介します。

ウガンダ鉄道はイギリスがアフリカ植民地経営の柱として建設した鉄道です。ケニアの港町モンバサからケニア領内を通ってウガンダへ向かうメーターゲージの路線です。

ウガンダ鉄道といいつつ、全長の4分の3くらいはケニア国内を走ります。「ウガンダへ向かう鉄道」と考えると分かりやすいでしょうか。

このウガンダ鉄道という名称はケニア・ウガンダの両国がイギリスの植民地時代に「英領東アフリカ」とまとめて呼ばれていた名残です。インド洋に面する港町モンバサからウガンダの西の端、コンゴとの国境近くのカセッセまでその全長は1800kmにもなる長大路線です。

独立後も「東アフリカ鉄道」と一体的に運営されていたあと、国境線を境にケニア国鉄とウガンダ国鉄に分割されました。現在は民営化されてリフトバレー鉄道という南アフリカ資本の民間会社が再び両国鉄をまとめて傘下においていますが、運営はケニアとウガンダのそれぞれの国内で別個になっているようです。

ウガンダ鉄道にはケニア国内のモンバサを出てすぐのところに1ヵ所と中央部に2か所、ウガンダ国内のコンゴ国境近くに1ヵ所の計4か所ループ線があります。連続ループ線というにはいささか距離が離れすぎではありますが、東から順にご紹介します。


  • 余命あとわずか

まずは、モンバサの北20kmのマゼラススパイラル。

マゼラススパイラル。 写真で見ると高低差は10mぐらいですね
ウガンダ鉄道に関しては圧倒的情報量のこちらのサイトからお借りしました。

基本的にこの区間はナイロビに向かって一直線の上り坂です。モンバサの近くの海岸段丘をループ線で上っているステップ地帯の中にある4分の3回転ループです。

曲線半径は175m、高低差ははっきり分かりませんでしたが、写真で見る限り10mぐらいですので勾配は12‰ぐらいでしょうか。

1896年とかなり早い段階で開通しています。

この区間は2016年現在も夜行の旅客列車が走っています。週3往復あったのが最近減便されて週2往復になっています。

数時間単位の遅れや突発運休は日常茶飯事らしいのですが、乗っている限りは比較的快適だそうです。明るい時間帯に確実に通るならナイロビ発モンバサ行に乗るのがよさそうです。

なお、この区間、現在中国資本による標準軌新線が建設中で、Googleの衛星写真にもループ線の左下に工事区間が映っています。

予定通りならば2017年6月に開業とのことです。新線が開業するとおそらくループ線は廃止でしょう。WEB上のニュース写真を見る限りは、とても2017年中に開業できそうには見えませんが、いずれにしても遠くない将来廃止になりそうです。※2017年に開通したそうです。→こちら マダラカ・エクスプレスという新線を走る特急がナイロビ~モンバサ間を1日2往復走り出しています。→こちら 旧線はナイロビ市内の一部区間を除いて廃止になったようです。


このナイロビ・モンバサ間の列車は鉄道旅行愛好家には割とメジャーで、WEB上に乗車記が比較的たくさん見つかります。




  • ホワイトハイランドを駆け上がれ

続いてモンバサから800kmほど、ナイロビから300kmほど北上したところにある2つのループ線を見てみましょう。

個人的に激萌えしたナクル駅の腕木信号機群
こちらからお借りしました
ウガンダ鉄道はナイロビから180km北にあるナクルで左右に分岐します。 左に向かうのは1901年に開通した旧線のキスム線で、当初はキスム港からビクトリア湖上の鉄道連絡船でウガンダ方面へ輸送していました。

ところが当時フランスとアフリカ中央部の領土獲得競争を繰り広げていた大英帝国はこれで満足せず、ウガンダまでの鉄道直結を狙って新線を建設します。これがナクルから右に分岐するウガンダ直通線で、1931年に開通しています。

モンバサからナイロビまで500kmはほぼ一直線の上り坂です。
ナクルから先の峠がウガンダ鉄道の最高所です。

この右に分岐するウガンダ直通線上に設置されたのが、マクタノ・スパイラルとイクエイター・スパイラルです。イクエイタ―・スパイラルEquator Spiralはその名の通り赤道直下にあります。

二つのループ線の間隔は約15kmほどで近接しているのですが、マクタノ・スパイラルは標高2500m、イクエイタ・スパイラルは標高2700mです。

15kmで200mの標高差を登っており、最急勾配は20‰だそうです。この時代のメーターゲージの蒸気機関車にはかなり厳しい連続勾配だったことでしょう。

詳細不明ですが、ループ線付近の車窓らしいです
航空写真で見るとこの二つのループ線は畑の中にあります。アフリカのど真ん中に畑というとちょっと不思議な感じがしますが、標高のおかげで気温がちょうどよく、雨量も豊富なので農耕に適しているそうです。イギリス植民地時代に白人が独占したためホワイトハイランドという別名があります。写真で見ると東南アジアっぽい感じがしますね。

この区間は2000年代の中ごろまで週に1往復程度旅客列車が走っていたそうですが、現在は休止中です。おそらく貨物列車も走っていないものと思われます。

ループ線の他にも細かいヘアピンターンが続いており、何度もターンを繰り返しながら高度を上げて行くハイライト区間だったようです。残念ながら復活の見込みは少なそうです。



  • 廃止したとは言っていない
さて、最後は国境を越えてウガンダの首都カンパラと西の端カセッセを結ぶウガンダ鉄道西部線Uganda Railway Western Extension にあるループ線です。モンバサからは1800km離れたウガンダ鉄道路線の最西端、この先はすぐ旧フランス領のコンゴとの国境です。

開通直後のループ線
Googleの衛星写真と比べると格段に路盤良好です
こちらのサイトからお借りしました。
ここは1956年開通と戦後生まれの随分新しいループ線ですが、1998年には閉鎖されています。

閉鎖というのは微妙な表現ですが、メンテナンスが悪くて列車が走れない状態で放置されたというのが実態のようです。特に首都カンパラ付近では衛星写真にレールが映らないぐらいですので路盤状況は相当悪そうです。

西部線は標高1200mのカンパラからほとんど高低差のない台地を走りますが、最後のカセッセの町を含むジョージ湖からエドワード湖にかけてはアフリカ大地溝帯の一部になっていて、標高1000mと周囲から大きく窪んだ地形となっています。

ここはそのくぼみに向けて坂を下るループ線です。 曲線半径は175m、勾配は12‰です。世界有数の人里離れたループ線であると同時に、世界有数の綺麗な形のオープンループだと思うのですがいかがでしょうか。しかもフルオープンで1回転半しているのがなかなかの高ポイントだと思います。

この西部線はカセッセ近郊の鉱山で採れる銅やコバルトの運搬用に建設されたものです。英領時代は旅客列車がカンパラ・カセッセ間300kmを12時間かけて走っていましたが、独立後のウガンダ国鉄時代は旅客営業の実績はないのではないかと思います。ここは相当短命なループ線ですね。旅客営業の終了時期がはっきり分かりませんが、短命さでサンマリノ鉄道をしのぎそうです。さすがにここのループ線を列車で通ったことのある日本人はいないでしょう。

現在、ウガンダの都市間交通は自動車中心になっており、ここに列車が復活する可能性は残念ながらないでしょう。あるとしたらマニア向けの観光列車ですが、この極限的なアクセスの悪さを考えると絶望的に難しそうです。




  • イギリス流ループ線の共通点とは

以上、ウガンダ鉄道の4カ所のループ線をご紹介しました。どれも非常に魅力的ですが、悲しいかな絶滅寸前です。

実は4つとも丘を巻いて高度を上げるオープンループだという共通点があります。ループの輪の中央に丘があるため、オープンループの割には比較的眺望に恵まれていません。

また、4カ所とも曲線半径175mのカーブという点も共通です。 僻地に建設される鉄道では難しい施工を避けるために可能な限り同じ半径のカーブを使いますが、このウガンダ鉄道ではそれが特に顕著で、あちこちで半径175mカーブばかり出てきます。写真で見る限り緩和曲線が入っているかどうかも怪しいです。まったく緩和曲線なしでは列車が走れませんので、少しは入っているとは思うのですが。

同じアフリカ植民地鉄道でもイタリアの作ったエリトリア鉄道は律儀に緩和曲線を使ってるのが衛星写真からも分かります。これはお国柄なんでしょうかね。なお、この半径175mカーブというのは最小曲線半径のイギリスの規格で、イギリス由来の鉄道路線で良く出てきます。

次回はヨーロッパからブルガリアの連続ループ線をご紹介します。

年末ぎりぎりの更新になってしまいましたが、来年も「ループ線マニア」をよろしくお願いいたします。


2016/12/16

欧州⑳レッチュベルグ鉄道&シンプロントンネル線 裏街道と呼ばないで


  • フランス語圏の町を結ぶ

今回はスイスとイタリアを結ぶアルプス横断鉄道の一つ、レッチュベルグ鉄道とシンプロントンネル線のループ線をご紹介します。

レッチュベルグ鉄道Lötschbergbahnはゴッダルドバーンの西側約60㎞フランス寄りのところでアルプス山脈を南北に横断する私鉄の路線です。スイス国鉄のゴッタルドバーンと違って、こちらは民間会社の路線ですのでレッチュベルグ鉄道と訳してみました。

民間会社といってもスイス連邦政府が約半分、ベルン州が約4分の1の株式を保有する日本で言えば第3セクター路線です。しかもスイス国鉄の列車がばんばん乗り入れているので、実体は国鉄線とあまり違いはありません。

ゴッタルドバーンの開通で鉄道の便利さが知られると、スイス西部のローザンヌやジュネーブからイタリア方面へも鉄道がほしいという要望が起こり、1880年代の終盤にジュネーブからローザンヌ、モントルー、ブリークを通ってシンプロン峠からイタリアに至るアルプス横断ルートが着工されます。

このルートは地名からも分かるように主にフランス語圏で、昔ナポレオンが開いた街道と言われています。いわばフランス系スイス人のためのアルプス横断ルートでした。ただし、不思議なことにローヌ谷の最奥部ブリークの町周辺だけはドイツ語圏だそうです。

ジュネーブからレマン湖畔を通って、ローヌ川のU字谷に沿って順調に工事が進み、1874年にブリークまで開通します。このローヌ川に沿って走るのがスイス国鉄のシンプロンバーンです。

さらに、ブリークから国境を越えてイタリアのドモドッソラへ向かう全長19㎞のシンプロントンネルが1906年に開通します。

ゴッタルドトンネルがスイス領内で完結していたのに対して、シンプロントンネルはスイスとイタリアの国境を越える国際トンネルです。

シンプロントンネルは上越新幹線の大清水トンネルが開通する1982年まで長らくの間、世界最長鉄道トンネルのタイトルホルダーでした。そういえば私も幼少の頃の鉄道大百科系の本でよくその名前が紹介されてたのを覚えています。ぶっちゃけ年がばれます。


  • これはヤバい

ところが、こうしてめでたく開通した2本目のアルプス横断ルートに危機感を覚えたのがスイス連邦の首都だったベルン周辺の地域です。東のチューリヒやバーゼルがゴッダルドバーンで、西のジュネーブやローザンヌがシンプロントンネルでアルプス横断ルートにそれぞれ直結するとなると、相対的に都市の重要度が低下しかねません。

レッチュベルガーの車両は黄緑色で山手線ぽいです
そこでベルン周辺の地方公共団体や有力企業がお金を出し合って独自のアルプス横断ルートを建設することとし、レッチュベルグ鉄道会社が設立されました。ベルンーレッチュベルグーシンプロンの頭文字を取ってBLS鉄道と名付けられます。

1913年にベルンからブリークまでの路線がBLS鉄道によって開通します。途中延長14㎞のレッチュベルグトンネルの掘削と、レッチュベルグトンネルからブリークまでのローヌ谷北岸の絶壁沿いは、地すべりや雪崩が多発する相当な難工事でした。

シンプロントンネルは以上のような経緯からジュネーブへ向かうシンプロンバーンと、ベルンへ向かうBLS鉄道線の二本のアプローチ線を持っていることになります。建設時の経緯から、シンプロントンネルの南側ドモドッソラまではイタリア国内ですが、国際特急以外は主にスイスの列車が走っています。

  • 変形ダブルヘアピンと完全トンネルループ

BLS線のループ線はレッチュベルグトンネルの北側とシンプロントンネルの南側に一つずつあります。

北側はダブルヘアピンの一部で線路が交差する珍しい形で、周辺の地名からミットホルツループと呼ばれています。BLS鉄道によって1913年の開業です。


南側はシンプロントンネルを出た谷沿いにあるヴァルツォスパイラルで、ループ線のほとんどがトンネル内です。こちらは前述のとおりシンプロントンネルと同時にスイス国鉄によって一足早く1906年に開通しています。

北はループで南はスパイラルと呼び方が違うのが気になりますが、南はイタリア語のElicoidale di Varzoを訳しているからだと思います。また、ゴッタルドバーンにならって、北側をLötschberg North Ramp、南側をSimplon South Rampという呼び方もするようです。

どちらも勾配27‰、曲線半径200mで、幹線としてはやや物足らないもののぎりぎり許せるスペックですが、開通時から電化複線だったのはさすがです。

ゴッタルドバーンのページにも書きましたが、山岳路線での複線のループ線は世界中でゴッタルドバーンとここだけです。(山岳路線以外ではレンツブルグハイブリッジナポリ地下鉄が複線ループですね。)

ループ線の前後は眺望のいい区間を走りますが、残念ながらループ線自体の眺望はトンネルに阻まれてあまり期待できないようです。


  • レッチュベルガーで連続通過を狙え

実は、2007年にレッチュベルグベーストンネルという全長34㎞の長大バイパストンネルが開通しており、スイスイタリア間の国際特急は全部北側のミットホルツループを通らなくなっています。

大自然の中を走るレッチュベルガ―。
色は似ていますが、山手線とは全く違った雰囲気です
しかし、建設資金不足でレッチュベルグベーストンネルの全長の約半分が単線になってしまい、線路容量確保のために旧線がほとんどそのまま残されました。資金はゴッタルドベーストンネルの建設に回されたそうです。

今のところレッチュベルガーという愛称のついた山手線によく似た色のローカル列車が毎時1往復(1日19往復)、ミットホルツループ線を走っています。そのうちの4往復がシンプロントンネルを越えてドモドッソラまでの直通便で、この直通便に乗るとミットホルツループとヴァルツォスパイラルを連続通過することができます。

ただし、直通便4往復のうち、1往復は深夜便、2往復はハイシーズン以外はブリーク止まりです。普段の日の直通列車は1日1往復ですが、ループ線マニアとしては狙い乗りして二つのループ線を同じ列車で連続で体験したいところです。

ミットホルツ駅を通過する客車列車
これは臨時列車でしょうか
なお、南側のヴァルツォスパイラルはミラノからスイス方面への特急列車が毎時1往復走っているので、同一列車での連続体験にこだわらなければ乗車機会は極めて豊富です。また、どちらのループ線も貨物列車が旅客列車の倍近くの頻度で走っているそうです。

BLS線は開通の経緯からどうしてもゴッタルドバーンの裏街道的な雰囲気が漂っています。

レッチュベルグベーストンネルが資金不足で単線になったり、チザルピーノという高速振子電車特急が故障多発で廃止されたり、派手なゴッタルドバーンループ線群から比べると撮影地に恵まれなかったり。日本での知名度も今一つなところがあります。

そんなちょっとかわいそうなレッチュベルグのループ線ですが、ゴッタルドバーンと比べなければ列車の通過本数などは世界トップクラスです。ループ線マニアとしてはチェックしておきたいですね。






次回はアフリカの連続ループ線をご紹介します。