2018/06/05

欧州㉖イタリア・地中海鉄道 ブリエンザ&セッラ・ペダーチェ 果たせなかった半島横断

  • 超攻撃的鉄道会社、得意技は無理攻め

今回はイタリアの廃止ループ線を二つまとめてご紹介します。

1900年代初頭に設立された歴史に残る迷鉄道会社「カラブロ・ルカノ間のための地中海鉄道会社」が建設した3か所のループ線のうちの二つです。イタリア語でMCLと略します(Mediterranea=地中海、Calabro-Lucane)。

立派な土木構造物に客車一両のアンバランス
60‰の連続勾配を蒸気機関車で登っていたのは衝撃です(後年はディーゼル化されています)
技術的には超一級です。こちらからお借りしました

この地中海鉄道MCLは、もともとイタリア南部の鉄道路線の資産保有会社でした。実際の鉄道の運行にはタッチしない投資会社のようなものでしょうか。

それが1905年イタリア国鉄が設立された際に、保有するイタリア南部の標準軌路線が国鉄にがっさり買収されて、多額の現金を手にします。

この現金を使ってイタリア南部に壮大な、現代から考えると無謀なローカル鉄道ネットワークを自前で建設することにしました。こうしてイタリア南部の山岳地帯に次々と鉄道路線建設に着手していきます。

地中海鉄道MCLの路線図
黒線は国鉄線、赤線はMCL社線。点線は未成線。
なお、赤線部分も現在は大部分が廃止されています
ところがイタリア南部の半島中央部には標高1500m級の山脈が走っており、東のイオニア海側の沿岸と西のティレニア海側の沿岸を結ぶのはそう簡単ではありません。

比較的線路を通しやすいところには既に標準軌の国鉄線があったので、それ以外の残ったところはどこもドン引きするレベルの険しい山岳地帯ばかりでした。

それにもめげずに地中海鉄道はいくつかの東西連絡線を着工し、そのうち3か所にループ線が作られています。

まず一つ目はマルシコ・ヌオヴォ線のブリエンツア・スパイラルです。

このマルシコ・ヌオヴォ線はカンパーニャ州南端の街アテナから、イオニア海沿岸を目指した950㎜のイタリアンナローゲージ路線です。

途中山脈を何度も横切るドSなルート選定で、鼻息荒く1911年に着工しましたが、第一次世界大戦の影響で開通したのは1931年と、だいぶ工事に時間がかかってしまいました。しかも、起点のアテナ・ルカーノからマルシコ・ヌオヴォまでの30㎞弱だけの部分開業を余儀なくされています。

標高450mのアテナを出るといきなり分水嶺の峠を8kmで400mも上り、そこからループ線を使って標高700mのブリエンツアの街まで下るというダイナミックな路線でした。ループ線部分の勾配は60‰、曲線半径90mという粘着鉄道の限界スペックです。イタリアらしい壮大なアーチ橋を持った、ブリエンツアの街を眼下に一望するとても眺めの良いループ線だったと言われています。

この地形図はループ線の部分がちょっと間違っています
実際は時計回りに下るのが正解。この図では時計回りに上っているように描かれています

  • さすがに攻めすぎだよ
ところが、なかなか挑戦的な計画のマルシコ・ヌオヴォ線だったのですが、沿線人口を全部足しても1万人にもならない山中のローカル盲腸線の行く末は、大方の想像通り「イタリア一の赤字路線」でした。

こちらからお借りしました
ループ線跡のすぐそばに道路橋が作られましたが、廃線跡の構造物は残されました
開業時から旅客列車が1日3往復、貨物列車が週に1往復と惨憺たる運転状況で、1966年に地すべりで不通になったのを機に復旧されることなくさっさと廃止されました。列車の累積運行本数の少なさでかなり上位に来るループ線なんじゃないかと思います。

もともと部分開業ではとても乗客が見込めなかった区間ですが、途中のブリエンツアも終点のマルシコ・ヌオヴォも集落から外れたところに駅を作ったため、地元の人からも「これでは使えん」と言われたそうです。

辛うじて30年間持ったのは第二次世界大戦で被害を受けなかったことと、沿線に小規模な鉱山があったおかげです。ただし鉱山輸送にも取り立てて活躍したという形跡はありません。

現在、線路跡はほとんど道路になっており、ループ線の遺構の側に立派な道路橋が併行して建設されています。




  • 細々と列車が走ることもあるらしい
もう一箇所は長靴のつま先の方、カラブリア州コゼンツァからイオニア海沿岸の工業都市クロトーネを目指したシラーナ線です。


シラーナ線はマルシコ・ヌオヴォ線とほぼ同じ経緯で1910年ごろから工事が始まり、少しずつ東に向かって延伸していきました。ループ線区間の開通は1922年です。

ループ線は標高200mのコセンツァから15kmの標高600mのセッラ・ペダーチェに作られました。ここまでで既に400mも登っていますが、このあと標高1400mまで登る本格山岳路線です。アルプス沿いの山岳地帯を差し置いて、イタリア国内最高所の鉄道路線だそうです。

950㎜ゲージである点もマルシコ・ヌオヴォ線と同じです。イオニア海側の路線も1930年に残り30kmのところまで開通していましたが、最後に残った区間は結局着工されませんでした。

マルシコ・ヌオヴォ線と違った点は、中規模の集落を縫いながらサンジョヴァンニ・イン・フィオーレを結んでいたため、盲腸線ではありましたが2000年代初頭までは比較的順調に運営されていたようです。


ループ線の勾配は33‰、曲線半径100m、高低差約70mとかなりハードなスペックです。残念ながら木立ちに遮られて眺望はほとんどありません。

標高が高いので冬は雪景色になります

このシラーナ線、現在はバスに需要を取られてしまい、一般旅客営業は2010年に廃止されましたが、頂上の近くの一部区間(モッコネ~サンニコラ・シラヴァーナ・マンシオ間約13㎞)で観光鉄道として蒸気機関車が現在も運転されています。詳細は→こちら(トレノ・デラ・シーラ)


ループ線の部分は観光列車の運転区間外なので、現在は実質廃止状態です。ところが、観光列車の車両を麓のコセンツアで整備することがあり、回送列車を走らせるために線路設備は残してあるそうです。いや、どうせなら営業運転してよ、と思いますが。

また、せっかくだからサンジョヴァンニ・イン・フィオーレまでの全区間にシーラ・エクスプレスという名前の展望列車を走らせたらどうかという話が出ていますが(→こちら)、すぐに実現するというわけではなさそうです。



前面展望の動画がありました。→こちら
見事なぐらいに眺望が効かず、ループ線と言われても「はい?」という反応しか返せませんね。2018/7追記


次回は攻める鉄道会社、地中海鉄道MCLのもう一つの廃止ループ線をご紹介します。