2018/05/19

欧州㉕フランス・アゼルグ線クラヴェゾル・ループ ローカル線に残るハイスペックループ線

  • 昔民営、今国営
今回は、フランス国鉄アゼルグ線のリヨンに近い丘陵地帯にあるクラヴェゾル・ループをご紹介します。

フランスは現在の鉄道網はすべて国有で、フランス国鉄SNCFが管理していますが、鉄道黎明期はアメリカと同じ民間資本建設が原則でした。ところが、アメリカと違い、鉄道建設には必ず補助金が支出され、補助金を得た企業が基本的にその地域の鉄道建設を独占するというシステムになっていました。

このやり方でフランスは私企業間の路線建設合戦を回避しながら、民間資本で鉄道路線網を拡張していきます。

最盛期はフランス国内の鉄道路線網の総延長が6万kmに達していました。日本の鉄道がJR私鉄含めて3万キロ弱でフランスの国土面積が日本の1.5倍程度であることを考えると、ものすごい線路の密度だったことが分かります。

ところが、普仏戦争と第一次世界大戦で国営鉄道網を軍需輸送に目一杯使ったドイツ軍にぼこぼこにされ、さらに1930年ごろから自動車の普及が進み、民間経営では限界があるとして、1930年代の後半にすべての鉄道が国営化されます。フランスはやることが極端です。

これ以降フランス国鉄SNCFは路線網の縮小に手を付けていくことになります。現在フランスの鉄道網は約2万9000kmといいますから、鉄道網の半分以上が廃止されたことになります。

  • 「縁の下の力持ち」、それが私の生きる道

さて、フランスの一番の幹線鉄道、パリ・リヨン・マルセイユ線は1856年に開通しています。この路線はヨーロッパで初めて地中海と大西洋を結んだ鉄道で、開通してすぐ輸送容量がひっ迫するほど大繁盛しました。

PLM鉄道は増大する輸送需要に応えようとパリ・リヨン間にバイパス線を建設することにします。こうして建設されたのがアゼルグ線でした。アゼルグ線は平地を選んで東に迂回した既存のパリ・リヨン・マルセイユ線と違い、丘陵地帯をまっすぐ突っ切ってパリリヨン間を最短距離で結び、1900年に開通しました。

このフランス中央部の地中海と大西洋の分水嶺を超えるところに作られたのがクラヴェゾル・ループです。フランス国内では最古の歴史を持つループ線です。勾配は11‰、曲線半径300m、一周4.3kmとかなり大規模ですが、高低差は40mほどと意外と控えめです。

歴史があって眺望も良く規模も大きい割に地味、というのがこのクラヴェゾル・ループの特徴なのですが、もともと主として貨物輸送のバイパス線として建設されたことが大きく影響しています。

アゼルグ線は重量貨物列車の通過を前提に作られており、路線自体がパリ・リヨン間の主要な中規模都市を避けて人口の少ない風光明媚な丘陵地帯を通っています。勾配や曲線半径が当時としては異常に高規格なのもこれが理由です。20‰勾配を許容すればループ線がなくても地形的には十分ルート選定が可能だったと思われますが、あえてループ線を使って11‰勾配に抑えて作ってあります。

尾根をはさんで両側の谷に駅があります。
クラヴェゾルはスタシオン=Stationなので停留所みたいな意味でしょうか。
フランス語ではガールGareの方が大きい駅を意味するそうです
もう一つクラヴェゾル・ループが作られた理由として、Y字型に分かれた谷の両側に駅を作りたかったのではないかと個人的に推測しています。

クラヴェゾル・ループにはサン・ニジエ・ダゼルグ駅とクラヴェゾル駅という二つの駅が作られていますが、両者は駅間距離が1.8㎞しかありません。

クラヴェゾル駅はホーム一本の小駅で列車運転上はなくてもいい駅なのですが、クラヴェゾル駅周辺の集落を無視できなかったのではないかと思います。


  • 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
もう一点特筆しておくべきことは、このクラヴェゾル・ループ、世界でも珍しい複線路盤のループ線として建設された点です。 山岳ループ線で現存しているのは、スイスのゴッタルド・バーンレッチュベルグだけです。それがこのフランスの丘陵地帯のほとんど貨物専用の路線にあったことは驚きです。開業時はかなりの交通量を期待されていたことが窺えます。よほどパリ・リヨン・マルセイユ線の輸送逼迫度合いは緊急事態だったのでしょう。

開通当初のクラヴェゾルループ。
驚愕の複線路盤です。こちらからお借りしました

さて、アゼルグ線は開通後順調にバイパス線としての役割を果たして大活躍していたのですが、第二次世界大戦が終わるとパリ・リヨン・マルセイユ線がモータリゼーションの普及で旅客列車が減少した上に、貨物ヤードの整備が進んで線路容量に余裕が出てきました。

そして、1950年代にパリ・リヨン・マルセイユ線が電化されると、貨物列車のほとんどがパリ・リヨン・マルセイユ線経由でまかなえるようになってしまいました。

アゼルグ線はだんだん通過する列車が減り、TGVが開通してパリ・リヨン・マルセイユ線経由の旅客列車がTGV経由になると、とうとう1995年に単線化されてしまいました。貨物列車も2000年代初頭に全廃されており、これはかなりヤバいと思っていましたが、今のところなんとか土俵際で踏みとどまりつつ現在を迎えています。

2018年5月現在、平日1日4往復、土休日2往復のディーゼルカーがこのループ線を走っています。なお、2018年5月は「ストライキ期間特別ダイヤ」で大減便されているそうなので、近々に現地に行ってみようかなという方はご注意ください。

アゼルグ線の見どころミュシー・ス・デュンの大陸橋 Viaduc de Mussy-sous-Dun
このあたりはボジョレーワインの産地だそうです。
フランス国鉄SNCFは、注意してみてみると割と冷酷に地方路線を切り捨てる傾向にあります。

アゼルグ線もかなり危ない状況だったのですが、脱自動車という近年の環境意識の変化の流れでいきなり廃止になる危険性はだいぶ緩和されているようです。

さらに、パリ・リヨン・マルセイユ線や高速道路に何か事故があったら物流ルートをアゼルグ線に迂回させるというリスク管理の考え方を行政側が示しており、アゼルグ線は当面の廃止の危機は脱した模様です。

南フランスの美しい丘陵地帯を行くアゼルグ線、今でこそローカル線風情満載ですが、幹線規格の残る今でも有事に備えるスーパーサブ路線なのです。TGVを駆使すればパリから日帰りもできなくはないところですので、一度訪れてみたいですね。





次回はイタリアの廃止ループ線を二つまとめてご紹介します。