ラベル 大規模 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 大規模 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017/04/28

南米③アジア⑩未成のループ線その2 ボリビア ズダニェス・スパイラル&北朝鮮咸北線

  • アンデス山中の知られざるワールドクラスのスパイラル
前回に引き続いて未成・短命ループ線を見て行きます。

今回は南米の素性がよく分からないミステリアスな未成ループ線と、北朝鮮のかろうじて列車が走った記録の残るループ線をご紹介します。

まずは南米ボリビアの中央部、標高2800mの古都スクレから南東に行ったところにあるズダニェス・スパイラルです。

何はともあれ、とりあえず衛星写真のスクリーンショットをご覧ください。なぜか南米地域だけはGoogleよりも解像度が高いBing Mapで見ると分かりやすいです。



衛星写真にこれでもかと言うぐらいはっきり超特大規模のループ線の路盤が映っています。ズダニェスの町から約20㎞南の無人の山の中で、こんなところにこれだけの規模のループ線があるとは一瞬信じられません。路盤を着色すると右のような感じです。駅跡っぽいものも画面右に見えます。

全長8km、高低差250m、中央の山の回りをほぼ2回転するループ線を挟んで前後に5つのヘアピンターンを持つ世界トップクラスの規模です。写真左上に向かってのぼり勾配で、3段になっている崖の縁に沿って高度を上げていきます。勾配は地形図読みで25‰程度です。

ボリビアは東西を結ぶ鉄道路線がありません
道路も少なく、東西連絡は長年の悲願だったそうです

ところが、このループ線、少なくとも現役でないことはすぐ分かるのですが、いつ誰がどのように建設し、そしてどのように廃止になったのか、最初はまったく分かりませんでした。

世界銀行資料より。赤線は当方で追加。原本はこちら
この謎の路盤を衛星写真でたどっていくとタラブコを通ってスクレまで続いています。スクレ・タラブコ・鉄道で検索していると、「スクレ・タラブコ間は1週間に20人しか乗客がおらず、はなはだ不経済なので1973年6月末までに廃止することで合意した」と書いてある資料を見つけました。

スクレ・タラブコ間約80kmが1970年代の初頭まで営業運転を行っていたことはこれで分かりましたが、この時タラブコより先のループ線までの線路がどうなっていたのかというと、これがまたよく分かりません。

赤線は当方で追加
必死に調べてやっと検索に引っかかってきたのが右下の資料です。スペイン語で「1947年ごろタラブコから100kmのチャコリョ Chacolloまで盛土の工事が終わっていたが、50年代に工事が中止された。理由は分からない。」と書いてあります。チャコリョは上の衛星写真よりも少し左にある村の地名です。

ここまで調べてやっとこのループ線が未成線だったことが判明しました。以上の断片的に分かったことを繋ぎ合わせて、当ブログでは次のように推測しています。

1940年代後半にスクレから、タラブコ・ズダニエスを通ってボユイビ間を結ぶボリビア東西横断鉄道の建設が始まりましたが、1950年代にとん挫してしまいました。この段階でズダニエス・スパイラルの少し先まで土木工事が行われており、その痕跡が今も衛星写真に残っているものです。

工事がとん挫した原因はボリビアの政情不安によるものだと思いますが、はっきりしません。完成していたスクレ~タラブコ間ではとりあえず営業運転が始まっていましたが、需要が少なく1973年ごろに廃止になりました。

  • 鉄道建設は完成してこそ価値がある。当たり前なんだけどね 

本当にバスの車体に車輪を付けた車両が走っています
こちらからお借りしました
ボリビアでは、アンデス山脈沿いとアマゾン平原間を結ぶ東西交通の建設が長年の悲願でした。そこに太平洋側との交易を狙ったアルゼンチンの思惑が一致して、アルゼンチン資本で鉄道建設が始まったのだと推測できます。

ところが、政情の安定しないボリビアにアルゼンチンの投資家が逃げてしまい、資金不足で工事が中断してしまった、という感じでしょうか。

ここも完成さえしていれば、ボリビアの最重要幹線になった可能性も大きいのですが、人口の少ない山の中の盲腸線では維持に金がかかるだけで廃止されたのも無理はありません。完成しなかった地域間連絡路線の末路は古今東西どこでも厳しいものです。日本にもいくつも例がありますね。

なお、この路線のスクレ~ポトシの間は現役で、2017年現在でも旅客列車が走っています。列車と言っても単行のレールバスで、週3往復しかありません。日本人の鉄道の感覚でいるといろいろ衝撃的です。詳しく紹介しているページがありましたので一度見てみてください。→こちら
※2017年末時点では運転されていないそうです。廃止なのか休止なのかは不明です。

また、21世紀になってまたボリビア東西鉄道建設が取り沙汰されているようですが、北側のコチャバンバからサンタクルーズに抜けるルートが有力視されており、ズダニエスに線路が復活する見込みはほとんどありません。

書き忘れていましたが、タラブコはブエノスアイレスが河口のラプラタ川流域、ズダニエスはアマゾン川流域で、どちらも最源流部分でもあります。水域マニアが喜ぶ大変川の流れが入り組んだ地域でもあります。

  • 人知れず残る大陸への足跡

さてもう一か所は北朝鮮です。こちらも先に画像をご覧いただいた方がいいでしょう。


拡大地図の表示

清津(チョジン)から中朝国境に向けて約30km行ったところにループ線らしきものが映っています。ループ線の曲線半径は400m、高低差70mほどです。衛星写真で線路をたどっている際に偶然見つけたものなのですが、未成線か工事中の路線かなと思っていました。

昭和9年(1934年)の路線図です。
咸北線は二度目の満鉄委託になっており青線で描かれています
「百年の鉄道旅行」さんのサイトから抜粋でお借りしました。
この路線は咸北(ハムブク)線という路線で、日本統治時代の1916年(大正5年)に北鮮の港と満州連絡のために朝鮮総督府鉄道として開通しました。まだソウル方面からの路線が開通しておらず、離れ小島の路線だったため、運営はまるごと満鉄に委託されました。1928年(昭和3年)にソウル~清津間の咸鏡線が開通して離れ小島は解消され、晴れて鮮鉄直営になります。

この時代、沿線で採れた石炭と水力発電から得られた豊富な電力をもとに清津では重工業が爆発的に成長し、一帯は新潟との間に北鮮航路も開かれて、日本・朝鮮・満州の3つの地域を結ぶ最新の工業地域になっていきました。咸鏡線も超重要な大幹線となります。

ところが、満州事変の勃発により咸鏡線は日満連絡北鮮ルートの重要幹線として再度満鉄に運営委託されます。最終的に満鉄の委託運営がなくなったのは1940年(昭和15年)のことでした。

ここまで調べたところで、このループ線は戦争末期の輸送力増強工事中に敗戦となり、放棄された未成線の残骸かな、と推測していました。

  • プロの記憶は侮れない
それ以上調べる方法もなかったので、未成線と個人的に結論づけていたのですが、それは大きな間違いで、意外なところから正解が見つかりました。それがこちらの文章→「咸北懐記へようこそ」です。一部を引用させていただきます。
 
昭和十六年、古茂山~蒼坪間に石峰信号所が設置された。退避線が出来て、咸鏡線は茂山嶺の峡谷沿いに迂回して、長円を描きながら、石峰信号所の上あたりで、目が回るような高い、しかもカーブのピーヤを渡り、ループ状に峡谷をひとまたぎして、茂山側の山腹を大きく巻いて蒼坪にいたる十五.三キロの一部新線に変わり、勾配率も曲線率も大幅に緩和された。

 それでも、十九年十月一日改正の時刻表によれば、下り三二五列車(図們行)は古茂山~蒼坪の一区間を四十三分運転。(上り三二六列車は二十六分)続く七ッ隧道の蒼坪~全巨里間 五.八キロを二十分運転、たった二駅走るのに一時間以上かかったのだ。如何に急勾配の難所であったか、今の時代では想像も出来ない。直線距離にすれば、つい目と鼻の先指呼の距離である。
この文章は衝撃でした。機関士さんだった方の体験手記ですが、引用部分以外にも当時の朝鮮半島の鉄道の様子だけでなく、大陸に進出した日本人と現地の朝鮮人とのやり取りなどが超リアルに記されています。政治的な話を抜きにして是非ご一読することをお勧めします。この文章にはかなりの学術的価値があると言っても過言ではないと思います。

朝鮮戦争時1950年のアメリカ軍作成の地形図
はっきりとループ線が描かれていて感動しましたが、
この時代は列車は走っていないはずです
テキサス大学地図ライブラリ許諾済み

この「咸北懐記」によりますと「昭和16年」に「退避線のある石峰信号所」ができて、「信号所の上にはループ線がまたいでいた」とのこと。これがまさに上記の写真のループ線で間違いなさそうです。なお、文中に出てくる「ピーヤ」とは橋台のことですが、この文章では高架橋のような意味合いで使われています。

1945年(昭和20年)の敗戦以降の咸北線の足跡は部分的にしか分かりません。清津は昭和20年8月の敗戦直前にソ連軍に占領されており、この時点から朝鮮戦争終了までループ線を含む咸北線の運行は停止していたものと思われます。朝鮮戦争後の1960年代に中国とソ連の援助で復興されたと新聞に書かれています。

どうやら朝鮮戦争後の咸北線復旧時にループ線を経由しない新線を引き直したのが現在の咸北線で(下の地図の黄線)、この時にスィッチバックだった石峰信号所も現在地に移転して通常駅に改修されたのではないかと思います。この時旧線(下の地図の緑色の線)の路盤を一部流用したため線路の遷移が非常に分かりにくくなっています。

衛星写真にも複数の線路跡が写っており、パッと見ただけでは経緯が分かりません。韓国のオンライン辞書では日本式のスィッチバックを知らないからでしょうか、「意味の分からない側線がたくさんある謎の駅」と紹介されています。

この咸北線石峰ループは、昭和16年から20年までの4年間だけ列車が走っていたことになります。実際に開業したループ線の中では間違いなく世界一短命です。スィッチバック付きループ線だったことや、築堤を使って自力で高度を稼いでいたことなど相当珍しい形態のループ線だったこともポイントです。さらにそれに加えて樺太の宝台ループと同様、日本人が大陸に残してきた足跡だったことも記憶しておく必要があると思います。

なお、石峰信号所一帯はかなり南に向かって下がっている傾斜地で、そのスィッチバックでは折り返し線を水平に引き出すために北側は地面を掘り下げ、南側は築堤で持ち上げてあります。折り返し線の北端はループ線をくぐっていたようで、スイッチバックとしても非常に珍しい形態だったと言えます。





さて、未成短命ループ線をご紹介してきましたが、さすがに超ド級のマイナー度でアクセスが全く伸びませんが、まあそれは覚悟の上です。

ズダニエス・スパイラルも石峰ループもまだ分からない部分も多いので、これからも少しずつ調べて行きたいと思っています。石峰ループはできれば現地に行ってみたいのですが、今の情勢を見るに1億%無理でしょう。

超マイナーループ線は一旦おいておいて、次回からしばらく、有名な、あるいは有名だったループ線をご紹介していきます。

まず、次回はループ線の代名詞にもなっているあれから見て行きましょう。


2016/11/30

欧州⑲イタリア・ノルチャ線 伝説のイタリアのゴッタルド

  • 伝説の大規模ループ線

今回はイタリア中部、ローマの東北にあったスポレト・ノルチャ線の連続ループ線をご紹介します。

このループ線は世界的に見ても相当大規模なものでした。現存していれば間違いなく「大規模ループ線」のカテゴリに入れていました。

スポレト・ノルチャ線はローマの東北、ウンブリア州のスポレトからイタリア半島の中央にそびえるアペニン山脈の中腹の町ノルチャを結んでいた全長50kmのイタリアンナローゲージの民有鉄道でした。第一次世界大戦後の1926年に開通し、1968年に廃止されています。ちょうど戦間のイタリア好況期に開通し、モータリゼーションの進展とともに廃止された典型的なイタリアの地方鉄道でした。


もともとこの鉄道はアペニン山脈を越えたアドリア海側の町、アスコリピチェーノとを結ぶことを念頭に置いていたようです。ところがアペニン山脈の地形は想像以上に険しく、当初検討していたリエーティ~アントロドーコ~グリシャノ~アスコリピチェーノ間の路線を断念し、スポレト~ノルチャ~グリシャノ~アスコリピチェーノのルートで着工しました。

完成後はサブアルプス鉄道株式会社というスイス・イタリア間に路線を持つ民間会社が、ぽつんと離れ小島的に所有・運営していました。何とも不思議な運営形態の民間鉄道です。スイスのレッチュブルグ線の建設を担当したスイス人技師アーウィン・トーマンErwin Thomanという人が建設した関係でしょうか。

結局第二次大戦の敗戦により、アペニン山脈横断の夢は果たされないまま、分不相応な大規模な構造物を持つローカル盲腸線として戦後を走ることになります。


  • 古今東西廃線跡の再利用と言えば

 ところがスポレートは人口2万、ノルチャは人口5千人の小さな町です。山中の小村に向かう人々ではどう考えても鉄道を経営していくには需要不足でした。

1965年にサブアルプス鉄道株式会社は民間運営を諦め、スポレート運輸企業協会という半官半民のよく分からない協会に運営を譲渡しますが、あっさり3年で廃線となってしまいました。

しかし、廃線直後から「ウンブリア地方のゴッダルド」とも呼ばれたその雄大な車窓風景を惜しむ声が上がり、観光鉄道として存続を模索する話が出ます。

とりあえず自転車道として保存されましたが、これが予想外の人気となり、イタリアで有名なMTBコースとして知られるようになります。

今ではMTBの大会なども開かれています。そのおかげでノルチャ駅付近の自動車道路に転用された部分以外では構造物はほぼ完ぺきな形で残されています。

また、ループ線部分を含む20㎞程度を観光鉄道として再生する計画もたびたび出ていますが、今度はMTB愛好家から観光鉄道化反対の声が上がるというなかなかカオスな状態になったりもしています。


  • 帝王にも負けないインパクト


カプラレッチァ陸橋と大掘割
さて、ノルチャ線のループ線は、カプラレッチァ・トンネルを挟んで峠の西側に1つ、東側に2つループがある双子ループでした。

第1のループは、峠の西、スポレト側の標高550mの丘陵地帯にあるカプラレッチァ陸橋で自線をまたぐフルオープンループです。

尾根筋を使って高さを稼いでいるため、少し変わった形状をしていました。

このループ部分の約半分は大規模な掘割になっており、さすがにこの部分は崩落の危険が大きいとして現在通行止めになっています。


ここで80mほど高さを稼いで標高約630mにあるイタリア狭軌線最長だった1936mのカプラレッチァ・トンネルに入っていました。

トンネルの東側は断崖絶壁で、標高350mのネラ川沿いまで高低差280mを7㎞で駆け下りていました。ロングダートでダウンヒル、適度なカーブがあってトンネルと眺めの良い橋がある、とまさにMTBに打ってつけですね。

この東側の断崖がウンブリア・ゴッダルドと異名を取ったヘアピンターン5カ所のうち2カ所がループ線になっている大規模ループ区間です。曲線半径は最小80m、最急勾配は45‰と一般の粘着式鉄道としては限界に近いハードスペックでした。

確かに本家ゴッダルドバーンに一歩も引けを取らないド派手なループ線です。


  • ローカルゆえに廃止になり、ローカルゆえに愛される

ところがゴッタルドバーンに圧倒的に負けていたのが輸送力と輸送量でした。

冷静に見てみるとノリチャ線は極めて低規格で、開業時から電化されていたにも関わらず、スポレト・ノルチャ間の50㎞を2時間以上かかっていました。

需要が少なかったのはアペニン山脈を越えられなかったからだと書きましたが、本当に横断する気があったのか疑問が残ります。

少なくとも幹線鉄道としてイタリア東西横断を目指したものでなかったことは、ナローゲージである点や曲線半径・勾配などの線路規格を見る限り間違いなさそうです。

仮に山脈を越えて東西横断が実現していたとしても、このスペックではいずれモータリゼーションの波に飲まれていたのではないかと思います。その点では開業時から21世紀水準の高規格だったゴッダルド・バーンの足元にも及ばないでしょう。

とは言え、イタリアの美しい山並みを行く超大規模ループ線は記録よりも記憶に残る鉄道として、その痕跡は今でも人々に愛されています。私の最も行ってみたい廃線ループ区間の一つです。

なお、このノルチャ線沿線は昔から地震の多い地域で、つい先日2016年11月にも大きな地震があったそうです。ノルチャ線跡には調べた限り被害はなさそうですが、何かわかったらここに追記して行きたいと思います。




次回はこれまでにも話に出てきたレッチュベルグ線のループ線をご紹介します。






2016/03/27

アジア④台湾・阿里山森林鉄道 山岳鉄道の魅力満載の3重スパイラル

  • ザ・グレイテスト・スパイラル・イン・フォルモサ

大規模ループ線シリーズの最終回は台湾の阿里山森林鉄道をご紹介します。

日本からも近い有名な観光路線ですので、実際に行かれたことがある方も多いと思います。

阿里山森林鉄道は日本統治時代の1908年から1914年にかけて順次開通した762mmゲージの鉄道で、台湾の豊富な森林資源の搬出用に活躍しました。

全長70kmで2000mを登るワールドクラスの標高差を持つ山岳路線です。現在は木材輸送の使命は終え、もっぱら観光鉄道として台湾林務局と台湾鉄道管理局によって運営されています。

全長約70kmの路線は大きく三つの区間に分かれます。始発駅の嘉義駅から竹崎駅までの序盤約15kmは平坦線区間、竹崎駅から奮起湖駅までの中盤30kmは今回ご紹介するループ線区間、奮起湖駅から終点の阿里山駅までの終盤25kmはスィッチバック区間です。

このうち終盤のスィッチバック区間の大部分は2009年の台風による土砂崩れの被害に遭い、2016年現在は運休中です。実は2015年夏ごろの段階で復旧工事が完了し運転再開目前だったのですが、不幸にも2015年10月の台風で再度ダメージを受け、またもや無期限運休となってしまっていました。さすがにちょっとかわいそうです。


  • 何かに似ていると思ったら

さて、阿里山森林鉄道のループ線区間は、嘉義駅から約23km、1時間ほどの距離のところにあり、付近の地名から独立山ループと呼ばれています。

ソフトクリームのように円周をだんだん小さくしながら山を登っていくという独特な形状をした3重スパイラルと8の字ループで、21世紀の現代においても構造の複雑さで世界最強と言ってもいいでしょう。

ループ線の入り口にある樟脳寮(チャンナオリャオ)駅から次の独立山(ドゥーリーシャン)駅の先のループ線の出口まで直線距離わずか800mのところを5kmかけて走っており、6倍強になる迂回率は世界一ではないかと思います。

この区間だけで標高差は220mあり、最急勾配は62.5‰で、5万の1の地図だと線路がぐしゃぐしゃになってよく分かりません。この5kmの間に線路が自分自身と10回も交差しており、自線との交差回数では二位以下をダブルスコアで引き離してぶっちぎりの世界一です。(二位はちゃんと検証していませんが中国の水柏線の5回だと思います)

率直に言ってこんなところに線路を引くのは根性というよりも狂気の沙汰に近いものがありますが、それだけ台湾の森林資源が魅力だったということなのでしょう。ここで生産されたヒノキ材は日本の神社の建築に盛んに利用されたそうです。この路線については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも詳しく取り上げられています。


  • 現地の人にも大人気

前述のとおりZ型スイッチバックが連続する後半部分の奮起湖~神木間は運休中ですが、ループ線のある独立山駅までは平日は1往復、土曜日は2往復、日曜祝日は4往復の観光列車が走っています(時刻表はこちら)。

現地の方にも大変人気のある観光地なので、予約なしでは乗れないことが多いようです。ネットで見ていると線路上をハイキングするのが流行っているようですが、危なくないんですかね。

また、運休区間の向こう側には山頂の阿里山駅を中心に祝山、神木、沼平までそれぞれ区間列車が走っています。

神木、沼平行きは片道10分程度の乗車時間で、山頂まで直接バスで来る人が気分を味わうためのものでしょうか。祝山行きはご来光を見るための列車で日の出に合わせて運転されており、山頂付近で一泊する人でないと事実上利用できません。


  • Jスタイルのスイッチバックも見逃せない

阿里山森林鉄道ではループ線の魅力もさることながら、ループ線の手前にある樟脳寮駅の構造もマニア的に見逃せません。


樟脳寮駅は勾配のある本線から水平な折り返し線を引き出し、そこにホームを作っている通過可能型のスイッチバック駅です。

実は海外ではスイッチバックと言えば通過不能のZ型が標準で、日本でよく見る通過可能なスイッチバック駅は極めてレアです。

日本ではおなじみの通過可能型スイッチバックの樟脳寮駅
私の探した範囲では海外では阿里山森林鉄道と北朝鮮だけにしか見つかりませんでした。なんとなく中国黒竜江省の旧満州地方にも残っていそうだと思って探してみましたが、今のところ見つかっていません。

北朝鮮の鉄道ももともと日本が建設したものですので、結局のところ日本人だけが通過可能型スイッチバック駅を作っていたということなのでしょうか。

※意外なことにアメリカのロッキー山脈のローリンズ峠に通過可能型のスィッチバック駅がありました。→こちら H29.9.2追記

そもそも海外では勾配の途中に駅を作る必要があまりなかったのかもしれません。

日本でも近年急速に数を減らしてきている通過可能型スイッチバック駅ですが、世界的に見て希少性が高いことをよく理解しておかないといけないと思います。






世界の大規模なループ線を紹介する大規模ループシリーズ、いかがでしたでしょうか。

次回からは台湾のように「島にあるループ線」をご紹介していきたいと思います。世界では島ごとの風土に適応したバラエティ豊かなループ線が揃っています。

まず、次回はニュージーランド北島のラウリム・スパイラルRaurimu Spiralをご紹介します。


2016/03/11

アジア③パキスタン・カイバル峠鉄道 復活せよ!危険地帯のループ線

  • 越えられなかった国境

今回はパキスタンとアフガニスタンの国境を走るカイバル峠のループ線をご紹介します。

カイバル峠はヨーロッパと南アジアを結ぶ通過点としてたびたび歴史に登場します。

そんな歴史のある峠道に鉄道を引いたのは植民地時代のイギリスでした。20世紀初頭に英領インドとアフガニスタン間を結ぶべくカイバル峠鉄道の建設に取り掛かっています。当時アフガニスタンはロシアと取り合った末にイギリスの保護国となっており、パキスタンはまだ英領インド帝国の一部でした。

とりあえず英領インド帝国側で先に工事が進み、1926年にペシャワールから国境の町トルクハムのランディカーナ駅まで完成しました。

国境を越えてアフガニスタンのカブールまたはジャララバードまで鉄道が通じていたかのように書いている資料もありますが、調べてみたところどうやら「アフガニスタン側に列車が走ったことはない」のが正解のようです。

ジャララバードまでのアフガニスタン側の工事もだいぶ進んでいたらしく、Google航空写真で線路跡らしいものが道路脇にちらほら映っています。本当に線路を敷く寸前まで完成していたようですが、結局線路がつながることはありませんでした。現在は未完成線路の跡の大部分がアジアハイウェイ1号線という高速道路になっています。

  • 世界一危険なループ線
さて、そんなカイバル峠鉄道のループ線ですが、二つの点で世界でも希少な存在となっています。

一つは1676mmゲージの超広軌ループ線であること。

もともと広軌(ブロードゲージ)はカーブに弱く、山岳路線には不向きなため、世界中見ても広軌のループ線はここと1668mmゲージのスペイン2か所と1520mmゲージのロシア1ヵ所でしか見られません。その中でも最も広いゲージのループ線です。(※訂正  スリランカのループ線も1676mmゲージでした。また、一般的にゲージの広さとカーブの大小は直接関係なく、カーブに弱いとの表現は不正確でした。O-銛様ご指摘ありがとうございます。2016/3/12追記)


もう一つは外務省の危険情報レベル4「退避勧告区域」内にあるループ線であること。

この一帯には古来パシュトゥン人というイスラム教徒の遊牧民が住んでいましたが、イギリスが適当に国境を引いたのが原因で、居住地域が英領インドとアフガニスタンの二つの国に分かれてしまいました。

第二次大戦後、英領インドが独立してパキスタンができた際に、パシュトゥン人居住地域を分離独立する動きもありましたが、結局パキスタン政府が大幅な自治権を認める代わりにパキスタン領に留まっています。

このような経緯から、現在でもパキスタン憲法に「パキスタン議会はこの地域に立法権限が及ばない」と明記してあるというから恐ろしいです。パキスタンの法律はここでは通用しませんよと言っているわけですので、ほとんど実態は独立国ですね。現在では連邦直轄部族地域(トライバルエリア)と呼ばれています。なお、政府が認めた自治権の中に「カイバル峠鉄道にタダで乗る権利」というものもあったそうです。

それだけならパシュトゥン人の自治独立国家みたいなもんなので、おとなしくしていれば旅行者に危害が及ぶことはなかったようですが、2000年代に入り政情不安定になったアフガニスタンから、パシュトゥン人が主体のタリバンの面々がこの地域に逃げ込んできて一気にきな臭くなりました。

おかげでこの地域にはイスラム過激派の巣窟という有難くないニックネームが付いてしまい、日本人の渡航禁止と退避勧告が出てその状態が現在まで続いています。


  • スィッチバック付きループ線か、ループ線付きスィッチバックか

そんな行くに行けないカイバル峠の鉄道ですが、スィッチバック2回を組み合わせた3段ループという、相当大規模で珍しい線形になっており、ループ線マニアとしては見逃せません。

地図で見るとクェスチョンマークが3つ並んでいるように見えます。どちらかというとスィッチバックの方に目が行ってしまいますが、第2スィッチバックの手前で自分自身と交差しており、当ブログでの分類上は立派なループ線です。

ここは全長約10kmで400mの高度差を稼ぐ40‰勾配で、世界でも有数の急勾配路線です。第1スィッチバックと第2スィッチバックは地図上では近接していますが、100m近い高低差があります。

カイバル峠鉄道はこの急勾配を列車の両端に機関車を繋げるプッシュプル運転で越えていました。スィッチバックによる逆転時間を短縮するためでしょう。広軌は山岳鉄道に不向き、と書きましたが、機関車を大型にできる分単純な勾配には強かったようですね。

  • この地に再び汽笛の響かんことを

第1スィッチバック
手前の坂は逸走防止の安全側線
カイバル峠鉄道の一般旅客輸送は1980年代に赤字のため廃止されましたが、以降もパキスタン国鉄は「カイバル・トレイン・サファリ」という民間会社チャーターのSL観光列車を月に1回程度走らせていました。珍しい広軌用蒸気機関車と雄大なループ線からの景色で結構な人気でしたが、洪水に弱く、しばしば運休していました。

残念ながら2008年ごろの洪水で鉄橋が流失して現在も運休中です。この地域は基本的に少雨なのですが、上流の山岳地帯で降った雨がすぐ鉄砲水となって洪水を起こすのでしょう。

しかも前述のとおり、パキスタン国内であってパキスタン国内でないところを走る路線ですのでパキスタン国鉄も思うように復旧工事ができないようです。

既に列車が走らなくなって10年になろうとしていますが、雄大なループとスィッチバックを越えて再び列車が走れることを願うばかりです。




次回は大規模ループ線シリーズの最終回、台湾の阿里山鉄道をご紹介します。



2016/03/06

欧州⑤セルビア・シャルガンエイト 平和の象徴の蒸気機関車

  • ボスニアンゲージの貴重な生き残り

今回はセルビアの西部、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境近くにあるループ線、シャルガンエイトをご紹介します。シャルガンはループ線のある峠の名前、エイトはループ線が8の字を描いていることから付いたニックネームです。ニックネームとは言え、セルビア国鉄のHPに堂々と名前が出ていますので公式名称に近いものでしょう。

この線はボスニアのサラエヴォとセルビアのベオグラードを結ぶ鉄道として1922年に開通した760mmゲージの路線です。開通時は東ボスニア鉄道 Bosnische Ostbahn というオーストリア系の民間会社でしたが、東側のおよそ半分はセルビア領土内を走っていました。

バルカン半島では760mmゲージの鉄道が第一次世界大戦の始まる前ぐらいの時期から盛んに建設されていました。760mmゲージのことをボスニアンゲージと呼ぶほど広まりましたが、20世紀中盤ごろから幹線は標準軌に改軌されていき、ローカル線は自動車に役目を譲って廃止され、現代にはほんのわずかしか残っていません。今では貴重な存在となっています。


  • ヨーロッパの火薬庫への引き込み線

セルビアとボスニア・ヘルツェゴヴィナは隣接していて同じ南スラヴ系の人々が住んでいるにもかかわらず、歴史上何かあるたびにお互いに殺し合いをするほど仲が良くありません。鉄道が国境を越えて通じていること自体が不思議ですが、そこはヨーロッパの火薬庫と言われたバルカン半島の歴史と深く関係しています。

ディーゼル機関車。かなり独特の風貌です

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは1900年代の始めごろはオーストリア・ハンガリー帝国の領土でした。だから鉄道もオーストリア資本だったのですね。

ところが、オーストリア・ハンガリー帝国は第一次世界大戦で敗戦し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはセルビアに併合されてセルボ・クロアート・スロヴェーヌ連合王国(のちのユーゴスラヴィア)という国になります。

この鉄道がサラエヴォから国境手前のヴィシェグラードまで開通したのは1906年で、この時はまだオーストリア・ハンガリー帝国領土内だけの路線だったのですが、ヴィシェグラードから現在の国境以東ベオグラードまでが開通した1922年には全線がユーゴスラヴィア領内になっていました。結局、1920年代の終わりに全線まとめてユーゴスラヴィア国鉄の一路線となっています。ここでも線路が歴史に翻弄されていますよね。まったくヨーロッパの鉄道の歴史と戦争は密接不可分です。


  • 観光鉄道として華麗にカムバック

例によってO-銛様のサイトからお借りしました
このシャルガンエイトは1978年に需要減少で一旦廃止されましたが、ユーゴスラヴィア崩壊後の2003年にセルヴィア国鉄によってループ線を含む峠の部分が観光鉄道として再建されました。サラエヴォ出身のエミール・クストリッツァという世界的に著名な映画監督が多額の寄付をしています。この人は映画の撮影用にわざわざ駅のセットを作ったり、撮影した際に現地が気に入ってそのまま自分の家を作って住み着いてしまったりとなかなか豪傑です。

さて、このループ線、全長15km、高低差220m、勾配18‰とスペック的にはそこそこですが、線形の見た目のインパクトが強く、眺望が抜群に良かったため古くからヨーロッパでは鉄道名所として知られる存在でした。細い谷を巻く長いヘアピンと8の字ループ、レールが4層に重なる部分などマニア的になかなか見逃せないものがあります。広い谷間を見下ろす眺望のいい路線にビンテージなSL。これを観光資源に活用したセルビア観光局はなかなか慧眼です。

ヴィシェグラード試運転時の新聞記事から
熱狂しすぎです
この観光鉄道は現在ループ線を挟むモクラゴーラMocra Goraからシャルガン・ヴィタシSargan Vitaciの二駅間だけ営業していますが、将来的には東は幹線鉄道の駅があるウジツェまで、西は国境を越えてボスニア・ヘルツェゴヴィナ領のヴィシェグラードまで再建する計画があります。2010年にはヴィシェグラードまでの工事が完了して試運転が始まったという記事がありましたが、今のところまだ営業運転は再開しておらず、貸切運転だけやっているようです。

列車はハイシーズンには1日4往復(閑散期は1日1往復)あり、モクラゴーラから出発して戻ってくる1往復2時間程度の小旅行です。1乗車600円とお手頃価格で、モクラゴーラの駅舎がホテルになっており泊まることもできます。

モクラゴーラ駅
後ろはホテル

また貸切列車はディーゼル機関車6万円、蒸気機関車12万円です。割と貸切で乗ってみようかな、と思える絶妙な金額設定です。ヨーロッパのSL趣味者にかなりの人気で、ヨーロッパ各地から1泊~数泊のツアーが出ています。まったくセルビア観光局は商売が上手です。

現代は少なくとも観光列車が走れるぐらいには平和だということですが、末永く平和に走り続けてほしいと思います。





蛇足ですが、セルビアの通貨セルビアン・ディナール(RSD)は、世界の通貨の中で一番日本円に換算しやすい通貨です。2016年3月現在、1RSD=1.015円ですので2%も違いません。そのまま単位を円に変えれば良く、例えばシャルガンエイトの料金は600RSD=約600円、蒸気機関車の貸切は120,000RSD=約121,000円といった具合で簡単に換算できます。

大規模ループ線シリーズも終盤に入ってきました。次回はアジアからパキスタンのループ線をご紹介します。


2016/02/29

中国⑦水柏線 万丈の谷を越える三重らせん

  • チャイナバブルの申し子?

今回は中国西部、貴州省にある水柏線の大規模ループをご紹介します。

水柏線は比較的新しい路線で、2002年の開業です。四川省から昆明を通らずに直接南寧方面へ出るルートを確保することと、沿線から産出する石炭輸送が主な建設目的とされています。

ところが50kmほど西側には全線にわたって1966年開通の貴昆線が並行していて、あまり緊急度が高そうには見えません。しかもこの貴昆線が2012年に複線電化とともに160km/h対応で高速化され、通過輸送は現在のところどう見ても貴昆線経由の方がメインになっています。重複投資、過剰投資のような気もしますが、「需要は後から付いてくる」的な発想で建設されたのではと思ってしまいます。

水柏線は六盤水(リウパンシュイ)から紅果(ホングォ)まで貴州省の西の端を雲南省との州境に沿うようにして走ります。貴昆線は六盤水を出ると割とすぐに州境を越えて雲南省に入りますが、水柏線は最後まで貴州省内、それも六盤水市内です。

中間にある柏果(バイグォ)までは盤西線の一部として先に開業しており、後から開業した六盤水~柏果間を水柏線と称していましたが、現在ではまとめて水紅線と呼ぶ方が正式名称のようです。ちなみに貴昆線も、上海からのいくつかの区間を全部まとめて滬昆線(「滬」=上海)と呼ぶこともあります。

この貴州省西部の地形は極めて複雑、というよりもむしろ凶悪と言った方が正しいかもしれません。六盤水も紅果もどちらも標高1800mの高地の都市ですが、途中の北盤江という川の流域だけ標高が900m程度しかありません。

北盤江は標高2000m近い高原地帯におそろしく深い谷を作って流れる不思議な川で、その流域は凹んでいるというよりもえぐれているという感じです。

水柏線は全線で160kmと割と短い路線ですが、一度山を下って北盤江を渡り、また元の高さまで山を登るルートを走っていることになります。



  • インパクトは間違いなく世界一

今回ご紹介するループ線は、六盤水からおよそ70km、六盤水紅果のほぼ中間にあります。標高1200mまで下りてきた線路が、北盤江の深い谷を北盤江大橋で渡って一気に1600mまで再度登ります。

世界最新級にして最大級、3重らせん構造、全長26km、標高差400mのループ線は迫力満点。ループ線の輪の部分がきれいに3つ並ぶ様子は壮観の一言に尽きます。線形の派手さで世界一二を争うトップクラスのループ線と言えるでしょう。

また、北盤江大橋は2016年現在鉄道橋の高さ世界一の記録(275m)を持っており、実はループ線よりもこの鉄橋の方が有名です。緑の山間にある赤い超巨大鉄橋のインパクトは強烈です。

ただし、このループ線は21世紀生まれとあって標準勾配12‰(一部23.5‰勾配あり)、曲線半径450mと支線としては非常に高規格に作られており、標高差など一部のスペックではイラン縦貫線に負けていたりします。

また、世界最新ループ線の称号は2012年開業の韓国のソラントンネルのループ線に譲っています。

それでもこの水柏線のループ線は、ループ線マニアの心を捉えて離しません。線形が強く印象に残るのがその理由でしょう。

なお、この3重らせんの一番上にあるループ線は一周6.8㎞もあり、ループ線の輪の大きさで2016年現在世界一のタイトルを持っています。

  • まさしくマニア向け

水柏線の旅客列車は1日あたり5往復10本。そこそこの本数が走っていますが、そのうち3往復6本が普通列車または普通快速列車です。

これは長距離優等列車が主体の中国の鉄道では大変珍しいことです。やはり水柏線では長距離輸送よりも域内輸送がメインのようです。

お隣の貴昆線では旅客列車が24往復もあり、昆明~六盤水を平均4時間半、最速3時間40分で結んでいます。特急でも6時間以上かかる水柏線経由ではまるで勝負になりません。

昆明から六盤水あるいはその先貴州方面への移動は、普通の人が普通に選ぶと貴昆線経由一択ですが、マニア的には狙って水柏線経由で乗ってみたいですね。(実際にわざわざ狙って乗られたマニアな方のページはこちら



次回はヨーロッパからセルビアのループ線をご紹介します。



2016/02/17

アジア②イラン国鉄イラン縦貫線 驚異の6連ヘアピン

  • 世界史をも動かした重要路線
今回は中央アジア、カスピ海沿岸とイランの首都テヘランを結ぶイラン国鉄のイラン縦貫線Trans Iranian Railwayの超大規模ループ線をご紹介します。イラン国鉄と勝手に略していますが、正式にはイランイスラム共和国鉄道といういかつい名前です。
テヘランから北方向カスピ海に向かって伸びるのが縦貫線

カスピ海とペルシャ湾を結ぶイラン縦貫線はペルシャ帝国が近代化政策の一環として国威をかけて建設したもので、1937年の開通です。当時の皇帝レザー・シャー・パーレビ―が親独家だったため、鉄道建設にもドイツ人(正確にはオーストリア人らしいです)の技術者が携わりました。

開通年から見て推測できるとおり、この路線は軍事的な性格の強い路線でもあります。しかもカスピ海とペルシャ湾を結ぶという路線の性格上、極めて重要な役割を担っていました。第2次世界大戦中はドイツと戦争中のソヴィエトに向けての物資輸送に使うため、鉄道路線ごとイギリスに接収されたりしています。いわゆる連合軍のペルシャ回廊です。第2次世界大戦の趨勢に大きな影響を与えた鉄道と言えます。

イランの国土の大部分は岩山と低木からなる乾燥したステップ地帯ですが、カスピ海沿岸部だけは細長く横に伸びるアルボルズ山脈に湿気を含んだ風が当たり、豊富に雨が降る温暖な気候です。ちょうど日本海からの風が本州中央部の山地にあたって降雪するのと同じ原理です。アルボルズ山脈の標高は高いところで5000mを超えるため高地では雪も降ります。

一方イラン縦貫線の南半分ペルシャ湾側はガチの砂漠地帯で日中の気温は冬でも20度、夏は40度を超える灼熱地獄です。これだけの気温差のあるところを一気に通過するには鉄道にもそれなりの気候対策が必要だと思うのですが、そのあたりについて記述された文献があまり見当たらないのが不思議です。

  • 超ド級6連ヘアピンと8の字ループ
Veresk鉄道橋
さて、この狭くて高いアルボルズ山脈を越えるのは必然的にとてつもなく急な山越えになります。

特に峠の北側(カスピ海側)は標高0mから2300mまでを直線距離70kmほどで一気に上ります。普通であれば鉄道建設をあきらめるレベルの急勾配をまさに気合いと根性で通したというのが伝わってきます。

ハイライトはソルクハバード駅から峠の分水嶺トンネル手前のショウラブという集落までの約40kmで、ヘアピンと8の字ループで900mの標高差を登ります。

下段のソルクハバード駅付近ではダブルヘアピンだけでは高さが足りず、高度を稼ぐためさらに90度折り曲げた靴下型ヘアピンとしています。


上段のヴェレスク駅からドゴール(ドウギャル)駅付近までは、黄金の三本線(The Three Golden Lines)というニックネームを持つ4連ヘアピンになっており、途中の谷をまたぐヴェレスク鉄道橋はイランではお札に印刷されるほど有名な美しい橋です。

合計6つのヘアピンターンを繰り返して、最後に8の字ループで標高2000mに達します。この間の勾配は27.7‰、全長と標高差で世界トップのループ線です。


  • 上り方向で乗りたいところだけど・・・ 

下から見上げる黄金の三本線。すごいところを通っています
 現在、このイラン縦貫線には3往復6本の定期旅客列車があり、多客期には1往復2本の臨時便が追加して運転されます。

意外と言っては失礼ですが、イランの長距離列車は設備も整っていて快適に乗れるそうです。

しかも日本人的感覚からすると異常に安く、テヘラン~サーリー間の400km7時間が93500イランリアル=約360円、一等車の個室でも約960円です。桁を間違えてるのかと心配になります。

比較的乗りやすそうに見えますが、残念なことに計8本の旅客列車のうちの7本がこのループ区間を夜間に通過する夜行列車です。昼行列車はテヘラン発サーリー行の1本だけしかありません。

夜行列車のうちマシュハド発サーリー行の1本はサーリー着が朝の10時過ぎと遅いため、日の長い時期なら辛うじて朝方明るくなってからこのループ区間を通過できるかもしれません。どちらにしてもカスピ海側からループを登って行く方向の列車は日没後ばかりです。


  • おまけ~岩山の合間のダブルヘアピン
イラン縦貫線の南半分には、約200kmに渡って岩山の間の峡谷沿いを走る区間があります。その途中に突如出現するダブルヘアピン区間があります。線路同士がぎりぎり重なっていませんので当ブログではループ線に入れていませんが、ついでにご紹介しておきます。町の中をぐるっと鉄道が回っているなかなか面白いところです。おそらく鉄道の開通に伴って開かれた鉄道関係者の街なんじゃないかと思います。

現在イラン縦貫線の南北を直通する列車はなく、途中のテヘラン等で一度乗り換えが必要ですが、一度は乗りとおしてみたいです。



次回は中国貴州省から水拍線のループ線をご紹介します。

2016/02/05

アフリカ①エリトリア国鉄 新しい国の古い鉄道


  •   アフリカの断崖絶壁に挑め

今回はアフリカ大陸からエリトリア国鉄Eritrean Railwayのループ線をご紹介します。

アフリカ大陸には現在判明している限りループ線が8カ所ありますが、そのすべてが植民地時代に宗主国が建設したものです。そのため意外と歴史が古いものばかりなのが特徴です。今回ご紹介するエリトリアという国自体知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、1993年にお隣のエチオピアから独立した平成生まれの新しい国です。

エリトリアはかつてイタリア領で、鉄道もイタリア製の車両が日本よりも一回り小さい950mmゲージの路線を走っています。橋やトンネルといった土木構造物から車両に至るまで、随所にイタリアっぽさが絶妙に残っています。

この950mmゲージは特殊なナローゲージでイタリア本国とアフリカの旧イタリア領にしか見られません。

ちなみに隣接国ではエジプト・スーダンは日本と同じ1067mmゲージ、ケニア・タンザニアはメーターゲージです。ソマリアは同じ旧イタリア領だった関係で950mmゲージの鉄道が走っていましたが、現存していません。

エリトリア国鉄は1887年に紅海に面した港湾都市マッサワから建設が始まり、1911年に首都アスマラまで開通しました。その先もスーダンとの国境を目指して建設が続きましたが、第2次世界大戦後1975年のエチオピアからの独立戦争時に破壊されてしまい現存していません。マッサワ~アスマラ間の約120kmだけが独立後に再建されて2003年に復活しています。

エリトリアの地形は極めて特徴的です。紅海沿岸のマッサワから約70kmの区間は丘陵地帯で、雨が降った時だけ水が流れる涸れ川に沿ったゆるい登り坂(と言っても20‰勾配)ですが、終点のアスマラは標高2400mの断崖絶壁の上です。

最後の20kmネファジット~アスマラ間の標高差は650mにもなり、35‰勾配で一気に登ります。この絶壁の途中にループ線があります。

なお、この絶壁はヴィクトリア湖に続くアフリカ大地溝帯の一部で、エリトリアの国内を南北に縦貫しており、海からエリトリアの内陸部を目指す場合、必ずどこかで絶壁を登らなければいけません。

  • ループ線と言えるのか?

この図では表記されていませんが、実際はTunnel25と
110キロポスト付近で線路同士が交差しています。
実はこのループ線、意図してループ線として建設されたものではありません。できるだけ地形に沿って線路を敷設したらダブルヘアピンの途中で上下の線路が一部交差してしまったというのが真相です。これをループ線と呼ぶかどうかは結構微妙です。

当ブログでは自分自身と立体交差する線路をループ線としており、その定義では間違いなくループ線なのですが、一般的ないわゆるループ線として認めるのは少数派のようです。

2010年代とは思えないのどかさ
こちらのページから拝借しました)
ループ線といえるかどうかは多少微妙ではありますが、崖から伸びる尾根を足掛かりに絶壁を登っていく姿はなかなか見事で、イタリアの鉄道土木の技術力が垣間見えます。

また、この線はSLが現役で走っている路線として世界中のSL趣味者に超有名な存在でもあります。残念ながら定期旅客列車はないようですが、アスマラ~ネファジット間を観光列車が週1本毎週日曜日に走っています。

2010年代に撮影されたとはにわかに信じがたいのどかでレトロな蒸気機関車の写真がWEB上で豊富に見つかります。

  • 鉄道員魂を感じる


とはいえさすがにSL車両はだいたい1940年ごろの製造で老朽化は否めません。補修して使うのにも限界があるので、いずれ車両の置き換えをしていかないとせっかく再建した鉄道も使えなくなってしまわないかちょっと心配です。

全盛期には1日30本の列車が走っていたこと、独立して最初に手掛けたのが廃止から30年も経った鉄道の再開だったこと、古い車両を直しながら使っていることなど、実は現地の人は相当鉄道に思い入れがあるのではないかと思います(→関連記事はこちら)。これからも元気に走り続けてほしいですね。

大規模ループシリーズに入れるにはちょっと規模感が足りませんし、そもそもループ線かどうかすら怪しいのですが、エリトリアの人たちの鉄道にかける思いに免じてということで。



次回は正真正銘大規模な中東イランのループ線をご紹介します。

2016/01/26

欧州④ゴッタルド・バーン ループ線の帝王、見参


  • 生まれた時からループ線の帝王

今回は超有名なループ線群、スイス国鉄ゴッタルド・バーンをご紹介します。

ゴッタルドバーンは横長のスイスの国のほぼ中央部、イタリアにはみ出した部分に向かって南北に結ぶアルプス山脈横断路線です。スイスの東側4分の3はドイツ語圏で、ゴッタルドバーンもドイツ語です。直訳するとゴッタルド鉄道ですが、日本語でいうと「ゴッタルド線」に近いニュアンスだと思います。ちなみにゴッタルドバーン(Gotthard Bahn)で検索すると「マッターホルンゴッタルド鉄道」というメーターゲージの私鉄もひっかかってきますが、両者は別物です。

世界史の苦手だった私にはとても調べきれませんが、どうやらアルプスの南北を結ぶのは12世紀の神聖ローマ帝国時代からの悲願のようなものだったようです。実際にゴッタルド峠にトンネルを掘ってヨーロッパ南北を鉄道で直結しようとしたのは、19世紀後半のドイツとイタリアでした。この当時ドイツは現在のポーランドまで領土があった帝政ドイツ、イタリアは領土拡大に命をかける統一イタリア王国、フランスはフランス革命から続いた政体の変遷がやっと落ち着いた第三共和政の初期です。こう書くとものすごい昔のような感覚になりますね。

1871年から工事が始まったゴッタルド鉄道は、イタリアとドイツが出資して作った民間企業体でした。神聖ローマ帝国のDNAを受け継いだ帝政ドイツがイタリアを目指したのもむべなるかな、というところです。

さて、ゴッタルドバーンは1882年に開通したのち、1916年に複線化、1920年に電化されています。文献をあさっていると電化については専用の水力発電所を作ったとか、スパーク防止のために最初は低電圧で走らせたとかいろいろエピソードが出てきますが、複線化についてはほんの一行触れてある程度です。

どうやらゴッタルドバーンは開業当初から複線化を見越して、複線路盤で作ってあったようです。グーグルの空中写真を目を皿のようにして見ても、付け替えられた旧線が見当たりません。これは恐るべき先見性ですね。曲がりなりにも現代でも通用するスペックを19世紀の開通当初から備えていたということになります。


  • 機能美は美しい

ゴッタルドバーンはゴッタルドトンネルを頂点に両側にループ線を備えた典型的な拝み勾配の双子ループの形状ですが、北側のループをNorth Ramp(Nordrampe独)、南側のループをSouth Ramp(Südrampe独)と独特の名称で呼んでいます。どちらも非常に印象的な線形をしています。

North Rampはヴァッセン駅の手前から始まり、ループと長いダブルヘアピンになっています。South Rampはゴッタルドトンネルの南口にあるアイロロ駅からイタリアに向かっての下り勾配を二組4つのループで下っていきます。

特に一番イタリア側のビアシーナループ(Biaschina Loop)は、二つのループが一体となった二重螺旋構造のきれいな眼鏡型になっています。標高も稼ぎながら前進もするという極めて合理的な線形です。勾配は全線にわたって25‰です。

ビアシーナループの前面展望のビデオがYouTubeにありました。 →こちら 思った以上に高低差を稼いでいる様子が分かりますね。 2016/7/20 追記

左がNorth Ramp、右がSouth Ramp


  • 世界一じゃなくなっても

NorthRamp ヴァッセン周辺
ゴッタルドバーンループ線群はいろいろな点で世界トップレベルです。

歴史の古さ(1882年開通)、短時間に多数のループ線を通過するループ線密集度(アルトゴルタウArth-Goldau~ベリンゾーナBellinzona間1時間30分でループ線5カ所ダブルヘアピン1カ所を通過)、一日の旅客列車通過本数(40往復80本)、ループ線が複線軌道(山岳用のループ線では2016年現在ここと同じスイスのレッチュベルグ線のループ線だけ。なお、先日ご紹介したサヴォナループも複線路盤で建設されていますが、今のところ単線運用です)などはおそらく世界一だと思います。まさに帝王の風格です。

SouthRampビアシーナループ。定番アングルのようです。
そんなループ線の帝王ですが、青函トンネルを抜いて全長57kmの世界最長鉄道トンネル、ゴッタルドベーストンネルでループ線をバイパスする工事が進行中です。

もうすでに建設工事は終わり、現在試運転中で2016年8月から旅客列車が走り出すそうです。やはり帝王といえども双子ループ、長大トンネルには弱かったということですね。(※竣工したのは2016年6月で旅客列車の営業は2016年12月からになったようです。2016/6/2追記)

帝王からの陥落もすでにカウントダウンの段階に入っていますが、新トンネル開業後もゴッタルドバーンのループ線群は廃止されず、ローカル輸送用として生き残ることが決定しています。

ただし、特急はすべて新トンネル経由になり、単線化されるとのことですので、先にあげたいろいろなトップの座を他のループ線に譲ることになりそうです。まあ、廃止されないだけ良かったということでしょうか。当面ゴッタルドバーンループ線群に列車が走り続けると分かって一安心です。





なお、私の調べた限りでは、旅客列車の通過本数世界一の座は北陸線の鳩原ループが獲得することになりそうです。上り線だけの片方向、定期の旅客列車だけで一日60本が通過する鳩原ループは世界的にはモンスターループ線なんですね。

次回はアフリカの大規模ループをご紹介します。

2016/01/09

欧州③アヴラモーヴォ ナローゲージの生活ループ線


  • のどかな高原鉄道の実態は・・・

今回はブルガリア国鉄セプテンブリ・ドブリニーシュテ線のアヴラモーヴォ・ループをご紹介します。

ブルガリア南部、バルカン半島のほぼ中央のムサラ山のふもとの高原地帯を行くセプテンブリ・ドブリニーシュテ線は非電化の760mmゲージ路線で、セプテンブリからドブリニーシュテに向けて1921年から順次延伸していき、1945年に今の形になりました。125kmを約5時間かけて走るのどかな高原のローカル線です。

建設年代から見ておよそ見当がつくとおり、もともと軍事目的で「森を利用する」ために計画・建設された路線です。当方ブルガリア語はまるで分かりませんが、Google翻訳にぶち込むとそう出てきます。軍用の木材を調達するために、という意味でしょうか。直接の軍事輸送に使うのにナローゲージではちょっと心もとないです。

このムサラ山はバルカン半島の最高峰です。南麓東側はギリシャ領トラキアからエーゲ海に流れるメスタ川(ギリシャ名ネストス川)水域、南麓西側はギリシャトルコ国境を流れるマリーツァ川水域です。両者の分水域を超えるセプテンブリ・ドブリニーシュテ線は、のどかな見た目とは裏腹に、標高差1000mを走る本格的な山岳路線でもあります。ちなみにムサラ山の北、首都ソフィア側はドナウ川の水域です。


  • ナローゲージと侮るなかれ
アヴラモーヴォループは起点セプテンブリから60kmのスヴェタペトカ駅から始まります。セプテンブリの標高は200m、スヴェタペトカの標高は800m登った1000mです。ここまでもかなりな勾配です。甲府から野辺山まで中央本線小海線で行くとちょうど距離60km、標高差800mぐらいですのであんな感じの上りが続くのでしょう。

そこから線内最高点のアヴラモーヴォ駅までのループ線は全長10km、標高差230m、最急勾配30‰と本格的です。


760mmゲージは軽便鉄道と日本語に訳された影響で、どちらかというと簡易な乗り物という印象を受けますが、ここはそんな間違った概念を軽く吹き飛ばしてくれます。巨大なダブルヘアピンの途中でループを二つ持つ世界でも有数の大規模なループ線です。

機関車がDD54に似ています

冬のアヴラモーヴォ駅の交換風景。右側通行なんですね。
ナローゲージの鉄道は手軽に敷設できる反面、その線路規格の低さが災いしてモータリゼーションの波に飲まれて公共輸送機関から脱落するケースが世界中で見られますが、ここでは立派にローカル輸送の一翼を担っているようです。

旅客列車はH28年1月現在一日4往復8本あり(この他にループ線まで行かないセプテンブリ~ベニングラード間の区間列車が1往復あり)、ナローゲージとは思えない立派なディーゼル機関車が客車を4~5両引いて走っています。貨物列車も少数ですが走っているようです。また、団体で予約すると蒸気機関車牽引のチャーター列車を走らせてくれるというサービスもあります。これはなかなか魅力的ですね。

  • もうひとつの世界トップレベル

緑色の蒸気機関車のチャーター列車
セプテンブリ・ドブリニーシュテ線はアヴラモーヴォを頂点にその先西側は下り坂になりますが、下り側にも2連のループ線(スモレーヴォ・ループ)があります。

こちらはアヴラモーヴォループとは対照的に極めて小規模なもので、特に下側のループは760mmゲージの小回りを生かした半径80m全長600m弱の非常に小さいループ線です。

これはおそらく世界最小規模クラスだと思います。最大クラスと最小クラスを一度に体験できてお得感がありますね。

ブルガリアと言えばコマーシャルの影響でヨーグルトしか思いつかない人が多いと思いますが、このセプテンブリ・ドブリニーシュテ線は鉄道ファンには様々な面でとても魅力的です。

動画がみつかりました。スモレヴォの上側ループです。 →こちら(ただし激重です)。

ただ、あまりの知名度の低さに、この路線に乗られた日本の鉄道ファンの方は極めて少ないのが残念です。(かろうじて現地在住の日本人の方の乗車記をみつけました →こちら






次回は有名どころでスイス・ゴッタルド線をご紹介します。