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2018/01/07

欧州㉓ロシア・北コーカサス鉄道トゥアプセ線 欧亜をまたぐステルスループ線

  • 南を目指すのがロシア人の本能

今回はヨーロッパとアジアの境目、黒海とカスピ海の間を走る北コーカサス鉄道のループ線をご紹介します。

黒海から内陸に直角に曲がっているところがトゥアプセ
ループ線は128という数字の書いてあるあたりにあります
この地図にはまだクラスノダール支線は描かれていません
黒海とカスピ海の間には標高5000mを超えるコーカサス山脈がそびえています。この山脈がヨーロッパとアジアの境目になっており、この山脈よりも北側がヨーロッパ、南側は中央アジアです。

ちょうど4年前、冬季オリンピックが開催されたソチは黒海沿岸にあるロシア共和国の最南部の街ですが、コーカサス山脈よりも南側に位置しているので地理学上はアジアに分類されます。

ソチから黒海沿岸を走っているのが北コーカサス鉄道で、北上するとトゥアプセという町にたどり着きます。最高部で標高5000mを超えるコーカサス山脈もトゥアプセ近辺まで来ると山並みはずっと穏やかになっています。北コーカサス鉄道は標高わずか300mのシャウミヤン峠を越えて内陸に向かい、最終的にはモスクワまでつながっています。この峠越の部分にロシア製のループ線があることはあまり知られていません。

このシャウミヤン峠は高さは大したことありませんが、れっきとしたコーカサス山脈の末端部分でもあります。従ってこのループ線はアジアとヨーロッパをまたいでいることになります。ループ線の南側は黒海水域でアジアに属し、北側はアゾフ海に河口のあるクバン川流域でヨーロッパです。

この北コーカサス鉄道は帝政ロシア時代から旧ソ連時代にかけて怒涛の勢いで建設されて行った鉄道の一部です。ジョージア(旧グルジア)やアゼルバイジャンまでくまなく路線網があり、イランやトルコとも線路が繋がっていたこともあったようです。考えてみたら1991年までは全部旧ソ連領で同じ国内だったんですね。

  • 世界大戦よりも内戦の影響が大きい
帝政ロシア末期の鉄道路線図
さて、このループ線は1912年にトゥアプセ鉄道という民間会社の私営鉄道として開通しました。ぎりぎり帝政ロシアの時代です。

ロシア人が南を目指すのは本能のようなもので、この時代の鉄道建設もすごい勢いでした。1918年のロシア革命でソビエト連邦が成立し、鉄道に限らずすべての民間企業は国有化されました。

トゥアプセ鉄道はモスクワからの鉄道との連絡駅アルマヴィルを越えてスタヴロポリまで線路が続いていましたが、共産革命後の内戦で破壊されてしまい、アルマヴィルよりも東の区間は復旧されずそのまま廃止になっています。

現在はロシア政府100%出資のロシア鉄道北コーカサス支社が運営しています。当ブログでは北コーカサス鉄道と書きましたが、実際はロシア国鉄の一部となっています。

  • さすがロシア製。抜群のステルス性能だ
さて、このループ線は尾根筋を使って高度を稼ぐ形式になっており、3つのトンネルでループ線を構成しています。

トンネルは、下から順にボリショイ・ペトレボイ(大ループ)トンネル、マーリュイ・ペトレボイ(小ループ)トンネル、スレドニー・ペトレボイ(中ループ)トンネルと名前が付いています。

トンネルと木々で視界が効かず、さらにループ線の輪の中央部には山の尾根があって、ループ線を走っていることにとても気が付きにくい構造になっています。

上流のアルマヴィル側からトゥアプセに向かって走って来ると、常に左側が谷になっているので、普通に車窓を眺めているとループ線を通ったことに気が付かないことが多いのではないかと思います。

さらに、勾配12.5‰、曲線半径350m、輪の周囲約3kmとかなり高規格で作られてあって山越えの難所感が少ないことや、自線との交差点がボリショイ・ペトレボイ・トンネルの中にあることも加わって、意図的ではないかと思うほどループ線の存在感を消しています。

欧亜をまたがるという壮大な立地にありますが、ループ線としては非常に地味で目立たないもので、マニアでないと気が付かない極めてステルスなループ線と言えるでしょう。

ループ線全景の写真はいいのが見つかりませんでした
これはインジュク駅付近(上の地図の7番の赤丸あたり)の貨物列車
こちらからお借りしました

また、軌間はロシアン・ブロードゲージの1520mmゲージとなっています。広軌のループ線は世界でも珍しく、パキスタンのカイバル峠スリランカのデモダーラ、スペイン2ヶ所とここの5カ所にしかありません。

中国の興安嶺ループも開通時は、ロシアンブロードゲージでしたが、満鉄に移管された時に標準軌に改軌されています。

アルマヴィル方面のゴイトフ駅からインジュク駅までトゥアプセに向かってループ線を下る前面展望動画です。
6:50からループ開始、8:15からスレドニー・ペトレボイ・トンネル、最後ボリショイ・ペトレボイ・トンネルを抜けるとすぐインジュク駅です。
なお、この区間1990年代まで蒸気機関車が走っていたそうです

  • 盛り盛りの時刻表を読み解くと・・・
ループ線としては地味極まりない北コーカサス鉄道のループ線ですが、ロシアの南端部と中心部を結ぶ大動脈となっており、旅客列車も貨物列車もばんばん走っています。

時刻表には急行列車だけで1日16往復も記載されていますが、さすがにこれは盛った数字で、同じ日に全列車が運転されることはありません。ほとんどの列車が隔日運転もしくは週2回の運転なので、1日あたりでは多い日でも6~7往復程度です。貨物列車が1日40往復とか書いてある資料がありましたが、これも盛り盛りの数字でしょうね。

トゥアプセ以南は黒海沿岸の素晴らしいコーストラインを走ります
こちらからお借りしました

急行列車は主にジョージアとの国境の駅アドレルからソチを通って、ロシア内陸部のノヴォシビルスクやモスクワ方面に3日間かけて走る豪華長距離列車です。

その他に平日だけ運転される都市近郊列車が2~3往復あります。また夏のシーズン中はこれに臨時列車が加わるそうです。

ところで、ループ線の手前で分岐して左上へ向かう路線が地図で見えると思います。

この路線は、トゥアプセと中心工業都市クラスノダールを結ぶ短絡線で、1978年に建設されました。こちらの方が現在は本線ぽくなっており、旅客列車は1日最大で23往復運転されています。例によって盛ってある数字ですので普段は15往復程度でしょうか。この中にはアドレルから国境を越えてジョージアのスフミまで行く国際列車もあります。

このクラスノダール短絡線はループ線のすぐ下を通っており、ループ線通過中の車窓から見ることができるそうです。ちょうど鳩原ループから小浜線が見えるような感じでしょうか。上のYouTubeの動画の9:00あたりで並走しているはずですが、動画ではちょっと判別できません。




いつもループ線マニアをご覧いただきありがとうございます。

遅ればせながら今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

次回はブロードゲージ・ループ線の残る二つのうちの一つ、スペインのループ線をご紹介いたします。





2017/08/15

アジア⑪韓国嶺東線ソラントンネル 三冠に輝くループ線のプリンス


  • 東洋のプリンス・オブ・スパイラル

今回は韓国Korail嶺東線のループ線をご紹介します。現時点でいくつものループ線に関する世界タイトルを持っているループ線のプリンスです。

ソラントンネルの北口
旧線の最終日だそうです。こちらからお借りしました。
韓国の嶺東線は太白山脈東側の東海岸部とソウルを中心とする韓国中央部を結ぶ唯一の鉄道路線です。東部の海岸沿いを走る部分は戦前から工事されていましたが終戦までに完成せず未成線となっていました。

また、山越え部分は三附鉄道という私鉄線として1940年に開通しました。有名な嶺東線の二段スィッチバック(羅漢亭ナハムジョン、興田フンジョン)もこの時の開通です。三附(サムチョク)には小野田セメントの工場があり、付近から産出される石炭や石灰などを使った工業が発達していました。三附鉄道は終戦後の1948年に韓国国鉄に編入されています。

開通時は最後の峠越えの部分桶里(トンリ)~深浦里(シンポリ)間はインクライン輸送となっていました。鉄道線で海岸沿いから来た貨車を深浦里で切り離し、貨車だけをインクライン(ケーブルカー)で引っ張り上げて桶里で再度貨物列車に編成し直すという運用を行っていたそうです。

桶里~深浦里間にあったインクライン
これはどれぐらいの勾配なんでしょうか
「鋼索鉄道のインクラインに直接貨車が乗り入れていた」と書いてある資料がありましたが、普通の鉄道貨車を鋼索鉄道上で走らせるのは、連結器性能や非常時のブレーキ性能から考えるととんでもなく危険です。

「ケーブルカーに(貨物を)積み替えていた」と書く資料もあり、普通に考えるとこちらだと思います。もし本当に普通の鉄道貨車を鋼索鉄道上に直通させていたとすれば、これは世界の鉄道史上かなり珍しい運行形態です。

なお、旅客は両駅間を徒歩で乗り継いでいたそうです。

さて1960年代に輸送力の限界に来たところで、インクライン部分を直結するバイパスルートの建設が進めら、 1963年にバイパス線が開通してインクラインは廃止されました。これが先日まで稼働していた嶺東線の旧線ルートです。この旧線の完成後もこの区間は30‰の連続勾配と曲線半径250mのカーブが続く超難所でした。


  • 三冠王には違いないけど…

この超難所を抜本的に解消するために建設されたのがソラン・ループトンネルです。漢字では率安と書きます。2001年から建設が始まり、トンネル自体は2006年ごろには完成していました。当初2009年開業予定でしたが何度か延期され、結局2012年に開業しています。前後の取付線の工事に手間取ったそうです。

ソラントンネル山上側の東栢山口こちらからお借りしました
将来はもう一本トンネルを掘って複線化する計画がありますが、まずは単線で開業しています。ちょうど中間地点にあるソラン信号場付近だけは二本目のトンネルが先行して掘られており、列車交換ができるようになっています。

トンネルの全長は16.2kmですが、ループ形状になっているのはこのうち半分だけです。トンネルの両端には380mの高低差があり、トンネル内の勾配は24.5‰もあります。

最新の長大ループトンネルをもってしてもなお25‰クラスの勾配が残るという極めて急峻な地形だったことが分かります。

また、この沿線では良質な石灰や石炭を産出していたのですが、大変もろくて崩れやすい地形だったそうです。ソラントンネルはちょっと不思議な形状をしているように見えますが、これは崩れやすい地層帯を避けながらルートを決めたためです。


ソラントンネルのループ線の曲線半径が分かる資料が残念ながら見つかりませんでしたが、You Tubeにあった走行ビデオから計算してみると曲線半径1400m、輪の大きさはおよそ8.8kmと推定されます。

設計速度は150km/hですが、実際の営業運転では85㎞/hぐらいで使用されているようです。また一周8.8㎞のループ線は現在世界最大で、しかも線路規格が最高ランクです。ソラントンネルは2017年時点で世界最新・世界最大・世界最高規格の三冠を持っていることになります。


ソラントンネルの通過動画です。道渓駅から東栢山駅までを3倍速で撮影しています。
2分23秒のソラン信号場あたりから4分30秒ぐらいまでがループ線です。

ただし、全線がトンネル内ですので眺望はまったく期待できませんし、線路同士の立体交差点も乗車中にはまったく分かりません。極論するとただの長いトンネルです。

鉄道趣味的に新線のループトンネルと旧線のスィッチバックとどちらがよいか、と言われると難しいですね。ループ線マニア的にも、最新はともかく、最大最高の2つは参考記録にしておくべきかちょっと悩ましいところです。とは言え一般旅客にとっては嶺東線の旅客列車は軒並み20分程度所要時間が短縮されていますので、やはりソラントンネルのメリットは大きいです。

現在、ソラントンネルには夜行列車を含めて9往復の旅客列車が走っています。ソウルから5時間弱かかりますが、日帰りもできなくはありません。


  • 観光施設として引き続き活躍中

せっかくですので韓国随一の鉄道名所として有名だった旧線の二段スィッチバックも少しご紹介しておきましょう。

旧線では海側から登ってきた列車はナハムジョン駅とフンジョン駅で二回スィッチバックしていたことは上述のとおりです。両駅とも駅を出るといきなり30‰勾配が始まるという凶悪な線形で、しかもここを通る列車は後退運転の苦手な機関車牽引の列車ばかりでした。

フンジョン駅から旧線のスィッチバックを下っていく貨物列車
推進運転中なので機関車が最後尾です
こちらからお借りしました
ここの特徴はナハムジョン・フンジョンが両方とも日本でいうところの停車場扱いだったことです。現存している日本のJRのZ型スィッチバックはすべて最初の折り返しから最後の折り返しまでが一つの停車場扱いになっています。つまり列車がすれ違えるのはスィッチバック全体で1回だけです。

ところがここの場合、下段のナハムジョン駅ですれ違って、さらに上段のフンジョン駅ですれ違うというダブル待避が可能でした。これは両者が別の駅とされていたからこそできたことでした。

両者の駅間は1.5kmしかありませんでしたが、輸送需要の増加に対応するために1990年代にフンジョン駅を停車場に格上げしたそうです。詳細は分かりませんでしたが、それまではおそらくフンジョン駅はナハムジョン駅の構内だったのではないかと思います。


スィッチバック推進運転中の客車からの前面展望
見張り員さんを差し置いてどうやって撮影したんでしょうね
ナハムジョン・フンジョン両駅で貨物列車と連続交換しているところにも注目です
機関車が最後尾になるスィッチバック区間中では先頭に見張り員が乗車し、信号を確認して無線機で機関士に指示を出す運転をしていたそうです。こちらのページに詳しく出ています →東アジア鉄道イソウロウ事務所

嶺東線のスィッチバックは韓国の鉄道名所として鉄道ファンに愛され、日本からわざわざ乗りに行った方も多数いました。WEB上で検索するとたくさん現地レポートが見つかります。

旧線は現在韓国鉄道施設公団が運営する鉄道記念鉄道公園チューチューレールパークとなっています。スィッチバック設備も残されていて観光列車が走っています。またチューチューレールパークでは昔のインクラインも復元されていて、レールバイク(足こぎトロッコ)で旧線を走り降りてくることができるそうです。これは結構楽しそうです。




次回はアメリカのループ線をもう一カ所ご紹介します。

2017/04/28

南米③アジア⑩未成のループ線その2 ボリビア ズダニェス・スパイラル&北朝鮮咸北線

  • アンデス山中の知られざるワールドクラスのスパイラル
前回に引き続いて未成・短命ループ線を見て行きます。

今回は南米の素性がよく分からないミステリアスな未成ループ線と、北朝鮮のかろうじて列車が走った記録の残るループ線をご紹介します。

まずは南米ボリビアの中央部、標高2800mの古都スクレから南東に行ったところにあるズダニェス・スパイラルです。

何はともあれ、とりあえず衛星写真のスクリーンショットをご覧ください。なぜか南米地域だけはGoogleよりも解像度が高いBing Mapで見ると分かりやすいです。



衛星写真にこれでもかと言うぐらいはっきり超特大規模のループ線の路盤が映っています。ズダニェスの町から約20㎞南の無人の山の中で、こんなところにこれだけの規模のループ線があるとは一瞬信じられません。路盤を着色すると右のような感じです。駅跡っぽいものも画面右に見えます。

全長8km、高低差250m、中央の山の回りをほぼ2回転するループ線を挟んで前後に5つのヘアピンターンを持つ世界トップクラスの規模です。写真左上に向かってのぼり勾配で、3段になっている崖の縁に沿って高度を上げていきます。勾配は地形図読みで25‰程度です。

ボリビアは東西を結ぶ鉄道路線がありません
道路も少なく、東西連絡は長年の悲願だったそうです

ところが、このループ線、少なくとも現役でないことはすぐ分かるのですが、いつ誰がどのように建設し、そしてどのように廃止になったのか、最初はまったく分かりませんでした。

世界銀行資料より。赤線は当方で追加。原本はこちら
この謎の路盤を衛星写真でたどっていくとタラブコを通ってスクレまで続いています。スクレ・タラブコ・鉄道で検索していると、「スクレ・タラブコ間は1週間に20人しか乗客がおらず、はなはだ不経済なので1973年6月末までに廃止することで合意した」と書いてある資料を見つけました。

スクレ・タラブコ間約80kmが1970年代の初頭まで営業運転を行っていたことはこれで分かりましたが、この時タラブコより先のループ線までの線路がどうなっていたのかというと、これがまたよく分かりません。

赤線は当方で追加
必死に調べてやっと検索に引っかかってきたのが右下の資料です。スペイン語で「1947年ごろタラブコから100kmのチャコリョ Chacolloまで盛土の工事が終わっていたが、50年代に工事が中止された。理由は分からない。」と書いてあります。チャコリョは上の衛星写真よりも少し左にある村の地名です。

ここまで調べてやっとこのループ線が未成線だったことが判明しました。以上の断片的に分かったことを繋ぎ合わせて、当ブログでは次のように推測しています。

1940年代後半にスクレから、タラブコ・ズダニエスを通ってボユイビ間を結ぶボリビア東西横断鉄道の建設が始まりましたが、1950年代にとん挫してしまいました。この段階でズダニエス・スパイラルの少し先まで土木工事が行われており、その痕跡が今も衛星写真に残っているものです。

工事がとん挫した原因はボリビアの政情不安によるものだと思いますが、はっきりしません。完成していたスクレ~タラブコ間ではとりあえず営業運転が始まっていましたが、需要が少なく1973年ごろに廃止になりました。

  • 鉄道建設は完成してこそ価値がある。当たり前なんだけどね 

本当にバスの車体に車輪を付けた車両が走っています
こちらからお借りしました
ボリビアでは、アンデス山脈沿いとアマゾン平原間を結ぶ東西交通の建設が長年の悲願でした。そこに太平洋側との交易を狙ったアルゼンチンの思惑が一致して、アルゼンチン資本で鉄道建設が始まったのだと推測できます。

ところが、政情の安定しないボリビアにアルゼンチンの投資家が逃げてしまい、資金不足で工事が中断してしまった、という感じでしょうか。

ここも完成さえしていれば、ボリビアの最重要幹線になった可能性も大きいのですが、人口の少ない山の中の盲腸線では維持に金がかかるだけで廃止されたのも無理はありません。完成しなかった地域間連絡路線の末路は古今東西どこでも厳しいものです。日本にもいくつも例がありますね。

なお、この路線のスクレ~ポトシの間は現役で、2017年現在でも旅客列車が走っています。列車と言っても単行のレールバスで、週3往復しかありません。日本人の鉄道の感覚でいるといろいろ衝撃的です。詳しく紹介しているページがありましたので一度見てみてください。→こちら
※2017年末時点では運転されていないそうです。廃止なのか休止なのかは不明です。

また、21世紀になってまたボリビア東西鉄道建設が取り沙汰されているようですが、北側のコチャバンバからサンタクルーズに抜けるルートが有力視されており、ズダニエスに線路が復活する見込みはほとんどありません。

書き忘れていましたが、タラブコはブエノスアイレスが河口のラプラタ川流域、ズダニエスはアマゾン川流域で、どちらも最源流部分でもあります。水域マニアが喜ぶ大変川の流れが入り組んだ地域でもあります。

  • 人知れず残る大陸への足跡

さてもう一か所は北朝鮮です。こちらも先に画像をご覧いただいた方がいいでしょう。


拡大地図の表示

清津(チョジン)から中朝国境に向けて約30km行ったところにループ線らしきものが映っています。ループ線の曲線半径は400m、高低差70mほどです。衛星写真で線路をたどっている際に偶然見つけたものなのですが、未成線か工事中の路線かなと思っていました。

昭和9年(1934年)の路線図です。
咸北線は二度目の満鉄委託になっており青線で描かれています
「百年の鉄道旅行」さんのサイトから抜粋でお借りしました。
この路線は咸北(ハムブク)線という路線で、日本統治時代の1916年(大正5年)に北鮮の港と満州連絡のために朝鮮総督府鉄道として開通しました。まだソウル方面からの路線が開通しておらず、離れ小島の路線だったため、運営はまるごと満鉄に委託されました。1928年(昭和3年)にソウル~清津間の咸鏡線が開通して離れ小島は解消され、晴れて鮮鉄直営になります。

この時代、沿線で採れた石炭と水力発電から得られた豊富な電力をもとに清津では重工業が爆発的に成長し、一帯は新潟との間に北鮮航路も開かれて、日本・朝鮮・満州の3つの地域を結ぶ最新の工業地域になっていきました。咸鏡線も超重要な大幹線となります。

ところが、満州事変の勃発により咸鏡線は日満連絡北鮮ルートの重要幹線として再度満鉄に運営委託されます。最終的に満鉄の委託運営がなくなったのは1940年(昭和15年)のことでした。

ここまで調べたところで、このループ線は戦争末期の輸送力増強工事中に敗戦となり、放棄された未成線の残骸かな、と推測していました。

  • プロの記憶は侮れない
それ以上調べる方法もなかったので、未成線と個人的に結論づけていたのですが、それは大きな間違いで、意外なところから正解が見つかりました。それがこちらの文章→「咸北懐記へようこそ」です。一部を引用させていただきます。
 
昭和十六年、古茂山~蒼坪間に石峰信号所が設置された。退避線が出来て、咸鏡線は茂山嶺の峡谷沿いに迂回して、長円を描きながら、石峰信号所の上あたりで、目が回るような高い、しかもカーブのピーヤを渡り、ループ状に峡谷をひとまたぎして、茂山側の山腹を大きく巻いて蒼坪にいたる十五.三キロの一部新線に変わり、勾配率も曲線率も大幅に緩和された。

 それでも、十九年十月一日改正の時刻表によれば、下り三二五列車(図們行)は古茂山~蒼坪の一区間を四十三分運転。(上り三二六列車は二十六分)続く七ッ隧道の蒼坪~全巨里間 五.八キロを二十分運転、たった二駅走るのに一時間以上かかったのだ。如何に急勾配の難所であったか、今の時代では想像も出来ない。直線距離にすれば、つい目と鼻の先指呼の距離である。
この文章は衝撃でした。機関士さんだった方の体験手記ですが、引用部分以外にも当時の朝鮮半島の鉄道の様子だけでなく、大陸に進出した日本人と現地の朝鮮人とのやり取りなどが超リアルに記されています。政治的な話を抜きにして是非ご一読することをお勧めします。この文章にはかなりの学術的価値があると言っても過言ではないと思います。

朝鮮戦争時1950年のアメリカ軍作成の地形図
はっきりとループ線が描かれていて感動しましたが、
この時代は列車は走っていないはずです
テキサス大学地図ライブラリ許諾済み

この「咸北懐記」によりますと「昭和16年」に「退避線のある石峰信号所」ができて、「信号所の上にはループ線がまたいでいた」とのこと。これがまさに上記の写真のループ線で間違いなさそうです。なお、文中に出てくる「ピーヤ」とは橋台のことですが、この文章では高架橋のような意味合いで使われています。

1945年(昭和20年)の敗戦以降の咸北線の足跡は部分的にしか分かりません。清津は昭和20年8月の敗戦直前にソ連軍に占領されており、この時点から朝鮮戦争終了までループ線を含む咸北線の運行は停止していたものと思われます。朝鮮戦争後の1960年代に中国とソ連の援助で復興されたと新聞に書かれています。

どうやら朝鮮戦争後の咸北線復旧時にループ線を経由しない新線を引き直したのが現在の咸北線で(下の地図の黄線)、この時にスィッチバックだった石峰信号所も現在地に移転して通常駅に改修されたのではないかと思います。この時旧線(下の地図の緑色の線)の路盤を一部流用したため線路の遷移が非常に分かりにくくなっています。

衛星写真にも複数の線路跡が写っており、パッと見ただけでは経緯が分かりません。韓国のオンライン辞書では日本式のスィッチバックを知らないからでしょうか、「意味の分からない側線がたくさんある謎の駅」と紹介されています。

この咸北線石峰ループは、昭和16年から20年までの4年間だけ列車が走っていたことになります。実際に開業したループ線の中では間違いなく世界一短命です。スィッチバック付きループ線だったことや、築堤を使って自力で高度を稼いでいたことなど相当珍しい形態のループ線だったこともポイントです。さらにそれに加えて樺太の宝台ループと同様、日本人が大陸に残してきた足跡だったことも記憶しておく必要があると思います。

なお、石峰信号所一帯はかなり南に向かって下がっている傾斜地で、そのスィッチバックでは折り返し線を水平に引き出すために北側は地面を掘り下げ、南側は築堤で持ち上げてあります。折り返し線の北端はループ線をくぐっていたようで、スイッチバックとしても非常に珍しい形態だったと言えます。





さて、未成短命ループ線をご紹介してきましたが、さすがに超ド級のマイナー度でアクセスが全く伸びませんが、まあそれは覚悟の上です。

ズダニエス・スパイラルも石峰ループもまだ分からない部分も多いので、これからも少しずつ調べて行きたいと思っています。石峰ループはできれば現地に行ってみたいのですが、今の情勢を見るに1億%無理でしょう。

超マイナーループ線は一旦おいておいて、次回からしばらく、有名な、あるいは有名だったループ線をご紹介していきます。

まず、次回はループ線の代名詞にもなっているあれから見て行きましょう。


2017/03/31

アジア⑨ダージリンヒマラヤ鉄道 マニア的には物足らないが有名すぎて外せない

  • ワールドクラスの山岳鉄道
今回は連続ループ線シリーズの最終回、インドのダージリンヒマラヤ鉄道をご紹介します。

このダージリンヒマラヤ鉄道は、もともとは英領インド帝国時代の1881年にダージリン地方で生産されるお茶の輸送と避暑地への足として開通した610mmゲージの鉄道です。

晴天は極めて珍しいそうです
海抜121mの麓の町シルグリから海抜2076mのダージリンまでの標高差1900mを上る全長81㎞、最急勾配56‰の超ド級山岳鉄道です。

線内の最高所はダージリンから5㎞ほど手前の標高2257mのグームで、終点の直前に5㎞で高低差200m、40‰の下り急勾配のおまけが付いているのも特徴です。

もともとダージリン地方はシッキム王国というチベット系の国の領土だったのですが、イギリスの圧力でシッキム王国から英領インド帝国に割譲させられたのが1849年でした。

17世紀ころからアジアに進出していたイギリスですが、19世紀の後半はインド亜大陸を完全に掌握し、勢力を中国やアフリカに広げようとしていた時期です。

イギリス人は暑さに弱いらしく、気温の高い地域に進出すると必ず避暑地を作っています。ダージリン地方はインドの避暑地として最適でした。避暑地を開拓したイギリス人は勢いに乗ってネパール系の労働力を投入し、紅茶を栽培しました。

この時大量に移住したネパール系の民族がネパール系、チベット系、インド系入り乱れて旧シッキム地方の政情不安を引き起こし、後にシッキム王国を崩壊させる原因となっています。まったくイギリス人は紛争の火種をまきまくりと言われても仕方がありません。シッキム王国が完全にインドの一部になったのは1975年ですので意外と最近です。詳しくは→こちら

  • ひそかに増えたり減ったり
さて、ダージリンヒマラヤ鉄道は1999年に世界遺産に登録されて一気にスターダムにのし上がりました。いまや世界的な観光地となりましたが、そのルート上にあるループ線の数は時代によって変化しています。

開通当時の路線図
ループ線が4カ所ありますが、バタシアループがまだありません
現在のループ線の数は3カ所で、下から順にチュンバティループ、アゴニーポイント、バタシアループと名前が付いています。このうち一番終点のダージリンの近くにあるバタシアループは1919年の線路改良で作られたもので、開業時には存在しませんでした。

開業当時はチュンバティループよりも手前の麓側にもNo2ループ、No1ループと呼ばれるループ線がありましたが、No2ループは1942年、No1ループは1991年に、どちらも水害による土砂崩れで撤去されてしまいました。No1ループは線路を付け替えたため、痕跡はまったく残っていません。No2ループはスィッチバックに改修されています。

廃止されたNO2ループ
現在はスィッチバックになっています
こちらからお借りしました

バタシアループの全景
テーマパークと言われても違和感ありません
ダージリンヒマラヤ鉄道のループ線は最初4カ所で開業し、5ヶ所に増えて、4カ所、3か所と減るという変遷をたどったことになります。

バタシアループ周辺は大きな公園(グルカ族の戦没者記念公園だそうです)になっており、ヒマラヤを望む絶景が見られますが、いかんせん雨の多い地域ですので、晴れた光景を見るには超絶的な強運が必要です。最小曲線半径は13mで、テーマパークのアトラクションに近い雰囲気です。

道路脇を走る
こちらからお借りしました
実はこのダージリンヒマラヤ鉄道、路線のほとんどが並走するヒルカートロードという道路脇に作られており、路面電車に限りなく近いものです(もちろん非電化ですので電車ではありません)。

ダージリンヒマラヤ鉄道の開通時はイギリスは先に書いた通りすでにインドでの覇権を固めており、ここにあまり多大な投資をする気がなかった節が見られます。

同時期にアフリカ大陸、オーストラリア、カナダなどで大規模な鉄道建設を行っていることから、技術的に重軌道の鉄道が作れなかったわけではありません。初めからダージリンの鉄道はこの程度のものと割り切って作られたように見受けられます。


  • 世界遺産効果は侮れない

ダージリンヒマラヤ鉄道は開通当時から全線80㎞を7時間かけて走る超鈍足の鉄道でしたが、それはディーゼル機関車の牽引になった現在でもそれほど変わっていません。

現在では全線を運転するディーゼル機関車牽引の列車が1日1往復、山頂部分のクセオン~ダージリン間の区間列車が1日1往復で、全線の運賃は1285ルピー≒2200円です。これは普通のパッセンジャートレインに分類できるでしょう。

アゴニ―ポイント全景
こちらからお借りしました
その他に、山頂部分のダージリン~グームの一駅間だけを2時間ほどで往復する観光列車がSLとディーゼル合わせて1日4往復~5往復あり、観光客向けはこちらの観光列車がメインとなっています。

さらにコアな鉄道体験をしたい人向けにダージリンから山の中腹のクセオンまでを8時間かけて往復するレッドパンダ号が1往復、山の麓のシリグリ~ラントン間を4時間で往復するジャングルサファリ号が1往復それぞれ設定されています。

なお、SL列車はかなりの確率で途中で故障するらしく、動かなくなった場合はバスで代行輸送するとのことです。また、水害に非常に弱く、日本の台風にあたるサイクロン通過後は必ずといっていいほど土砂崩れで運休になってしまいます。昨年も水害による運休が続いていて、2017年の1月に運行が再開されたばかりだそうです。

正直ダージリンヒマラヤ鉄道は世界遺産にならなければバス輸送に置き換わっていても不思議はないものでした。世界遺産様様といったところです。



有名ではありますが、ループ線マニアとして見る場合は、少し物足らないのがダージリンヒマラヤ鉄道のループ線だと思います。特に衛星写真に線路敷が全然映らないのが致命的です。

ここは有名な観光地ですのでいろいろな方が現地を訪れていらっしゃいます。特にマニア的におすすめの旅行記を一つご紹介しておきます。→こちら


半年にわたった連続ループ線シリーズは今回で終了です。

次回からは完成したのに列車が走らなかった、あるいはすぐ廃止になってしまったというような未成・短命ループ線をご紹介していきたいと思います。テーマの性質上、ドマイナーなループ線が続く超ディープなマニアの世界になります。しばらくの間お付き合いいただければと思います。



まず次回はイタリアの未成ループ線をご紹介します。

2017/03/19

アジア⑧韓国中央線 雉岳ループ&竹嶺ループ 今のうちに連続通過しておこう 


  • 近代化されていない路線もまたよし

連続ループ線シリーズ、今回は身近なところで韓国中央線の連続ループ線をご紹介します。

韓国のKorail中央線はソウルと慶州を結ぶ京釜線のバイパス路線として日本統治時代の1941年から1942年にかけて建設されました。

中央線は太平洋戦争中の空爆を避けるためにわざと山の中を通るルートを選んで建設したため、ソウルを出るとすぐに東へ向かい山岳地帯を縫うようにして朝鮮半島南部を目指しています。ここも軍事色の強い路線だったようです。

雉岳ループの交差部
こちらからお借りしました
朝鮮戦争後は山間部からの石炭輸送に活躍するようになり、1980年代になると栄州(ヨンジュ)以北の北半分が電化されました。一方栄州より南は京釜線経由がメインとなったため、現在に至るまで非電化です。

ソウルに近い部分は近年近郊路線としての性格が強まっていて、ソウルから約60kmの砥平(チピョン)までは大規模に線路が付け替えられてすっかり都市近郊鉄道に生まれ変わっています。

一方、新しい電車が走る近郊区間を過ぎると、電気機関車がけん引する客車のムグンファ号がのんびり行きかう農村地帯です。


  • 似ているけれど微妙に違う
雉岳ループ周辺
さて、中央線はわざわざ山岳部を選んで敷設されたという経緯もあって、ループ線が2か所作られました。北側はソウルから約120kmの雉岳(チアック)ループ、南側はソウルから約180kmの竹嶺(チュクリョン)ループです。どちらも南に向かって上り坂になります。

朝鮮半島の地図を見ると東海岸沿いに南北に標高1200mの太白山脈が走っています。

竹嶺ループ周辺
 雉岳ループと間違い探しレベルの差しかないですね
その太白山脈の中央部から分岐して南西方向に向かうのが小白山脈です。太白山脈沿いに南下する中央線は、小白山脈を2か所のループ線で越えていることになります。

竹嶺ループのすぐ南にある竹嶺トンネルが分水嶺となっており、北側はソウルを通って北朝鮮側に河口がある漢江流域、南側は釜山に河口のある洛東江の流域です。

雉岳ループと竹嶺ループは両方とも山脈に食い込む狭い谷間の行き止まりにあり、周囲の地形は良く似ていますが、雉岳ループはシンプルな形状なのに対して、竹嶺ループは少し回りこんで回転しています。

竹嶺ループの方が少し輪を大きく取って高低差を稼いでいるという違いがあります。谷間の農村風景はどことなく日本の風景と通じるところがあります。

雉岳ループの方が撮影には適しているようです
こちらからお借りしました
現地ではトンネルの名称で金台第2トンネルループ(금대2터널)、大江トンネルループ(대강터널)と言っているようです。

曲線半径と勾配はどちらも350m20‰で、高低差は雉岳ループは約20m、竹嶺ループは約30mです。

雉岳ループの方は世界有数の真円に近いループ線ですね。ここまで真円に近いループ線はほかにはタンド線のサンダルマループぐらいしか思い当りません。


  • まな板の鯉状態

ここは韓国の東西南北を結ぶ重要なルートになっており、現在でも客貨ともに多数の列車が行きかっています。

雉岳ループを通らない新線が建設中
雉岳ループを通る旅客列車は16往復32本、竹嶺ループを通る旅客列車は12往復24本です。

両方のループ線を連続通過するムグンファ号が9往復あります。ソウルの清涼里駅から2時間30分ほどですので、日帰りも十分可能です。気合を入れれば博多~ソウル~中央線~釜山~博多の日帰りも可能かもしれません。

竹嶺ループの写真は少ないです
こちらからお借りしました
ところが、中央線の原州ー堤川間では現在複線化工事中なのですが、この雉岳ループ周辺は別ルートの新線を建設する予定になっています。これが完成すると雉岳ループは列車が通らなくなるため、おそらく廃止されることになるでしょう。記事によると2018年完成目標となっています。

韓国の新線建設は数年単位で遅れることが多いので目標どおり完成するかどうか微妙ですが、いずれ廃止の運命は避けられそうにありません。早目に乗っておくのが良さそうです。

なお、南の竹嶺ループの方は当面は安泰のようです。





さて、次回で連続ループ線シリーズは終了です。

連続ループ線シリーズの最終回はダージリンヒマラヤ鉄道をご紹介したいと思います。

2016/08/11

アジア⑦北朝鮮満浦線満浦大橋取付ループ線 ベールの向こうのまちなかループ線 

  • 大陸を目指した日本人たち
今回はヨーロッパを離れて北朝鮮と中国の国境にあるまちなかループ線をご紹介します。

まちなかループ線はヨーロッパ特有のものと思っていたのですが、今回テーマにするにあたって他地域のループ線をひととおりおさらいしてみたら、意外なところにまちなかループがありました。それが北朝鮮と中国の国境の町、満浦(マンポ)のループ線です。

満浦・集安の地形図。鴨緑江を挟んで北朝鮮側は断崖、中国側は広い河原です。
「百年の鉄道旅行」さんのサイトからお借りしました。→こちら
このループ線は1939年(昭和14年)の開通です。中国側は満州国、北朝鮮側は朝鮮総督府の統治だった時代です。

国境より北側は南満州鉄道(満鉄)の梅集線、南側は朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)の満浦線として建設され、国境の鴨緑江大橋を通じて直通列車も運転されていました。

要するにどちらも日本製ということです。ただし、満鉄と鮮鉄は今の某JR同士のように極めて仲が悪かったようです。

満浦の町は清の時代から中国と朝鮮の国境として重要な町でした。

現在の中朝連絡鉄道。オレンジが丹東・新義州、青が集安・満浦、紫が図們・南陽。
TMRはTrans Manchurian Railway(満州横断鉄道)の略と思います。
TCRはTrans China Railwayでしょうか。
中朝の国境線は大部分が鴨緑江と図們江(豆満江)という二つの大きな川に引かれており、鉄道橋は4か所にありました。

西から順に鴨緑江にかかる丹東・新義州間、上河口・青水間、集安・満浦間の3か所と図們江(豆満江)にかかる図們・南陽間です。

このうち上河口・青水間だけは第二次大戦後1950年の開通です。それ以外の3ヵ所はいずれも日本統治時代の満鉄と朝鮮総督府による満朝連絡運輸のために建設されたものです。

この中でメジャーなのは一番黄海側にある丹東・新義州間で、単に鴨緑江大橋と言った場合はこの橋を指す場合が多いです。

この丹東・新義州間の橋は朝鮮戦争で破壊されるまで複線化されていました。

一番北にある図們・南陽間の橋は、新潟・羅津航路経由により最短距離で東京と旧満州の首都長春を結んだ鉄道路線の途上にあったものです。

ここだけは朝鮮領内も満鉄が運営しましたが、戦後はすっかり寂れてしまい現在は国際列車は走っていないそうです。たまたま東京と長春の直線上にあっただけで、中国にとっても北朝鮮にとっても最辺境の地ですので、それも無理もありません。

日本の上越線は1931年(昭和6年)に開通していますが、実は東京新潟間だけではなく、その先満州を見据えていたものだったことは鉄道史を語る上で頭に入れておくべきかもしれません。なお、羅津・長春間の満鉄線は1933年(昭和8年)に全通しています。



  • ループ線だけでも開放してくれないかなあ
この満浦の町は鴨緑江の川面から40mぐらいの高台にあります。満浦から集安に向かう国境連絡線は、この40mの高低差をループ線を使って乗り越えて、国境を越える満浦鴨緑江大橋に繋がります。駅を出るとすぐループ線です。

超貴重なループ線の状態が分かる写真。列車が崖上に見えます。
トラスの向こうに信号機が見えますが、これが場内信号機でしょうか。
だとしたらここはまちなかどころではない「えきなかループ」ということになります。
現地の鉄道写真家のサイトからお借りしました。→こちら
航空写真からしか見ることができませんが実に興味深い風景です。北朝鮮では鉄道は軍事機密事項だそうで、現地の写真を手に入れるのは夢のまた夢です。幸い中国側から望遠レンズで撮影した写真をいくつかWEB上で見つけることができました。

ループ線は駅と直結した形になっており、曲線半径350m、全長は約2㎞です。高低差は地形図読みで約40mですので、20‰~25‰ぐらいの勾配と推定できます。比較的大きめの曲線半径を取っているのは高低差を稼ぎたかったためでしょう。

またループ線の末端では橋を渡らずに川沿いを西へ向かう貨物支線らしき線路が分岐しています。ここも希少な分岐のあるループ線です。

橋左の建物の向こうが満浦駅のはずです。
写真の緑の客車は中国の車両ですね。
「ぶんしゅう旅日記」さんのサイトからお借りしました。→こちら
さらに特徴的なのはこのループ線は一回転していない「一回転未満ループ」である点です。

東から来て北へ向かう鉄橋に繋がっているので、言うなれば回転角270度の「4分の3回転ループ」ですが、これはかなり希少だと思います。

現在、このループ線には貨客混合列車が1日1往復国境を越えて走っていますが、現地の朝鮮民族専用とのことで、日本人が乗るのはまず無理そうです。

歴史、立地、形状と3拍子揃ったなかなか貴重なループ線ですが、生きている間に自由に乗れるようになるとはちょっと思えません。世界中のループ線マニアが訪れる鉄道名所になりうるポテンシャルを秘めているだけに至極残念です。

北朝鮮が民主化されるなどして気軽に行けるようになったら、真っ先に訪れたいと思っているのですが・・・。



  • おまけ~ 中国梅集線老嶺ループ 忘れ去られた不遇のループ線
この満浦から繋がる中国国鉄(旧満鉄)の梅集線にも超地味なループ線がありますのでついでにご紹介しておきます。

梅集線は鴨緑江から離れるに従って標高が上がっていくのですが、結構な急勾配で、最後はループ線で高度を稼いでいます。これが梅集線老嶺ループです。上記のとおり旧満鉄の建設で1938年(昭和13年)の開通です。つまり、鴨緑江を挟んで岸の両岸にループ線があるということです。

中国ループ線一覧。素晴らしい資料なのですが、梅集線以外にも抜けているループ線がちらほら。

満浦ループと老嶺ループは、周辺の土地から見てかなり低いところを流れる鴨緑江を挟んだ双子ループと見ることもできます。

この梅集線の老嶺ループは、数ある中国国鉄のループ線の中で、知名度の低さで他を圧倒しています。おそらく中国人の鉄道ファンですらここにループ線があることに気が付いていないのではないでしょうか。現地写真もまったく見つかりませんでしたし、中国ループ線一覧にも記載されていません。

「中国人女子学生がこのループ線を設計し、その才能を恐れた日本人が日本に来るよう言ったが、女子学生が拒否したのでループ線完成後に殺してしまった」という噂話レベルの真偽不明なエピソードだけがヒットしてきました。これはさすがに超眉唾です。興味のある方は→こちら(中国語)



あまりにもかわいそうな梅集線老嶺ループですが、一応旅客列車も1日1往復走っており、一般の人が普通に訪れることが可能です(ただし北京から22時間かかります)。中国人の鉄道ファンの方の乗車記が見つかりましたが、ループ線についてはほとんど触れられていません。→こちら(中国語)

次回は再びヨーロッパに戻ってイタリアのまちなかループ線をご紹介します。イタリアはまちなかループの宝庫ですので、まずは南側からご紹介します。

2016/06/17

アジア⑥スリランカ デモダーラ・ループ ループ線はちょっと残念だけど…

  • 歴史と自然満載、インド洋の真珠

島にあるループ線シリーズ、ラス前はスリランカ国鉄のデモダーラ・ループDemodara Loopをご紹介します。

緑の線がMainLine
スリランカ・セイロン島はインドの東の海上にある南北約450km、東西約200km強の北海道より一回り小さい島です。

南半分は標高2000mを超える高山地帯で、海からの湿った風を受けて1年に2回雨季があります。日本の梅雨と違って短時間に集中的に降るのが特徴です。なお、セイロンとは欧米人の呼び方らしいので、ここではスリランカに統一しておきます。

スリランカは16世紀はポルトガル領、17世紀はオランダ領、18世紀から第二次世界大戦後までイギリス領でした。タイ・ミャンマーと並ぶ仏教国で、豊富な雨によって古代からいろいろな農作物が採れていました。

人口は2000万人で世界の島を人口順に並べると第7位だそうです。ちなみにトップ3はジャワ島・本州・グレートブリテン島です。

人口が多くて農業が盛んで山がちな国土で国外輸出がメイン、と鉄道輸送が威力を発揮しやすい条件が揃っており、イギリス植民地時代の1864年から鉄道輸送が始まっています。山で採れる紅茶や天然ゴムなどの農産物を港まで運ぶことを主眼に鉄道が敷設されていきました。そのため首都コロンボから南部山岳地帯の中心都市バドゥーラ間までが本線MainLineとなっています。

これは先に開通していたインドのラーメシュワラム・パーンバン海上橋
なかなかカッコいいです(天気が良ければ)

スリランカの鉄道は地域的にインドと結びつきが強かったため、インドと同じ1676㎜ゲージで建設されました。広大なインドと比べると狭い山岳地帯を走るスリランカではブロードゲージの利点を活かしきれているとは思えませんが、開通当初からインドと海上鉄道橋で直結する計画があり、実際に1940年代の初めごろまで着々と工事が進んでいました。

そのおかげで世界でも珍しいブロードゲージのループ線が作られています。1676mmゲージのループ線はこことパキスタンのカイバル峠にしかありません。



とりあえず両国間の連絡は今のところフェリー輸送に頼っていますが、2000年代になってスリランカの政情が安定すると、再びインドスリランカ鉄道橋の建設話が持ち上がってきています。

  • 眺望への過度の期待は禁物

北に向かって下り坂です。西側は高さ300mの絶壁です
さて、デモダーラ・ループは島の南の中央部の山岳地帯にあります。

本線MainLineはスリランカの山岳地帯を縦断する路線で、コロンボから山に向かって順次開業していき、1924年に最後のバダラウェラ~バドゥーラ間が開業していますが、この最後の開通区間にループ線が作られました。

尾根伝いに下ってきた線路が、山のまわりをぐるっとまわってトンネルでくぐるシンプルなループ線です。ループ線が自線をトンネルでくぐっているちょうど真上がデモダーラ駅です。

本線MainLineは全長約290kmの路線ですが、途中のパティポーラまでの230kmが上り坂で、標高1900mの峠をトンネルで越えると残りの60kmは長い下り坂になります。

ループ線のあるデモダーラはコロンボから278km標高912mですので、50kmで1000mの高低差を下るハードな連続勾配です。ループ線のあるデモダーラから先も20‰の連続勾配が続いており、終点のバトゥーラは標高650mまで下がったところにあります。ループ線の部分の勾配は22.7‰です。


ループ線の輪の中心に丘や山があるループ線はこれまでにもいくつかご紹介してきましたが(例えばオーストラリアのベサングラスパイラルとか、台湾の阿里山鉄道など)、ここデモダーラループは割と高い山を巻いてループすることと、熱帯の成育力の強い樹木に囲まれていることから、ぶっちぎりで視界が効きません。

ここを通られた方のブログを読むと「同じ方向のカーブが続くのでループ線だとかろうじて分かる」状態だそうです。コロンボから乗ってくるとループの最後のトンネルの手前でちらっとデモダーラ駅が見えるとのことです。⇒こちら

駅から山道を30分ほど歩くとループ線全体が見渡せる場所があり、そこからの写真はネット上でよく見つかりますが、残念ながら車窓からの眺めには期待できないようです。

  • 活気ある鉄路はいいものだ
スリランカでは道路事情が良くないこともあって現在でも鉄道が地域間輸送の主役です。ループ線を通る旅客列車は急行3往復、夜行1往復、キャンディからの区間列車が1往復の計5往復10本あります。首都コロンボからループ線のあるデモダーラまで約9時間30分です。

名物9連レンガ橋Nine Arch Bridgeを渡るウダラータマニケ号
3往復の急行列車のうち2往復にはウダラータ・マニケ(ウダラータの娘)号、ポディ・マニケ(小さな娘)号という愛称がついており、中国製の青い新型客車で運行されています。ウダラータはバドゥーラ周辺の地方を指す旧称だそうです。日本の旧国名みたいなもんでしょうか。

愛称のないもう一本の急行列車には展望車とビジネスクラス車が連結されていて、展望車はラジャダハニ社、ビジネスクラス車はエキスポレイル社という民間会社が運営しています。新幹線のグリーン車だけをJTBのような旅行会社が貸切っているような感じだと思いますが、設備も整っていてこれは楽しそうです。車内で本場の紅茶が飲み放題というのも魅力的です。

また、運賃は列車種別にかかわらずどのクラスの車両に乗るかで決まります。コロンボ~バドゥーラ間は3等車400LKR(スリランカルピー)≒300円、2等車600LKR≒450円、1等車1000LKR≒700円です。 ラジャダハニ社の展望客車はスナック付きで1750LKR≒1300円、エクスポレイル社のビジネスクラスは食事付で2400LKR≒1800円です。詳細はこちら(英語)

日本人的な感覚からすると金額的にはどれも手頃な値段です。2等車・3等車は予約なしで乗れますが、かなり強烈な混雑を覚悟しないといけないそうです。

スリランカではループ線の車窓はイマイチですが、鉄道の旅はいろいろ楽しそうですよね。




次回は島のループ線シリーズの最終回、イタリア・シチリア島のループ線をご紹介します。




2016/05/19

アジア⑤樺太豊真線宝台ループ 北の大地に眠るメイド・イン・ジャパン

  • サハリンの灯は消えず

今回は樺太の豊真線宝台ループをご紹介します。

海外のループ線に興味を持たれた方は、だいたい一度は目にしていると思われる有名なループ線です。

北緯50度線以北の鉄道はすべて
戦後の開通です
樺太=サハリン島は南北約1000㎞の細長い島です。南北の長さは本州の半分ぐらいありますが、東西の幅が最も広いところでも160㎞しかないため、面積は北海道よりも小さいです。西海岸(大陸側)の南部は暖流の影響で比較的暖かいのですが、北部と島の東側はオホーツク海の影響で極寒です。

ところが、島の中央部を南北に走る1300mクラスの樺太山脈が強風を遮断しているおかげで、島の南部を中心に森林が発達しています。これがほぼ同じ緯度にあるにもかかわらず強風で森林ができなかったニューファンドランド島との大きな違いです。

樺太の南半分は日露戦争後の1905年から第二次世界大戦の終わる1945年まで日本領だったのは日本史で習ったとおりですが、その時代の主要な産業は漁業と石炭採掘、そして豊富な森林資源をもとにした製紙業でした。人口は1900年代初頭は3万人程度だったのが、終戦直前には南樺太だけで40万人となっています。

ある程度の人口密度と陸上産業をベースにした貨物需要、そして忘れてはならないのが国境を背負っているという軍需、この3つによって樺太の鉄道輸送は順調に成長していきます。1910年に樺太東線、1920年に樺太西線と東西の両幹線がそれぞれ開通しています。

いちいち比較するのも申し訳なくなりますが、漁業一本やりだったニューファンドランド島とは経済環境がかなり異なりますね。当然ですが、漁業は水運中心ですので鉄道輸送の出る幕はあまりありません。

  • 日本人の琴線に触れるもの

樺太東線の起点で当時稚内からの玄関口になっていた大泊(現コルサコフ)港は冬季は氷結するため、西海岸の不凍港真岡港(現ホルムスク)との間を鉄道で連絡する必要が早くから論じられていました。

しかし、樺太山脈を越えるのに思いのほか手こずり、この区間が開通したのは1928年のことでした。これが豊原(現ユジノサハリンスク)と真岡(現ホルムスク)を結ぶ豊真線です。上越線の湯檜曽松川ループ(1931年開通)よりも実は早い開通だった点は注目です。

樺太山脈を越えるルート選定については山下さんのブログでも詳しく取り上げられています。→こちら。勾配は22‰、高低差はループ線部分だけで40mです。ループ線自体はシンプルな形状ですが、自線との交差箇所が鉄橋になっているのが特徴です。この鉄橋にはロシア語で「悪魔の橋」というニックネームがついています。

現在日本国内に現存しているループ線はすべて自線の交差箇所はトンネル内です。やはり日本製であることに対して郷愁にかられるのでしょうか、古い時代のものから最近のものまでネット上で豊富に写真が見つかります。

こちらからお借りしました
これもあちこちで取り上げられていてご存知の方も多いと思いますが、ソ連領となった後も使われていた宝台ループですが、1990年代に老朽化が進み、残念ながらトンネル崩落で廃止されてしまっています。

豊真線の両端部分(真岡ー池之端間と豊原ー奥鈴屋間)は細々と残る通勤需要のために今でも旅客列車が走っているそうですが、中間部分は人家も少なく、道路も整備され、東西樺太連絡は1970年代にソ連によって開通した新線(久春内ー真縫間。現イリンスクーアルセンチェフカ間)に移行したとあっては存続を望む方が無理というものでしょう。

2010年の撮影だそうです
ただ、衛星写真で見るとほぼ全線にわたってまだ路盤が残っており、やる気と金さえあれば再び列車を走らせることはできそうではあります。

樺太では現在改軌工事が進行中で、2016年中にも樺太全土がロシア本土と同じ1520mmゲージになるそうです。

ここも観光鉄道として復活すれば日本からの旅行者が大量に行くと思うのですが、どうでしょうか。









  • おまけ~架鉄を極めると・・・
ループ線と直接関係ありませんが、「もし樺太が今でも日本領だったら」という想定を前提にした架空鉄道サイト「樺太旅客鉄道株式会社」さんはすごすぎて痺れます。ここまで突き抜けた架空鉄道はなかなかお目にかかれません。

地形図まで作ってあって、その完成度には戦慄します。一瞬本物かと思ってしまいますよね。どうやって作ったのでしょうか。いやはや恐れ入ります。 是非一度驚愕のパラレルワールドをご覧ください。

また樺太の鉄道史についてはこちらのサイトが詳しいです。



次回は鉄道の本場イギリスのループ線をご紹介します。

2016/03/27

アジア④台湾・阿里山森林鉄道 山岳鉄道の魅力満載の3重スパイラル

  • ザ・グレイテスト・スパイラル・イン・フォルモサ

大規模ループ線シリーズの最終回は台湾の阿里山森林鉄道をご紹介します。

日本からも近い有名な観光路線ですので、実際に行かれたことがある方も多いと思います。

阿里山森林鉄道は日本統治時代の1908年から1914年にかけて順次開通した762mmゲージの鉄道で、台湾の豊富な森林資源の搬出用に活躍しました。

全長70kmで2000mを登るワールドクラスの標高差を持つ山岳路線です。現在は木材輸送の使命は終え、もっぱら観光鉄道として台湾林務局と台湾鉄道管理局によって運営されています。

全長約70kmの路線は大きく三つの区間に分かれます。始発駅の嘉義駅から竹崎駅までの序盤約15kmは平坦線区間、竹崎駅から奮起湖駅までの中盤30kmは今回ご紹介するループ線区間、奮起湖駅から終点の阿里山駅までの終盤25kmはスィッチバック区間です。

このうち終盤のスィッチバック区間の大部分は2009年の台風による土砂崩れの被害に遭い、2016年現在は運休中です。実は2015年夏ごろの段階で復旧工事が完了し運転再開目前だったのですが、不幸にも2015年10月の台風で再度ダメージを受け、またもや無期限運休となってしまっていました。さすがにちょっとかわいそうです。


  • 何かに似ていると思ったら

さて、阿里山森林鉄道のループ線区間は、嘉義駅から約23km、1時間ほどの距離のところにあり、付近の地名から独立山ループと呼ばれています。

ソフトクリームのように円周をだんだん小さくしながら山を登っていくという独特な形状をした3重スパイラルと8の字ループで、21世紀の現代においても構造の複雑さで世界最強と言ってもいいでしょう。

ループ線の入り口にある樟脳寮(チャンナオリャオ)駅から次の独立山(ドゥーリーシャン)駅の先のループ線の出口まで直線距離わずか800mのところを5kmかけて走っており、6倍強になる迂回率は世界一ではないかと思います。

この区間だけで標高差は220mあり、最急勾配は62.5‰で、5万の1の地図だと線路がぐしゃぐしゃになってよく分かりません。この5kmの間に線路が自分自身と10回も交差しており、自線との交差回数では二位以下をダブルスコアで引き離してぶっちぎりの世界一です。(二位はちゃんと検証していませんが中国の水柏線の5回だと思います)

率直に言ってこんなところに線路を引くのは根性というよりも狂気の沙汰に近いものがありますが、それだけ台湾の森林資源が魅力だったということなのでしょう。ここで生産されたヒノキ材は日本の神社の建築に盛んに利用されたそうです。この路線については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも詳しく取り上げられています。


  • 現地の人にも大人気

前述のとおりZ型スイッチバックが連続する後半部分の奮起湖~神木間は運休中ですが、ループ線のある独立山駅までは平日は1往復、土曜日は2往復、日曜祝日は4往復の観光列車が走っています(時刻表はこちら)。

現地の方にも大変人気のある観光地なので、予約なしでは乗れないことが多いようです。ネットで見ていると線路上をハイキングするのが流行っているようですが、危なくないんですかね。

また、運休区間の向こう側には山頂の阿里山駅を中心に祝山、神木、沼平までそれぞれ区間列車が走っています。

神木、沼平行きは片道10分程度の乗車時間で、山頂まで直接バスで来る人が気分を味わうためのものでしょうか。祝山行きはご来光を見るための列車で日の出に合わせて運転されており、山頂付近で一泊する人でないと事実上利用できません。


  • Jスタイルのスイッチバックも見逃せない

阿里山森林鉄道ではループ線の魅力もさることながら、ループ線の手前にある樟脳寮駅の構造もマニア的に見逃せません。


樟脳寮駅は勾配のある本線から水平な折り返し線を引き出し、そこにホームを作っている通過可能型のスイッチバック駅です。

実は海外ではスイッチバックと言えば通過不能のZ型が標準で、日本でよく見る通過可能なスイッチバック駅は極めてレアです。

日本ではおなじみの通過可能型スイッチバックの樟脳寮駅
私の探した範囲では海外では阿里山森林鉄道と北朝鮮だけにしか見つかりませんでした。なんとなく中国黒竜江省の旧満州地方にも残っていそうだと思って探してみましたが、今のところ見つかっていません。

北朝鮮の鉄道ももともと日本が建設したものですので、結局のところ日本人だけが通過可能型スイッチバック駅を作っていたということなのでしょうか。

※意外なことにアメリカのロッキー山脈のローリンズ峠に通過可能型のスィッチバック駅がありました。→こちら H29.9.2追記

そもそも海外では勾配の途中に駅を作る必要があまりなかったのかもしれません。

日本でも近年急速に数を減らしてきている通過可能型スイッチバック駅ですが、世界的に見て希少性が高いことをよく理解しておかないといけないと思います。






世界の大規模なループ線を紹介する大規模ループシリーズ、いかがでしたでしょうか。

次回からは台湾のように「島にあるループ線」をご紹介していきたいと思います。世界では島ごとの風土に適応したバラエティ豊かなループ線が揃っています。

まず、次回はニュージーランド北島のラウリム・スパイラルRaurimu Spiralをご紹介します。