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2018/10/30

欧州㉘スイス・フルカ峠鉄道 世界唯一のラック式併用ループ線

  • ループ線の最終形態
今回はスイスのループ線を二つご紹介します。

スイスのシンプロン峠の街ブリークとゴッダルド峠の街アンデルマットの間にフルカ峠という標高2400mの峠があります。

ループ線上では行き違い設備はありませんので、この写真は多重露光だと思います。
こちらからお借りしました。
ここをマッターホルンゴッタルド鉄道というメーターゲージの私鉄が通っています。ブリークの標高は670mで、フルカ峠の最高所2160mまで48kmで標高差1490mを登り切る、平均勾配が30‰にもなる超ハードな山岳鉄道です。

標準勾配が66.7‰、最急勾配が110‰というとんでもない路線ですが、さすがに110‰勾配を粘着式で走るのは物理的に難しかったためラック式を併用していました。

ここのラック式は日本でおなじみのアプト式です。

この路線はスイス・イタリアを結ぶメインルートだったシンプロン峠とゴッタルド峠を相互に補完する形になっています。

地形的には峠の西側が地中海に注ぐローヌ川水域、東側はチューリッヒ湖経由で北海に注ぐライン川水域で、大陸分水嶺の一つになっています。

グレンギオルスループトンネルを走る氷河特急
 ここは、昔から人の往来が活発な峠だったようです。1915年と比較的早い時期に鉄道が開通しています。

当初は蒸気機関車による運行でしたが1941年に電化されました。

このフルカ峠の西麓はローヌ川の作る氷河谷が極めて深かったため、鉄道を通すにあたって2ヶ所ループ線が作られました。

下のループ線はグレンギオルス・ループトンネルという名称で、66.7‰、曲線半径80mの小規模なものです。それでも高低差は40mほどあります。ほぼ全線がトンネル内ですが、トンネルを出たところで谷側を一望できます。

こちらからお借りしました

  • U字谷をループ線の最終形態で乗り越えろ
ここの見どころは上のループ線、グレッチ・ループトンネルです。

なんと、勾配が110‰のラック式併用区間に作られています。ラック式とループ線を同時に併用して斜面を克服したのは世界でもここだけです。逆に言うと、普通は鉄道敷設を諦めるべき地形だということでしょう。

U字谷の最奥部にループ線があります。
右上の崖の高い木の根元あたりにトンネルの出口があります。


そのため、曲線半径90m全長600mほどの小規模なループ線にもかかわらず、高低差は70mにもなっています。

以前はこの二つのループ線は直通列車が走っていたのですが、上の方のラック式を含む峠越え区間は冬は豪雪の難所でした。そのため冬期間中は電化区間にもかかわらず架線を外し、鉄橋もすべて収容して運休となっていました。

さすがにこれでは輸送需要をまかないきれなかったため1982年にこの区間をバイパスする全長15kmのフルカベーストンネルが建設され、上のループ線グレッチ・ループトンネルを含む峠越え区間は廃止されました。

ところがこの氷河を望む峠越え区間の景勝を惜しむ声が強く、2000年にはグレッチ以東が、2010年にはループ線を含む全区間が観光列車として再建されています。 ただし電化は復元されず、蒸気機関車での運行になっています。

再建された時に、この観光列車区間だけは別会社となったため、現在はグレンギオルス・ループトンネルとグレッチループトンネルを一乗車で連続走行する列車はありません。

  • 手軽に楽しめるスイスのループ線
現在、このグレッチ・ループトンネルを含む観光列車区間は6月後半~9月の3ヶ月強の間だけ、1日1往復~3往復の列車が運転されています。


下のループ線グレンギオルス・ループトンネルは、現在でもマッターホルンゴッダルド鉄道の一区間として地域間輸送の役割を担っており、1日に氷河特急を4往復を含む23往復の列車が走っています。日中はほぼ1時間に1往復の列車が走るので、乗るのは簡単です。

フルカベーストンネルの開通前はレーティッシュ鉄道ベルニナ線に直通してティラノまで行く氷河特急があり、ベルニナ線で1ヵ所、アルブラ線で4ヵ所、フルカ峠で2ヶ所の計7か所のループ線を1日で走破できるというループ線マニアには夢のような列車が走っていました。おそらく一列車でのループ線最多通過列車だったと思います。

先に述べたとおり、フルカ峠の上のループ線は観光列車専用ですので、現在では氷河特急に乗っても最大6ヶ所しかループ線を走破できません。

しかも2018年夏ダイヤではベルニナ線直通列車は運休になっており、アルブラ線経由でサンモリッツが終点ですので、ベルニナ線のブルージオスパイラルまで直通していないため最大で5ヶ所です。


いずれにしても1泊もすればスイスのループ線はあらかた走破できます。さすがループ線大国ですね。





あっと言う間に2か月も更新をさぼってしまいました。
ちょっと反省して次はできるだけ早く更新したいと思います。
次回はアメリカの謎の多いループ線をご紹介します。

2018/07/16

欧州㉗イタリア・地中海鉄道ラゴネグロ線 結局廃止になった地中海鉄道の傑作ループ線

  • 今はなき傑作路線のループ線

今回は、前回に引き続いてイタリアの迷鉄道会社、地中海鉄道MCLの作った3か所のループ線のうちの最後の一つ、ラゴネグロ線のカスペルッチオ・スパイラルをご紹介します。

1977年ループ線周辺を走るサヨナラ列車だそうです。
こちらからお借りしました
このラゴネグロ線は、ほとんどが全通できなかった地中海鉄道会社の路線の中にあって珍しく全線開通した950㎜の鉄道です。

地中海鉄道の概要に関しては前回のエントリをご参照ください。→こちら

起点は前回ご紹介したマルシコ・ヌォヴォ線の起点アテナ・ルカーノから南へ30㎞ほどイタリア国鉄線を走ったところにあるラゴネグロで、標準軌の国鉄線の終点です。

ここから複雑なアップダウンで半島を横断して、イオニア海側の国鉄線のスペッツァーノ・アルバネーゼ駅まで104kmを結んでいました。

この路線は海側から建設が始まり1915年に最初のカストリヴィラッリ駅~スペッツァーノ・アルバネーゼ・テルメ駅間の28㎞が開業しました。

例によって人口の少ない山の中を通る路線で、このカストロヴィラッリはラゴネグロ線沿線で最大の街ですが、それでも人口3万人ほどです。

1929年にはラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業、1931年には残りの峠の区間も開通し、地中海鉄道念願の半島横断がついに実現しました。

ループ線は1929年ラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業した時にカステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅の間に作られました。

曲線半径は上半分が100m、下半分が120m、勾配は地中海鉄道の標準規格でもあった60‰でした。カステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅間の3kmという比較的短い駅間距離で、160mもの高低差を上下しています。


  • 狂ってる?それ、褒め言葉ね
このラゴネグロ線、世界でも二カ所しかないラック式とループ線の両用線区だったことが最大の特色でした。ループ線だけでは高低差を吸収しきれなかったため、ラック式併用の100‰勾配を設けて無理やり乗り切るという荒業を使った地中海鉄道の傑作路線でした。ちなみに残りのもう一箇所のラック式併用ループ線はスイスのフルカ峠です。

ラゴネグロ線の勾配断面図。赤線はラック式区間です。
3カ所にピークのある複雑な上下動をする路線でした。
ループ線は左から右に向かって二つ目の谷に向かう下り坂の途中にありました
ラゴネグロ線には起点のラゴネグロ駅と隣のリベッロ駅間と、終点近くのカッサーノ駅前後に2ヶ所、合計3か所のシュトループ式という簡易な方式のラック式区間が設けられています。

ラゴネグロ駅~リベッロ駅間のラック式区間は85‰勾配の途中に全長200m高さ40mのセッラ陸橋を作って、その陸橋の上をラック式で登るという、現代から見るとかなり「頭おかしいの?」的なルート選定がなされています。

ド派手なセッラ陸橋。もはやオーパーツと言っても過言ではありません
こんな深い谷を直接跨ぐことはしないで、遠巻きするルートにするのが普通でしょう。陸橋でショートカットしたためにかえって勾配がきつくなっているようにも見えます。

建設年代を考えるととんでもなく傑出した土木技術ではありますが、ラック式で最高速度が時速15kmに制限されており、まるで時間短縮にはなっていません。

むしろ谷を遠巻きして30‰ぐらいの勾配にした方が距離が伸びても到達時間は早かったのではないかと思います。

どうも技術力を誇示したかったがためのラック式大規模陸橋ルートだったかのように思えてなりません。プロモーションビデオっぽいものがYouTubeにありました。これは必見です。



  • 創業と守成といずれか難き
ところが、せっかく全通したラゴネグロ線ですが、率直に言ってルート選定に無理があったようです。1952年に地すべりでセッラ陸橋が折れ曲がってしまって不通になってしまいました。

地すべりで折れ曲がったセッラ陸橋
今でもこの状態で放置してあるそうです
日本だと危ないと言って即撤去されそうです

こちらからお借りしました
地すべりと和訳しましたが、数年単位で地面が動く土地隆起に近い Bradyseismという現象だそうです。ほれ見ろ言わんこっちゃない、と突っ込みたくなりますよね。

セッラ陸橋を含む区間はバス代行にして営業は継続されましたが、1970年に今度は海側のラック式区間でエイアノ川にかかる鉄橋が流されてしまい、ここも不通となります。

つまり国鉄線に通じる両端部分がどちらも運転できない状態になってしまいました。

それでも両端区間をバス代行して離れ小島の中間部分だけで頑張って営業を続けていましたが、1978年についにギブアップ。全線廃止となり、この時にループ線も廃止されました。結局全線を通して列車が走っていたのは1931年から1952年までの約20年強だけだったことになります。

  • 我こそは地中海鉄道マニア
さてさて、この地中海鉄道、調べれば調べるほど面白い鉄道会社です。それだけで別のブログが立ち上げられそうな勢いですが、ここでは簡単にこの鉄道会社の特徴を列記してみましょう。いずれも後知恵の結果論の部分もありますが、そこはご容赦ください。

まず、最初に押さえておきたい特徴は「豊富な資金を持っていた」「かなりの高度な土木技術力と車両技術力があった」「需要とは無関係に壮大なイタリア南部路線網構築を夢見ていた」、この3点です。

地中海鉄道の路線図を再掲しておきます
現存しているのは中央上部のポテンツァから
右上のバーリを結ぶ路線だけです
これらの要素が複合して「無理なルート選定を無駄に高い技術力で補った、むしろ補えてしまった」「イタリア半島を横断することばかりに捉われて、都市間の移動需要にはまるで無頓着だった」という点が出てきます。

もともと粘着鉄道で最小曲線半径80m、勾配60‰(しかも連続勾配)は相当無理があるのですが、なぜか地中海鉄道ではこれがスタンダードで、どの線もこの規格で作られています。

ところが大型車は走らせられないし、スピードは上げられないしで第二次大戦以降自動車にまったく対抗できない主要因になってしまいました。その豊富な資金と技術をまっすぐ平坦に線路を敷くことに向けていれば、違った結果になっていたかもしれません。

無理なルート選定は、災害運休が続発したことに繋がりますが、とりあえず部分開業した路線が軒並み赤字路線になってしまったのも、突き詰めるとルート選定の問題と言えそうです。

さらに壮大な鉄道路線網を夢見て何か所も同時に着工した挙句、どこも全通できなかったのもまずかったです。末期は赤字盲腸線ばかりになって保守もままならなかったようです。ただし全通してももともとも需要のないところに引いた低規格な路線ばかりなので、どこかのタイミングで廃止された可能性が高いです。

地中海鉄道は、末期には豊富だった資金も底を付き、ついに1961年に整備不良による脱線転落事故を起こして多数の死者を出し、イタリア政府から事業免許を取り消されるという空前絶後の最後を遂げました。路線はすべてカラブロ・ルカノ鉄道(FCL)という別の民間会社に引き継がれています。

こうして見てみると地中海鉄道はマーケティング的経営学的観点からでは相当ダメな鉄道会社だったと言わざるを得ませんが、地方の一民間鉄道会社が3つもループ線を作ったその技術力・資金力と、ひたすらに半島横断にかけた情熱はむしろ讃えるべきかもしれません。とは言え整備不良で事故を起こして多数の死傷者を出すのはNGですね。

個人的には、この「細けーことはいいんだよ」的なノリでループ線をがんがん作って、もれなく廃止した地中海鉄道、嫌いではなくむしろ大好きです。




ループ線とは関係ありませんが、インフェリオーレ、スペリオーレと聞くと日本語で優等劣等のイメージがあってそんな言葉地名に使っていいのかよ、と思いますが、イタリア語では単に土地の高低を表すものでしかないようです。イタリア国内にインフェリオーレ、スペリオーレを頭に付けた地名がたくさん見つかります。日本語で下カステルッチオ、上カステルッチオと言ってるのと同じ感覚なんでしょうね。

次回は、上で少し触れたスイスのフルカ鉄道のループ線をご紹介します。



2018/06/05

欧州㉖イタリア・地中海鉄道 ブリエンザ&セッラ・ペダーチェ 果たせなかった半島横断

  • 超攻撃的鉄道会社、得意技は無理攻め

今回はイタリアの廃止ループ線を二つまとめてご紹介します。

1900年代初頭に設立された歴史に残る迷鉄道会社「カラブロ・ルカノ間のための地中海鉄道会社」が建設した3か所のループ線のうちの二つです。イタリア語でMCLと略します(Mediterranea=地中海、Calabro-Lucane)。

立派な土木構造物に客車一両のアンバランス
60‰の連続勾配を蒸気機関車で登っていたのは衝撃です(後年はディーゼル化されています)
技術的には超一級です。こちらからお借りしました

この地中海鉄道MCLは、もともとイタリア南部の鉄道路線の資産保有会社でした。実際の鉄道の運行にはタッチしない投資会社のようなものでしょうか。

それが1905年イタリア国鉄が設立された際に、保有するイタリア南部の標準軌路線が国鉄にがっさり買収されて、多額の現金を手にします。

この現金を使ってイタリア南部に壮大な、現代から考えると無謀なローカル鉄道ネットワークを自前で建設することにしました。こうしてイタリア南部の山岳地帯に次々と鉄道路線建設に着手していきます。

地中海鉄道MCLの路線図
黒線は国鉄線、赤線はMCL社線。点線は未成線。
なお、赤線部分も現在は大部分が廃止されています
ところがイタリア南部の半島中央部には標高1500m級の山脈が走っており、東のイオニア海側の沿岸と西のティレニア海側の沿岸を結ぶのはそう簡単ではありません。

比較的線路を通しやすいところには既に標準軌の国鉄線があったので、それ以外の残ったところはどこもドン引きするレベルの険しい山岳地帯ばかりでした。

それにもめげずに地中海鉄道はいくつかの東西連絡線を着工し、そのうち3か所にループ線が作られています。

まず一つ目はマルシコ・ヌオヴォ線のブリエンツア・スパイラルです。

このマルシコ・ヌオヴォ線はカンパーニャ州南端の街アテナから、イオニア海沿岸を目指した950㎜のイタリアンナローゲージ路線です。

途中山脈を何度も横切るドSなルート選定で、鼻息荒く1911年に着工しましたが、第一次世界大戦の影響で開通したのは1931年と、だいぶ工事に時間がかかってしまいました。しかも、起点のアテナ・ルカーノからマルシコ・ヌオヴォまでの30㎞弱だけの部分開業を余儀なくされています。

標高450mのアテナを出るといきなり分水嶺の峠を8kmで400mも上り、そこからループ線を使って標高700mのブリエンツアの街まで下るというダイナミックな路線でした。ループ線部分の勾配は60‰、曲線半径90mという粘着鉄道の限界スペックです。イタリアらしい壮大なアーチ橋を持った、ブリエンツアの街を眼下に一望するとても眺めの良いループ線だったと言われています。

この地形図はループ線の部分がちょっと間違っています
実際は時計回りに下るのが正解。この図では時計回りに上っているように描かれています

  • さすがに攻めすぎだよ
ところが、なかなか挑戦的な計画のマルシコ・ヌオヴォ線だったのですが、沿線人口を全部足しても1万人にもならない山中のローカル盲腸線の行く末は、大方の想像通り「イタリア一の赤字路線」でした。

こちらからお借りしました
ループ線跡のすぐそばに道路橋が作られましたが、廃線跡の構造物は残されました
開業時から旅客列車が1日3往復、貨物列車が週に1往復と惨憺たる運転状況で、1966年に地すべりで不通になったのを機に復旧されることなくさっさと廃止されました。列車の累積運行本数の少なさでかなり上位に来るループ線なんじゃないかと思います。

もともと部分開業ではとても乗客が見込めなかった区間ですが、途中のブリエンツアも終点のマルシコ・ヌオヴォも集落から外れたところに駅を作ったため、地元の人からも「これでは使えん」と言われたそうです。

辛うじて30年間持ったのは第二次世界大戦で被害を受けなかったことと、沿線に小規模な鉱山があったおかげです。ただし鉱山輸送にも取り立てて活躍したという形跡はありません。

現在、線路跡はほとんど道路になっており、ループ線の遺構の側に立派な道路橋が併行して建設されています。




  • 細々と列車が走ることもあるらしい
もう一箇所は長靴のつま先の方、カラブリア州コゼンツァからイオニア海沿岸の工業都市クロトーネを目指したシラーナ線です。


シラーナ線はマルシコ・ヌオヴォ線とほぼ同じ経緯で1910年ごろから工事が始まり、少しずつ東に向かって延伸していきました。ループ線区間の開通は1922年です。

ループ線は標高200mのコセンツァから15kmの標高600mのセッラ・ペダーチェに作られました。ここまでで既に400mも登っていますが、このあと標高1400mまで登る本格山岳路線です。アルプス沿いの山岳地帯を差し置いて、イタリア国内最高所の鉄道路線だそうです。

950㎜ゲージである点もマルシコ・ヌオヴォ線と同じです。イオニア海側の路線も1930年に残り30kmのところまで開通していましたが、最後に残った区間は結局着工されませんでした。

マルシコ・ヌオヴォ線と違った点は、中規模の集落を縫いながらサンジョヴァンニ・イン・フィオーレを結んでいたため、盲腸線ではありましたが2000年代初頭までは比較的順調に運営されていたようです。


ループ線の勾配は33‰、曲線半径100m、高低差約70mとかなりハードなスペックです。残念ながら木立ちに遮られて眺望はほとんどありません。

標高が高いので冬は雪景色になります

このシラーナ線、現在はバスに需要を取られてしまい、一般旅客営業は2010年に廃止されましたが、頂上の近くの一部区間(モッコネ~サンニコラ・シラヴァーナ・マンシオ間約13㎞)で観光鉄道として蒸気機関車が現在も運転されています。詳細は→こちら(トレノ・デラ・シーラ)


ループ線の部分は観光列車の運転区間外なので、現在は実質廃止状態です。ところが、観光列車の車両を麓のコセンツアで整備することがあり、回送列車を走らせるために線路設備は残してあるそうです。いや、どうせなら営業運転してよ、と思いますが。

また、せっかくだからサンジョヴァンニ・イン・フィオーレまでの全区間にシーラ・エクスプレスという名前の展望列車を走らせたらどうかという話が出ていますが(→こちら)、すぐに実現するというわけではなさそうです。



前面展望の動画がありました。→こちら
見事なぐらいに眺望が効かず、ループ線と言われても「はい?」という反応しか返せませんね。2018/7追記


次回は攻める鉄道会社、地中海鉄道MCLのもう一つの廃止ループ線をご紹介します。


2017/03/31

アジア⑨ダージリンヒマラヤ鉄道 マニア的には物足らないが有名すぎて外せない

  • ワールドクラスの山岳鉄道
今回は連続ループ線シリーズの最終回、インドのダージリンヒマラヤ鉄道をご紹介します。

このダージリンヒマラヤ鉄道は、もともとは英領インド帝国時代の1881年にダージリン地方で生産されるお茶の輸送と避暑地への足として開通した610mmゲージの鉄道です。

晴天は極めて珍しいそうです
海抜121mの麓の町シルグリから海抜2076mのダージリンまでの標高差1900mを上る全長81㎞、最急勾配56‰の超ド級山岳鉄道です。

線内の最高所はダージリンから5㎞ほど手前の標高2257mのグームで、終点の直前に5㎞で高低差200m、40‰の下り急勾配のおまけが付いているのも特徴です。

もともとダージリン地方はシッキム王国というチベット系の国の領土だったのですが、イギリスの圧力でシッキム王国から英領インド帝国に割譲させられたのが1849年でした。

17世紀ころからアジアに進出していたイギリスですが、19世紀の後半はインド亜大陸を完全に掌握し、勢力を中国やアフリカに広げようとしていた時期です。

イギリス人は暑さに弱いらしく、気温の高い地域に進出すると必ず避暑地を作っています。ダージリン地方はインドの避暑地として最適でした。避暑地を開拓したイギリス人は勢いに乗ってネパール系の労働力を投入し、紅茶を栽培しました。

この時大量に移住したネパール系の民族がネパール系、チベット系、インド系入り乱れて旧シッキム地方の政情不安を引き起こし、後にシッキム王国を崩壊させる原因となっています。まったくイギリス人は紛争の火種をまきまくりと言われても仕方がありません。シッキム王国が完全にインドの一部になったのは1975年ですので意外と最近です。詳しくは→こちら

  • ひそかに増えたり減ったり
さて、ダージリンヒマラヤ鉄道は1999年に世界遺産に登録されて一気にスターダムにのし上がりました。いまや世界的な観光地となりましたが、そのルート上にあるループ線の数は時代によって変化しています。

開通当時の路線図
ループ線が4カ所ありますが、バタシアループがまだありません
現在のループ線の数は3カ所で、下から順にチュンバティループ、アゴニーポイント、バタシアループと名前が付いています。このうち一番終点のダージリンの近くにあるバタシアループは1919年の線路改良で作られたもので、開業時には存在しませんでした。

開業当時はチュンバティループよりも手前の麓側にもNo2ループ、No1ループと呼ばれるループ線がありましたが、No2ループは1942年、No1ループは1991年に、どちらも水害による土砂崩れで撤去されてしまいました。No1ループは線路を付け替えたため、痕跡はまったく残っていません。No2ループはスィッチバックに改修されています。

廃止されたNO2ループ
現在はスィッチバックになっています
こちらからお借りしました

バタシアループの全景
テーマパークと言われても違和感ありません
ダージリンヒマラヤ鉄道のループ線は最初4カ所で開業し、5ヶ所に増えて、4カ所、3か所と減るという変遷をたどったことになります。

バタシアループ周辺は大きな公園(グルカ族の戦没者記念公園だそうです)になっており、ヒマラヤを望む絶景が見られますが、いかんせん雨の多い地域ですので、晴れた光景を見るには超絶的な強運が必要です。最小曲線半径は13mで、テーマパークのアトラクションに近い雰囲気です。

道路脇を走る
こちらからお借りしました
実はこのダージリンヒマラヤ鉄道、路線のほとんどが並走するヒルカートロードという道路脇に作られており、路面電車に限りなく近いものです(もちろん非電化ですので電車ではありません)。

ダージリンヒマラヤ鉄道の開通時はイギリスは先に書いた通りすでにインドでの覇権を固めており、ここにあまり多大な投資をする気がなかった節が見られます。

同時期にアフリカ大陸、オーストラリア、カナダなどで大規模な鉄道建設を行っていることから、技術的に重軌道の鉄道が作れなかったわけではありません。初めからダージリンの鉄道はこの程度のものと割り切って作られたように見受けられます。


  • 世界遺産効果は侮れない

ダージリンヒマラヤ鉄道は開通当時から全線80㎞を7時間かけて走る超鈍足の鉄道でしたが、それはディーゼル機関車の牽引になった現在でもそれほど変わっていません。

現在では全線を運転するディーゼル機関車牽引の列車が1日1往復、山頂部分のクセオン~ダージリン間の区間列車が1日1往復で、全線の運賃は1285ルピー≒2200円です。これは普通のパッセンジャートレインに分類できるでしょう。

アゴニ―ポイント全景
こちらからお借りしました
その他に、山頂部分のダージリン~グームの一駅間だけを2時間ほどで往復する観光列車がSLとディーゼル合わせて1日4往復~5往復あり、観光客向けはこちらの観光列車がメインとなっています。

さらにコアな鉄道体験をしたい人向けにダージリンから山の中腹のクセオンまでを8時間かけて往復するレッドパンダ号が1往復、山の麓のシリグリ~ラントン間を4時間で往復するジャングルサファリ号が1往復それぞれ設定されています。

なお、SL列車はかなりの確率で途中で故障するらしく、動かなくなった場合はバスで代行輸送するとのことです。また、水害に非常に弱く、日本の台風にあたるサイクロン通過後は必ずといっていいほど土砂崩れで運休になってしまいます。昨年も水害による運休が続いていて、2017年の1月に運行が再開されたばかりだそうです。

正直ダージリンヒマラヤ鉄道は世界遺産にならなければバス輸送に置き換わっていても不思議はないものでした。世界遺産様様といったところです。



有名ではありますが、ループ線マニアとして見る場合は、少し物足らないのがダージリンヒマラヤ鉄道のループ線だと思います。特に衛星写真に線路敷が全然映らないのが致命的です。

ここは有名な観光地ですのでいろいろな方が現地を訪れていらっしゃいます。特にマニア的におすすめの旅行記を一つご紹介しておきます。→こちら


半年にわたった連続ループ線シリーズは今回で終了です。

次回からは完成したのに列車が走らなかった、あるいはすぐ廃止になってしまったというような未成・短命ループ線をご紹介していきたいと思います。テーマの性質上、ドマイナーなループ線が続く超ディープなマニアの世界になります。しばらくの間お付き合いいただければと思います。



まず次回はイタリアの未成ループ線をご紹介します。

2016/11/30

欧州⑲イタリア・ノルチャ線 伝説のイタリアのゴッタルド

  • 伝説の大規模ループ線

今回はイタリア中部、ローマの東北にあったスポレト・ノルチャ線の連続ループ線をご紹介します。

このループ線は世界的に見ても相当大規模なものでした。現存していれば間違いなく「大規模ループ線」のカテゴリに入れていました。

スポレト・ノルチャ線はローマの東北、ウンブリア州のスポレトからイタリア半島の中央にそびえるアペニン山脈の中腹の町ノルチャを結んでいた全長50kmのイタリアンナローゲージの民有鉄道でした。第一次世界大戦後の1926年に開通し、1968年に廃止されています。ちょうど戦間のイタリア好況期に開通し、モータリゼーションの進展とともに廃止された典型的なイタリアの地方鉄道でした。


もともとこの鉄道はアペニン山脈を越えたアドリア海側の町、アスコリピチェーノとを結ぶことを念頭に置いていたようです。ところがアペニン山脈の地形は想像以上に険しく、当初検討していたリエーティ~アントロドーコ~グリシャノ~アスコリピチェーノ間の路線を断念し、スポレト~ノルチャ~グリシャノ~アスコリピチェーノのルートで着工しました。

完成後はサブアルプス鉄道株式会社というスイス・イタリア間に路線を持つ民間会社が、ぽつんと離れ小島的に所有・運営していました。何とも不思議な運営形態の民間鉄道です。スイスのレッチュブルグ線の建設を担当したスイス人技師アーウィン・トーマンErwin Thomanという人が建設した関係でしょうか。

結局第二次大戦の敗戦により、アペニン山脈横断の夢は果たされないまま、分不相応な大規模な構造物を持つローカル盲腸線として戦後を走ることになります。


  • 古今東西廃線跡の再利用と言えば

 ところがスポレートは人口2万、ノルチャは人口5千人の小さな町です。山中の小村に向かう人々ではどう考えても鉄道を経営していくには需要不足でした。

1965年にサブアルプス鉄道株式会社は民間運営を諦め、スポレート運輸企業協会という半官半民のよく分からない協会に運営を譲渡しますが、あっさり3年で廃線となってしまいました。

しかし、廃線直後から「ウンブリア地方のゴッダルド」とも呼ばれたその雄大な車窓風景を惜しむ声が上がり、観光鉄道として存続を模索する話が出ます。

とりあえず自転車道として保存されましたが、これが予想外の人気となり、イタリアで有名なMTBコースとして知られるようになります。

今ではMTBの大会なども開かれています。そのおかげでノルチャ駅付近の自動車道路に転用された部分以外では構造物はほぼ完ぺきな形で残されています。

また、ループ線部分を含む20㎞程度を観光鉄道として再生する計画もたびたび出ていますが、今度はMTB愛好家から観光鉄道化反対の声が上がるというなかなかカオスな状態になったりもしています。


  • 帝王にも負けないインパクト


カプラレッチァ陸橋と大掘割
さて、ノルチャ線のループ線は、カプラレッチァ・トンネルを挟んで峠の西側に1つ、東側に2つループがある双子ループでした。

第1のループは、峠の西、スポレト側の標高550mの丘陵地帯にあるカプラレッチァ陸橋で自線をまたぐフルオープンループです。

尾根筋を使って高さを稼いでいるため、少し変わった形状をしていました。

このループ部分の約半分は大規模な掘割になっており、さすがにこの部分は崩落の危険が大きいとして現在通行止めになっています。


ここで80mほど高さを稼いで標高約630mにあるイタリア狭軌線最長だった1936mのカプラレッチァ・トンネルに入っていました。

トンネルの東側は断崖絶壁で、標高350mのネラ川沿いまで高低差280mを7㎞で駆け下りていました。ロングダートでダウンヒル、適度なカーブがあってトンネルと眺めの良い橋がある、とまさにMTBに打ってつけですね。

この東側の断崖がウンブリア・ゴッダルドと異名を取ったヘアピンターン5カ所のうち2カ所がループ線になっている大規模ループ区間です。曲線半径は最小80m、最急勾配は45‰と一般の粘着式鉄道としては限界に近いハードスペックでした。

確かに本家ゴッダルドバーンに一歩も引けを取らないド派手なループ線です。


  • ローカルゆえに廃止になり、ローカルゆえに愛される

ところがゴッタルドバーンに圧倒的に負けていたのが輸送力と輸送量でした。

冷静に見てみるとノリチャ線は極めて低規格で、開業時から電化されていたにも関わらず、スポレト・ノルチャ間の50㎞を2時間以上かかっていました。

需要が少なかったのはアペニン山脈を越えられなかったからだと書きましたが、本当に横断する気があったのか疑問が残ります。

少なくとも幹線鉄道としてイタリア東西横断を目指したものでなかったことは、ナローゲージである点や曲線半径・勾配などの線路規格を見る限り間違いなさそうです。

仮に山脈を越えて東西横断が実現していたとしても、このスペックではいずれモータリゼーションの波に飲まれていたのではないかと思います。その点では開業時から21世紀水準の高規格だったゴッダルド・バーンの足元にも及ばないでしょう。

とは言え、イタリアの美しい山並みを行く超大規模ループ線は記録よりも記憶に残る鉄道として、その痕跡は今でも人々に愛されています。私の最も行ってみたい廃線ループ区間の一つです。

なお、このノルチャ線沿線は昔から地震の多い地域で、つい先日2016年11月にも大きな地震があったそうです。ノルチャ線跡には調べた限り被害はなさそうですが、何かわかったらここに追記して行きたいと思います。




次回はこれまでにも話に出てきたレッチュベルグ線のループ線をご紹介します。






2016/09/15

欧州⑭サンマリノ鉄道 復活を目指す戦火に消えた国民的ループ線

  • ミニ国家の鉄道はオールイタリア製

今回はサンマリノ鉄道のループ線をご紹介します。

サンマリノはイタリアの中央部にポツンとある周囲をイタリアに囲まれた小さな国です。山梨県ぐらいの大きさかな、となんとなくイメージしていたのですが、それよりもはるかに小さく、山手線の内側ぐらいの大きさしかないそうです。


しかしその歴史は古く、日本で言えば室町時代ぐらいにすでに共和制の国家として確立しており、1631年にローマ教皇から正式に独立国家として承認されています。国土は小さいですが9つの地方自治体に区分されています。

イタリア人が住んでいて、イタリア語を話しているけど別の国、という状況はなかなか日本人の国家観からは理解しづらいですね。

サンマリノの国土は大部分が標高749mのティターノ山の山地です。イタリアのリミニからサンマリノまで走っていた鉄道がサンマリノ鉄道です。サンマリノ鉄道と勝手に略していますが、実はFerrovie Concesseと言う独特の建設方式で建設され、ヴェネトエミリア電軌鉄道というイタリアの会社が運営していたイタリアの地方私鉄の一路線でした。開業当初から電化された軌間950mmのイタリアンナローゲージ路線です。

6往復時代の時刻表
ちゃんと一等と二等に分かれているようです
こちらからお借りしました
Ferrovie Concesseとは国が資金を出して鉄道を建設し、民間に付与して運営するというイタリア独特の鉄道路線の建設形態とのことですが、これは上下分離の一種なんでしょうか。

地上設備は国有のまま運営だけを民間会社がやっていたのか、設備ごと文字通り民間に払い下げてしまっていたのかまでは分かりませんでしたが、随分と先進的というか気前のいいスキームです。第一次世界大戦後の戦間期はイタリアではだいぶ景気がよかったようです。

1932年に完成し、当初1日2往復で運転が始まりましたが、すぐに6往復に増便されています。最盛期にはさらに運転本数が増えていたようです。全長32㎞標高差640mを1時間かけて上るタフな登山鉄道でした。

イメージ的には箱根登山鉄道(全長15㎞標高差520m)の勾配を少し緩くしたような感じのものです。サンマリノの国旗と同じ白とスカイブルーのツートンカラーの電車は地元の人に大変愛されていたことが伺えます。


  • 時代が悪かったとしか言いようがない
そんなサンマリノ鉄道ですが、不幸なことに時代はまさに大戦期。第二次世界大戦のさなかに空爆で線路が破壊されて不通になってしまいます。

サンマリノ鉄道は途中のセラヴァッレからと最後が急勾配
最急勾配は50‰を越えます
第二次世界大戦中に線路を爆破するのはだいたいドイツ軍によるものなのですが、ここはイギリス軍の誤爆だったというから救われません。

サンマリノ自体は大戦中、中立を宣言していたのにとんだとばっちりでした。

終戦後すぐ熱烈な鉄道再開運動が展開されましたが、敗戦国となったイタリア資本の民間鉄道だったのが災いしたのでしょうか、遅々として復興は進まないまま21世紀を迎えることとなってしまいました。


現在は車道になっているようです。
これはモンタルボトンネル
さて、サンマリノ鉄道には2カ所ループ線がありました。一カ所は山の中腹のポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネル、もう一カ所は終点のサンマリノ市街地への断崖を貫通するピアッジェ・ループトンネルでした。

ポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネルは20‰勾配で、ピアッジェ・ループトンネルは52‰という超急勾配でした。地形の関係で山の上の方が急勾配になっていたようです。








ピアッジェループトンネル付近の地図
山の南側斜面に回り込む形でループしていました
終点のサンマリノ駅とその一つ手前のボルゴ・マッジョーレ駅間は3.8㎞ですが、標高差が約150mもあり、全線の標高差の4分の1はこの一駅間のものだったというから恐ろしいものがあります。

ちなみにこの二駅間には現在ロープウェイが運転されています。例によって白とスカイブルーのツートンカラーのサンマリノ色ロープウェイで移動することができます。


  • いつか列車が蘇るのを信じて

現在も鉄道再開運動は続いており、鉄道開業80周年にあたる2012年、ついにサンマリノ駅からモンターレトンネルの出口までの800mで復活運転が実施されました。実に休止から68年かけての復活は大したものです。

引き続き再開区間を伸ばして、ボルゴマッジョーレ駅まで結ぶつもりとのことです。これが再開すると当然ループ線も復活するということになるでしょう。これは楽しみです。

ただし、この復活運転は今のところ日にちを限定した試運転程度の運転で、一般の観光客向けには公開されていないようです。ふらっと観光ついでに気軽に乗れるようなものにはまだなっていません。






このサンマリノ鉄道については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも最近紹介されています(→こちら)。

できるだけ見ないようにしてこの記事を書いたのですが、内容がもろかぶりな上に山下さんの方が詳細に解説されています。正直恥ずかしいです・・・。

次回はまちなかループイタリア編からイタリアのまちなかにある訳の分からないループ線をいくつかまとめてご紹介します。

2016/08/18

欧州⑫イタリア・サングリターナ鉄道 サンヴィート・キエティーノ 廃止ループ線も一見の価値あり


  • ひそかなループ線王国イタリア

今回からまちなかループ線シリーズのイタリア編をご紹介していきます。イタリアはまちなかループがたくさんあります。まずは、南イタリアのアドリア海側にあるサングリターナ鉄道サンヴィートのループ線をご紹介します。

サンヴィートチッタ駅
ループ線の途中に駅があります
もともとイタリアはイギリス・ドイツに続く古くからの鉄道国だったのに加えて、国土が山がちだったためループ線が多数作られました。国別の建設されたループ線の数では中国の25か所についで2位です。(イタリア16カ所、スイス12ヵ所。現在の国境線で計算しています)

このうち半分近いループ線が需要減から廃線になっており、現在では列車が走っているのは9ヶ所しかありません。「国別廃止されたループ線の数」で実はイタリアは現在世界一のタイトルを持っています。

本来ループ線は「無理してでも山を越える需要があるところ」に作られるもので、それが廃止になるのはループ線をバイパスする別のルートが開設された場合、というのが多いです。

が、陽気なイタリア人は「こまけーこたあいいんだよ」と作ってしまったのかどうか分かりませんが、結果的に需要減で廃止されたループ線が多いのがイタリアの特徴です。いずれそのような廃止ループもそれぞれご紹介していきます。

ちなみに日本にあった山野線の大川ループは国内唯一の需要減による廃止ループですね。

今回ご紹介するサングリターナ鉄道のサンヴィートのループ線も残念ながら2006年に廃止されていますが、ここはループ線を経由しない新線の開通に伴って廃止されたもので、需要減で廃止されたものではありません。

  • がんばれ、地方私鉄

サングリターナ鉄道はイタリア南部アブルッツォ州に路線を持つ私鉄で、ループ線を含むサンヴィート~カステル・ディ・サングロ間が本線です。 1912年にループ線部分が開業して西に向かって延伸していき、1915年ローマへの交通の要衝だったカステロ・ディ・サングロまで全通しました。

他にオルトーナに向かう支線2009年開業の高規格新線で、今のところ貨物専用だそうです。

もとは950mmのイタリアンナローゲージだったのですが、第二次世界大戦中にドイツに破壊されて戦後しばらく全線運休していました。

1950年代の半ばに再建された際に標準軌に改軌されていますが、戦前よりも低規格で復旧しており、とりあえず動けばいい、という感じだったようです。再建時の列車の最高速度は55km/hに制限されていたとあります。

ところがこの低規格が災いして、1980年代ごろから競争力を失っていきました。オルトーナ支線は1982年に廃止になり、本線も西側約半分のアルキ以遠は観光列車が走るのみとなってしまいました。

それでも2000年代初頭まで細々と列車が走っていたのですが、サンヴィートで接続するイタリア国鉄アドリア線が大規模に線路を付け替えて複線化したのに合わせて、サンヴィートとランチャーノ間にループ線をバイパスする新線が作られました。

この時に旧ルートはループ線ごと廃止になってしまいました。ランチャーノ以遠もついでに列車が走らなくなりましたが、ここは将来的には設備を改修した上で復活させる予定だそうです。

結局サングリターナ鉄道で現在旅客列車が残っているのは、サンヴィートから新線経由でランチャーノまでの一駅約10kmの区間だけになってしまっています。


  • もう列車は来ないけど
さて、このサングリターナ鉄道の本線は、サンヴィート駅を出るといきなり全長6kmの巨大なダブルヘアピンで山登りをしていました。海岸線に対して直角に突き出た尾根の上にある標高150mのサンヴィート・キエティーノの市街地めがけてかなり強引なルートで通過しています。



上側のヘアピンはサンヴィート陸橋Viadotto di San Vitoと呼ばれており、海に向かって張り出した陸橋の上を回る大ヘアピンです。イタリア式の美しいレンガ造りの陸橋は、崖の上にある町の風景と合わさって非常に絵になります。

ダブルヘアピンの最後にループ線があり、ループの途中にあるサンヴィート・チッタ駅を通った後、丘の上の平坦な畑の中をランチャーノに向かっていました。全長6kmにも及ぶ巨大なダブルヘアピンで120mほどの高低差を登ります。

ただしループ線部分だけに限ると、半径110m、全長約800mとかなりコンパクトです。最急勾配は37‰と結構急勾配ですが、これはループ線の3分の1が駅になっていて、その部分は平たんにする必要があったためでしょう。ループ線部分の高低差は約20mです。

どうやらここはサンヴィート・キエティーノの市街地の中心部に近いところに駅を作りたかったために、ループ線でわざわざ少し海側に戻る線形を取ったようです。サンヴィート・チッタ駅のチッタは英語でいうシティで、市街地という意味です。山の尾根に沿った市街地にループ線と駅がある風景は独特のものです。

現地の様子はグーグルのストリートビューで見るとよく分かります。(→こちら)また、YouTubeに現役時代の前面展望ビデオがありました。(2:20あたりからループ線、4:39あたりからサンヴィート陸橋)



 新線はサンヴィート・キエティーノ市街地をまったく素通りしてランチャーノに向かうルートになってしまいましたが、イタリア国鉄サンヴィート駅からバスがおよそ1時間に1本程度走っています。列車が20分かけて上っていたところをバスは5分で走り、しかも町の中心まで乗り入れています。

廃止されて10年になりますが、2016年のグーグル衛星写真ではまだ線路がはっきり残っています。

しかし、目につく記事ではすべて「廃止」となっており、利便性もバスの方が上ですので、列車が復活することはもうなさそうです。

海岸沿いのサンヴィート陸橋Viadotto di San Vitoは歴史的にも視覚的にもインパクトが強いものですが、もはや無用の長物となっています。イタリアに行かれる方がおられましたら、取り壊される前に一度鑑賞しておいて損はないのではないでしょうか。



次回はまちなかループ、イタリア編からサレルノのループ線をご紹介します。

2016/05/28

欧州⑦イギリス・ウェールズ フェスティニオグ鉄道 リアルきかんしゃトーマスの世界

  • 産業革命の原動力
今回はイギリス・ウェールズにあるフェスティニオグ鉄道Ffestiniog Railwayのループ線をご紹介します。

グレートブリテン島は今さら説明するものでもないでしょうが、南北約1000km弱、東西200km~400kmと面積的には本州より少し小さい島です。イギリスはグレートブリテン島にあるイングランド・スコットランド・ウェールズとアイルランド島にある北アイルランドの4つの国の連合王国ですが、今回のループ線は島の西側ウェールズにあります。


ウェールズの北部の山地と丘陵地帯は石炭と石灰石がよく採れて、イギリス産業革命の原動力となりました。ここでは採れる石炭は良質な無煙炭で、それを使った製鉄業がイギリスの工業化を引っ張っていくことになります。

石炭の輸送手段として蒸気機関車が開発され、鉄道網を広げるためにさらに鉄が必要になり、鉄を作るためにまた石炭が必要になるという循環作用を生み、19世紀中盤に鉄道狂時代と呼ばれる鉄道建設バブルが到来します。イギリスでは1840年代に急速に路線網が拡大し、1850年までに総延長1万㎞、1880年には総延長3万kmとなっています。日本の国鉄の総延長が1980年代のピーク時で本州以外の路線を含めて2万2千kmだったことを考えると、これはとんでもない線路密度だと言えます。

  • 廃止されてからが本番
さて、フェスティニオグ鉄道は1836年に開通したウェールズの最高峰スノードン山の麓を走る炭鉱鉄道を起源とする路線です。鉄道黎明期で規格が固まっていなかったのか597mmゲージという実に半端なゲージです。この他にもイギリスには603mmゲージとか610mmゲージといった半端なゲージの路線が現存しています。

古い路線がたくさんあるイギリスの鉄道の中でも相当古く、フェスティニオグ鉄道は現存する鉄道会社としては世界最古です。ただし、開業当初は山の上にあるブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogからポースマドッグ・ハーバーまで重力で坂を下り、登りは馬が引いて上るというトロッコ馬車軌道でした。これで旅客営業もやっていたというから驚きです。現代的視点からだとちょっと怖いですね。


1860年代に入ると蒸気機関車が導入されて現代的な鉄道営業となりましたが、その後石炭需要が低下して、1946年に一旦廃線となりました。

しかし、ここからがフェスティニオグ鉄道の歴史の本番のようなものでした。

1951年には早くも復活運転に向けて運動が始まり、1955年にまず海側の終点ポースマードック・ハーバーとボストンロッジの一駅間で運転が再開されます。復活に向けての工事はほとんどボランティアの手によるものだったそうです。

その後一駅ずつ復活区間が伸びていき、1968年にはループ線の手前のDdaullt駅まで復活しました。ついデュオルト駅と読みたくなりますが、ウェールズ語読みでジアスト駅と発音するのが正しいようです。まったく初見殺しの駅名です。

  • 違和感があればあなたもループ線マニア
歴史は一旦おいておいて、ループ線の線形を見てみましょう。のどかな丘をまたぐ丘陵型のオープンループです。

が、線形に何か違和感を感じないでしょうか?よく見るとループ線といいながら線路が丸くなっていません。北西に向かって進む線路を無理に捻じ曲げたようになっています。

実は現役時代のフェスティニオグ鉄道は、ジアスト駅を出てループせずにそのまま北西に直進し、正面の山を800m近いトンネルで抜けていました。ところが 廃止されていた1950年代にダムと水力発電所が計画され、ジアストと隣のタナグリサイ駅との間の線路が水没することになってしまいました。

点線が旧線です

ジアスト駅周辺。旧線時代はそのまま直進していました。よく見ると実に
変わった形状のループ線です。

普通なら廃止された鉄道の復活など諦めてしまうところですが、ここの人々は違いました。中央電力庁相手に裁判を起こし、18年もかかってその裁判に勝利します。判決に基づいて用地補償を受け、1978年に付け替えた新線で復活しました。ジアスト駅のループ線はこの時にできたものです。

世界最古のループ線かと思いきや、実はむしろループ線としては新しい部類のものだったんですね。このループ線も、付け替え線上の新トンネルもボランティアが作ったそうです。用地は補償してもらえましたが、工事までは補償してもらえなかったんですね。

こうして1986年、ブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogまでの全線が再開しました。最初に廃止されてから全線再開まで実に40年の歳月が経っていました。

  • トーマスの世界を味わえる
さて、そんなフェスティニオグ鉄道ですが、現在はウェールズ観光の目玉として熱心に運転されています。3月~10月は少ない日で1日2往復、多い日で6往復~7往復の列車が走っています(11月~2月は運休日あり)。すべて実写版きかんしゃトーマスという風情のSL列車です。


下手なローカル線よりも本数があるのですが、なぜか土日よりも火水木曜日の方が運転本数が多いという謎の運転スケジュールになっているので実際に行かれる際は要注意です。

運賃は1日乗車券が22.8£≒約3700円、片道券が約1500円、一等車は片道1100円増しとなっています。時刻表はこちら。乗車時間は片道約1時間10分です。

また、起点のポースマードックではスノードン山に向かうウェールズ・ハイランド鉄道と連絡しています。このウェールズ・ハイランド鉄道も長い工事の末に復活した597mmゲージの保存鉄道です。

こちらは1937年廃止、2011年全線運転再開とフェスティニオグ鉄道をしのぐ歳月を経ての全線再開です。ウェールズの人々の鉄道復活にかける情熱には頭が下がります。

日本では地価や法規制の関係でなかなかこういう鉄道保存活動は具体化しませんね。そもそも何十年もこつこつと復活に向けて運動を続けることが難しいのでしょうか。



次回はアフリカ大陸の横にあるマダガスカル島のループ線をご紹介します。