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2018/10/30

欧州㉘スイス・フルカ峠鉄道 世界唯一のラック式併用ループ線

  • ループ線の最終形態
今回はスイスのループ線を二つご紹介します。

スイスのシンプロン峠の街ブリークとゴッダルド峠の街アンデルマットの間にフルカ峠という標高2400mの峠があります。

ループ線上では行き違い設備はありませんので、この写真は多重露光だと思います。
こちらからお借りしました。
ここをマッターホルンゴッタルド鉄道というメーターゲージの私鉄が通っています。ブリークの標高は670mで、フルカ峠の最高所2160mまで48kmで標高差1490mを登り切る、平均勾配が30‰にもなる超ハードな山岳鉄道です。

標準勾配が66.7‰、最急勾配が110‰というとんでもない路線ですが、さすがに110‰勾配を粘着式で走るのは物理的に難しかったためラック式を併用していました。

ここのラック式は日本でおなじみのアプト式です。

この路線はスイス・イタリアを結ぶメインルートだったシンプロン峠とゴッタルド峠を相互に補完する形になっています。

地形的には峠の西側が地中海に注ぐローヌ川水域、東側はチューリッヒ湖経由で北海に注ぐライン川水域で、大陸分水嶺の一つになっています。

グレンギオルスループトンネルを走る氷河特急
 ここは、昔から人の往来が活発な峠だったようです。1915年と比較的早い時期に鉄道が開通しています。

当初は蒸気機関車による運行でしたが1941年に電化されました。

このフルカ峠の西麓はローヌ川の作る氷河谷が極めて深かったため、鉄道を通すにあたって2ヶ所ループ線が作られました。

下のループ線はグレンギオルス・ループトンネルという名称で、66.7‰、曲線半径80mの小規模なものです。それでも高低差は40mほどあります。ほぼ全線がトンネル内ですが、トンネルを出たところで谷側を一望できます。

こちらからお借りしました

  • U字谷をループ線の最終形態で乗り越えろ
ここの見どころは上のループ線、グレッチ・ループトンネルです。

なんと、勾配が110‰のラック式併用区間に作られています。ラック式とループ線を同時に併用して斜面を克服したのは世界でもここだけです。逆に言うと、普通は鉄道敷設を諦めるべき地形だということでしょう。

U字谷の最奥部にループ線があります。
右上の崖の高い木の根元あたりにトンネルの出口があります。


そのため、曲線半径90m全長600mほどの小規模なループ線にもかかわらず、高低差は70mにもなっています。

以前はこの二つのループ線は直通列車が走っていたのですが、上の方のラック式を含む峠越え区間は冬は豪雪の難所でした。そのため冬期間中は電化区間にもかかわらず架線を外し、鉄橋もすべて収容して運休となっていました。

さすがにこれでは輸送需要をまかないきれなかったため1982年にこの区間をバイパスする全長15kmのフルカベーストンネルが建設され、上のループ線グレッチ・ループトンネルを含む峠越え区間は廃止されました。

ところがこの氷河を望む峠越え区間の景勝を惜しむ声が強く、2000年にはグレッチ以東が、2010年にはループ線を含む全区間が観光列車として再建されています。 ただし電化は復元されず、蒸気機関車での運行になっています。

再建された時に、この観光列車区間だけは別会社となったため、現在はグレンギオルス・ループトンネルとグレッチループトンネルを一乗車で連続走行する列車はありません。

  • 手軽に楽しめるスイスのループ線
現在、このグレッチ・ループトンネルを含む観光列車区間は6月後半~9月の3ヶ月強の間だけ、1日1往復~3往復の列車が運転されています。


下のループ線グレンギオルス・ループトンネルは、現在でもマッターホルンゴッダルド鉄道の一区間として地域間輸送の役割を担っており、1日に氷河特急を4往復を含む23往復の列車が走っています。日中はほぼ1時間に1往復の列車が走るので、乗るのは簡単です。

フルカベーストンネルの開通前はレーティッシュ鉄道ベルニナ線に直通してティラノまで行く氷河特急があり、ベルニナ線で1ヵ所、アルブラ線で4ヵ所、フルカ峠で2ヶ所の計7か所のループ線を1日で走破できるというループ線マニアには夢のような列車が走っていました。おそらく一列車でのループ線最多通過列車だったと思います。

先に述べたとおり、フルカ峠の上のループ線は観光列車専用ですので、現在では氷河特急に乗っても最大6ヶ所しかループ線を走破できません。

しかも2018年夏ダイヤではベルニナ線直通列車は運休になっており、アルブラ線経由でサンモリッツが終点ですので、ベルニナ線のブルージオスパイラルまで直通していないため最大で5ヶ所です。


いずれにしても1泊もすればスイスのループ線はあらかた走破できます。さすがループ線大国ですね。





あっと言う間に2か月も更新をさぼってしまいました。
ちょっと反省して次はできるだけ早く更新したいと思います。
次回はアメリカの謎の多いループ線をご紹介します。

2018/07/16

欧州㉗イタリア・地中海鉄道ラゴネグロ線 結局廃止になった地中海鉄道の傑作ループ線

  • 今はなき傑作路線のループ線

今回は、前回に引き続いてイタリアの迷鉄道会社、地中海鉄道MCLの作った3か所のループ線のうちの最後の一つ、ラゴネグロ線のカスペルッチオ・スパイラルをご紹介します。

1977年ループ線周辺を走るサヨナラ列車だそうです。
こちらからお借りしました
このラゴネグロ線は、ほとんどが全通できなかった地中海鉄道会社の路線の中にあって珍しく全線開通した950㎜の鉄道です。

地中海鉄道の概要に関しては前回のエントリをご参照ください。→こちら

起点は前回ご紹介したマルシコ・ヌォヴォ線の起点アテナ・ルカーノから南へ30㎞ほどイタリア国鉄線を走ったところにあるラゴネグロで、標準軌の国鉄線の終点です。

ここから複雑なアップダウンで半島を横断して、イオニア海側の国鉄線のスペッツァーノ・アルバネーゼ駅まで104kmを結んでいました。

この路線は海側から建設が始まり1915年に最初のカストリヴィラッリ駅~スペッツァーノ・アルバネーゼ・テルメ駅間の28㎞が開業しました。

例によって人口の少ない山の中を通る路線で、このカストロヴィラッリはラゴネグロ線沿線で最大の街ですが、それでも人口3万人ほどです。

1929年にはラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業、1931年には残りの峠の区間も開通し、地中海鉄道念願の半島横断がついに実現しました。

ループ線は1929年ラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業した時にカステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅の間に作られました。

曲線半径は上半分が100m、下半分が120m、勾配は地中海鉄道の標準規格でもあった60‰でした。カステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅間の3kmという比較的短い駅間距離で、160mもの高低差を上下しています。


  • 狂ってる?それ、褒め言葉ね
このラゴネグロ線、世界でも二カ所しかないラック式とループ線の両用線区だったことが最大の特色でした。ループ線だけでは高低差を吸収しきれなかったため、ラック式併用の100‰勾配を設けて無理やり乗り切るという荒業を使った地中海鉄道の傑作路線でした。ちなみに残りのもう一箇所のラック式併用ループ線はスイスのフルカ峠です。

ラゴネグロ線の勾配断面図。赤線はラック式区間です。
3カ所にピークのある複雑な上下動をする路線でした。
ループ線は左から右に向かって二つ目の谷に向かう下り坂の途中にありました
ラゴネグロ線には起点のラゴネグロ駅と隣のリベッロ駅間と、終点近くのカッサーノ駅前後に2ヶ所、合計3か所のシュトループ式という簡易な方式のラック式区間が設けられています。

ラゴネグロ駅~リベッロ駅間のラック式区間は85‰勾配の途中に全長200m高さ40mのセッラ陸橋を作って、その陸橋の上をラック式で登るという、現代から見るとかなり「頭おかしいの?」的なルート選定がなされています。

ド派手なセッラ陸橋。もはやオーパーツと言っても過言ではありません
こんな深い谷を直接跨ぐことはしないで、遠巻きするルートにするのが普通でしょう。陸橋でショートカットしたためにかえって勾配がきつくなっているようにも見えます。

建設年代を考えるととんでもなく傑出した土木技術ではありますが、ラック式で最高速度が時速15kmに制限されており、まるで時間短縮にはなっていません。

むしろ谷を遠巻きして30‰ぐらいの勾配にした方が距離が伸びても到達時間は早かったのではないかと思います。

どうも技術力を誇示したかったがためのラック式大規模陸橋ルートだったかのように思えてなりません。プロモーションビデオっぽいものがYouTubeにありました。これは必見です。



  • 創業と守成といずれか難き
ところが、せっかく全通したラゴネグロ線ですが、率直に言ってルート選定に無理があったようです。1952年に地すべりでセッラ陸橋が折れ曲がってしまって不通になってしまいました。

地すべりで折れ曲がったセッラ陸橋
今でもこの状態で放置してあるそうです
日本だと危ないと言って即撤去されそうです

こちらからお借りしました
地すべりと和訳しましたが、数年単位で地面が動く土地隆起に近い Bradyseismという現象だそうです。ほれ見ろ言わんこっちゃない、と突っ込みたくなりますよね。

セッラ陸橋を含む区間はバス代行にして営業は継続されましたが、1970年に今度は海側のラック式区間でエイアノ川にかかる鉄橋が流されてしまい、ここも不通となります。

つまり国鉄線に通じる両端部分がどちらも運転できない状態になってしまいました。

それでも両端区間をバス代行して離れ小島の中間部分だけで頑張って営業を続けていましたが、1978年についにギブアップ。全線廃止となり、この時にループ線も廃止されました。結局全線を通して列車が走っていたのは1931年から1952年までの約20年強だけだったことになります。

  • 我こそは地中海鉄道マニア
さてさて、この地中海鉄道、調べれば調べるほど面白い鉄道会社です。それだけで別のブログが立ち上げられそうな勢いですが、ここでは簡単にこの鉄道会社の特徴を列記してみましょう。いずれも後知恵の結果論の部分もありますが、そこはご容赦ください。

まず、最初に押さえておきたい特徴は「豊富な資金を持っていた」「かなりの高度な土木技術力と車両技術力があった」「需要とは無関係に壮大なイタリア南部路線網構築を夢見ていた」、この3点です。

地中海鉄道の路線図を再掲しておきます
現存しているのは中央上部のポテンツァから
右上のバーリを結ぶ路線だけです
これらの要素が複合して「無理なルート選定を無駄に高い技術力で補った、むしろ補えてしまった」「イタリア半島を横断することばかりに捉われて、都市間の移動需要にはまるで無頓着だった」という点が出てきます。

もともと粘着鉄道で最小曲線半径80m、勾配60‰(しかも連続勾配)は相当無理があるのですが、なぜか地中海鉄道ではこれがスタンダードで、どの線もこの規格で作られています。

ところが大型車は走らせられないし、スピードは上げられないしで第二次大戦以降自動車にまったく対抗できない主要因になってしまいました。その豊富な資金と技術をまっすぐ平坦に線路を敷くことに向けていれば、違った結果になっていたかもしれません。

無理なルート選定は、災害運休が続発したことに繋がりますが、とりあえず部分開業した路線が軒並み赤字路線になってしまったのも、突き詰めるとルート選定の問題と言えそうです。

さらに壮大な鉄道路線網を夢見て何か所も同時に着工した挙句、どこも全通できなかったのもまずかったです。末期は赤字盲腸線ばかりになって保守もままならなかったようです。ただし全通してももともとも需要のないところに引いた低規格な路線ばかりなので、どこかのタイミングで廃止された可能性が高いです。

地中海鉄道は、末期には豊富だった資金も底を付き、ついに1961年に整備不良による脱線転落事故を起こして多数の死者を出し、イタリア政府から事業免許を取り消されるという空前絶後の最後を遂げました。路線はすべてカラブロ・ルカノ鉄道(FCL)という別の民間会社に引き継がれています。

こうして見てみると地中海鉄道はマーケティング的経営学的観点からでは相当ダメな鉄道会社だったと言わざるを得ませんが、地方の一民間鉄道会社が3つもループ線を作ったその技術力・資金力と、ひたすらに半島横断にかけた情熱はむしろ讃えるべきかもしれません。とは言え整備不良で事故を起こして多数の死傷者を出すのはNGですね。

個人的には、この「細けーことはいいんだよ」的なノリでループ線をがんがん作って、もれなく廃止した地中海鉄道、嫌いではなくむしろ大好きです。




ループ線とは関係ありませんが、インフェリオーレ、スペリオーレと聞くと日本語で優等劣等のイメージがあってそんな言葉地名に使っていいのかよ、と思いますが、イタリア語では単に土地の高低を表すものでしかないようです。イタリア国内にインフェリオーレ、スペリオーレを頭に付けた地名がたくさん見つかります。日本語で下カステルッチオ、上カステルッチオと言ってるのと同じ感覚なんでしょうね。

次回は、上で少し触れたスイスのフルカ鉄道のループ線をご紹介します。



2018/06/05

欧州㉖イタリア・地中海鉄道 ブリエンザ&セッラ・ペダーチェ 果たせなかった半島横断

  • 超攻撃的鉄道会社、得意技は無理攻め

今回はイタリアの廃止ループ線を二つまとめてご紹介します。

1900年代初頭に設立された歴史に残る迷鉄道会社「カラブロ・ルカノ間のための地中海鉄道会社」が建設した3か所のループ線のうちの二つです。イタリア語でMCLと略します(Mediterranea=地中海、Calabro-Lucane)。

立派な土木構造物に客車一両のアンバランス
60‰の連続勾配を蒸気機関車で登っていたのは衝撃です(後年はディーゼル化されています)
技術的には超一級です。こちらからお借りしました

この地中海鉄道MCLは、もともとイタリア南部の鉄道路線の資産保有会社でした。実際の鉄道の運行にはタッチしない投資会社のようなものでしょうか。

それが1905年イタリア国鉄が設立された際に、保有するイタリア南部の標準軌路線が国鉄にがっさり買収されて、多額の現金を手にします。

この現金を使ってイタリア南部に壮大な、現代から考えると無謀なローカル鉄道ネットワークを自前で建設することにしました。こうしてイタリア南部の山岳地帯に次々と鉄道路線建設に着手していきます。

地中海鉄道MCLの路線図
黒線は国鉄線、赤線はMCL社線。点線は未成線。
なお、赤線部分も現在は大部分が廃止されています
ところがイタリア南部の半島中央部には標高1500m級の山脈が走っており、東のイオニア海側の沿岸と西のティレニア海側の沿岸を結ぶのはそう簡単ではありません。

比較的線路を通しやすいところには既に標準軌の国鉄線があったので、それ以外の残ったところはどこもドン引きするレベルの険しい山岳地帯ばかりでした。

それにもめげずに地中海鉄道はいくつかの東西連絡線を着工し、そのうち3か所にループ線が作られています。

まず一つ目はマルシコ・ヌオヴォ線のブリエンツア・スパイラルです。

このマルシコ・ヌオヴォ線はカンパーニャ州南端の街アテナから、イオニア海沿岸を目指した950㎜のイタリアンナローゲージ路線です。

途中山脈を何度も横切るドSなルート選定で、鼻息荒く1911年に着工しましたが、第一次世界大戦の影響で開通したのは1931年と、だいぶ工事に時間がかかってしまいました。しかも、起点のアテナ・ルカーノからマルシコ・ヌオヴォまでの30㎞弱だけの部分開業を余儀なくされています。

標高450mのアテナを出るといきなり分水嶺の峠を8kmで400mも上り、そこからループ線を使って標高700mのブリエンツアの街まで下るというダイナミックな路線でした。ループ線部分の勾配は60‰、曲線半径90mという粘着鉄道の限界スペックです。イタリアらしい壮大なアーチ橋を持った、ブリエンツアの街を眼下に一望するとても眺めの良いループ線だったと言われています。

この地形図はループ線の部分がちょっと間違っています
実際は時計回りに下るのが正解。この図では時計回りに上っているように描かれています

  • さすがに攻めすぎだよ
ところが、なかなか挑戦的な計画のマルシコ・ヌオヴォ線だったのですが、沿線人口を全部足しても1万人にもならない山中のローカル盲腸線の行く末は、大方の想像通り「イタリア一の赤字路線」でした。

こちらからお借りしました
ループ線跡のすぐそばに道路橋が作られましたが、廃線跡の構造物は残されました
開業時から旅客列車が1日3往復、貨物列車が週に1往復と惨憺たる運転状況で、1966年に地すべりで不通になったのを機に復旧されることなくさっさと廃止されました。列車の累積運行本数の少なさでかなり上位に来るループ線なんじゃないかと思います。

もともと部分開業ではとても乗客が見込めなかった区間ですが、途中のブリエンツアも終点のマルシコ・ヌオヴォも集落から外れたところに駅を作ったため、地元の人からも「これでは使えん」と言われたそうです。

辛うじて30年間持ったのは第二次世界大戦で被害を受けなかったことと、沿線に小規模な鉱山があったおかげです。ただし鉱山輸送にも取り立てて活躍したという形跡はありません。

現在、線路跡はほとんど道路になっており、ループ線の遺構の側に立派な道路橋が併行して建設されています。




  • 細々と列車が走ることもあるらしい
もう一箇所は長靴のつま先の方、カラブリア州コゼンツァからイオニア海沿岸の工業都市クロトーネを目指したシラーナ線です。


シラーナ線はマルシコ・ヌオヴォ線とほぼ同じ経緯で1910年ごろから工事が始まり、少しずつ東に向かって延伸していきました。ループ線区間の開通は1922年です。

ループ線は標高200mのコセンツァから15kmの標高600mのセッラ・ペダーチェに作られました。ここまでで既に400mも登っていますが、このあと標高1400mまで登る本格山岳路線です。アルプス沿いの山岳地帯を差し置いて、イタリア国内最高所の鉄道路線だそうです。

950㎜ゲージである点もマルシコ・ヌオヴォ線と同じです。イオニア海側の路線も1930年に残り30kmのところまで開通していましたが、最後に残った区間は結局着工されませんでした。

マルシコ・ヌオヴォ線と違った点は、中規模の集落を縫いながらサンジョヴァンニ・イン・フィオーレを結んでいたため、盲腸線ではありましたが2000年代初頭までは比較的順調に運営されていたようです。


ループ線の勾配は33‰、曲線半径100m、高低差約70mとかなりハードなスペックです。残念ながら木立ちに遮られて眺望はほとんどありません。

標高が高いので冬は雪景色になります

このシラーナ線、現在はバスに需要を取られてしまい、一般旅客営業は2010年に廃止されましたが、頂上の近くの一部区間(モッコネ~サンニコラ・シラヴァーナ・マンシオ間約13㎞)で観光鉄道として蒸気機関車が現在も運転されています。詳細は→こちら(トレノ・デラ・シーラ)。


ループ線の部分は観光列車の運転区間外なので、現在は実質廃止状態です。ところが、観光列車の車両を麓のコセンツアで整備することがあり、回送列車を走らせるために線路設備は残してあるそうです。いや、どうせなら営業運転してよ、と思いますが。

また、せっかくだからサンジョヴァンニ・イン・フィオーレまでの全区間にシーラ・エクスプレスという名前の展望列車を走らせたらどうかという話が出ていますが(→こちら)、すぐに実現するというわけではなさそうです。



前面展望の動画がありました。→こちら
見事なぐらいに眺望が効かず、ループ線と言われても「はい?」という反応しか返せませんね。2018/7追記


次回は攻める鉄道会社、地中海鉄道MCLのもう一つの廃止ループ線をご紹介します。


2018/05/19

欧州㉕フランス・アゼルグ線クラヴェゾル・ループ ローカル線に残るハイスペックループ線

  • 昔民営、今国営
今回は、フランス国鉄アゼルグ線のリヨンに近い丘陵地帯にあるクラヴェゾル・ループをご紹介します。

フランスは現在の鉄道網はすべて国有で、フランス国鉄SNCFが管理していますが、鉄道黎明期はアメリカと同じ民間資本建設が原則でした。ところが、アメリカと違い、鉄道建設には必ず補助金が支出され、補助金を得た企業が基本的にその地域の鉄道建設を独占するというシステムになっていました。

このやり方でフランスは私企業間の路線建設合戦を回避しながら、民間資本で鉄道路線網を拡張していきます。

最盛期はフランス国内の鉄道路線網の総延長が6万kmに達していました。日本の鉄道がJR私鉄含めて3万キロ弱でフランスの国土面積が日本の1.5倍程度であることを考えると、ものすごい線路の密度だったことが分かります。

ところが、普仏戦争と第一次世界大戦で国営鉄道網を軍需輸送に目一杯使ったドイツ軍にぼこぼこにされ、さらに1930年ごろから自動車の普及が進み、民間経営では限界があるとして、1930年代の後半にすべての鉄道が国営化されます。フランスはやることが極端です。

これ以降フランス国鉄SNCFは路線網の縮小に手を付けていくことになります。現在フランスの鉄道網は約2万9000kmといいますから、鉄道網の半分以上が廃止されたことになります。

  • 「縁の下の力持ち」、それが私の生きる道

さて、フランスの一番の幹線鉄道、パリ・リヨン・マルセイユ線は1856年に開通しています。この路線はヨーロッパで初めて地中海と大西洋を結んだ鉄道で、開通してすぐ輸送容量がひっ迫するほど大繁盛しました。

PLM鉄道は増大する輸送需要に応えようとパリ・リヨン間にバイパス線を建設することにします。こうして建設されたのがアゼルグ線でした。アゼルグ線は平地を選んで東に迂回した既存のパリ・リヨン・マルセイユ線と違い、丘陵地帯をまっすぐ突っ切ってパリリヨン間を最短距離で結び、1900年に開通しました。

このフランス中央部の地中海と大西洋の分水嶺を超えるところに作られたのがクラヴェゾル・ループです。フランス国内では最古の歴史を持つループ線です。勾配は11‰、曲線半径300m、一周4.3kmとかなり大規模ですが、高低差は40mほどと意外と控えめです。

歴史があって眺望も良く規模も大きい割に地味、というのがこのクラヴェゾル・ループの特徴なのですが、もともと主として貨物輸送のバイパス線として建設されたことが大きく影響しています。

アゼルグ線は重量貨物列車の通過を前提に作られており、路線自体がパリ・リヨン間の主要な中規模都市を避けて人口の少ない風光明媚な丘陵地帯を通っています。勾配や曲線半径が当時としては異常に高規格なのもこれが理由です。20‰勾配を許容すればループ線がなくても地形的には十分ルート選定が可能だったと思われますが、あえてループ線を使って11‰勾配に抑えて作ってあります。

尾根をはさんで両側の谷に駅があります。
クラヴェゾルはスタシオン=Stationなので停留所みたいな意味でしょうか。
フランス語ではガールGareの方が大きい駅を意味するそうです
もう一つクラヴェゾル・ループが作られた理由として、Y字型に分かれた谷の両側に駅を作りたかったのではないかと個人的に推測しています。

クラヴェゾル・ループにはサン・ニジエ・ダゼルグ駅とクラヴェゾル駅という二つの駅が作られていますが、両者は駅間距離が1.8㎞しかありません。

クラヴェゾル駅はホーム一本の小駅で列車運転上はなくてもいい駅なのですが、クラヴェゾル駅周辺の集落を無視できなかったのではないかと思います。


  • 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり
もう一点特筆しておくべきことは、このクラヴェゾル・ループ、世界でも珍しい複線路盤のループ線として建設された点です。 山岳ループ線で現存しているのは、スイスのゴッタルド・バーンとレッチュベルグだけです。それがこのフランスの丘陵地帯のほとんど貨物専用の路線にあったことは驚きです。開業時はかなりの交通量を期待されていたことが窺えます。よほどパリ・リヨン・マルセイユ線の輸送逼迫度合いは緊急事態だったのでしょう。

開通当初のクラヴェゾルループ。
驚愕の複線路盤です。こちらからお借りしました

さて、アゼルグ線は開通後順調にバイパス線としての役割を果たして大活躍していたのですが、第二次世界大戦が終わるとパリ・リヨン・マルセイユ線がモータリゼーションの普及で旅客列車が減少した上に、貨物ヤードの整備が進んで線路容量に余裕が出てきました。

そして、1950年代にパリ・リヨン・マルセイユ線が電化されると、貨物列車のほとんどがパリ・リヨン・マルセイユ線経由でまかなえるようになってしまいました。

アゼルグ線はだんだん通過する列車が減り、TGVが開通してパリ・リヨン・マルセイユ線経由の旅客列車がTGV経由になると、とうとう1995年に単線化されてしまいました。貨物列車も2000年代初頭に全廃されており、これはかなりヤバいと思っていましたが、今のところなんとか土俵際で踏みとどまりつつ現在を迎えています。

2018年5月現在、平日1日4往復、土休日2往復のディーゼルカーがこのループ線を走っています。なお、2018年5月は「ストライキ期間特別ダイヤ」で大減便されているそうなので、近々に現地に行ってみようかなという方はご注意ください。

アゼルグ線の見どころミュシー・ス・デュンの大陸橋 Viaduc de Mussy-sous-Dun
このあたりはボジョレーワインの産地だそうです。
フランス国鉄SNCFは、注意してみてみると割と冷酷に地方路線を切り捨てる傾向にあります。

アゼルグ線もかなり危ない状況だったのですが、脱自動車という近年の環境意識の変化の流れでいきなり廃止になる危険性はだいぶ緩和されているようです。

さらに、パリ・リヨン・マルセイユ線や高速道路に何か事故があったら物流ルートをアゼルグ線に迂回させるというリスク管理の考え方を行政側が示しており、アゼルグ線は当面の廃止の危機は脱した模様です。

南フランスの美しい丘陵地帯を行くアゼルグ線、今でこそローカル線風情満載ですが、幹線規格の残る今でも有事に備えるスーパーサブ路線なのです。TGVを駆使すればパリから日帰りもできなくはないところですので、一度訪れてみたいですね。





次回はイタリアの廃止ループ線を二つまとめてご紹介します。

2018/02/15

欧州㉔スペイン ア・コルーニャ線ラ・グランハ・スパイラル 異色の巨大スパイラル

  • 情熱の大輪ループ線
今回はスペイン北西部、ポルトガルとの国境付近にある異色のループ線をご紹介します。

ピレネー山脈よりも南のイベリア半島はいわゆるヨーロッパとは気候も雰囲気も大きく異なります。歴史上イスラム教の影響下にもあったこともあります。

1910年ごろのスペインの鉄道路線図
ループ線は図中央のレオンから海沿いのアコルーニャに向かうオレンジ色の線上にあります
図中の黒い線はメーターゲージの路線です。
スペインの国土は海岸部は断崖で内陸部は標高500m~1000mの台地となっています。従って海岸部から内陸に向かう際には必ず山を登る必要がありました。フライパンを裏返したような地形と言えばだいたい合っていると思います。

さて、一時期は世界征服も夢ではなかったスペイン帝国ですが、17世紀に入るとイギリスに海上での争いで負けて没落してしまいきます。18世紀には王朝が途絶えたり、ナポレオンのフランスに占領されたり、アメリカと戦争してぼこぼこにされたり、まさに踏んだり蹴ったりの100年間を経験します。

鉄道もヨーロッパ諸国が1848年にバルセロナで開通したのが最初で、他のヨーロッパ諸国と比べると10年~20年程度遅れていました。

それでも1850年代には鉄道投資熱の高まりに乗って各地に鉄道が建設されており、急速に路線網拡大していっています。

そんな中でどうしても海岸沿いに出るところで急勾配になる地形的制約に苦しめられることになります。イベリアゲージと言われる1668mmのブロードゲージは山間部の路線建設にひどく難航し、標準軌を採用しなかったことを当時のスペインの鉄道技術者は随分後悔したそうです。スペインでは海岸沿いを中心に1000mmのナローゲージ路線が残っているのは山間部のブロードゲージ路線建設を諦めてナローゲージ路線を敷設した名残です。

このア・コルーニャ線も内陸側からはブラニュエラスまでが1868年に、海岸側からはルーゴまでが1875年に開通していましたが、ループ線を含む部分の開通は1883年のことになります。この間、列車はブラニュエラス止まりで「coachでルーゴまでの約50kmを連絡していた」そうです。ここでいうcoachはバスではなく文字通り馬車だろうと思います。ヨーロッパではゴッタルドバーンに次ぐトップクラスの歴史の古いループ線でもあります。

もともと海洋国家だったスペインは海岸沿いに有力都市が多くあり、王室のあったマドリードと海岸沿いを結ぶ路線はどこも重要路線だったと言えます。ア・コルーニャ線もそのような海岸沿いの有力都市と首都を結ぶ幹線と位置付けられています。

  • いまだ色あせない往年の世界一
さて、このループ線、最初からブロードゲージの幹線規格で作られていました。山の尾根をダイナミックに使った壮大なループ線です。

輪の大きさは一周5.8kmあり、1883年の開通から2004年に中国の水柏線の3重ループ線が開通するまで実に120年間、世界最大のタイトルを保持していました。曲線半径は最小280m、勾配は20‰、輪の大きさを目一杯使ってトータル220mの高低差を登ります。建設時期を考えるとかなりの高規格と言えるでしょう。



あまりにも輪が大きいのでループ線ぽい写真は撮りづらいようです
ループ線の向き(写真では右巻き)とは逆の左カーブである点も注目
あまりにも輪が大きかったので、ループ区間中にも直線がふんだんにあり、なかなかループしている感覚が掴みづらいという特徴があります。さらに、ループとは反対方向に曲がる逆向きの曲線まである点がマニア的には要チェックです。

この「ループ線の途中に、ループとは逆向きの曲線のあるループ線」というのはあまり他に思い当たりません。世界唯一とは断言しにくいのですが、かなり珍しいものだと思います。

レオン側から来ると台地の上のブラニュエラス駅を出て山の尾根沿いに進み、5km以上もあるループ区間を通り、トンネル・デル・ラソで自線の下をくぐります。ラソはスペイン語で輪の意味なので、英語に訳すとループトンネルというそのままの名前になります。

また、現在の世界の大輪ループ線を見てみると、1位の韓国のソラントンネルは全区間トンネル内、2位の中国水拍線も全体の3分の2がトンネル内ですが、このグランハ・スパイラルは交差部のトンネル・デル・ラソも含めて比較的短いトンネルばかりです。大きな谷を豪快に見下ろす長いループ線の車窓風景は抜群です。(ちなみに4位はブルガリアのシプカ峠のループ線、ここもあまり車窓には期待できません)

  • 将来不透明ながら、今のところは特急街道
この区間には駅が3か所ありました。ループの途中、山の中腹にあるのがラ・グランハ駅、トンネルエルラーゾのすぐ手前にあったのがラ・シルヴァ信号場、ループトンネルを抜けた後にあるアルバレス信号場です。

ラグランハ駅を通過する特急列車
こちらからお借りしました
幹線の勾配区間とは言え10km弱の間に3か所も駅があるのはさすがに過剰なのですが、ラ・シルヴァ信号場は現在は廃止されている近くの炭坑とを結ぶ軽便鉄道の発着駅だったところだそうです。またアルバレス信号場は開業当初から客扱いをしていません。

ここは現在でも西部ガリシア州と首都マドリードを結ぶ幹線となっており、毎日3往復~5往復の特急列車、2往復のローカル列車、2往復の夜行特急が走っています。

もともと幹線規格の線路をかなり高速で列車が行きかう様子はなかなか迫力があります。一応160km対応らしいですが、動画で見る限りそこまでスピード出ていません。

また、他のヨーロッパ諸国のローカル線同様、ここもローカル列車が思い切り減便されています。



実は現在マドリードからポルトガルとの国境沿いを通って沿岸部を結ぶ標準軌の高速鉄道線が建設中で、そちらが開通すると一気に立場が危うくなる可能性があるので要注意な区間ではあります。




次回は中国のループ線をご紹介します。

2018/01/07

欧州㉓ロシア・北コーカサス鉄道トゥアプセ線 欧亜をまたぐステルスループ線

  • 南を目指すのがロシア人の本能

今回はヨーロッパとアジアの境目、黒海とカスピ海の間を走る北コーカサス鉄道のループ線をご紹介します。

黒海から内陸に直角に曲がっているところがトゥアプセ
ループ線は128という数字の書いてあるあたりにあります
この地図にはまだクラスノダール支線は描かれていません
黒海とカスピ海の間には標高5000mを超えるコーカサス山脈がそびえています。この山脈がヨーロッパとアジアの境目になっており、この山脈よりも北側がヨーロッパ、南側は中央アジアです。

ちょうど4年前、冬季オリンピックが開催されたソチは黒海沿岸にあるロシア共和国の最南部の街ですが、コーカサス山脈よりも南側に位置しているので地理学上はアジアに分類されます。

ソチから黒海沿岸を走っているのが北コーカサス鉄道で、北上するとトゥアプセという町にたどり着きます。最高部で標高5000mを超えるコーカサス山脈もトゥアプセ近辺まで来ると山並みはずっと穏やかになっています。北コーカサス鉄道は標高わずか300mのシャウミヤン峠を越えて内陸に向かい、最終的にはモスクワまでつながっています。この峠越の部分にロシア製のループ線があることはあまり知られていません。

このシャウミヤン峠は高さは大したことありませんが、れっきとしたコーカサス山脈の末端部分でもあります。従ってこのループ線はアジアとヨーロッパをまたいでいることになります。ループ線の南側は黒海水域でアジアに属し、北側はアゾフ海に河口のあるクバン川流域でヨーロッパです。

この北コーカサス鉄道は帝政ロシア時代から旧ソ連時代にかけて怒涛の勢いで建設されて行った鉄道の一部です。ジョージア(旧グルジア)やアゼルバイジャンまでくまなく路線網があり、イランやトルコとも線路が繋がっていたこともあったようです。考えてみたら1991年までは全部旧ソ連領で同じ国内だったんですね。

  • 世界大戦よりも内戦の影響が大きい
帝政ロシア末期の鉄道路線図
さて、このループ線は1912年にトゥアプセ鉄道という民間会社の私営鉄道として開通しました。ぎりぎり帝政ロシアの時代です。

ロシア人が南を目指すのは本能のようなもので、この時代の鉄道建設もすごい勢いでした。1918年のロシア革命でソビエト連邦が成立し、鉄道に限らずすべての民間企業は国有化されました。

トゥアプセ鉄道はモスクワからの鉄道との連絡駅アルマヴィルを越えてスタヴロポリまで線路が続いていましたが、共産革命後の内戦で破壊されてしまい、アルマヴィルよりも東の区間は復旧されずそのまま廃止になっています。

現在はロシア政府100%出資のロシア鉄道北コーカサス支社が運営しています。当ブログでは北コーカサス鉄道と書きましたが、実際はロシア国鉄の一部となっています。

  • さすがロシア製。抜群のステルス性能だ
さて、このループ線は尾根筋を使って高度を稼ぐ形式になっており、3つのトンネルでループ線を構成しています。

トンネルは、下から順にボリショイ・ペトレボイ(大ループ)トンネル、マーリュイ・ペトレボイ(小ループ)トンネル、スレドニー・ペトレボイ(中ループ)トンネルと名前が付いています。

トンネルと木々で視界が効かず、さらにループ線の輪の中央部には山の尾根があって、ループ線を走っていることにとても気が付きにくい構造になっています。

上流のアルマヴィル側からトゥアプセに向かって走って来ると、常に左側が谷になっているので、普通に車窓を眺めているとループ線を通ったことに気が付かないことが多いのではないかと思います。

さらに、勾配12.5‰、曲線半径350m、輪の周囲約3kmとかなり高規格で作られてあって山越えの難所感が少ないことや、自線との交差点がボリショイ・ペトレボイ・トンネルの中にあることも加わって、意図的ではないかと思うほどループ線の存在感を消しています。

欧亜をまたがるという壮大な立地にありますが、ループ線としては非常に地味で目立たないもので、マニアでないと気が付かない極めてステルスなループ線と言えるでしょう。

ループ線全景の写真はいいのが見つかりませんでした
これはインジュク駅付近(上の地図の7番の赤丸あたり)の貨物列車
こちらからお借りしました

また、軌間はロシアン・ブロードゲージの1520mmゲージとなっています。広軌のループ線は世界でも珍しく、パキスタンのカイバル峠、スリランカのデモダーラ、スペイン2ヶ所とここの5カ所にしかありません。

中国の興安嶺ループも開通時は、ロシアンブロードゲージでしたが、満鉄に移管された時に標準軌に改軌されています。

アルマヴィル方面のゴイトフ駅からインジュク駅までトゥアプセに向かってループ線を下る前面展望動画です。
6:50からループ開始、8:15からスレドニー・ペトレボイ・トンネル、最後ボリショイ・ペトレボイ・トンネルを抜けるとすぐインジュク駅です。
なお、この区間1990年代まで蒸気機関車が走っていたそうです

  • 盛り盛りの時刻表を読み解くと・・・
ループ線としては地味極まりない北コーカサス鉄道のループ線ですが、ロシアの南端部と中心部を結ぶ大動脈となっており、旅客列車も貨物列車もばんばん走っています。

時刻表には急行列車だけで1日16往復も記載されていますが、さすがにこれは盛った数字で、同じ日に全列車が運転されることはありません。ほとんどの列車が隔日運転もしくは週2回の運転なので、1日あたりでは多い日でも6~7往復程度です。貨物列車が1日40往復とか書いてある資料がありましたが、これも盛り盛りの数字でしょうね。

トゥアプセ以南は黒海沿岸の素晴らしいコーストラインを走ります
こちらからお借りしました

急行列車は主にジョージアとの国境の駅アドレルからソチを通って、ロシア内陸部のノヴォシビルスクやモスクワ方面に3日間かけて走る豪華長距離列車です。

その他に平日だけ運転される都市近郊列車が2~3往復あります。また夏のシーズン中はこれに臨時列車が加わるそうです。

ところで、ループ線の手前で分岐して左上へ向かう路線が地図で見えると思います。

この路線は、トゥアプセと中心工業都市クラスノダールを結ぶ短絡線で、1978年に建設されました。こちらの方が現在は本線ぽくなっており、旅客列車は1日最大で23往復運転されています。例によって盛ってある数字ですので普段は15往復程度でしょうか。この中にはアドレルから国境を越えてジョージアのスフミまで行く国際列車もあります。

このクラスノダール短絡線はループ線のすぐ下を通っており、ループ線通過中の車窓から見ることができるそうです。ちょうど鳩原ループから小浜線が見えるような感じでしょうか。上のYouTubeの動画の9:00あたりで並走しているはずですが、動画ではちょっと判別できません。




いつもループ線マニアをご覧いただきありがとうございます。

遅ればせながら今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

次回はブロードゲージ・ループ線の残る二つのうちの一つ、スペインのループ線をご紹介いたします。





2017/10/10

欧州㉖フランス ソンポール峠線セイエルストンネル もうすぐ復活!?悲運の事故廃止ループ


  • ピレネーの巡礼街道を行く国際ローカル線

今回はフランスとスペインの国境地帯ピレネー山脈の廃線ループ線をご紹介します。

ソンポール峠の路線図
現在ベドゥ―~カンフラン間33.2kmは列車が走っていません
フランスとスペインの国境を越える鉄道路線は4ヵ所作られました。大西洋線(仏:アンダイエ~西:イルン1864年)、地中海線(仏:セルベール~西:ポルトボウ1878年)、ピレネー東線(仏:ラトゥールカロル~西:プッチサルダ―1929年)と今回ご紹介するソンポール峠線(仏:ルフォール・ジュ・ダベル~西:カンフラン1928年)の4ヵ所です。

なお、2013年地中海線に標準軌の高速新線が開通し、フランスからTGVの直通列車の運転が始まりました。これを含めると仏西間の国際鉄道路線は現在5ヶ所となっています。

スペイン国内はイベリアンゲージと呼ばれる1668mmの広軌、フランス国内は標準軌です。鉄道創設期にフランスからの侵略を恐れたスペイン側がわざとフランスとは異なるゲージを採用したと伝えられています。スペインは大航海時代に覇権を築いた当時の列強の一画で、仏西間の国際鉄道は思ったよりもずっと早い1860年代から幹線として活躍していました。


  • 国境を越える線路にあった決まり事

仏西間の国際鉄道はちょっと面白い運転形態を取っていました。フランスの列車は国境を越えたスペインの最初の駅まで運転して、乗客も荷物も全部降ろした後、空車回送でフランス最後の駅まで戻ります。スペインの列車も同様に、フランスの最初の駅まで行って回送で一駅戻っていました。

ですので、国境を越える部分はどこも広軌と標準軌の線路が別々に引かれた単線並列の形になっています。現在ではフリーゲージトレインを使った直通特急も走っています。

ところが、このソンポール峠だけは原則と異なり、スペイン国内のカンフラン駅で双方が折り返す形となっています。国境にある全長7800mのソンポールトンネルが標準軌規格で、スペインの広軌の車両が通れなかったためです。さすがにこの長大トンネルを両国の規格で1本ずつ掘るのは経済的に無駄が多く、三線軌条にするには軌間差が少なすぎたということなのでしょう。

ただし、ソンポールトンネルのフランス側に、ル・フォール・ジュダベルという信号場がありますが、信号場~国境間と国境~カンフラン駅間がぴったり同じ距離であることから見ると、原則通りお互いに国境を越えて一駅間だけ乗り入れる形態を検討していたのではないかと思います。

このル・フォール・ジュダベル信号場跡は現在は周囲に何もない不思議な空間ですが、カンフラン駅のような国際連絡駅を作る意図があったとすれば納得です。なお、この信号場は開通早々に休止されたようです。ひょっとすると当初から信号場としては機能していなかったのかもしれません。

このソンポール峠線は1907年のフランススペイン間の合意で建設が始まり、1912年には国境のソンポールトンネルも開通していました。ところが第一次世界大戦のゴタゴタに巻き込まれて、実際に列車の運行が始まるのは16年も後の1928年になってからでした。

もともとこのソンポール峠への通り道アスプ谷は、エル・カミーノと呼ばれるカトリック教徒の巡礼路で、古くから敬虔なクリスチャンが多数行き交う街道でした。日本のお遍路道のようなものでしょうか。→くわしくはこちら 

わざわざこんな険しい谷に鉄道を敷設しなくても、というのはよそ者の考えなのでしょう。この峠を越えること自体に意味があったようです。

ソンポール峠線は、最急勾配43‰のハードな急勾配を克服するべく最初から電化路線として開業しました。ループ線はフランス側の最後の駅、ユルドス駅と谷の最奥部ル・フォール・ダルジュ信号場の間に作られています。

ループ線部分の大半が全長1792mのセイエルス・ループトンネルになっていて眺望は効きませんが、トンネルを抜けて断崖の上に出てきた時に谷を一望できました。トンネル内の勾配は34‰、曲線半径は270m~300m、標高差はループ線部分だけで70mとかなり大型のループ線で、急勾配であることを除けば国際路線にふさわしい立派な規格の路線でした。

  • 悲劇は突然に

ループ線から谷を一望できたようです
こちらからお借りしました。(他にも貴重な写真多数あり)
1970年の早春、峠をカンフランに向かっていた貨物列車が駅の手前で坂を登れなくなってしまいました。

この日は貨物が多く、おまけに機関車の調子が良くなかったため、機関車に備え付けられていた砂撒き装置の砂も全部使いきっていました。

機関士と助手は止まってしまった機関車から下りて、線路の回りの砂を車輪の下にまいていました。

ところが、調子が良くなかったのは実は機関車ではなく変電所の方でした。機関車の出力が上がらなかったのは架線電圧降下を起こしていたためで、停車中に電圧がゼロになって停電してしまいます。

勾配の途中で立ち往生した貨物列車は徐々にブレーキ圧が抜けていき、ついに列車の自重で逆走し始めてしまいました。こうなると機関士たちにできることは何もありません。トウモロコシを満載した貨物列車は5km逆走して時速100㎞を越えるスピードでエスタンゲ鉄橋に激突し、大破してしまいました。

幸いけが人は出ませんでしたが、フランス国鉄SNCFは多額の費用がかかるからと早々に復旧を諦めてしまいます。ソンポール線のベドゥ~カンフラン間はあっさり廃止とされてしまいました。

災害で廃止になった鉄道路線は歴史上まで多数存在しています。岩泉線とか高千穂鉄道など近年の日本でもいくつか実例があります。

ところがこれは災害ではなく事故で、しかも鉄道事業者の責任事故です。それなのに早々に復旧を放棄してしまうのはちょっと不可解な感じもします。もとからいずれは廃止したいという意向だったのでしょうか。フランス国鉄は妙に割り切りがいい時があります。かろうじて残ったベドゥまでの区間も1985年には需要減少を理由に廃止になっています。

いずれにしてもカンフラン線のループ線は今のところ世界唯一の「事故で廃止になったループ線」です。あまり褒められた称号ではありません。

ところが、近年環境配慮の機運の高まりで事態が変化します。2008年に平行する国道が地すべりで片側通行になり、とんでもない大渋滞を起こしたことから鉄道輸送が再評価されることになりました。廃線区間の線路や橋梁などが比較的よく残っていたこともあり、2016年に修復工事を経てベドゥまで旅客運転が復活しました。ただし電化は復元されませんでした。現在は1日5往復のディーゼルカーが走っています。

ソンポール峠線の復活運動はかなり盛り上がっており、地元自治体の資金援助も受けて2020年までにカンフランまでの全線を復活させると鼻息が荒いです。ループ線が華麗に復活するか、ここ数年が勝負どころです。


  • 山間の国境駅カンフラン

ついでですので、国境を越えたスペイン側の路線にも少し触れておきましょう。

上がフランス側、下がスペイン側です
ソンポール峠線の終点、カンフラン駅(スペイン語ではカンフランク駅)は山間に突如出現する巨大な国際駅で、壮麗な建物とフランスから列車が来なくなった絶妙の廃墟感で一部にカルトな人気スポットとなっています。映画の舞台にもなったそうです。

配線図を見るとスペイン規格の線路がフランスからの列車を包むような形になっています。一応ここからスペイン側は現役で、ハカまで1日2往復ディーゼルカーが走っており、列車で訪れることが可能です。

またこのカンフラン・ハカ線には途中に大きなダブルヘアピンがあります。立体交差していないのでループ線ではありませんが、サンホアン陸橋という特大の陸橋で高度を稼ぐなかなかの鉄道名所です。

ひなびた山間部の巨大な国際駅はインパクト絶大です
駅舎内部は現在鉄道博物館になっているそうです








次回はオーストラリアのループ線をご紹介します。

2017/09/30

欧州㉕ドイツ ヴータッハ・ヴァレー鉄道 観光列車として生き残ったミリタリーループ線


  • 国境沿いを行く"豚のしっぽ"

今回はドイツとスイスの国境沿いのヴータッハ・ヴァレー鉄道にある観光鉄道のループ線をご紹介します。

ヴータッハ・ヴァレー鉄道はドイツ語でヴータッハ・タール・バーンWutachtalbahnと書きます。本ブログでは英語表記のヴータッハ・ヴァレー鉄道と表記することにします。

また、このヴータッハ・ヴァレー鉄道の中間の観光鉄道の部分にはザウ・シュヴェンツレ鉄道という別名があり、ループ線はこの中間部分にあります。

ザウはドイツ語で雌豚、シュヴェンツレは尻尾です。地図上の線路の様子を例えたものなのですが、ザウもシュヴェンツレもあまり品の良い単語ではなく、侮蔑・罵倒のニュアンスがあると辞書で出てきます。もっとも、鉄道の名称に使うぐらいなので外国人が気にするほどのものではないのかもしれません。

ちょっと話がそれますが、これまでもたびたび出てきたドイツ語のBahnという単語は実は女性名詞だそうです。

ドイツ語は豚の雄雌で別の単語を使い分けますが、どうしてオス豚ではなくメス豚の尻尾なのかと思ったら実は鉄道という単語の性に引っ張られたようです。鉄道を意味する単語はフランス語・スペイン語では男性名詞、ドイツ語・イタリア語・ロシア語では女性名詞です。まるで一貫性がないのがすごいです。

さて、ヴータッハヴァレー鉄道はドイツとスイスの国境に沿って走っています。場所によってはスイス国境まで1㎞もありません。

この一帯はちょうどドナウ川とライン川の分水界になっている地域で、南側のライン川流域と北側のドナウ川流域では300m近い高低差があります。

ヴータッハ・ヴァレー鉄道は、高原になっているドナウ川流域から、深い谷底のライン川流域までの約20kmをループ線と4カ所のヘアピンターンで克服しています。


  • 眺めの良きは七難隠す

もともとこのヴータッハヴァレーに鉄道を敷設する計画は1860年代からありました。1870年代になってアルザス・ロレーヌ地方がドイツ領になると、ミュンヘン方面への石炭輸送需要が高まります。一般の物資輸送はスイス経由で行われていましたが、軍需品はスイス国内への持ち込みが禁止されていました。

そのためスイスを通らないドイツ領内で完結する独自の輸送ルートが必要となり、がぜんヴータッハ谷が注目されたのでした。途中の脆弱地形に苦労して工事が一旦挫折しかけていたところを最終的に軍部が強力に介入して1890年にヴータッハヴァレー鉄道を開通させています。


ヴータッハ・バレー鉄道はこのように100%軍事目的に作られた路線で、軍部の意向が強く反映された独特の構造を持っています。勾配は重量輸送を想定して全線10‰、正確には98分の1勾配=10.2‰に抑えてあります。この0.2‰にこだわるあたりがドイツっぽいですよね。

最小曲線半径は300mで、鉄橋がすべて砲台を運搬するために重量物耐荷重設計になっていたり、700mもの長大な待避線を持つ交換駅を設けてあったり、かなりのハイスペックです。全長20km程度のこの区間に交換駅が5か所もあるのもミリタリースペックの名残でしょう。全線に複線化準備工事もなされているそうです。

ヴータッハ・バレー鉄道の中間、現在は観光鉄道になっている部分はライン川の深い谷の絶壁沿いを走り、丘の畑の下を全長1700mのシュトックハルデ・ループトンネルで一周して高度を下げます。ループ線自体はトンネルと断崖に阻まれて眺望が効きませんが、前後の4つのヘアピンターンは丘と谷を見下ろす眺望の良い区間を走ります。

元が軍需路線だったヴータッハヴァレー鉄道は二度の世界大戦中は目論見どおり大活躍しました。ところが戦争が終わり、スイス国内を通過できない軍需物資の輸送需要がなくなると、存在価値が半減してしまいます。全線を走る貨物列車は1955年に廃止され、レールバスと貨物列車の区間便が細々と残るだけになっていましたが、ついに1976年、ヴータッハ・ヴァレー鉄道全線で旅客輸送も廃止されてしまいました。

ところがこの路線の景色の良さは以前より知られており、貨物列車が廃止になったころからすでに観光鉄道としての再生を模索する動きがありました。廃止の翌1977年には早くも廃止区間の一部を使って観光列車の運転が再開されています。ヨーロッパ各国からのアクセスが比較的良かったこともあり、観光鉄道は大成功となりヨーロッパでは一躍有名な鉄道名所となりました。軍事路線として生まれたループ線は眺望の良さのおかげで平和な時代を生き延びることができました。2017年は観光列車運転開始からちょうど40周年に当たっています。公式HPは→こちら


  • 全線に列車が戻った奇跡

現在、観光列車は5月から10月までの間、蒸気機関車牽引の列車が1日2往復4本走っています。なお、繁忙期でも週2日は運休日があるというのんびりした運行スケジュールですので、狙って乗りに行く場合は要注意です。たしか一昨年あたりまでは1日4往復運転して居た日もあったはずですが、いつのまにか列車が減ってます。

エプフェンホーファー大鉄橋。この線の一番の見どころです
運賃は片道16ユーロ(約2100円)、往復22.5ユーロ(約3000円)で、蒸気機関車ではなくディーゼル機関車が牽引する日は少し安くなります。

ヴータッハヴァレー鉄道はしばらくの間、と言っても約30年間になりますが、前後の廃線に挟まれて中間部部分だけが観光鉄道として走っている状態でした。ところが1990年代の後半から地方交通改革の流れが生じ2003年に南部、2004年に北部の旅客列車が復活しました。

北部を走るレールバス。リングツーク(RingZug)という愛称がついています。
今ではライン川沿いのラウフリンゲンからシュヴァルツヴァルトバーンに接続するイメンディンゲンまでの全区間を再び列車で通ることできるようになっています。

この再開区間は一応一般の普通鉄道とされていますが、南部は観光鉄道に合わせたシャトル運転で、観光鉄道が走らない日は全便運休となります。北部は2017年ダイヤでは平日8往復、休日3~4往復のレールバスが走っています。

全線を直通する列車が再開されないのは、中間の観光鉄道部分に残る旧型の腕木信号区間にレールバスが入線できないからとのことです。腕木信号を更新すると今度は蒸気機関車が走れなくなってしまって観光鉄道的にはまずいです。が、そもそも全線を直通する流動が少なく、再開する気もあまりないようです。

しかし30年前に廃止された鉄道路線に、形はどうあれ再度列車が走るようになることがあるのはいいことですよね。日本では路線廃止後に普通鉄道として復活する例は極めて少ないので少しうらやましくもあります。



次回はフランスのループ線をご紹介します。

2017/07/23

欧州㉕フロム鉄道 世界最北のループ線が持つもう一つの世界一

  • あくまで脇役だったループ線
今回は北欧ノルウェーのループ線をご紹介します。

ノルウェーでは首都オスロから十字に幹線鉄道が走っています。そのうち西へ向かうのがベルゲン鉄道です。フロム鉄道はベルゲン鉄道の途中のミュルダール駅から分岐してソグネフィヨルドのそばのフロム駅までを結んでいます。

ノルウェー語のFlåmsbana,Bergensbanaをそのまま和訳してフロム鉄道、ベルゲン鉄道としている旅行ガイド等があって、私鉄の路線のように思えますが、どちらもノルウェー国鉄の一路線です。フロム線、ベルゲン線と書いた方がニュアンス的には実態に近いと思うのですが、公式ページ(→こちら)もフロム鉄道となっているので、当ブログの表記はそれに従っています。ゴッタルドバーンでもそうでしたが、このゲルマン語系のバーンという単語は和訳する時に混乱しやすいですね。

ミュルダールとベルゲンの間は標高1230mのフィンセ峠があります
フロム鉄道はベルゲン鉄道からソグネフィヨルドまでの接続線として計画され、1924年から工事が始まりました。かなりの難工事だったようで、開業したのは第二次大戦中の1941年です。

もともとフィヨルドが発達したノルウェー海岸部は大量輸送と言えば船舶による水運でした。フロム線はソグネフィヨルドの沿岸とオスロを結ぶという観点でルート選定されており、特にフロムの町に何かがあったわけではありません。極論すれば目的地はフロムでなくてもよかったということになります。

フロムの町は現在でも人口350人で、鉄道の開通によって港湾が劇的に発展した形跡もありません。その成り立ちから言って、フロム鉄道はあくまでベルゲン鉄道と水運の補助役でした。

ミュルダール駅の遠景。左奥の傾いたトンネルがフロム鉄道です。
写真はオスロ行の特急列車。こちらからお借りしました

それでも通年通行可能な輸送機関によってフィヨルド沿岸と主要都市が結ばれたのは大きく、旅客列車と貨物列車が1日2往復ずつ走り出しました。

1945年には電化が完成し、電気機関車の牽引に置きかえられます。鉄道は観光需要を掘り起こし、1970年代までは輸送量は右肩上がりだったそうです。

ところが1980年代に入ると観光需要が頭打ちになります。フェリーと接続してフィヨルド沿岸の町への郵便や日用品の物流に使用されていた貨物輸送も徐々に整備された道路輸送に置き換えられて行き、フロム鉄道は経営的にピンチを迎えます。ちょうど電気機関車などの車両が更新時期にさしかかっていたのも大きな負担でした。

この時ノルウェー国鉄はフロム鉄道を観光資源としてPR強化することで乗り切りました。同時にそれまで全国一律だった鉄道料金に割増運賃を設定したのも大きかったようです。現在では年間70万人の観光客を運ぶノルウェーの国家的観光スポットになっています。

  • 氷河地形に真っ向勝負で挑む
さて、フロム鉄道は海抜0mのフロムの町と海抜866mのミュルダール駅間を約20kmで結んでおり、最急勾配55‰、標準勾配28‰のハードな登山鉄道です。

特にU字谷の最奥部にあたるミュルダール駅近辺は四方が切り立った崖にへばりつくルートで、高度を稼ぐために相当苦心した様子がうかがえます。

もともと鉄道が苦手とする氷河地形のU字谷に、正面から挑んだなんともアツい鉄道です。最終的には通常の粘着鉄道となりましたが、当然ラック式も検討したようです。トンネルはほとんど手掘りだそうです。

ループ線の構造も思い切り特殊で、狭い土地にヘアピンターンを5ヶ所無理にはめ込むために、やむなく線路を交差した感じになっています。乗っているだけではループ線と気が付きにくい線形かもしれません。

勾配は上にも書いた通り55‰、曲線半径は130m、高低差はこの区間だけで100mです。最高速度は上りミュルダール行き40km/h、下りフロム行き30km/hで、時刻表をよく見ると下り列車の方が上り列車よりも少しずつ所要時間が長くなっています。

フロム鉄道は世界最高緯度、つまり世界最北のループ線でもあります。

アラスカ鉄道ザ・ループの方が北にあるイメージが個人的にありましたが、調べてみるとぎりぎりフロム鉄道の方が北でした(アラスカ鉄道ザ・ループ:北緯60度39分35秒、フロム鉄道:北緯60度44分36秒)。

北緯60度を超える地域では鉄道路線自体が希少ですが、その中でもループ線の存在はひときわ目立ちます。ちなみにシベリア鉄道の本線は最北部でも北緯58度で、北緯60度を超えるところは走っていません。


  • 値段なりの価値があればそれでいい

現在フロム鉄道は夏季は日中ほぼ毎時1本ずつ1日10往復、冬季は1日4往復の列車が運行されています。以前はオスロから直通の夜行列車が走っていましたが、現在はすべてミュルダール・フロム間の線内往復列車です。

料金はミュルダール・フロム間20km約1時間で片道360クローネ=4800円、往復480クローネ=6300円とかなり割高です。というかこれは世界的に見ても相当高い鉄道運賃だと思います。

ヴァトナハルセン駅。駅に隣接してホテルがあります。
一応ユーレイルパス所持者向けに30%の割引がありますが、逆に言うとユーレイルパスを持っていても別料金を払わなければ乗れないということです。単位乗車時間あたりの料金は日本の新幹線並みのハイリッチな鉄道です。

一般鉄道のループ線としては世界最高の運賃設定だと思います。ちょっと調べきれませんでしたが、観光鉄道を含めてもおそらく世界最高額ではないでしょうか。フィヨルド観光用にバスやフェリーとセットになった周遊券も発売されていますが、日本円で30,000円近い価格設定となっており、正直得なのかどうか判断しづらいです。少なくとも安くはないです。

それでもフロム鉄道はノルウェー観光のド定番コースとなっていて、日本人の旅行記もWEB上に多数見つかりますが、値段が高いという指摘はほとんどありません。現時点で不満が出ていないということは値段なりの価値は認められているということでしょう。

ノルウェーの鉄道路線はフロム鉄道に限らず、海と森と山のコントラストの中を走る風光明媚な路線が多く、一度ゆっくり訪れてみたいところです。







次回は韓国のループ線をご紹介します。