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2016/10/23

欧州⑱ブルガリア国鉄南バルカン線 クリスラループ 英雄の眠る町はずれのループ線


  • 戦後生まれの末っ子幹線

まちなかループ線の最終回はブルガリアの南バルカン線にあるクリスラループをご紹介します。

ブルガリアではナローゲージのアヴラモーヴォループをご紹介しましたが、今回ご紹介する南バルカン線はブルガリアの国土を東西に結ぶ3本ある幹線鉄道の真ん中を通る標準軌路線です。

ブルガリア国鉄路線図
開通年度が入っていますがなぜかドイツ語です
一番南の1号線はセルビアからトルコまで繋がっている国際路線で、オリエント急行も走っていました。1888年までに全通している古い路線です。

バルカン山脈の北を通って黒海に面した港町ヴァルナを目指す2号線も1899年に開通しています。1号線と2号線を補完するために作られたのが3号線で、バルカン山脈の南側を通っているので南バルカン線と呼ばれています。南バルカン線の開通で2号線経由よりも30㎞ほどヴァルナまでの距離が短縮されました。

南バルカン線は東西両方向から工事が進められましたが、ソフィアから130kmほど東にあるコズニッツア峠越え区間の工事が難しく、全通したのは第二次大戦後の1952年と比較的最近の話です。この峠区間にブルガリア最長のコズニッツアトンネルとクリスラ・ループが作られました。この区間が南バルカン線の最後の開通区間です。


  • ブルガリア人にとって無視できない小村

クリスラ・ループには二つ特徴があります。

一つは勾配15‰、曲線半径500mと非常に高規格で作らている点。第3の東西幹線を作るというブルガリア国鉄の意気込みが感じられます。

もう一つは、村落をきれいに避けて線路が引かれている点です。コズニッツア峠のトンネルを抜けてストリャーマ駅から13‰勾配で坂を下ってきた線路は、クリスラの町はずれの丘を村落とは反対の方向に輪を描く形でループし、村落の下をトンネルで抜けて川沿いに出ています。

クリスラの町を包むように線路が引かれています

地形図を見ると、クリスラの村落をまったく無視して別の場所に線路を通すか、あるいは村落を分断する形で中央に線路を貫通させれば、ループ線にする必要なかったのではと思えます。しかしあえて村落の近くに線路を通し、なおかつ村落自体に影響を与えないようにルートを選定した形跡がうかがえます。

1950年代はブルガリアはスターリン主義が幅を利かせていた時代です。民衆の意見など聞かぬ媚びぬ省みぬのバリバリの全体主義共産国家でした。

ところがクリスラは1878年に起こったブルガリア人のオスマントルコに対する反乱の中心となった町の一つでもあり、たかだか人口1500人の小村であっても素通りする訳にはいかなかったのではないかと思われます。クリスラにはこの反乱を記念した歴史博物館があり、反乱のリーダーの像が飾られているそうです。

ループ線が村落を避けて通っているため、クリスラの町から線路が見えるところはあまりありませんが、川をまたぐ石積みのクリスラ大橋は鉄道名所となっています。ループ線の高低差は100mです。


  • 減便中につきご注意を

2016年10月現在、南バルカン線にはブルガスまで直通する特急1往復、快速列車と普通列車が2往復ずつ、区間運転の普通列車1往復の計6往復がループ線区間を通過して行きます。いずれも朝と夕方以降の発着で昼間の列車はありません。

本来はもう少し列車があるようですが、現在は線路改良工事で一時的に列車が減らされているようです。昨年段階では特急4往復、快速と普通が7往復の計11往復あったそうです。

首都ソフィアから2時間ほどですので、ブルガリア観光ついでにソフィアから日帰りで見に行くこともできますが、列車の時間はよく調べて行かないとハマります。

You Tubeに前面展望ビデオがありました。最初の10分間はコズニッツアトンネルの中で、10分27秒にストリャーマ駅、12分40秒ぐらいからループ線を通過します。16分40秒に通過するのがクリスラ大橋です。





まちなかループ線シリーズは今回で終了です。

次回からは連続ループ線シリーズをご紹介していきたいと思います。既にいくつか紹介しているところもありますが、一つの列車が連続してループ線を通るところを紹介していきたいと思います。

まず次回は中国の連続ループ線をご紹介します。






2016/10/16

欧州⑰ドイツ・レンツブルグハイブリッジ 超異色の鉄橋ループ線

  • 船を通すために作った超巨大鉄橋ループ線
まちなかループ線シリーズもラストスパートに入りました。今回はドイツのまちなかループ線を二つご紹介します。今回も山岳鉄道ではありませんが、強烈な存在感を放つ世界でも異色のループ線です。

レンツブルグはシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州にある人口3万人の都市です。ここも中世以降ドイツとデンマークとの間で帰属が揺れた地域でもあります。

シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州はもともと神聖ローマ帝国領でしたが、15世紀ごろからしばらくデンマーク王国の領土となっていました。2度のシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン戦争の結果、ちょうど日本の明治維新と同じ時期に当時のプロイセン領となっています。

第一次世界大戦後に半島の中央部、北部シュレスヴィッヒと言われている地域はデンマーク領に復帰しましたが、南部は住民投票の結果ドイツに残留しています。

さて、ユトラント半島の付け根にはデンマーク領だった1784年にキールとテンニングを結ぶ自然河川を利用したアイダー運河が建設されていました。レンツブルグはそのころから河川港の町として発展していきます。

鉄道の開通も古く、1845年にはノイミュンスターからレンツブルグまでの間でデンマーク系の鉄道会社によって開通しています。この時はまだ運河を越える橋はスイングブリッジ=旋回橋で、船が通るたびにレールを回転させていました。

ところが、1868年に一帯がプロイセン領になると、飛躍的に運河の重要度が高まります。列車が通る暇がなくなるほど船の通行量が増えました。航行距離の短縮に加えて、自国の内水だけで北海とバルト海を行き来できる点が軍事的に極めて重要でした。そこでドイツ帝国は新しい運河を開削します。これが1895年に開通したキール運河です。スエズ運河、パナマ運河と並んで世界3大運河と呼ばれています。

キール運河開通後もしばらくは旋回橋を使っていましたが、軍艦の往来に備えるため運河を拡張することになり、旋回橋を廃止して高い鉄橋で運河をまたぐことにしました。この時、レンツブルグ駅を移転させずに運河をまたぐだけの高さを稼ぐ方法として考え出されたのが、ループ線を使ったレンツブルグハイブリッジです。

こうして鉄橋部の全長2400m、鉄橋部の勾配6.6‰、取付部勾配12‰、高低差60mの全長5.5kmにもなる特大ループ鉄橋が1912年に完成しました。

文章にすると簡単そうですが、100年以上前の話です。よくこんなもの考えついて実際に作ってしまったものです。当時のドイツは恐ろしいですね。

さすがにこれだけの高さと長さの鉄橋だけあって見晴らし抜群、地上からの見た目のインパクトも強烈です。あまりにも上空から目立つため、第二次世界大戦中は鉄橋を守る専用の守備隊が置かれていたそうです。なお、鉄道橋の下に車と人を運ぶゴンドラが付いていて、渡し船のような使い方をする運搬橋という構造になっているそうです。

  • 圧倒的通行量を誇る
レンツブルク・ハイブリッジは現在でも旅客列車がものすごい頻度で走っており、ドイツからデンマークへ向かう重要な大幹線です。

キール・フースム線が日中30分ヘッドで1日41往復、ノイミュンスター・フレンスブルグ線が日中1時間ヘッドで1日21往復あります。

それに加えてハンブルグからノイミュンスター・フレンスブルグ経由でデンマークへ向かう国際特急が1日4往復(うち1往復は夜行のコペンハーゲン直行便)あり、合計で1日66往復132本の列車が行きかいます。 これ以外に貨物列車もあるので、かなりのへヴィートラフィックです。実際に乗車された方のページは→こちら


その他、週末にはミュンヘンまでドイツの南北を縦貫する特急や西部ケルンへの直行特急も運転されています。ハンブルグからレンツブルグまでは約1時間20分です。

旅客列車の運行本数では間違いなく世界一のループ線なのですが、山岳鉄道ではないのでナポリ地下鉄同様参考記録ですね。

列車ダイヤがらみで注目なのはキール~レンツブルグ間のローカル列車です。ローカル便にもかかわらず、始発がレンツブルグ発午前4時29分、金曜日の終電はなんと午前1時53分です。

平日でも午前0時31分まで運転されており、山手線も驚く脅威の運転時間。毎週末が大みそか状態のほとんど終夜運転のノリです。ちなみにキール発レンツブルグ行きは始発が午前3時48分!、金曜日の終電が午前1時08分ともっとすごいことになっています。

運転時間が長い割には朝夕のラッシュ時にも毎時2本ずつしかないのが不思議です。一体この区間の輸送需要はどうなっているんでしょうか。キールもレンツブルグも港町なので深夜にも移動需要があるのでしょうか。ちょっと現地を見てみたくなりますね。キールからレンツブルグまでは約40分です。

You Tubeに前面展望の動画がありました。想像以上の迫力ですが、橋の中央付近ではなぜか徐行していますね。



  • ドイツらしいと言えばドイツらしい連絡線ループ
さてドイツのまちなかループ線、もう一カ所は先ほどからちょろちょろ名前の出ているフレンスブルグにある連絡線です。ここも残念ながら山岳鉄道とは言い難いものですが、間違いなくループ線です。


フレンスブルグはどちらかというと商業港で、第一次大戦以降はドイツ最北端のデンマークとの国境の町となっています。

デンマーク領時代の1854年に作られたフレンスブルグ中央駅は、港のそばに作られた手狭なものでした。開通時はノイミュンスターからの路線だけでしたが、1864年にはデンマーク方面に線路が延長されています。この時に手狭なフレンスブルグ中央駅を避け、南側にフレンスブルグ・ヴァイヒェ駅を作ってそこから分岐する形態としました。

その後、ドイツ領になって続々と路線が増えていきます。1881年にはキールへ向かう路線が、1889年には北海側のリントホルムへ向かう線が開通します。ジェノヴァ港近辺と似たようなごちゃごちゃ状態になっていたのですが、ドイツ人はそういうのが許せなかったのでしょう。第一次世界大戦後の1927年にフレンスブルグ中央駅を移転させて、操車場機能はフレンスブルグ・ヴァイヒェ駅に集約しました。この時にできたのがフレンスブルグ連絡線のループ線です。

フレンスブルグ・フリーデンスヴェーク信号場
左の単線が中央駅からくるループ線
右の複線がヴァイヒェ駅に繋がっています
イタリア人とドイツ人の気質の違いが見えるようで面白いのですが、第一次世界大戦のドイツ敗戦後に作られた点も興味深いです。この時代、ドイツは戦後処理が一段落してハイパーインフレも収まり、相対的安定期と言われる束の間の好況期でした。ちなみにこの時日本では大戦中の好景気の反動と関東大震災による戦後不況の真っただ中でした。

フレンスブルグ連絡線には現在デンマーク方面への特急が1日10往復乗り入れています。このうち6往復はフレンスブルグ中央駅の始発・終着ですので、ループ線全体を通過するためにはハンブルグからのデンマーク直通国際特急4往復(うち1往復は夜行便)に乗らないといけません。

2016年現在、フレンスブルグ市では、デンマーク領内の鉄道路線高速化に合わせてヴァイヒェ駅を改築し、長距離列車は中央駅を通らずにデンマーク方面へ直行させる計画があるそうです。現在の中央駅は近郊列車専用にするようです。確かにそれだけでデンマーク方面へは15分ほど短縮できるので合理的ではあります。今のところ議論の段階ですが、この連絡線ループは将来安泰という訳ではなさそうです。





次回はまちなかループ最終回、ブルガリアのループ線をご紹介します。久しぶりに山岳ループ線です。

2016/09/28

欧州⑯クロアチア・リエカ ブライディッツア・ループトンネル 幹線級の大活躍を誰が予想できたのか

  • 旧帝国港町のループ線
まちなかループ線を紹介してきましたが、今回を入れてあと3つです。山岳鉄道らしくないところが続いてブログタイトルとかけ離れているじゃないかと思われている方もいらっしゃるかもしれませんが、もう少しおつきあいください。

今回はアドリア海の最奥部にある港町、クロアチアのリエカにあるブライディッツア・ループトンネルをご紹介します。


リエカはクロアチア語でそのまま川という意味です。日本にも石川、加古川、大川、白河、川崎、川越など川にちなんだ地名は掃いて捨てるほどありますが、そのものストレートに「川」という地名はありません(たぶん)。なお、リエカの町はイタリア人にはフィウメと呼ばれていますが、これもそのままイタリア語の「川」という単語です。

リエカは中世から港町として栄えており、もとはオーストリア・ハンガリー帝国領でした。帝国領時代はトリエステに次ぐ二番手の港でしたが、ウィーンと並んで帝国の本拠だったハンガリーのブダペスト方面からのアクセスが良く、19世紀中盤以降順調に発展していきました。1865年に東側のザグレブ・リエカ線、1873年に西側のピフカ・リエカ線とかなり早い時期に鉄道が開通しています。

リエカ港で扱われる貨物は主に東のザグレブ・ブダペスト方面へのものが多かったため、いちいち北西側のリエカ中央駅を通るのは面倒だということで、直接本線へ出る連絡線が1900年に建設されました。これがブライディッツア・ループトンネルです。世界のループ線の中でも最古の部類に属する19世紀完成のループ線のうちの一つです。

赤丸は排煙煙突の位置です

この図にはまだスシャク・ペチーネ駅がありません

勾配21‰、曲線半径東側300m、西側280m、高低差は約60m弱で、ループ線の輪の部分の途中で曲率が変化するという、ちょっと変わったというよりも歪んだ形状が特徴です。現在はクロアチア国鉄の運営で、1950年代の中盤に電化されています。

ブライティッツァトンネルの属する連絡線は全長3kmしかありませんが、M603号線と独立した路線番号が付けられています。クロアチアの鉄道線は旧オーストリアハンガリー帝国鉄道線の路線番号制を独自に付番し直して使っており、国際線及び幹線は頭にM、地域主要線には頭にR、ローカル線には頭にLが付きます。ちなみにザグレブ・リエカ線はM202号線、ピフカ・リエカ線はM502号線です。

  • 備えあれば憂いなし
実はブライディッツアトンネルが建設された背景には、微妙に国境問題と民族問題が絡んでいます。

リエカ市街の中央部を流れるリエチナ川よりも南東側は、もともとクロアチア人が多く住むスシャクという別の町でしたが、港湾の発展とともにスシャク地区はリエカの市街地に飲み込まれて一体化して行きました。

旧国境のリエチナ川鉄橋
手前がユーゴ領、奥がイタリア領でした
ちなみにリエカ中央駅よりイタリア側は直流電化
ユーゴ側は交流電化です
しかし、東のザグレブ方面へ向かうために一旦西へ行ってリエカ中央駅で折り返してくるのは、地元の人々には心理的に抵抗があったようです。リエカ中央駅がイタリア人の多い地区にあったのが原因です。

ところが、第一次世界大戦後、トリエステからリエチナ川までは戦勝国となったイタリア領に、スシャク地区は発足したばかりのユーゴスラヴィア領に、それぞれ分割されてしまいます(実はリエカ全体が「フィウメ自由市」として独立宣言した時期もありましたが、これはイタリア軍に鎮圧されています。このあたりの歴史はこちらが詳しいです。)

この国境分断によって、リエカ港はユーゴスラビア唯一の工業港という地位を獲得して、急激に発展していきました。港湾施設はイタリアとユーゴスラビアの共同管理とされていましたが、実際はイタリアが港を使用する機会は少なかったそうです。

このようになってみると、ブライディッツァトンネルが港と行き来するための超重要路線となったのは必然の成り行きでした。イタリア領となってしまったリエカ中央駅を通らないで済むからです。

ただの連絡線が国家的大幹線となったのは先見の明があったからなのか、歴史のいたずらなのか、評価が難しいところですが、今でもM603号線が幹線扱いになっているのはこの名残です。

開通当初、蒸気機関車がトンネル内の上り坂を上り切れなかったり、排煙が不十分で乗務員が窒息したりするトラブルが発生して、旅客の安全上のため旅客営業は実施されませんでしたが、いずれ旅客列車も扱うつもりだったようです。

ところが、一気に物流の大動脈となったため、排煙用煙突を後付けして安全対策を実施したあとも、線路容量的に旅客営業どころではなくなってしまいました。その代わりに本線とブライディッツアトンネルとの分岐点にスシャク・ペチーネ駅が設置されて地域住民の足とされました。この駅は今でも現役で、旅客列車が毎日7往復14本停車します。

スシャク・ぺチーネ駅からリエカ中央駅方面
左が本線、中央がブライディッツァトンネル、右は安全側線です。
左の本線もかなり急勾配です
こちらからお借りしました(クロアチア語)
  • 絶対乗れない方がむしろ諦めがつく
現在もブライティッツァ・トンネルは貨物専用でバリバリの現役ですが、「できるだけ使わないようにしている」そうです。排煙用煙突から列車の走行音がダダ漏れで、騒音問題となっているそうです。現在は電化されていて煙突自体が過去の遺物なのですが、住宅街の真ん中を通るまちなかのループトンネルならではの悲運です。

排煙煙突の一本は公園になっています

ブライディッツアトンネルは開通以来貨物専用なのですが、実は旅客営業がまったくなされなかったわけではないそうです。本線が工事などで通行できない時に、このトンネル経由で旅客列車を迂回運転したことがあるとのことです。

その場合、非電化の併用軌道区間が残るリエカ中央駅から数kmの間を、路面電車のように道路上をゆるゆると走るディーゼル機関車に引かれた国際特急列車が見られたそうです。これはかなりマニア魂を刺激します。


狙って乗ってみたいところですが、そうそう工事運休が生じるものでもなく、事前に日本から察知することも激しく困難で、ほとんどミッション・インポッシブルです。ここを通る旅客列車に乗れたら、かなり自慢してよいのではないかと思います。

港側のトンネルの出口
現在リエカ港のブライディッツア地区では新しいコンテナターミナルが建設されているそうで、それに合わせてブライディッツアトンネルも一部改修が予定されています。

貨物専用で旅客列車が走る見込みは当面ありませんが、クロアチアの物流拠点としてますます重要度が増すものと思われます。

町の真ん中にあるループ線はこれからも活躍が続くでしょう。








マイナーなループ線が続いていますが、次回はちょっと有名なドイツのまちなかループ線をご紹介します。

2016/09/22

欧州⑮イタリア・フランスその他のまちなかループ線 微妙なループ線がもりだくさん

  • 世界一のタイトル保持中、ただし参考記録

さて今回はまちなかにある少し微妙なループ線をまとめてご紹介する番外編です。

まずはナポリ地下鉄1号線。ここは海沿いにあるナポリの中心街から標高180mの山の上にあるヴォメロ地区を目指して坂を登って行く地下鉄です。

環状線になってる地下鉄路線は世界にいくらでもありますが、勾配を登るために作られたガチ勾配用ループ線を持つ地下鉄は世界でここだけです。

イタリアらしい遊び心なのかなと思いきや、最急勾配55‰、軌間1435mm、架線式の本格的な勾配路線なので侮れません。

中心部のMunicipio(=市役所)駅からSalvator Rosa駅までが蛇行しているのは、実はダブルヘアピンの要領で標高を稼ぐためだったりします。

ちなみに今でもヴァンヴィッテリ駅から3方向に向けてケーブルカーが走っており、これが地下鉄開業までは主役の交通機関でした。

こんな地下鉄があるのかと感心すると同時に心配になって世界中の地下鉄の路線図を確認してしまいましたが、勾配用ループ線の地下鉄はここだけでした。現在は西半分だけが開通していますが、将来的には1週つながって環状線になる予定です。

郊外の山の方から海に向かって建設が進められ、ループ線手前のヴァンヴィテッリ駅までは1993年、ループ線区間を通って市街地のダンテ駅までは2002年の開業と比較的新しい路線です。

2013年には長距離列車が発着するナポリ中央駅と連絡するガリバルディ駅まで開業し、名実とものに市民の足となりました。
これはトレド駅。カッコいいです。

地下鉄ですのでループ線からの景色などは到底期待できませんが、各駅は「ナポリ芸術の駅 Le stazioni dell'arte di Napoli」と銘打ってそれぞれ違った現代アートで装飾されており、ちょっとした美術館めぐりのような楽しみ方ができるそうです。

日中は9分間隔で運転されていて、1日の通過本数は平日で109往復218本もあります。

ループ線の旅客列車通過本数世界一ではありますが、あくまで地下鉄ですので、これは参考記録ですよね。

ただし始発が6時20分、終電が23時2分と一般的な日本の地下鉄よりも若干営業時間が短いです。


  • 物流を支える"暫定ループ線"
続いてはジェノバのヴォルトーリ支線 Bretella di Voltoriです。


ジェノヴァは古くからの工業港町で東西の海岸沿い、トリノ・アレッサンドリア、アクイテルメの4方向から鉄道が集まってくる交通の要衝でした。

北のトリノ方面から1853年に鉄道が引かれたのを始めとして、1868年にはサヴォナからピサへの海岸線の鉄道が開通、1894年にはアクイテルメからの路線が開通します。

ジェノヴァジャンクション構想図
左下のVoltri駅から分岐している黒線がヴォルトーリ支線。途中まで複線です。

ところが背後に山が迫っていて平地の少ないジェノヴァは、港湾への貨物輸送が盛んになるにつれて細かい貨物線がどんどん増殖し、収拾が付かなくなってしまいました。

旅客列車も貨物列車もジェノヴァの中心ジェノヴァ中央広場駅Genova Piazza Principeを通らなければならず、何度も入線待ち、出発待ちが必要になって時間ロスが馬鹿にならなくなってきました。

両隣りのジェノヴァ・サンピエール・ダレーナ駅とジェノヴァ・ブリニョーレ駅に大規模な操車場を作ったり、サンピエール・ダレーナ駅をバイパスする短絡線を作ったりしてなんとか100年近くやってきましたが、高速鉄道の時代になりジェノヴァを通過するだけで時間がかかるのではやってられない、と抜本的な遠近分離かつ客貨分離構想が本格化しました。これがジェノヴァ・ジャンクション構想です。

その構想に基づいて作られたのがヴォルトーリ支線です。2006年に第一弾が開通し、サヴォナ方面からアクイテルメ方面へジェノヴァ中心部を通らずに直通できるようになりました。また、ジェノヴァ西部の海岸沿いの発展の契機にもなっているようです。

1950年代のヴォルトーリ駅近辺。
JR西日本の須磨~垂水みたいな雰囲気です
こちらからお借りしました
全部開業するとジェノヴァの街の背後の山の下に大規模な鉄道のインターチェンジが出現することになります。イタリアの高速鉄道TAVもこのジャンクションを走る計画になっており、ゴッタルドトンネルを超えてロッテルダムまでヨーロッパの南北の軸を形成するテルゾヴァリコTerzo Valico(第三回廊)構想の一部にもなっています。かなり壮大なプランで興味深いです。

ヴォルトーリ支線は現在のところ旅客列車はなく、貨物列車のみが運転されています。勾配は16‰だそうですが、トンネル内で複雑に立体交差する計画となっていることから、もう少し急な勾配もあるかもしれません。

ジェノヴァジャンクションは2020年全線開業の予定です。これが完成してしまうと、実はヴォルトーリ支線はただの短絡線になってしまってループ線と言えるかどうか微妙になります。 とりあえず今のところは線形的にループ線に入れておいても問題ないでしょう。


  • パリのまちなかに突如出現する本格派オープンループ

ついでですので、イタリア国内ではありませんが、微妙なまちなかループをあと二つほどご紹介しておきます。

まずはフランスはパリのロワジール・デュ・グランゴデ公園にあるヴィルヌーヴ側線です。

衛星写真で見るとパリのまちなかに見事な盛土のオープンループが出現して一瞬目を疑います。ループ線の輪の中が公園とラグビー場になっているのも珍しく、理解するのに数拍必要になります。

にわかに信じがたいのですが、標準軌で曲線半径260mぐらい、勾配15‰ぐらいの立派な勾配用のループ線です。パリの郊外は意外と起伏があるようですね。ループ線の形状が楽器のホルンに似てるためホルン線Cor de chasseと呼ばれています。



これは乗務員の人が撮影した写真でしょうか
こちらからお借りしました
ヴィルヌーヴ側線はパリの郊外をぐるっと結ぶ環状線グランドサンチュールGrande Ceintre (パリの武蔵野線のようなものでしょうか。)の一部をショートカットするために作られた支線、グランドサンチュール・ストラテジーク線 Grande Ceintre Strategique の側線です。

グランドサンチュールの歴史は武蔵野線よりもずっと古く、1886年の開通です。ただ、支線や側線の開通した時期ははっきりしませんでした。

現在グランドサンチュールのところどころで近郊電車の旅客営業が実施されていますが、ヴィルヴィーヌ側線はいまのところ貨物専用です。

1960年代にオルリ空港の側に作られた世界最大の食品市場ランジス市場に向かう貨物列車が結構な頻度で走っているようです。

形は立派なループ線ですが、まったく山岳鉄道ではないので個人的には少し萌えませんが、パリ観光のついでにちょっと見物できそうです。





  • 夜も眠れなくなる謎の平面ループ

最後は、トルコの東の端、タトワン港の手前にあるループ線。ここはヨーロッパと中東、インドを結ぶ唯一の鉄道路線ですが、途中のヴァン湖で線路は途切れており、その間約120㎞は鉄道連絡船が中継しています。その連絡船航路のヨーロッパ側の港がタトワン港です。


タトワン駅は町の中心の高台にあり、港に向かってスィッチバックする連絡線が作られています。その連絡線の途中に方向転換用の平面ループがあります。平面ループなので当ブログでは本来完全に対象外です。

もともとここを当ブログで紹介するつもりはなかったのですが、この平面ループ線、レイアウトが奇妙すぎて頭から離れません。一見するとループする向きが逆に思えるからです。

この配線ですとループ線を通ると港に戻ってしまいます。船から貨車を引っ張り出して、一旦ループ線を通って向きを変えて推進運転でタトワン駅に行っているのでしょうか。そうするとアンカラ方面に出発する際に機関車が先頭になっています。でもそんなことするならタトワン駅で機関車だけ付け替えた方が簡便だと思うのですが。謎です。



まちなかループ線、イタリア編は今回で終了で、残すところあと3か所。次回はクロアチアのまちなかループ線をご紹介します。

2016/09/15

欧州⑭サンマリノ鉄道 復活を目指す戦火に消えた国民的ループ線

  • ミニ国家の鉄道はオールイタリア製

今回はサンマリノ鉄道のループ線をご紹介します。

サンマリノはイタリアの中央部にポツンとある周囲をイタリアに囲まれた小さな国です。山梨県ぐらいの大きさかな、となんとなくイメージしていたのですが、それよりもはるかに小さく、山手線の内側ぐらいの大きさしかないそうです。


しかしその歴史は古く、日本で言えば室町時代ぐらいにすでに共和制の国家として確立しており、1631年にローマ教皇から正式に独立国家として承認されています。国土は小さいですが9つの地方自治体に区分されています。

イタリア人が住んでいて、イタリア語を話しているけど別の国、という状況はなかなか日本人の国家観からは理解しづらいですね。

サンマリノの国土は大部分が標高749mのティターノ山の山地です。イタリアのリミニからサンマリノまで走っていた鉄道がサンマリノ鉄道です。サンマリノ鉄道と勝手に略していますが、実はFerrovie Concesseと言う独特の建設方式で建設され、ヴェネトエミリア電軌鉄道というイタリアの会社が運営していたイタリアの地方私鉄の一路線でした。開業当初から電化された軌間950mmのイタリアンナローゲージ路線です。

6往復時代の時刻表
ちゃんと一等と二等に分かれているようです
こちらからお借りしました
Ferrovie Concesseとは国が資金を出して鉄道を建設し、民間に付与して運営するというイタリア独特の鉄道路線の建設形態とのことですが、これは上下分離の一種なんでしょうか。

地上設備は国有のまま運営だけを民間会社がやっていたのか、設備ごと文字通り民間に払い下げてしまっていたのかまでは分かりませんでしたが、随分と先進的というか気前のいいスキームです。第一次世界大戦後の戦間期はイタリアではだいぶ景気がよかったようです。

1932年に完成し、当初1日2往復で運転が始まりましたが、すぐに6往復に増便されています。最盛期にはさらに運転本数が増えていたようです。全長32㎞標高差640mを1時間かけて上るタフな登山鉄道でした。

イメージ的には箱根登山鉄道(全長15㎞標高差520m)の勾配を少し緩くしたような感じのものです。サンマリノの国旗と同じ白とスカイブルーのツートンカラーの電車は地元の人に大変愛されていたことが伺えます。


  • 時代が悪かったとしか言いようがない
そんなサンマリノ鉄道ですが、不幸なことに時代はまさに大戦期。第二次世界大戦のさなかに空爆で線路が破壊されて不通になってしまいます。

サンマリノ鉄道は途中のセラヴァッレからと最後が急勾配
最急勾配は50‰を越えます
第二次世界大戦中に線路を爆破するのはだいたいドイツ軍によるものなのですが、ここはイギリス軍の誤爆だったというから救われません。

サンマリノ自体は大戦中、中立を宣言していたのにとんだとばっちりでした。

終戦後すぐ熱烈な鉄道再開運動が展開されましたが、敗戦国となったイタリア資本の民間鉄道だったのが災いしたのでしょうか、遅々として復興は進まないまま21世紀を迎えることとなってしまいました。


現在は車道になっているようです。
これはモンタルボトンネル
さて、サンマリノ鉄道には2カ所ループ線がありました。一カ所は山の中腹のポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネル、もう一カ所は終点のサンマリノ市街地への断崖を貫通するピアッジェ・ループトンネルでした。

ポージョ・ディ・セッラヴァッレ・ループトンネルは20‰勾配で、ピアッジェ・ループトンネルは52‰という超急勾配でした。地形の関係で山の上の方が急勾配になっていたようです。








ピアッジェループトンネル付近の地図
山の南側斜面に回り込む形でループしていました
終点のサンマリノ駅とその一つ手前のボルゴ・マッジョーレ駅間は3.8㎞ですが、標高差が約150mもあり、全線の標高差の4分の1はこの一駅間のものだったというから恐ろしいものがあります。

ちなみにこの二駅間には現在ロープウェイが運転されています。例によって白とスカイブルーのツートンカラーのサンマリノ色ロープウェイで移動することができます。


  • いつか列車が蘇るのを信じて

現在も鉄道再開運動は続いており、鉄道開業80周年にあたる2012年、ついにサンマリノ駅からモンターレトンネルの出口までの800mで復活運転が実施されました。実に休止から68年かけての復活は大したものです。

引き続き再開区間を伸ばして、ボルゴマッジョーレ駅まで結ぶつもりとのことです。これが再開すると当然ループ線も復活するということになるでしょう。これは楽しみです。

ただし、この復活運転は今のところ日にちを限定した試運転程度の運転で、一般の観光客向けには公開されていないようです。ふらっと観光ついでに気軽に乗れるようなものにはまだなっていません。






このサンマリノ鉄道については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも最近紹介されています(→こちら)。

できるだけ見ないようにしてこの記事を書いたのですが、内容がもろかぶりな上に山下さんの方が詳細に解説されています。正直恥ずかしいです・・・。

次回はまちなかループイタリア編からイタリアのまちなかにある訳の分からないループ線をいくつかまとめてご紹介します。

2016/08/31

欧州⑬イタリア・イルノ線フラッテループ 不死鳥のごとく蘇ったループ線

  • 世界的観光地がより取り見取り
今回はイタリアの西側、ナポリから近いサレルノのまちなかループ線をご紹介します。

サレルノはナポリの南、特急で40分ほどのところにある人口13万人の古い港町です。港町ですが工業都市というよりも保養地の性格が強く、ソレント半島、アマルフィ海岸、ヴェスピオ火山、ポンペイ遺跡、パエストゥム神殿と言った超著名な観光地も余裕の日帰り圏内です。どこも1時間から2時間程度で行けるので、その気になれば組み合わせ次第で1日2カ所回れそうでもあります。

左手前の山の裏がループ線です
さて、今回ご紹介するイルノ線は、1866年に開通していた南ティレニア本線を経由してナポリへの物流を担うことを主目的に建設されました。当時サレルノを流れるイルノ川沿いには、急流を利用した水力発電をベースに繊維工業地帯が発展してきていました。

計画自体は1880年ごろからあったようですが、イルノ川渓谷をループ線で登る工事が大変な難工事となり、工期が大幅に遅延してスイス人の技術者が自殺してしまうという悲劇に見舞われています。ループ線部分は1893年に完成し、1902年にはイタリア中央部に向かうアヴェリーノ線のメルカト・サン・セヴェリーノ駅までの18㎞が全通しています。
サレルノ近郊の鉄道路線図
赤線の右側がイルノ線、左側がアヴェリーノ線
青線が南ティレニア本線
現在この路線をまとめてサレルノ循環線Circumsalernitanaとして
直通運行する計画が進んでいます

全通後は当初の目論見と異なって、繊維工業がらみの貨物輸送よりも地元の人の地域旅客輸送に積極的に利用されるようになります。

当初蒸気機関車牽引の客車列車が数往復するだけだったのが、1930年代には早くもディーゼルカーが導入され、1日10往復以上運転されるようになっています。このディーゼルカーはイルノ線全線の18㎞を26分~29分で走っており、この時代としては驚くほど俊足でした。

現代の日本の鉄道と比べてみても、信楽高原鉄道が15㎞を23分~25分、九州の甘木鉄道が14㎞を26分、武豊線が19㎞を32分(列車交換2回分の待ち時間を含む)といずれも当時のイルノ線は負けていないどころか速さで上回ってさえいます。1930年代のイルノ線は、ディゼルカーがかっ飛ぶ最先端のローカル線だったようです。

  • 諦めなければ実現する vs 嘘も百回言えば本当になる

ミヌエットも走っています。こちらからお借りしました
ところが、1960年代になるとモータリゼーションが進み、イルノ線は不採算路線ということで1967年にバス転換されてしまいます。

この時イタリア国鉄は利用者に対して事前に告知せず、ダイヤ改正と称して突然全便をバス転換してしまうという荒業を使ったそうです。今ではちょっと考えられませんね。

当然利用者から猛反発を食らいましたが、イタリア国鉄は「廃止ではない。休止だ」と強弁したそうです。

このまま本当に廃止かと思われたイルノ線が復活したのは、1981年に沿線に大学が移転してきたことがきっかけでした。大学側がイルノ線の再建費用を負担して路線を改修し、見事に復活を遂げています。

休止だ、と強弁していたのが結果的には嘘にはならなかったのですが、休止当初から大学の移転が見込まれていたのかどうか、今となっては分かりません。実際に列車の運行が再開されたのは1990年で、休止されてから23年が経過していました。

現在のところイルノ線は、世界中の廃止ループ線の中で、観光鉄道ではない一般の普通旅客鉄道として復活した唯一の例です。この点は特筆しておく必要があるでしょう。

  • ローカル線なのに高規格の謎
フラッテ駅とフラッテトンネルの入り口
こちらからお借りしました
ループ線はサレルノ駅から3つ目のフラッテ駅を出てすぐ始まります。サレルノ駅からフラッテ駅までは3㎞、列車で10分もかかりません。その気になれば歩いて行くことも可能です。

ループの大部分が全長約2400mのフラッテトンネルElicoidale di fratteの中になっており、眺望はあまり期待できません。勾配は19‰、高低差は約90mです。


注目すべきはフラッテトンネル内の曲線半径が450mもの高規格になっているところです。

20世紀初頭のローカル鉄道とは思えない大幹線級のスペックです。これはトンネルが長くなるのを承知で高低差を稼ぎに行ったものと推測できますが、カーブ・勾配・長大トンネルと3拍子揃った難工事になってしまったのも無理ありません。

1909年開通のカナダのキッキングホース峠のループトンネルがトンネル長を抑えるために曲線半径175mの急カーブを採用したのとは設計思想が真逆ですね。不採算でも廃止にならなかったのはこの規格の高さも関係していそうです。

現在イルノ線は平日18往復、休日7往復の列車が走っています。駅が増えて片道30分から35分程度かかるようになっており、かつてのように韋駄天ディーゼルカーを体験することはできません。これはちょっと残念です。

将来的には電化と合わせて大学構内へ直接乗り入れる新線を建設し、サレルノ近郊電車線(サレルノ・メトロ線。メトロと言っていますが地上線です)と直通する計画もあり、さらに発展が見込めそうです。

だいたい1時間に1本ずつ運転されているイルノ線ですが、大学の休暇期間中に運休したり、授業時間に合わせて2時間ほど列車のない時間があったりといろいろ罠があります。

ナポリからも近いのでふらっと乗りに行って半日で戻ってくることも可能ですが、列車の時間はちゃんと調べて行かないとハマりますので要注意です。

  • おまけ ~ 実現していればすごい名所になっていた幻のループ線
ナポリとサレルノを結ぶ南ティレニア本線は日本で言えば東海道線にあたるイタリア西海岸の超重要幹線です。ところがサレルノの町に入る手前に25‰~30‰の急勾配があり、輸送上のネックになっていました。

1915年ごろの計画図
これは実現してほしかった
1910年代に複線化が完成しましたが、急勾配のせいで思ったほど輸送容量を伸ばせませんでした。さてどうしたものか、と当時の人々が頭を悩ませ、その解決策の一つとして考案されたのが勾配を13‰に抑えた新線の建設でした。

この新線の案が右の図の赤線です。二つのループ線の間に鋭いヘアピンカーブがある豪快なループ線計画です。イルノ線のループ線と対をなす形となっているのも強烈。これが実現していればサレルノはループ線の街として世界に名を轟かせたに違いありません。

新設のループ線はナポリ方面行上り貨物列車専用とし、既存線の下り線は客貨両用、上り線はナポリ方面行旅客列車専用にする計画でした。

これが実現していると、峠の途中のヴィエトリ・スル・マーレ駅では貨物列車は上りも下りも同じ方向(山側)から進入してきて同じ方向に出発していくという風景が見られたはずです。ループ線マニアとしてはこれだけで大興奮できます。





結局、このプランは距離が伸びすぎということで却下されました。この輸送上のネックの解消には1977年、サンタルチア・トンネルという全長10kmの長大トンネルの開通まで60年間待たなければいけませんでした。





次回はまちなかループイタリア編の続き、微妙にイタリアではありませんが、サンマリノ鉄道をご紹介します。



2016/08/18

欧州⑫イタリア・サングリターナ鉄道 サンヴィート・キエティーノ 廃止ループ線も一見の価値あり


  • ひそかなループ線王国イタリア

今回からまちなかループ線シリーズのイタリア編をご紹介していきます。イタリアはまちなかループがたくさんあります。まずは、南イタリアのアドリア海側にあるサングリターナ鉄道サンヴィートのループ線をご紹介します。

サンヴィートチッタ駅
ループ線の途中に駅があります
もともとイタリアはイギリス・ドイツに続く古くからの鉄道国だったのに加えて、国土が山がちだったためループ線が多数作られました。国別の建設されたループ線の数では中国の25か所についで2位です。(イタリア16カ所、スイス12ヵ所。現在の国境線で計算しています)

このうち半分近いループ線が需要減から廃線になっており、現在では列車が走っているのは9ヶ所しかありません。「国別廃止されたループ線の数」で実はイタリアは現在世界一のタイトルを持っています。

本来ループ線は「無理してでも山を越える需要があるところ」に作られるもので、それが廃止になるのはループ線をバイパスする別のルートが開設された場合、というのが多いです。

が、陽気なイタリア人は「こまけーこたあいいんだよ」と作ってしまったのかどうか分かりませんが、結果的に需要減で廃止されたループ線が多いのがイタリアの特徴です。いずれそのような廃止ループもそれぞれご紹介していきます。

ちなみに日本にあった山野線の大川ループは国内唯一の需要減による廃止ループですね。

今回ご紹介するサングリターナ鉄道のサンヴィートのループ線も残念ながら2006年に廃止されていますが、ここはループ線を経由しない新線の開通に伴って廃止されたもので、需要減で廃止されたものではありません。

  • がんばれ、地方私鉄

サングリターナ鉄道はイタリア南部アブルッツォ州に路線を持つ私鉄で、ループ線を含むサンヴィート~カステル・ディ・サングロ間が本線です。 1912年にループ線部分が開業して西に向かって延伸していき、1915年ローマへの交通の要衝だったカステロ・ディ・サングロまで全通しました。

他にオルトーナに向かう支線2009年開業の高規格新線で、今のところ貨物専用だそうです。

もとは950mmのイタリアンナローゲージだったのですが、第二次世界大戦中にドイツに破壊されて戦後しばらく全線運休していました。

1950年代の半ばに再建された際に標準軌に改軌されていますが、戦前よりも低規格で復旧しており、とりあえず動けばいい、という感じだったようです。再建時の列車の最高速度は55km/hに制限されていたとあります。

ところがこの低規格が災いして、1980年代ごろから競争力を失っていきました。オルトーナ支線は1982年に廃止になり、本線も西側約半分のアルキ以遠は観光列車が走るのみとなってしまいました。

それでも2000年代初頭まで細々と列車が走っていたのですが、サンヴィートで接続するイタリア国鉄アドリア線が大規模に線路を付け替えて複線化したのに合わせて、サンヴィートとランチャーノ間にループ線をバイパスする新線が作られました。

この時に旧ルートはループ線ごと廃止になってしまいました。ランチャーノ以遠もついでに列車が走らなくなりましたが、ここは将来的には設備を改修した上で復活させる予定だそうです。

結局サングリターナ鉄道で現在旅客列車が残っているのは、サンヴィートから新線経由でランチャーノまでの一駅約10kmの区間だけになってしまっています。


  • もう列車は来ないけど
さて、このサングリターナ鉄道の本線は、サンヴィート駅を出るといきなり全長6kmの巨大なダブルヘアピンで山登りをしていました。海岸線に対して直角に突き出た尾根の上にある標高150mのサンヴィート・キエティーノの市街地めがけてかなり強引なルートで通過しています。



上側のヘアピンはサンヴィート陸橋Viadotto di San Vitoと呼ばれており、海に向かって張り出した陸橋の上を回る大ヘアピンです。イタリア式の美しいレンガ造りの陸橋は、崖の上にある町の風景と合わさって非常に絵になります。

ダブルヘアピンの最後にループ線があり、ループの途中にあるサンヴィート・チッタ駅を通った後、丘の上の平坦な畑の中をランチャーノに向かっていました。全長6kmにも及ぶ巨大なダブルヘアピンで120mほどの高低差を登ります。

ただしループ線部分だけに限ると、半径110m、全長約800mとかなりコンパクトです。最急勾配は37‰と結構急勾配ですが、これはループ線の3分の1が駅になっていて、その部分は平たんにする必要があったためでしょう。ループ線部分の高低差は約20mです。

どうやらここはサンヴィート・キエティーノの市街地の中心部に近いところに駅を作りたかったために、ループ線でわざわざ少し海側に戻る線形を取ったようです。サンヴィート・チッタ駅のチッタは英語でいうシティで、市街地という意味です。山の尾根に沿った市街地にループ線と駅がある風景は独特のものです。

現地の様子はグーグルのストリートビューで見るとよく分かります。(→こちら)また、YouTubeに現役時代の前面展望ビデオがありました。(2:20あたりからループ線、4:39あたりからサンヴィート陸橋)



 新線はサンヴィート・キエティーノ市街地をまったく素通りしてランチャーノに向かうルートになってしまいましたが、イタリア国鉄サンヴィート駅からバスがおよそ1時間に1本程度走っています。列車が20分かけて上っていたところをバスは5分で走り、しかも町の中心まで乗り入れています。

廃止されて10年になりますが、2016年のグーグル衛星写真ではまだ線路がはっきり残っています。

しかし、目につく記事ではすべて「廃止」となっており、利便性もバスの方が上ですので、列車が復活することはもうなさそうです。

海岸沿いのサンヴィート陸橋Viadotto di San Vitoは歴史的にも視覚的にもインパクトが強いものですが、もはや無用の長物となっています。イタリアに行かれる方がおられましたら、取り壊される前に一度鑑賞しておいて損はないのではないでしょうか。



次回はまちなかループ、イタリア編からサレルノのループ線をご紹介します。

2016/08/11

アジア⑦北朝鮮満浦線満浦大橋取付ループ線 ベールの向こうのまちなかループ線 

  • 大陸を目指した日本人たち
今回はヨーロッパを離れて北朝鮮と中国の国境にあるまちなかループ線をご紹介します。

まちなかループ線はヨーロッパ特有のものと思っていたのですが、今回テーマにするにあたって他地域のループ線をひととおりおさらいしてみたら、意外なところにまちなかループがありました。それが北朝鮮と中国の国境の町、満浦(マンポ)のループ線です。

満浦・集安の地形図。鴨緑江を挟んで北朝鮮側は断崖、中国側は広い河原です。
「百年の鉄道旅行」さんのサイトからお借りしました。→こちら
このループ線は1939年(昭和14年)の開通です。中国側は満州国、北朝鮮側は朝鮮総督府の統治だった時代です。

国境より北側は南満州鉄道(満鉄)の梅集線、南側は朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)の満浦線として建設され、国境の鴨緑江大橋を通じて直通列車も運転されていました。

要するにどちらも日本製ということです。ただし、満鉄と鮮鉄は今の某JR同士のように極めて仲が悪かったようです。

満浦の町は清の時代から中国と朝鮮の国境として重要な町でした。

現在の中朝連絡鉄道。オレンジが丹東・新義州、青が集安・満浦、紫が図們・南陽。
TMRはTrans Manchurian Railway(満州横断鉄道)の略と思います。
TCRはTrans China Railwayでしょうか。
中朝の国境線は大部分が鴨緑江と図們江(豆満江)という二つの大きな川に引かれており、鉄道橋は4か所にありました。

西から順に鴨緑江にかかる丹東・新義州間、上河口・青水間、集安・満浦間の3か所と図們江(豆満江)にかかる図們・南陽間です。

このうち上河口・青水間だけは第二次大戦後1950年の開通です。それ以外の3ヵ所はいずれも日本統治時代の満鉄と朝鮮総督府による満朝連絡運輸のために建設されたものです。

この中でメジャーなのは一番黄海側にある丹東・新義州間で、単に鴨緑江大橋と言った場合はこの橋を指す場合が多いです。

この丹東・新義州間の橋は朝鮮戦争で破壊されるまで複線化されていました。

一番北にある図們・南陽間の橋は、新潟・羅津航路経由により最短距離で東京と旧満州の首都長春を結んだ鉄道路線の途上にあったものです。

ここだけは朝鮮領内も満鉄が運営しましたが、戦後はすっかり寂れてしまい現在は国際列車は走っていないそうです。たまたま東京と長春の直線上にあっただけで、中国にとっても北朝鮮にとっても最辺境の地ですので、それも無理もありません。

日本の上越線は1931年(昭和6年)に開通していますが、実は東京新潟間だけではなく、その先満州を見据えていたものだったことは鉄道史を語る上で頭に入れておくべきかもしれません。なお、羅津・長春間の満鉄線は1933年(昭和8年)に全通しています。



  • ループ線だけでも開放してくれないかなあ
この満浦の町は鴨緑江の川面から40mぐらいの高台にあります。満浦から集安に向かう国境連絡線は、この40mの高低差をループ線を使って乗り越えて、国境を越える満浦鴨緑江大橋に繋がります。駅を出るとすぐループ線です。

超貴重なループ線の状態が分かる写真。列車が崖上に見えます。
トラスの向こうに信号機が見えますが、これが場内信号機でしょうか。
だとしたらここはまちなかどころではない「えきなかループ」ということになります。
現地の鉄道写真家のサイトからお借りしました。→こちら
航空写真からしか見ることができませんが実に興味深い風景です。北朝鮮では鉄道は軍事機密事項だそうで、現地の写真を手に入れるのは夢のまた夢です。幸い中国側から望遠レンズで撮影した写真をいくつかWEB上で見つけることができました。

ループ線は駅と直結した形になっており、曲線半径350m、全長は約2㎞です。高低差は地形図読みで約40mですので、20‰~25‰ぐらいの勾配と推定できます。比較的大きめの曲線半径を取っているのは高低差を稼ぎたかったためでしょう。

またループ線の末端では橋を渡らずに川沿いを西へ向かう貨物支線らしき線路が分岐しています。ここも希少な分岐のあるループ線です。

橋左の建物の向こうが満浦駅のはずです。
写真の緑の客車は中国の車両ですね。
「ぶんしゅう旅日記」さんのサイトからお借りしました。→こちら
さらに特徴的なのはこのループ線は一回転していない「一回転未満ループ」である点です。

東から来て北へ向かう鉄橋に繋がっているので、言うなれば回転角270度の「4分の3回転ループ」ですが、これはかなり希少だと思います。

現在、このループ線には貨客混合列車が1日1往復国境を越えて走っていますが、現地の朝鮮民族専用とのことで、日本人が乗るのはまず無理そうです。

歴史、立地、形状と3拍子揃ったなかなか貴重なループ線ですが、生きている間に自由に乗れるようになるとはちょっと思えません。世界中のループ線マニアが訪れる鉄道名所になりうるポテンシャルを秘めているだけに至極残念です。

北朝鮮が民主化されるなどして気軽に行けるようになったら、真っ先に訪れたいと思っているのですが・・・。



  • おまけ~ 中国梅集線老嶺ループ 忘れ去られた不遇のループ線
この満浦から繋がる中国国鉄(旧満鉄)の梅集線にも超地味なループ線がありますのでついでにご紹介しておきます。

梅集線は鴨緑江から離れるに従って標高が上がっていくのですが、結構な急勾配で、最後はループ線で高度を稼いでいます。これが梅集線老嶺ループです。上記のとおり旧満鉄の建設で1938年(昭和13年)の開通です。つまり、鴨緑江を挟んで岸の両岸にループ線があるということです。

中国ループ線一覧。素晴らしい資料なのですが、梅集線以外にも抜けているループ線がちらほら。

満浦ループと老嶺ループは、周辺の土地から見てかなり低いところを流れる鴨緑江を挟んだ双子ループと見ることもできます。

この梅集線の老嶺ループは、数ある中国国鉄のループ線の中で、知名度の低さで他を圧倒しています。おそらく中国人の鉄道ファンですらここにループ線があることに気が付いていないのではないでしょうか。現地写真もまったく見つかりませんでしたし、中国ループ線一覧にも記載されていません。

「中国人女子学生がこのループ線を設計し、その才能を恐れた日本人が日本に来るよう言ったが、女子学生が拒否したのでループ線完成後に殺してしまった」という噂話レベルの真偽不明なエピソードだけがヒットしてきました。これはさすがに超眉唾です。興味のある方は→こちら(中国語)



あまりにもかわいそうな梅集線老嶺ループですが、一応旅客列車も1日1往復走っており、一般の人が普通に訪れることが可能です(ただし北京から22時間かかります)。中国人の鉄道ファンの方の乗車記が見つかりましたが、ループ線についてはほとんど触れられていません。→こちら(中国語)

次回は再びヨーロッパに戻ってイタリアのまちなかループ線をご紹介します。イタリアはまちなかループの宝庫ですので、まずは南側からご紹介します。