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2017/07/03

アフリカ④南アフリカ・ヴァンレーネン峠 希少なスイッチバックからの改修ループ線

  • 欧州人同士の激しい領土争奪戦
今回は南アフリカ共和国の東部にあるループ線をご紹介します。

南アフリカはアフリカでは最も気候が温暖で、早くからヨーロッパ人の入植が進みました。最初に喜望峰の近くに町を作ったのは1700年ごろオランダ人でしたが、1800年代初頭にイギリス人が進出してケープタウンはイギリス領となりました。この時既に入植してから数世代経過していたオランダ系の住民は、イギリス人に支配されることを嫌って集団移住(グレート・トレック)でアフリカ大陸を北上していきます。

オランダ系の住民はインド洋沿岸の港町ダーバンを中心にナタール共和国を建国しますが、ここはすぐに占領されてイギリス領になってしまいます。

オランダ系住民はさらに北の内陸部に向かって移動し、1850年代の中ごろにオレンジ自由国と現在のヨハネスブルグ一帯のトランスバール共和国を建国します。簡単に言うと原住民そっちのけのオランダとイギリスの領土の取り合いですね。

オランダ系の住民は黒人奴隷を使いながら農牧で地道に暮らしていたのですが、1886年にヨハネスブルグで金鉱が発見されます。すると一気にヒートアップ、有象無象の集まるゴールド・ラッシュがここでも発生します。同時に再びイギリスがオランダ系住民の領土を侵略してくることになります。鉄道が建設されたのもこの金鉱の積み出し用でした。

ところで、南アフリカの東海岸にはドラケンスバーグ山脈という南北約1000㎞にわたる山脈が横たわっており、内陸部へ向かうにはどこかで山脈を越えなければいけません。

現在のヴァンレーネン駅の風景。北海道っぽいです。
ダーバンからヨハネスブルグに向けて、ドラケンスバーグ山脈を越える鉄道が2つのルートで建設されました。そのうちの南側のルート、レソト国境に近い方を通るのが今回ご紹介するヴァンレーネン峠です。

峠と言っても極端な片勾配で、峠の東側は断崖絶壁ですが、西側は国境を越えてナミビアまでほとんど高低差のない標高1600mぐらいの台地になっています。強烈な上り坂はあるが下り坂はほとんどないという変わった地形になっており、英語では"大断崖"Great Escarpmentと呼ばれています。

  • スィッチバックがループ線に大変身
ヴァンレーネン峠の鉄道はナタール政府鉄道Natal Government Railwayによって1892年に開業しました。軌間はケープゲージと呼ばれた日本と同じ1067mmゲージです。

レディースミスから分岐して北西へ行くとヴァンレーネン峠です。
この地図ではまだ三段スィッチバックになっています。
峠の頂上部にヴァンレーネン村ができていましたが、ここまでがナタール植民地=イギリス領でした。峠の西側はオランダ系のオレンジ自由国領だったのですが、国境から先も終点のハリースミスまでナタール政府鉄道が建設しています。敵対している国の領土内まで鉄道を建設してしまうとはイギリス人は大胆ですよね。

ヴァンレーネンは一帯の地主さんの名前で、それがそのまま峠の名称になっています。ちなみにここまで出てきたダーバン、ハリースミス、レディスミス、ヨハネスブルグなどの南アフリカの都市名も、もとは人名だそうです。

三段スィッチバック時代の峠の風景
こちらからお借りしました
当初はトンネル掘削技術がなかったため、標高1700mの峠を3段スィッチバックで越えるルートが採用されました。

このスィッチバックによる峠越え路線は大変見晴らしが良く、一躍遠くヨーロッパまで伝わる鉄道名所となりました。

ところが蒸気機関車での鉱石輸送と逆転運転を伴うスィッチバックとの相性が非常に悪く、輸送量が増えるにつれて使いづらくなっていきます。

1902年のイギリスとオランダ系住民の間で勃発した第二次ボーア戦争の結果、オレンジ自由国・トランスバール共和国両国が実質的にイギリス領に併合されて国際路線ではなくなり、輸送需要も激増していました。

結局、1925年に第一スィッチバックと第三スィッチバックをトンネルで直結し、逆転運転の必要がないように改修されました。三段スィッチバック時代はここに終焉を迎えます。

これも三段スィッチバック時代。
おそらく三段目の写真だと思います。
しかし、この直結トンネルは急曲線かつ33‰の急勾配となり、蒸気機関車にはあまりに過酷でした。最終的には、1963年の電化工事に合わせて延長16㎞、20‰勾配の新線に抜本的に付け替えられました。これが現在のヴァンレーネン峠のループ線です。実はかなり新しいループ線です。曲線半径は280mとそこそこですが、重量鉱石輸送用に強化軌道が敷かれていました。

スィッチバック時代よりもトンネルが増えましたが、依然としてアフリカの大平原を見下ろす絶好の車窓区間となっています。また、旧線はほぼ全区間が道路に転用されています。You Tube に旧線の動画がありました →こちら

付け替え後の新線の風景。軌道状態も良好のようです。
こちらからお借りしました

ループ線マニア的には、やはり「スィッチバックからループ線に付け替えられた」という点が注目ポイントでしょう。

スィッチバックからループ線に付け替えれたのは、世界でここだけ!と言いたかったのですが、2012年に韓国の嶺東線のスィッチバックがソラントンネルのループ線に付替えられており、現在では該当箇所は2ヶ所になっています。ちょっとだけレア度が下がってしまっています。


  • 豪華列車で越えてみたい
現在ヴァンレーネン峠を走る旅客列車はシーズン中に週1往復運転されています。季節が日本と逆ですので2017年6月現在はシーズンオフで運休中です。ショショローザ・メイル社という南アフリカ鉄道公社の子会社が運行している列車で、こちらのページでチェックできます。

ところが2016年シーズンは、残念ながら上下便とも夜間にヴァンレーネン峠を通過するダイヤになっていてループ線見物には使えないものでした。2017年シーズンはどうなるでしょうか。注目です。
※2017年シーズンでは列車自体がなかったことになっています。廃止されちゃったんでしょうか?2017.10.1追記

また、クルーズトレイン専門の鉄道会社ロヴォスレール社のツアーの中に、ヴァンレーネン峠を通るものがいくつかあります。これは最近日本でも走り出した「ななつぼし」や「四季島」といったクルーズトレインのモデルとなった豪華列車ツアーで、南アフリカでは戦前からこのようなクルーズトレインが存在していました。公式ページは→こちら。ちょっと乗ってみたくなりますね。チャーターもできますので、お金さえ払えば確実に豪華列車でループ線を通過できそうです。

南アフリカ、特にヨハネスブルグと言えば世界最悪といわれる治安の悪い都市というイメージがありますが、列車に乗っている限りは安全だそうです。



今回の地図はルートの変遷が分かるように、チェックボックスで年代別に切り替えられるようにしてみました。

次回は中国のループ線をご紹介します。

2016/12/31

アフリカ③ケニア ウガンダ鉄道  絶滅寸前!ブリティッシュアフリカの4連オープンループ


  • 大英帝国の本気を見た

今回はアフリカ大陸のど真ん中にあるウガンダ鉄道のループ線を4つまとめてご紹介します。

ウガンダ鉄道はイギリスがアフリカ植民地経営の柱として建設した鉄道です。ケニアの港町モンバサからケニア領内を通ってウガンダへ向かうメーターゲージの路線です。

ウガンダ鉄道といいつつ、全長の4分の3くらいはケニア国内を走ります。「ウガンダへ向かう鉄道」と考えると分かりやすいでしょうか。

このウガンダ鉄道という名称はケニア・ウガンダの両国がイギリスの植民地時代に「英領東アフリカ」とまとめて呼ばれていた名残です。インド洋に面する港町モンバサからウガンダの西の端、コンゴとの国境近くのカセッセまでその全長は1800kmにもなる長大路線です。

独立後も「東アフリカ鉄道」と一体的に運営されていたあと、国境線を境にケニア国鉄とウガンダ国鉄に分割されました。現在は民営化されてリフトバレー鉄道という南アフリカ資本の民間会社が再び両国鉄をまとめて傘下においていますが、運営はケニアとウガンダのそれぞれの国内で別個になっているようです。

ウガンダ鉄道にはケニア国内のモンバサを出てすぐのところに1ヵ所と中央部に2か所、ウガンダ国内のコンゴ国境近くに1ヵ所の計4か所ループ線があります。連続ループ線というにはいささか距離が離れすぎではありますが、東から順にご紹介します。


  • 余命あとわずか

まずは、モンバサの北20kmのマゼラススパイラル。

マゼラススパイラル。 写真で見ると高低差は10mぐらいですね
ウガンダ鉄道に関しては圧倒的情報量のこちらのサイトからお借りしました。

基本的にこの区間はナイロビに向かって一直線の上り坂です。モンバサの近くの海岸段丘をループ線で上っているステップ地帯の中にある4分の3回転ループです。

曲線半径は175m、高低差ははっきり分かりませんでしたが、写真で見る限り10mぐらいですので勾配は12‰ぐらいでしょうか。

1896年とかなり早い段階で開通しています。

この区間は2016年現在も夜行の旅客列車が走っています。週3往復あったのが最近減便されて週2往復になっています。

数時間単位の遅れや突発運休は日常茶飯事らしいのですが、乗っている限りは比較的快適だそうです。明るい時間帯に確実に通るならナイロビ発モンバサ行に乗るのがよさそうです。

なお、この区間、現在中国資本による標準軌新線が建設中で、Googleの衛星写真にもループ線の左下に工事区間が映っています。

予定通りならば2017年6月に開業とのことです。新線が開業するとおそらくループ線は廃止でしょう。WEB上のニュース写真を見る限りは、とても2017年中に開業できそうには見えませんが、いずれにしても遠くない将来廃止になりそうです。※2017年に開通したそうです。→こちら マダラカ・エクスプレスという新線を走る特急がナイロビ~モンバサ間を1日2往復走り出しています。→こちら 旧線はナイロビ市内の一部区間を除いて廃止になったようです。


このナイロビ・モンバサ間の列車は鉄道旅行愛好家には割とメジャーで、WEB上に乗車記が比較的たくさん見つかります。




  • ホワイトハイランドを駆け上がれ

続いてモンバサから800kmほど、ナイロビから300kmほど北上したところにある2つのループ線を見てみましょう。

個人的に激萌えしたナクル駅の腕木信号機群
こちらからお借りしました
ウガンダ鉄道はナイロビから180km北にあるナクルで左右に分岐します。 左に向かうのは1901年に開通した旧線のキスム線で、当初はキスム港からビクトリア湖上の鉄道連絡船でウガンダ方面へ輸送していました。

ところが当時フランスとアフリカ中央部の領土獲得競争を繰り広げていた大英帝国はこれで満足せず、ウガンダまでの鉄道直結を狙って新線を建設します。これがナクルから右に分岐するウガンダ直通線で、1931年に開通しています。

モンバサからナイロビまで500kmはほぼ一直線の上り坂です。
ナクルから先の峠がウガンダ鉄道の最高所です。

この右に分岐するウガンダ直通線上に設置されたのが、マクタノ・スパイラルとイクエイター・スパイラルです。イクエイタ―・スパイラルEquator Spiralはその名の通り赤道直下にあります。

二つのループ線の間隔は約15kmほどで近接しているのですが、マクタノ・スパイラルは標高2500m、イクエイタ・スパイラルは標高2700mです。

15kmで200mの標高差を登っており、最急勾配は20‰だそうです。この時代のメーターゲージの蒸気機関車にはかなり厳しい連続勾配だったことでしょう。

詳細不明ですが、ループ線付近の車窓らしいです
航空写真で見るとこの二つのループ線は畑の中にあります。アフリカのど真ん中に畑というとちょっと不思議な感じがしますが、標高のおかげで気温がちょうどよく、雨量も豊富なので農耕に適しているそうです。イギリス植民地時代に白人が独占したためホワイトハイランドという別名があります。写真で見ると東南アジアっぽい感じがしますね。

この区間は2000年代の中ごろまで週に1往復程度旅客列車が走っていたそうですが、現在は休止中です。おそらく貨物列車も走っていないものと思われます。

ループ線の他にも細かいヘアピンターンが続いており、何度もターンを繰り返しながら高度を上げて行くハイライト区間だったようです。残念ながら復活の見込みは少なそうです。



  • 廃止したとは言っていない
さて、最後は国境を越えてウガンダの首都カンパラと西の端カセッセを結ぶウガンダ鉄道西部線Uganda Railway Western Extension にあるループ線です。モンバサからは1800km離れたウガンダ鉄道路線の最西端、この先はすぐ旧フランス領のコンゴとの国境です。

開通直後のループ線
Googleの衛星写真と比べると格段に路盤良好です
こちらのサイトからお借りしました。
ここは1956年開通と戦後生まれの随分新しいループ線ですが、1998年には閉鎖されています。

閉鎖というのは微妙な表現ですが、メンテナンスが悪くて列車が走れない状態で放置されたというのが実態のようです。特に首都カンパラ付近では衛星写真にレールが映らないぐらいですので路盤状況は相当悪そうです。

西部線は標高1200mのカンパラからほとんど高低差のない台地を走りますが、最後のカセッセの町を含むジョージ湖からエドワード湖にかけてはアフリカ大地溝帯の一部になっていて、標高1000mと周囲から大きく窪んだ地形となっています。

ここはそのくぼみに向けて坂を下るループ線です。 曲線半径は175m、勾配は12‰です。世界有数の人里離れたループ線であると同時に、世界有数の綺麗な形のオープンループだと思うのですがいかがでしょうか。しかもフルオープンで1回転半しているのがなかなかの高ポイントだと思います。

この西部線はカセッセ近郊の鉱山で採れる銅やコバルトの運搬用に建設されたものです。英領時代は旅客列車がカンパラ・カセッセ間300kmを12時間かけて走っていましたが、独立後のウガンダ国鉄時代は旅客営業の実績はないのではないかと思います。ここは相当短命なループ線ですね。旅客営業の終了時期がはっきり分かりませんが、短命さでサンマリノ鉄道をしのぎそうです。さすがにここのループ線を列車で通ったことのある日本人はいないでしょう。

現在、ウガンダの都市間交通は自動車中心になっており、ここに列車が復活する可能性は残念ながらないでしょう。あるとしたらマニア向けの観光列車ですが、この極限的なアクセスの悪さを考えると絶望的に難しそうです。




  • イギリス流ループ線の共通点とは

以上、ウガンダ鉄道の4カ所のループ線をご紹介しました。どれも非常に魅力的ですが、悲しいかな絶滅寸前です。

実は4つとも丘を巻いて高度を上げるオープンループだという共通点があります。ループの輪の中央に丘があるため、オープンループの割には比較的眺望に恵まれていません。

また、4カ所とも曲線半径175mのカーブという点も共通です。 僻地に建設される鉄道では難しい施工を避けるために可能な限り同じ半径のカーブを使いますが、このウガンダ鉄道ではそれが特に顕著で、あちこちで半径175mカーブばかり出てきます。写真で見る限り緩和曲線が入っているかどうかも怪しいです。まったく緩和曲線なしでは列車が走れませんので、少しは入っているとは思うのですが。

同じアフリカ植民地鉄道でもイタリアの作ったエリトリア鉄道は律儀に緩和曲線を使ってるのが衛星写真からも分かります。これはお国柄なんでしょうかね。なお、この半径175mカーブというのは最小曲線半径のイギリスの規格で、イギリス由来の鉄道路線で良く出てきます。

次回はヨーロッパからブルガリアの連続ループ線をご紹介します。

年末ぎりぎりの更新になってしまいましたが、来年も「ループ線マニア」をよろしくお願いいたします。


2016/06/03

アフリカ②マダガスカル島 世界遺産を狙ってみるべき

  • 島というには大きすぎ

島のループ線シリーズ、今回はアフリカの東にあるマダガスカル島のループ線をご紹介します。

マダガスカル島は南北1200km、東西460kmの大きな島です。本州ですらすっぽり収まるという世界4位の面積を持つ巨大な島です。

マダガスカル島はアフリカの傍にありますが、島の中央部が2000m級の山岳地帯になっていて、さらにインド洋からモンスーンが吹き込むおかげで、特に島の東側で十分な降雨があります。住民の大部分はマレーポリネシア系で、言葉もマレー系の言葉が使われており、一般的なアフリカのイメージよりもむしろ東南アジアに近い雰囲気があるそうです。アフリカに一番近いアジアとも言われており、主要な農作物はなんと稲作だというから驚きです。


島のほぼ中心にある標高1300mの首都アンタナナリヴォは、赤道に近いにもかかわらず一年中過ごしやすい常春の町だそうです。

マダガスカルはかつてフランスの植民地だったため、鉄道もフランス製のメーターゲージで建設されました。植民地時代の1909年に島の東側のブリッカビル(ヴォイビナニー)から首都アンタナナリヴォまで開通しています。ブリッカビルは大きな川沿いの港町でフランス人のブリッカ氏にちなんで付けられた町の名前です。地図によっては現地語のヴォイビナニーと表記されている場合があって混乱しますが、どちらも同じ町です。

1913年にはブリッカビルの北にあるマダガスカル最大の港町トゥアマシーナまで開通しています。このトゥアマシーナも地図によっては現地語でタマターヴェと書いてある場合があります。

アフリカ大陸側ではなくインド洋側に向かって鉄道が敷かれたのは、ヨーロッパの植民地政策の影響でしょう。もしアフリカ大陸の対岸のモザンビークと同じ宗主国になっていたら、今とは違った鉄道路線図になっていた可能性が高いと思います。

  • 丘陵地帯のフルオープン一回転半ループ線

そんなマダガスカルのループ線は、海沿いから高山地帯にある首都へ向かう上り坂の途中にあります。海沿いと高山地帯の間には断崖絶壁の箇所があり、正面から上れなかったため、川の支流に沿って一旦迂回して断崖絶壁を斜めに上って行きます。
断崖を斜めに上っています
この区間の標高差は280m,勾配は20‰です(最急25‰)

衛星写真で見ると、畑と田んぼの混在した丘に見事なフルオープンのループ線が見えます。南から来て一回転半してまた南に向かうというかなり特徴的な形態です。上手に宣伝すれば世界的な鉄道名所になれるぐらいの見事な景観です。

マダガスカルの鉄道は1960年のマダガスカル独立以降はマダガスカル国鉄が運営していましたが、メンテナンス不足と老朽化で1990年ごろには存続が危ぶまれるほど荒廃していました。

そこでベルギーから資本協力を受けて2002年からマダレールという会社に民営化されました。マダガスカル政府も出資しているので正確にいうと第三セクター運営ですね。

民営化後は駅や線路に積極的にメンテナンスを入れて、ずいぶん綺麗になったそうです。関連記事はこちら。実際衛星写真で見ると、路盤がきれいに整備されているのが分かります。

旅客列車も一時絶滅しかけていましたが、現在はかなり復活してきています。ムラマンガ~トアマシーナ間は週1往復、ムラマンガ~アンビラ・レメイトソ間の区間列車が週1往復、支線へ行くムラマンガ~アンバトンドラザカ間の列車が週2往復です。

運賃はムラマンガ~トアマシーナ間で10,000Ar≒600円です。マダレールの公式ページはこちら

ところが肝心のループ線を含むアンタナナリヴォ~ムラマンガ間は、2014年に「安全性に重大な問題が生じた」とのことで旅客列車は再度運休になってしまいました。具体的に何があったのか調べてもわかりませんでしたが、これは痛いです。

  • もう一つの見どころは…

マダレールは一般の旅客列車のほかに、貸し切り列車用のミシュラン製のレールバスを保有しており、運休中の区間以外で現在でも乗ることができます。

このレールバスが実は世界の鉄道車両の中でも珍車中の珍車で、3軸ボギー台車にゴムタイヤという謎の仕様です。


はっきり言ってぶさいくですよね
車輪の騒音を防ぐ目的でゴムタイヤ製にしたのですが、車両重量を支えきれなかったため3軸ボギーにしたという、本末転倒じゃね?と突っ込みたくなる設計です。

しかもよくパンクするためにスペアタイアを積んでいるというから、なんだかいろいろ衝撃的です。

フランスで1930年代後半にぼちぼち使われていたらしいのですが、広まることなく1950年ごろには廃車になっていき、現存しているのは世界中でここだけだそうです。

くわしくはこちら


ループ線と珍レールバスの組み合わせは正直世界遺産狙えるのではないかと思えるのですが、運行されなければどうにもなりません。無事にループ線区間の運転が再開されることを祈りたいですね。

 

島のループ線シリーズも残すところあと2カ所です。
次回はスリランカ・セイロン島のループ線をご紹介します。

2016/02/05

アフリカ①エリトリア国鉄 新しい国の古い鉄道


  •   アフリカの断崖絶壁に挑め

今回はアフリカ大陸からエリトリア国鉄Eritrean Railwayのループ線をご紹介します。

アフリカ大陸には現在判明している限りループ線が8カ所ありますが、そのすべてが植民地時代に宗主国が建設したものです。そのため意外と歴史が古いものばかりなのが特徴です。今回ご紹介するエリトリアという国自体知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、1993年にお隣のエチオピアから独立した平成生まれの新しい国です。

エリトリアはかつてイタリア領で、鉄道もイタリア製の車両が日本よりも一回り小さい950mmゲージの路線を走っています。橋やトンネルといった土木構造物から車両に至るまで、随所にイタリアっぽさが絶妙に残っています。

この950mmゲージは特殊なナローゲージでイタリア本国とアフリカの旧イタリア領にしか見られません。

ちなみに隣接国ではエジプト・スーダンは日本と同じ1067mmゲージ、ケニア・タンザニアはメーターゲージです。ソマリアは同じ旧イタリア領だった関係で950mmゲージの鉄道が走っていましたが、現存していません。

エリトリア国鉄は1887年に紅海に面した港湾都市マッサワから建設が始まり、1911年に首都アスマラまで開通しました。その先もスーダンとの国境を目指して建設が続きましたが、第2次世界大戦後1975年のエチオピアからの独立戦争時に破壊されてしまい現存していません。マッサワ~アスマラ間の約120kmだけが独立後に再建されて2003年に復活しています。

エリトリアの地形は極めて特徴的です。紅海沿岸のマッサワから約70kmの区間は丘陵地帯で、雨が降った時だけ水が流れる涸れ川に沿ったゆるい登り坂(と言っても20‰勾配)ですが、終点のアスマラは標高2400mの断崖絶壁の上です。

最後の20kmネファジット~アスマラ間の標高差は650mにもなり、35‰勾配で一気に登ります。この絶壁の途中にループ線があります。

なお、この絶壁はヴィクトリア湖に続くアフリカ大地溝帯の一部で、エリトリアの国内を南北に縦貫しており、海からエリトリアの内陸部を目指す場合、必ずどこかで絶壁を登らなければいけません。

  • ループ線と言えるのか?

この図では表記されていませんが、実際はTunnel25と
110キロポスト付近で線路同士が交差しています。
実はこのループ線、意図してループ線として建設されたものではありません。できるだけ地形に沿って線路を敷設したらダブルヘアピンの途中で上下の線路が一部交差してしまったというのが真相です。これをループ線と呼ぶかどうかは結構微妙です。

当ブログでは自分自身と立体交差する線路をループ線としており、その定義では間違いなくループ線なのですが、一般的ないわゆるループ線として認めるのは少数派のようです。

2010年代とは思えないのどかさ
こちらのページから拝借しました)
ループ線といえるかどうかは多少微妙ではありますが、崖から伸びる尾根を足掛かりに絶壁を登っていく姿はなかなか見事で、イタリアの鉄道土木の技術力が垣間見えます。

また、この線はSLが現役で走っている路線として世界中のSL趣味者に超有名な存在でもあります。残念ながら定期旅客列車はないようですが、アスマラ~ネファジット間を観光列車が週1本毎週日曜日に走っています。

2010年代に撮影されたとはにわかに信じがたいのどかでレトロな蒸気機関車の写真がWEB上で豊富に見つかります。

  • 鉄道員魂を感じる


とはいえさすがにSL車両はだいたい1940年ごろの製造で老朽化は否めません。補修して使うのにも限界があるので、いずれ車両の置き換えをしていかないとせっかく再建した鉄道も使えなくなってしまわないかちょっと心配です。

全盛期には1日30本の列車が走っていたこと、独立して最初に手掛けたのが廃止から30年も経った鉄道の再開だったこと、古い車両を直しながら使っていることなど、実は現地の人は相当鉄道に思い入れがあるのではないかと思います(→関連記事はこちら)。これからも元気に走り続けてほしいですね。

大規模ループシリーズに入れるにはちょっと規模感が足りませんし、そもそもループ線かどうかすら怪しいのですが、エリトリアの人たちの鉄道にかける思いに免じてということで。



次回は正真正銘大規模な中東イランのループ線をご紹介します。