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2017/04/28

南米③アジア⑩未成のループ線その2 ボリビア ズダニェス・スパイラル&北朝鮮咸北線

  • アンデス山中の知られざるワールドクラスのスパイラル
前回に引き続いて未成・短命ループ線を見て行きます。

今回は南米の素性がよく分からないミステリアスな未成ループ線と、北朝鮮のかろうじて列車が走った記録の残るループ線をご紹介します。

まずは南米ボリビアの中央部、標高2800mの古都スクレから南東に行ったところにあるズダニェス・スパイラルです。

何はともあれ、とりあえず衛星写真のスクリーンショットをご覧ください。なぜか南米地域だけはGoogleよりも解像度が高いBing Mapで見ると分かりやすいです。



衛星写真にこれでもかと言うぐらいはっきり超特大規模のループ線の路盤が映っています。ズダニェスの町から約20㎞南の無人の山の中で、こんなところにこれだけの規模のループ線があるとは一瞬信じられません。路盤を着色すると右のような感じです。駅跡っぽいものも画面右に見えます。

全長8km、高低差250m、中央の山の回りをほぼ2回転するループ線を挟んで前後に5つのヘアピンターンを持つ世界トップクラスの規模です。写真左上に向かってのぼり勾配で、3段になっている崖の縁に沿って高度を上げていきます。勾配は地形図読みで25‰程度です。

ボリビアは東西を結ぶ鉄道路線がありません
道路も少なく、東西連絡は長年の悲願だったそうです

ところが、このループ線、少なくとも現役でないことはすぐ分かるのですが、いつ誰がどのように建設し、そしてどのように廃止になったのか、最初はまったく分かりませんでした。

世界銀行資料より。赤線は当方で追加。原本はこちら
この謎の路盤を衛星写真でたどっていくとタラブコを通ってスクレまで続いています。スクレ・タラブコ・鉄道で検索していると、「スクレ・タラブコ間は1週間に20人しか乗客がおらず、はなはだ不経済なので1973年6月末までに廃止することで合意した」と書いてある資料を見つけました。

スクレ・タラブコ間約80kmが1970年代の初頭まで営業運転を行っていたことはこれで分かりましたが、この時タラブコより先のループ線までの線路がどうなっていたのかというと、これがまたよく分かりません。

赤線は当方で追加
必死に調べてやっと検索に引っかかってきたのが右下の資料です。スペイン語で「1947年ごろタラブコから100kmのチャコリョ Chacolloまで盛土の工事が終わっていたが、50年代に工事が中止された。理由は分からない。」と書いてあります。チャコリョは上の衛星写真よりも少し左にある村の地名です。

ここまで調べてやっとこのループ線が未成線だったことが判明しました。以上の断片的に分かったことを繋ぎ合わせて、当ブログでは次のように推測しています。

1940年代後半にスクレから、タラブコ・ズダニエスを通ってボユイビ間を結ぶボリビア東西横断鉄道の建設が始まりましたが、1950年代にとん挫してしまいました。この段階でズダニエス・スパイラルの少し先まで土木工事が行われており、その痕跡が今も衛星写真に残っているものです。

工事がとん挫した原因はボリビアの政情不安によるものだと思いますが、はっきりしません。完成していたスクレ~タラブコ間ではとりあえず営業運転が始まっていましたが、需要が少なく1973年ごろに廃止になりました。

  • 鉄道建設は完成してこそ価値がある。当たり前なんだけどね 

本当にバスの車体に車輪を付けた車両が走っています
こちらからお借りしました
ボリビアでは、アンデス山脈沿いとアマゾン平原間を結ぶ東西交通の建設が長年の悲願でした。そこに太平洋側との交易を狙ったアルゼンチンの思惑が一致して、アルゼンチン資本で鉄道建設が始まったのだと推測できます。

ところが、政情の安定しないボリビアにアルゼンチンの投資家が逃げてしまい、資金不足で工事が中断してしまった、という感じでしょうか。

ここも完成さえしていれば、ボリビアの最重要幹線になった可能性も大きいのですが、人口の少ない山の中の盲腸線では維持に金がかかるだけで廃止されたのも無理はありません。完成しなかった地域間連絡路線の末路は古今東西どこでも厳しいものです。日本にもいくつも例がありますね。

なお、この路線のスクレ~ポトシの間は現役で、2017年現在でも旅客列車が走っています。列車と言っても単行のレールバスで、週3往復しかありません。日本人の鉄道の感覚でいるといろいろ衝撃的です。詳しく紹介しているページがありましたので一度見てみてください。→こちら
※2017年末時点では運転されていないそうです。廃止なのか休止なのかは不明です。

また、21世紀になってまたボリビア東西鉄道建設が取り沙汰されているようですが、北側のコチャバンバからサンタクルーズに抜けるルートが有力視されており、ズダニエスに線路が復活する見込みはほとんどありません。

書き忘れていましたが、タラブコはブエノスアイレスが河口のラプラタ川流域、ズダニエスはアマゾン川流域で、どちらも最源流部分でもあります。水域マニアが喜ぶ大変川の流れが入り組んだ地域でもあります。

  • 人知れず残る大陸への足跡

さてもう一か所は北朝鮮です。こちらも先に画像をご覧いただいた方がいいでしょう。


拡大地図の表示

清津(チョジン)から中朝国境に向けて約30km行ったところにループ線らしきものが映っています。ループ線の曲線半径は400m、高低差70mほどです。衛星写真で線路をたどっている際に偶然見つけたものなのですが、未成線か工事中の路線かなと思っていました。

昭和9年(1934年)の路線図です。
咸北線は二度目の満鉄委託になっており青線で描かれています
「百年の鉄道旅行」さんのサイトから抜粋でお借りしました。
この路線は咸北(ハムブク)線という路線で、日本統治時代の1916年(大正5年)に北鮮の港と満州連絡のために朝鮮総督府鉄道として開通しました。まだソウル方面からの路線が開通しておらず、離れ小島の路線だったため、運営はまるごと満鉄に委託されました。1928年(昭和3年)にソウル~清津間の咸鏡線が開通して離れ小島は解消され、晴れて鮮鉄直営になります。

この時代、沿線で採れた石炭と水力発電から得られた豊富な電力をもとに清津では重工業が爆発的に成長し、一帯は新潟との間に北鮮航路も開かれて、日本・朝鮮・満州の3つの地域を結ぶ最新の工業地域になっていきました。咸鏡線も超重要な大幹線となります。

ところが、満州事変の勃発により咸鏡線は日満連絡北鮮ルートの重要幹線として再度満鉄に運営委託されます。最終的に満鉄の委託運営がなくなったのは1940年(昭和15年)のことでした。

ここまで調べたところで、このループ線は戦争末期の輸送力増強工事中に敗戦となり、放棄された未成線の残骸かな、と推測していました。

  • プロの記憶は侮れない
それ以上調べる方法もなかったので、未成線と個人的に結論づけていたのですが、それは大きな間違いで、意外なところから正解が見つかりました。それがこちらの文章→「咸北懐記へようこそ」です。一部を引用させていただきます。
 
昭和十六年、古茂山~蒼坪間に石峰信号所が設置された。退避線が出来て、咸鏡線は茂山嶺の峡谷沿いに迂回して、長円を描きながら、石峰信号所の上あたりで、目が回るような高い、しかもカーブのピーヤを渡り、ループ状に峡谷をひとまたぎして、茂山側の山腹を大きく巻いて蒼坪にいたる十五.三キロの一部新線に変わり、勾配率も曲線率も大幅に緩和された。

 それでも、十九年十月一日改正の時刻表によれば、下り三二五列車(図們行)は古茂山~蒼坪の一区間を四十三分運転。(上り三二六列車は二十六分)続く七ッ隧道の蒼坪~全巨里間 五.八キロを二十分運転、たった二駅走るのに一時間以上かかったのだ。如何に急勾配の難所であったか、今の時代では想像も出来ない。直線距離にすれば、つい目と鼻の先指呼の距離である。
この文章は衝撃でした。機関士さんだった方の体験手記ですが、引用部分以外にも当時の朝鮮半島の鉄道の様子だけでなく、大陸に進出した日本人と現地の朝鮮人とのやり取りなどが超リアルに記されています。政治的な話を抜きにして是非ご一読することをお勧めします。この文章にはかなりの学術的価値があると言っても過言ではないと思います。

朝鮮戦争時1950年のアメリカ軍作成の地形図
はっきりとループ線が描かれていて感動しましたが、
この時代は列車は走っていないはずです
テキサス大学地図ライブラリ許諾済み

この「咸北懐記」によりますと「昭和16年」に「退避線のある石峰信号所」ができて、「信号所の上にはループ線がまたいでいた」とのこと。これがまさに上記の写真のループ線で間違いなさそうです。なお、文中に出てくる「ピーヤ」とは橋台のことですが、この文章では高架橋のような意味合いで使われています。

1945年(昭和20年)の敗戦以降の咸北線の足跡は部分的にしか分かりません。清津は昭和20年8月の敗戦直前にソ連軍に占領されており、この時点から朝鮮戦争終了までループ線を含む咸北線の運行は停止していたものと思われます。朝鮮戦争後の1960年代に中国とソ連の援助で復興されたと新聞に書かれています。

どうやら朝鮮戦争後の咸北線復旧時にループ線を経由しない新線を引き直したのが現在の咸北線で(下の地図の黄線)、この時にスィッチバックだった石峰信号所も現在地に移転して通常駅に改修されたのではないかと思います。この時旧線(下の地図の緑色の線)の路盤を一部流用したため線路の遷移が非常に分かりにくくなっています。

衛星写真にも複数の線路跡が写っており、パッと見ただけでは経緯が分かりません。韓国のオンライン辞書では日本式のスィッチバックを知らないからでしょうか、「意味の分からない側線がたくさんある謎の駅」と紹介されています。

この咸北線石峰ループは、昭和16年から20年までの4年間だけ列車が走っていたことになります。実際に開業したループ線の中では間違いなく世界一短命です。スィッチバック付きループ線だったことや、築堤を使って自力で高度を稼いでいたことなど相当珍しい形態のループ線だったこともポイントです。さらにそれに加えて樺太の宝台ループと同様、日本人が大陸に残してきた足跡だったことも記憶しておく必要があると思います。

なお、石峰信号所一帯はかなり南に向かって下がっている傾斜地で、そのスィッチバックでは折り返し線を水平に引き出すために北側は地面を掘り下げ、南側は築堤で持ち上げてあります。折り返し線の北端はループ線をくぐっていたようで、スイッチバックとしても非常に珍しい形態だったと言えます。





さて、未成短命ループ線をご紹介してきましたが、さすがに超ド級のマイナー度でアクセスが全く伸びませんが、まあそれは覚悟の上です。

ズダニエス・スパイラルも石峰ループもまだ分からない部分も多いので、これからも少しずつ調べて行きたいと思っています。石峰ループはできれば現地に行ってみたいのですが、今の情勢を見るに1億%無理でしょう。

超マイナーループ線は一旦おいておいて、次回からしばらく、有名な、あるいは有名だったループ線をご紹介していきます。

まず、次回はループ線の代名詞にもなっているあれから見て行きましょう。


2015/11/09

南米②雲への列車その2

  • 雲への列車あれこれ
メセタループNO2(GoogleMapより)
さて、未踏の荒野にループ線をかかえる雲への列車、非常に魅力的です。実際に乗るとしたらいくらかかるのかとHPで料金を調べてみると・・・・。繁忙期で1,820ドル!えらい高いな、1ドル120円換算で22万円?と思ったらこれはUSDではなくてアルゼンチンペソなんですね。同じ$マークで表記するから思い切り引っかかってしまいました。1アルゼンチンペソ=0.106USD=13円ですので1,820ペソ=約24,000円でした。少し高めですが、まあ、こんなもんですよね。

なお、アルゼンチン国民や早期予約者には割引があります。また、片道割引という少し不思議な割引もありますが、これは他の観光地と一緒にまわるバスツアーと組み合わせる人向けなのでしょう。日本の旅行会社のツアーもあるようです。これは是非乗ってみたいです。

なんとなく派手な踊り子号と言う感じですね
日本からこの列車に乗りに行った方もちらほら居られ、WEB上にいくつかブログで乗車記が公開されています。みなさん一様に「途中から高山病の症状で眠くなった」と書かれています。過去には標高3,000mで脱線して乗客が救助隊に救助されたという割と笑えない事故もあったようで、スリル満点です。

こちらのページに写真や動画がたくさんあります。そちらのページによりますと、国境のソコンパまで混合列車が走っていたのですが、2007年に脱線事故があって以降運転されていないとのことです。

  • スィッチバックのおまけつき
実は雲への列車は、起点であるサルタを出発すると、比較的すぐにZ型スィッチバックを二つ通ります。スィッチバックは当ブログの対象外なのですが、ついでですのでご紹介しておきましょう。エルアリサル駅とチョリージョス駅の2か所です。
エルアリサルのスイッチバック
まだこのあたりは山が緑でのどかな風景です



当ブログではあくまでループ線を対象にしているのですが、副産物的に世界の鉄道のスィッチバックも多数見つかっていますので、おいおいご紹介できればと思っています。ただし、スィッチバックについては世界中に非常に多数あるため、全部拾い切れていないと思います。

なお、日本国内の鉄道のスィッチバックについてはこちらのサイトが詳しいです。このブログはそのサイトの影響を受けて始めたと言っても過言ではありません。もう5年以上更新が止まっていますが、極めて貴重な資料ですので、末永く続いてほしいと願います。


次回はヨーロッパ、タンド線をご紹介します。

2015/11/05

南米①雲への列車その1 世界一孤独な鉄路

  • 雲への列車
南米では19世紀から急峻なアンデス山脈を横断しようといくつかの鉄路が挑みました。全通せずに挫折した路線や、開通後の天災で廃止された路線があり、現在アンデス山脈を横断してチリとアルゼンチンを結ぶ鉄路で生き残っているのは、今回紹介するサルタ・アントファガスタ鉄道だけとなってしまいました。

その大陸横断鉄路の生き残りもチリ側は既に旅客列車はなく、アルゼンチン側は観光列車が走っているだけとなっています。その観光列車の名称が「雲への列車」Tren a las nubesです。「雲への列車」Tren a las nubesは、アルゼンチン北西部のサルタ市を起点に、ラ・ポルボリージャ大鉄橋Viaducto La Polvorillaまでの約200kmの間を週に2往復しています(雨季にあたる12月~3月は運休)。

  • アンデス横断の歴史

アントファガスタ・サルタ鉄道は1921年に着工し、1948年開通した全長940kmの路線です。工事に27年もかかっていますね。チリ・アルゼンチン両国とも北部はメーターゲージが主流でしたので、ここもメーターゲージで建設され、開通時は首都ブエノスアイレスまで大陸横断列車が走っていました。

しかし自動車交通が発達するにつれて(主にアルゼンチン側で)都市間の鉄道輸送の比重が低下し、国際旅客列車は廃止されてしまいます。いつ廃止されたのかは判然としませんが、1971年には既に観光列車が設定されていたとサルタ市のHPに記載があります。つまり、1970年代に既に国際旅客輸送の主役ではなくなっていたと思われます。

  • 超人口希薄地帯を行く

このサルタ・アントファガスタ鉄道のすごいところは、世界一(と思われる)沿線人口の少ないルートを通るところです。

起点のサルタ、終点のアントファガスタ間の沿線の町らしい町と言えば、サルタから200km・人口5000人のサン・アントニオ・デ・ロスコブレスだけ。あとは人口数百人の村が3つほど。アルゼンチン側でブエノスアイレスまで直通しなくなったとあっては旅客営業が成り立たないのも当然ではあります。

沿線人口はほとんどゼロである一方、沿線には銅などの鉱山がたくさんあり、チリ側の貨物列車は今でも結構な頻度で走っているようです。アルゼンチン側はスペイン語版wikipediaによると、ラ・ポルボリージャ大鉄橋から国境までは、既に貨物も含めて定期列車の運行はされていないようです。

グーグルの衛星写真でサルタ・アントファガスタ鉄道のほぼ全区間の線路をたどることができますので、時間のある時に一度試しにご覧ください。あまりに寂寥とした景色の中に線路だけが延々と続いて、鉄道観が変わると思います。今でも旅客列車が残っていれば相当忍耐力の必要な区間になりそうです。

  • メセタループNO1/NO2
前置きが長くなりましたが、サルタ・アントファガスタ鉄道には2か所のループ線があります。Tren a las nubesの運行区間内にありますので、2015年現在も乗車可能です。

サルタからおよそ100km、ロザリオ川沿いを上り、メセタ駅手前で川を離れます。ここまでも人口の少ない区間ですが、まだ建物や道路などがあり人の生活の匂いがあります。

しかし、森林限界を超えたメセタからが本気の荒野。3500m級の山越え区間はほとんど人造物が見当たりません。しかもその状態が国境を越えて終点のアントファガスタの手前までおよそ800km続きます。メセタにも駅はありますが、町はありません。おそろしいですよね。

メセタ駅からヘアピンカーブを3つ、ダブルヘアピンを1つ越えるとNO1ループに到達します。このメセタループNO1はループ区間内にトンネルのない実に見事なオープンループです。オープンループではスイスの氷河特急のブルージオが有名ですが、それに勝るとも劣らない素晴らしいループ線です。

Google Map衛星写真で見るメセタNo1ループ

そこからさらに10kmほど峠を上るとNO2ループ、こちらは山肌をトンネルでくぐるループ線です。しかし写真を見ると本当に岩と砂ばかりですね。草も生えないとはこのことでしょうか。

なお、この二つのループ線は近接していますが、どちらもサルタから見て上り勾配ですので双子ループではありません。単に一回のループ線では勾配を上り切れなかったということですね。



次回、サルタ・アントファガスタ鉄道 「雲への列車」Tren a las nubesをもう少し見てみることにします。