- 世界史をも動かした重要路線
カスピ海とペルシャ湾を結ぶイラン縦貫線はペルシャ帝国が近代化政策の一環として国威をかけて建設したもので、1937年の開通です。当時の皇帝レザー・シャー・パーレビ―が親独家だったため、鉄道建設にもドイツ人(正確にはオーストリア人らしいです)の技術者が携わりました。
開通年から見て推測できるとおり、この路線は軍事的な性格の強い路線でもあります。しかもカスピ海とペルシャ湾を結ぶという路線の性格上、極めて重要な役割を担っていました。第2次世界大戦中はドイツと戦争中のソヴィエトに向けての物資輸送に使うため、鉄道路線ごとイギリスに接収されたりしています。いわゆる連合軍のペルシャ回廊です。第2次世界大戦の趨勢に大きな影響を与えた鉄道と言えます。
イランの国土の大部分は岩山と低木からなる乾燥したステップ地帯ですが、カスピ海沿岸部だけは細長く横に伸びるアルボルズ山脈に湿気を含んだ風が当たり、豊富に雨が降る温暖な気候です。ちょうど日本海からの風が本州中央部の山地にあたって降雪するのと同じ原理です。アルボルズ山脈の標高は高いところで5000mを超えるため高地では雪も降ります。
一方イラン縦貫線の南半分ペルシャ湾側はガチの砂漠地帯で日中の気温は冬でも20度、夏は40度を超える灼熱地獄です。これだけの気温差のあるところを一気に通過するには鉄道にもそれなりの気候対策が必要だと思うのですが、そのあたりについて記述された文献があまり見当たらないのが不思議です。
さて、この狭くて高いアルボルズ山脈を越えるのは必然的にとてつもなく急な山越えになります。
特に峠の北側(カスピ海側)は標高0mから2300mまでを直線距離70kmほどで一気に上ります。普通であれば鉄道建設をあきらめるレベルの急勾配をまさに気合いと根性で通したというのが伝わってきます。
一方イラン縦貫線の南半分ペルシャ湾側はガチの砂漠地帯で日中の気温は冬でも20度、夏は40度を超える灼熱地獄です。これだけの気温差のあるところを一気に通過するには鉄道にもそれなりの気候対策が必要だと思うのですが、そのあたりについて記述された文献があまり見当たらないのが不思議です。
- 超ド級6連ヘアピンと8の字ループ
Veresk鉄道橋 |
特に峠の北側(カスピ海側)は標高0mから2300mまでを直線距離70kmほどで一気に上ります。普通であれば鉄道建設をあきらめるレベルの急勾配をまさに気合いと根性で通したというのが伝わってきます。
ハイライトはソルクハバード駅から峠の分水嶺トンネル手前のショウラブという集落までの約40kmで、ヘアピンと8の字ループで900mの標高差を登ります。
下段のソルクハバード駅付近ではダブルヘアピンだけでは高さが足りず、高度を稼ぐためさらに90度折り曲げた靴下型ヘアピンとしています。
上段のヴェレスク駅からドゴール(ドウギャル)駅付近までは、黄金の三本線(The Three Golden Lines)というニックネームを持つ4連ヘアピンになっており、途中の谷をまたぐヴェレスク鉄道橋はイランではお札に印刷されるほど有名な美しい橋です。
合計6つのヘアピンターンを繰り返して、最後に8の字ループで標高2000mに達します。この間の勾配は27.7‰、全長と標高差で世界トップのループ線です。
- 上り方向で乗りたいところだけど・・・
下から見上げる黄金の三本線。すごいところを通っています |
意外と言っては失礼ですが、イランの長距離列車は設備も整っていて快適に乗れるそうです。
しかも日本人的感覚からすると異常に安く、テヘラン~サーリー間の400km7時間が93500イランリアル=約360円、一等車の個室でも約960円です。桁を間違えてるのかと心配になります。
比較的乗りやすそうに見えますが、残念なことに計8本の旅客列車のうちの7本がこのループ区間を夜間に通過する夜行列車です。昼行列車はテヘラン発サーリー行の1本だけしかありません。
夜行列車のうちマシュハド発サーリー行の1本はサーリー着が朝の10時過ぎと遅いため、日の長い時期なら辛うじて朝方明るくなってからこのループ区間を通過できるかもしれません。どちらにしてもカスピ海側からループを登って行く方向の列車は日没後ばかりです。
- おまけ~岩山の合間のダブルヘアピン
現在イラン縦貫線の南北を直通する列車はなく、途中のテヘラン等で一度乗り換えが必要ですが、一度は乗りとおしてみたいです。
次回は中国貴州省から水拍線のループ線をご紹介します。
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