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2018/03/25

中国⑬川黔線大河壩ループ ギリギリ生き残った幹線ループ


  • 中国の発展を支えたループ線

 今回はループ線大国中国の重慶と貴陽を結ぶ川黔線にあるループ線をご紹介します。

重慶貴陽間が川黔線です。
香港を目指しているのがこの図で分かります


 川黔線はせんけん線と読みます。川黔線の川は四川省、黔は貴州省の略称です。現在重慶市は直轄市となって四川省から分離したため、四川省内を通っていないのに正式名称は川黔線のまま取り残された形になっています。

 マスコミや市民には重慶市の略称の渝(ゆ)の字を使って渝黔(ゆけん)線あるいは渝貴線と呼ぶ方が一般的だそうです。蛇足になりますが、重慶市は人口3千万人、面積8万平方キロと余裕で小さ目のヨーロッパの国一つ分ぐらいの規模があります。面積ではオーストリアと同じぐらいですね。

 川黔線は以前ご紹介した黔桂線と合わせて、八縦八横と呼ばれた中国の鉄道幹線網の西から2番目の縦のラインを形成しています。



 川黔線黔桂線のラインも厳しい地形を越えていますが、宝成線成昆線よりは随分ましです。重慶、貴陽、柳州、桂林と重要都市を結んで海沿いの広州を結んでいることもあって、開通直後から超大列車が行き交う大幹線となっています。

 川黔線は実は清朝時代の1911年から建設計画がありましたが、実際に開通したのは中華人民共和国成立後の1965年のことです。この1960年代前後は中国南西部の骨格となる重要路線がたくさん開通しています。宝成線は1958年、成昆線は1970年の開通です。 これらの路線はいずれも現在まで中国の発展を支える大動脈です。


  • ループ線を抜けるとそこは高原地帯

 さて、川黔線は長江の流域では最大規模の都市重慶を起点に、まっすぐ南下して貴陽を目指す全長500km弱の路線です。中国の幹線にしては割と短めです。




大河壩駅からの眺め。
中央右寄りにループ線の下層部を走る列車が映っています。
こちらからお借りしました
全線が長江の水域になりますが、細かく見ると北側の約200km弱が長江本流の水域、中間部の桐梓前後の約100kmが重慶から150km上流で本流に合流する赤水河の水域、南側貴陽周辺の約100kmが重慶の約100km下流で本流に合流する烏江の水域です。赤水河も烏江も支流とはいえ500kmぐらい長さのある日本で言えば利根川クラスの大河ばかりです。



 今回ご紹介する大河壩ループは、この本流と赤水河の分水嶺の峠に作られています。峠の北側は標高600m程度の狭い谷ですが、南側は標高900mぐらいの高原地帯になっています。一方、赤水江と烏江の境には目立った標高差はなく、分水嶺の山脈をトンネルで越えるだけです。川黔線は重慶を出て約200kmは上り勾配で、その後はほぼ標高900m前後を走る片勾配の路線ということになります。



こちらからお借りしました
大河壩ループは狭い谷の片側の起伏をうまく使って高度を稼ぐという、なかなかテクニカルなルートを選定しています。曲線半径は250m、勾配は16.7‰で高低差は約100m。細長い独特の形状のループ線です。

 ループ線の出口には大河壩駅が作られており、そのホームからループ線のおよそ半分を見渡すことができます。

 この駅は谷底の川辺にある大河鎮の集落からはかなり山を登ったところに駅があることになりますが、これは分水嶺の向こう側の標高900mを目指して高度を上げて行っている途中だからですね。


  • まさに紙一重での生き残り

 さて、この川黔線、つい先日までは客貨合わせて1日50往復の列車が走る超過密路線だったのですが、路線が古いため全線にわたって最高速度60kmに制限されており、500km弱を特急列車でも9時間かかっていました。

 ところが、つい先日の2018年の1月、重慶~貴陽間の高速新線が開業し、旅客列車が一斉に新線に移りました。重慶~貴陽間はなんと最速2時間10分になっています。



下に向かって上り坂です。こちらからお借りしました
高速新線では旅客列車だけで1日48往復、日中はほぼ20分ヘッドで列車が行き交っています。それでも時間帯のいい列車は1ヶ月先まで予約で売り切れになっていますので、それだけ輸送需要が大きい区間だったのでしょう。この所要時間短縮と列車本数倍増はかなりの交通革命だと思われます。

 この高速新線の開通に伴って心配された旧線の処遇ですが、幸いなことに廃止されずに貨物用として存続しています。旅客列車が走らなくなっても1日20往復の貨物列車が走っており、堂々たる幹線であり続けています。



 これだけなら旅客列車がなくなって残念という話なのですが、なぜかこの区間、2往復だけ旅客列車が残されているというので驚きです。



 重慶・貴陽間の列車時刻表を見ると2時間~2時間40分程度の所要時間の列車がずらりと並ぶ中に、1本だけ8時間58分もかかる列車があって異彩を放っています。この1往復が現在も引き続き旧線経由で運転され、ループ線を通過している列車です。この列車は西安行の直通列車で、新線を走れない旧型車両による運行のために残されたのでしょう。(2018年3月現在南行K4633列車・北行K4634列車 →2020年4月現在新線経由に置き換わったようです





 また、上記の他に重慶から途中の遵義までの区間列車一往復が旧線ループ線経由で走っています。この列車は重慶から遵義までの300kmを10時間もかかって走るものすごい鈍足列車です。確証はありませんが、スピードの遅さと停車駅の多さから見てこれは客貨混合列車ではないかと推測しています。貨車併結で高速新線を走れないという理由で旧線経由で残されたのではないでしょうか。(2018年3月現在南行5629列車、北行5630列車 →この列車は2020年4月現在まだ健在です




高速新線の遵義駅。中都市の駅ですが、この威圧感はさすが中国

 上に紹介した2往復4本の列車は、高速新線の停車駅遵義駅ではなく旧線上の遵義西駅に発着しており、ループ線と遵義西駅の間に高速新線と旧線を行き来できる線路はありません。従ってこの2往復4本の列車がループ線経由であることは現時点では確定しています。



 しかし、いずれも過渡的措置の臭いがぷんぷんしますので、興味のある方は今のうちに乗っておきたいところです。個人的にはループ線マニアとして今すぐにでも乗りに行きたいところですが、なかなかひょいと行けないところがつらいです。

 なお、2018年2月の春節期間中は、この2往復以外に臨時列車が数本旧線経由で運転されていましたが、これも来年以降どうなるか分かりません。


  • 悠久の大河を渡るループ線(ただし絶滅寸前)

 川黔線にはもう一カ所見逃せないところがあります。

 川黔線の起点重慶駅は長江の北岸の狭い中心部に作られましたが、高速鉄道を建設するにあたって駅を拡張する余地がなかったため、中心部から20㎞ほど離れたところに重慶西駅を作り、重慶の南と西の貴陽・成都方面からの高速列車をそこに集約しました。なお、重慶の東と北側から来る列車は同じように中心部から10㎞ほど離れたところに作られた重慶北駅に集約されています。




重慶市域の国鉄路線図。是非拡大してご覧ください。

 この拡張に伴って既存の重慶駅は成都方面発着専用となったのですが、新しい重慶西、重慶北駅と既存の重慶駅を連絡線で直結したため、もともとあった連絡線も含めて重慶周辺の鉄道路線は大変複雑になり、路線図好きの人には楽しい区域になっています。





 川黔線は以前、重慶を出ると成都方面へ行く成渝線と同じ線路を30㎞ほど走り、小南海駅で成渝線と別れて白沙沱長江大橋で長江を渡って南に向かっていました。実はここがループ線構造になっていて、毎日多数の列車がループして白沙沱長江大橋を渡っていたのですが、日本ではほとんど知名度がありません。



 白沙沱長江大橋は余裕で関門海峡ぐらいの川幅があるところを渡る特大の鉄道橋で、これだけでも見所になってもおかしくありません。規模的にもドイツのレンツブルク・ハイブリッジにひけを取らないのですが、ちょっと不遇ですね。






圧倒的存在感の新橋、奥が旧橋。
こちらからお借りしました。
 現在は重慶西駅へ直結する高速鉄道対応の新白沙沱長江大橋が開通し、そちらに旅客列車は移転しました。この新白沙沱長江大橋は上層が複々線の高速線、下層が複線の貨物線という2層式6線の超大規模鉄道橋(おそらく世界最大)です。これはこれですごいです。詳細は→こちら








 ところが白沙沱長江大橋の旧橋の方は、将来的には廃止される予定ですが、2018年3月現在、まだ貨物列車が若干走っています。おそらく新長江大橋前後の貨物線の取り付け工事が完了していないためでしょう。

 その中には重慶方面へ直通する列車も含まれており、先ほどの重慶・遵義間の5629列車・5630列車もここを経由しています。



 この列車だけ重慶西駅発着ではなく、重慶駅発着で小南海駅も停車しています。時刻表が正しければ、ループ線を通って旧橋を渡らないと川黔線方面には行けません。この5629列車/5630列車は客貨混合列車ではないかと推測しましたが、これもその根拠の一つです。( →2020年4月現在5629列車/5630列車は小南海駅を通過するようになりました。旧橋を通っていたとしてもループ線を通らない連絡線経由になっている可能性があります




 ・・・ということはこの5629列車/5630列車、廃止寸前のループ線二つにまとめて乗れる実に貴重な列車だということになります。広大な中国を走る多数の列車の中で、最もアツい激アツ列車と言っても過言ではありません。



 いつまで走っているかわかりませんが、取り付け線の工事などすぐ出来てしまうことでしょう。書いていると乗りに行きたくなってきました。やばいです。










次回はアメリカのループ線をご紹介します。



2017/11/21

中国⑫青蔵線旧関角ループ線群 思い出の高山ループ線

  • はるかなる天空へ続く鉄路
今回は中国青海省の青蔵線(通称チベット鉄道)のループ線をご紹介します。

青蔵線は世界最高所を走る鉄道として有名ですが、その成り立ちは極めて政治的な背景によるものでした。

1949年中華人民共和国が成立すると1950年にチベットに侵攻し、中華人民共和国領土であると宣言し、漢民族が大量に入植して人数でチベット人を圧迫していきます。その流れで着工されたのが青蔵線です。結局のところ兵士と入植者をチベットへ送り込むのが最大の建設目的だったことになります。

こちらからお借りしました
1958年にチベットへの入り口だった西寧から工事が始まり、文化大革命の混乱で一時工事がストップしたりしましたが、1979年に西寧~ゴルムド間830kmの第一期区間が開通しました。

高速鉄道を5年ぐらいで作ってしまう中国では、これは異例の長期プロジェクトだったと言えるでしょう。当初は軍用輸送専用でしたが1984年に一般旅客営業を開始しています。

なお、世界最高所を通る「天空の鉄道」として有名な海抜4000m以上の超高地区間は一期の開通区間内にはありません。海抜4000m超区間は2001年着工2006年開業の第二期区間ゴルムド~ラサ間です。こちらは延長1160kmと第一期区間よりも距離が長いにもかかわらず着工から5年で開通しています。


  • 富士山よりも高い大規模ループ線群
さて、青蔵線のループ線はチベット高原の入り口、青海湖の先にありました。元来標高は高くても全体的に比較的なだらかなチベット高原ですが、ところどころ急峻な山脈があり、交通を遮っていました。青海湖とその左下にポツンとあるツァカ湖(チャカ湖、茶卡盐湖)の境にある関角峠もその一つです。青海湖側はなだらかな丘陵になっていますが、峠の西側ツァカ湖側は急激に落ち込む鋭い谷になっています。

こちらからお借りしました
青蔵線は青海湖の周囲をぐるっと回って少しずつ高度を上げていき、峠を標高3800mの旧関角トンネルで越えたあと、深く切れ込む谷に向かって全長24km標高差400mをループ線とヘアピンターンの組み合わせで克服するルートで当初建設されました。

これが旧関角ループ線群です。へアピンターン群のちょうど中央にループ線があり、曲線半径は300m、勾配は15‰でした。ループ線は直近の駅名から二郎ループ線(二郎螺旋展線)と呼ばれていました。

ループ線と7か所のヘアピンターンが合わさった世界的にも大規模なループ線群でしたが、このループ線群は世界最高所にあるループ線でもありました。ループ線群の全体が富士山よりも高いところにあったと聞くとそのスケールに驚きます。


こちらからお借りしました
そのあまりにダイナミックな風景は中国の鉄道写真家の羨望の的でした。中国のループ線のフラッグシップ的位置づけでもあったようです。一応道路はありますが、近づくのも困難なこのループ線の写真がWEB上でいくつも見つかります。

鉄道写真撮影だけでも高山病になりそうで心配になりますし、加えて一番近くの町まで軽く100kmはある人跡未踏の辺境の地だったことも重要です。事故で死んでも誰にも気づいてもらえないところでした。鉄道写真のためにかなり本格的な登山装備が必要な、割と真剣に命がけの撮影だったと思われます。

  • 関角、再見!
冬の写真がほしい、と思ったけどよく考えると無理な注文ですね
こちらからお借りしました
この青蔵線がチベット地区にもたらした交通便益はまさに革命的でした。良いか悪いかは別にして、人も物も交流が一気に進み、もはやチベットは僻地ではないと言われるまでになりました。

さらに輸送強化を図るべく、第二期工事完成前の2005年から輸送力増強工事を実施してゴルムドまでの区間を複線電化することになりました。

この時、旧関角峠の部分は全長34㎞の新関角トンネルを建設して旧関角ループ線群を一気にバイパスしてしまうという中国らしい大胆な計画となりました。

新線の開通で30㎞距離が短くなり、所要時間が2時間短縮されました
この工事が完成した2012年以降、列車はすべて新関角トンネル経由に変更され、旧関角ループ線群は廃止されました。旧線が一般旅客営業していたのは28年間と比較的短命なループ線でした。

この青蔵線、現在はチベット地区への一大幹線となっており、旅客列車が北京、上海、広州、重慶、蘭州と中国各地から1日5往復走っています(重慶発着と成都発着は隔日交互運行、蘭州発着は隔日で西寧止まり)。西寧からゴルムドまで約7時間、ゴルムドからラサまで約13時間かかりますので、全線を日中に乗ろうと思うと途中駅で一泊必要になります。




  • 今なお開発が続くチベット
上の方で少し触れたツァカ湖は「中国のウユニ」と言われる非常に美しい湖で、ちょっと行ってみたいところです。ここにはシーズン中、毎日西寧から観光列車が出ており、西寧から日帰りできます。

また、チベット地区では鉄道建設のビックプロジェクトが目白押しです。

2017年11月現在、ゴルムド~コルラ線、ゴルムド~敦煌線がそれぞれ建設中です。タクラマカン砂漠を貫いて線路を敷くとかスケールでかすぎです。一般旅客営業をすぐ開始するかは分かりませんが、どちらもあと数年で開通する段階だそうです。

東洋のウユニ、ツァカ湖 
ただし本家よりも晴天率が著しく低いため青空の日に当たるには相当な強運が必要だそうです
さらにラサから先、ネパール国境までの鉄道も建設中で、途中のシガツェまでは2014年に開通しています。

またラサ~シャングリラ~大里~昆明の路線も建設中です。

地図上での距離は近くても一切の交通が断絶されていたチベットと雲南省・四川省が鉄道で結ばれるとどういう変化がおきるのか。

長江、メコン川、サルウィン川の三大河川が並んで流れる三江併流地域をどのようなルートで鉄道を建設するのか、興味は尽きません。ここも途中のラサ~林芝間400kmが2021年に開通予定です。

青蔵線自体もロマンあふれる鉄道ですが、今後しばらくチベット地区の鉄道網の発達は見逃せません。



有名なループ線シリーズは今回で終了です。

世界のループ線を紹介して丸2年、だいぶ残りが少なくなってきました。しかも有名なところをまとめて紹介してしまったのでマイナーどころばかり残ってしまいました。これはちょっとマズかったかもしれません。

次回からは残りのループ線をランダムにご紹介していきます。まずはヨーロッパなのかアジアなのか微妙なところにあるロシアのループ線をご紹介します。

2017/07/12

中国⑪浜州線興安嶺ループ 20世紀を駆け抜けた多国籍ループ線


  • その時歴史は動いた

今回は中国東北部、旧満州にあったループ線をご紹介します。

中国領土内にロシアが鉄道を建設した経緯は大変複雑です。このあたりは専門外なのでごく大雑把にまとめると、日清戦争終了後に日本が遼東半島を中国から割譲されましたが(1894年下関条約)、ロシア・フランス・ドイツの三国がこれに介入し、日本は遼東半島の獲得を断念します(1895年三国干渉)。

遼東半島獲得断念の見返りに清朝はロシアに対して満州の鉄道敷設権を与えます(1896年露清密約)。この鉄道敷設権に基づいて、中露国境の満州里から満州を斜めに横切ってウラジオストクの北東の綏芬河まで、全長1500kmの東清鉄道(East China Railway)が建設されました。

1898年から工事が始まり、1904年に開通しています。地図で見るとシベリアの中心都市の一つチタからウラジオストクに向けて、一直線に線路を引いたのがよく分かります。

実はこの鉄道敷設権というのが曲者でした。取り決めにより、鉄道用地が実質ロシア領になったに等しかったのはまだ理解できますが、それに加えて鉄道関係者の生活に必要な土地もすべて鉄道用地と拡大解釈されていきます。

鉄道車両の車庫用地はもとより駅や鉄道関係者の住宅・学校・病院・商店、関係者居住域の警察や軍隊、はては鉄道燃料用の鉱山までなんでもかんでも鉄道用地扱いされ、結局駅や鉱山のある町はまるごとロシア領になったようなものでした。

実態は植民地化されたのと何も変わりません。このような実質植民地の鉄道用地は鉄道附属地と呼ばれ、ロシアをまねて各国が清朝領内に続々と鉄道敷設権を獲得して鉄道附属地が広がって行ってしまいました。詳しくは→こちら

これにはさすがに住民の不満が高まり、義和団の乱(1900年)から辛亥革命(1911年)へと進んでいき、中国の王朝政治の終焉を見ることになります。また、日本ではこの時のロシアの狡猾な立ち回りが不信感を呼び、日露戦争(1904年)の原因の一つとなります。

このように東清鉄道はいろいろ国際政治に波紋を起こすものでした。振り返って見ると三国干渉に基づく鉄道敷設権付与は日露戦争から第二次大戦までの要因にもなっています。

  • ロシア人が作り、日本人が育て、中国人が使う
ロシア時代の線路図
点線は工事中の仮線で3段スィッチバックでした。
本線完成後は撤去されたそうです
ところで満州の地形はおおむね平らな平原なのですが、中央部に大興安嶺山脈が横たわっています。

この山脈よりもロシア側は標高600m程度、中国側は標高200mと高低差がありました。東清鉄道は満州里(チタ)側と綏芬河(ウラジオストク)側の両方から建設が進みましたが、最後まで残ったのがこの大興安嶺を超える部分でした。

東清鉄道はこの興安嶺山脈の高低差を全長3100mの興安嶺トンネルとループ線で越えました。これが興安嶺ループ線です。ロシア語では土木技術者の名前を取ってボチャロフ・スパイラルと呼ばれていました。

開通時のループ線の様子。これは絵でしょうか。
ちょっと山と線路のバランスがおかしいように見えます
こちらからお借りしました
曲線半径は320メートル、高低差は100m、勾配は約15‰です。開通当初はロシア規格の1520mmゲージで建設されています。

このロシア製ループ線は1904年の開通後も数奇な運命をたどります。開通してすぐに日露戦争が勃発し、ロシアが敗北します。

ハルビンから長春を通って大連・旅順へ向かう南満州支線はこの時ロシアから日本に譲渡されて南満州鉄道、通称満鉄となりますが、この満州里~綏芬河間の路線はロシアの鉄道として残り、北満鉄道と呼ばれることになります。

ループの交差部
警備兵用のトーチカが残されているのがロシア製の名残です。
この際、鉄道附属地も管理権ごと満鉄に譲渡されたため、実質日本の植民地となりました。この時代の歴史でよく出てくる関東軍とは、もともと満鉄の鉄道附属地の守備隊です。鉄道会社の社員が行政権を握った町がいくつもあったという不思議な時代でした。

その状態で30年ほど経過し、ロシアがソヴィエト連邦になり、清が中華民国となった1931年に満州事変が勃発し満州帝国が成立すると、1935年北満鉄道はロシアから満州帝国に有償譲渡されて満州国鉄になります。ちなみにこの時の有償譲渡の交渉にあたったのは杉原千畝だったそうです。

現在のループ線の様子
交差部の上部は新南溝信号場で行き違い設備があったようです
 
わざわざ勾配上に行き違い線を作った理由は分かりません。不思議です
1937年には満鉄に合わせて標準軌に改軌します。急激に改軌したため、標準軌用の機関車と貨車が極端に不足する事態となったそうです。

有償譲渡されてから第二次大戦終戦までは日本人経営の満州国鉄の路線だったのですが、終戦後はソ連と中国(国民党政府の中華民国)の共同経営路線となります。

最終的に中華人民共和国成立によりソ連は満州鉄道経営から手を引き、1952年に完全に中国国鉄の運営となりました。

この興安嶺ループはロシア人運営の東清鉄道、日本人運営の満州国鉄、中国人運営の中国国鉄と3つの異なる民族により運営されたことになります。このように相互乗り入れではなくて三カ国の列車が走ったのは世界のループ線の中でここだけです。


  • マニアだけが知るその価値とは

さて、この興安嶺ループ、非常に国際政治に影響を与え、国際政治の影響を受けたループ線だったのは上述のとおりなのですが、ループ線としても超一級のものでした。

こちらは中国時代の線路図
残念ながら満鉄時代のものは軍事機密だったからか
敗戦時に散逸したのか見つかりません

写真で分かる通り、興安嶺ループは地平から築堤で人工的に高度を上げていく非常に珍しいオープンループでした。スイス・ベルニナ線のブルージオと同じ成り立ちで見た目もよく似ていますが、幹線用の高規格で比較にならないほど大規模なものでした。

ループ線の途中には新南溝信号場があり、行き違いができるようにもなっていました。また、自線と交差した後も円の外周に沿ってさらに半回転する1回転半ループだったのもポイントです。

東洋のブルージオと言える素晴らしい形状で、知名度が少ないのは不当だとも言えるほどです。

むしろ興安嶺ループの方が規模も大きく開通も早いので、ブルージオの方を「スイスの興安嶺」と呼ぶべきだったかもしれません。


  • 大地にたたずむ歴史の生き証人

興安嶺ループは中国国鉄として戦後も満州開発、中ソ国際輸送を支えていましたが、中国の鉄道近代化施策の一環で2007年に160km対応の新線に切り替えられ、残念ながら廃止されました。





旧線となったループ線は、興安嶺トンネルや博克図機関庫とともに内モンゴルの文物保護単位(日本でいう重要文化財)に指定されています。

観光鉄道を走らせる計画もあったようですが、今のところ具体的な動きはありません。一応線路も含めて構造物は一通り残されています。




ある意味世界史をも動かした偉大なループ線の遺構は、現在は満州の地でひっそりと余生をすごしています。

次回は北欧のループ線をご紹介します。

2017/02/11

中国⑩黔桂線 京寨ループ&苦李井ループ 龍の回り道と呼ばれたループ線


  • 黔桂線と日本の隠れた因縁

連続ループシリーズ、今回は中国南西部、貴陽から広州方面へ向かう黔桂線のループ線をご紹介します。

黔桂線の「黔」は貴州省のことで、けんけい線と読みます。知らないと読むのにも一苦労ですが、日本で「越」と書いてあれば福井県から新潟県にかけての日本海側かな、となんとなく思い浮かぶのと同じなんでしょうね。なお、「桂」は桂林の「桂」かと思いきや、この桂の字一つで広西チワン族自治区一帯を表すようです。実際黔桂線は厳密には桂林の手前の柳州までで、その先は国境を越えてベトナムと連絡する湘桂線の一部になります。

赤字が付け替え新線。青字が旧線

中国で八縦八横と呼ばれる重要幹線の一つで、海岸沿いの香港・深セン・広州から内陸工業都市の貴州・重慶・成都方面を結んでいます。おおむね海岸から離れるに従って標高が高くなり、柳州から貴陽までは比較的短く見えても全長600kmあります。

黔桂線は南側から建設が進み、柳州~河地(金城江)間は1941年、河地(金城江)~独山間は1943年に開通しています。

時まさに日中戦争の真っ最中で独山には飛行場が作られ、連合軍がインドから中国国民党政府に援助物資を輸送する有名な援蒋ルートの一つとなりました。つまり黔桂線はもとはバリバリの軍事路線だったことになります。

何かと日本とは因縁のある地域を走る黔桂線ですが、全線開通は中華人民共和国成立後の1959年で、意外と新しい路線です。これは1944年に途中の都匀(ドウユン)まで一旦開通していたところ、日本軍が柳州地方を占領した際に、接収利用されるのをおそれた国民党政府が線路を破壊したためでした。日本軍が戦闘で壊したとする資料がちらほら見られますが、日本軍は貴州方面まで侵攻していないのでおそらく国民党政府の焦土作戦の一つで破壊されたのが正しいと思います。

  • 険しからずとも鉄道には厳しい

さて、黔桂線のループ線は黔南苗族自治州の中心都市都匀の前後に一つずつあります。このあたり一帯は大きな山脈はないのですが、細かい起伏が延々続く丘陵地帯です。丘陵と言っても一つ一つが東京の高尾山ぐらいの大きさがありますので、鉄道には厳しい地形です。

黔桂線は勾配と曲線で一つ一つ小山をクリアしていました。龍が登るようにくねった線路の様子から、龍の回り道「回龍道」といういかにも中国的なニックネームがついており、中国の鉄道ファンには有名です。

南側のループは途中にある駅名から京寨(ジンジャイ)ループと呼ばれていました。最大勾配29‰、最小曲線半径160mと中国の幹線の中ではかなりハードな部類のループ線です。

ループ線の下り側(都匀側)でシングルヘアピンで高度を稼いでいるのが形状的な特徴点です。先に書いた通りこの区間は戦争中の1944年に一旦開通していました。


京寨ループは現役時代の写真が見つかりました

北側のループ線は苦李井(クーリージン)ループと呼ばれています。こちらは戦後に新たに建設された区間で勾配20‰、曲線半径400m、高低差は60mと、京寨ループよりも少しだけ高規格です。


中国のループ線図はだいたい精密ですが、この図だけえらいアバウトですね
 ソラマメのような形をしたなんとも愛嬌のある形のループ線ですが、輪の大きさが3.6kmあり、ブルガリアのシェストルカータには及びませんがなかなかの大輪のループ線でした。二つのループ線の距離は都匀の町を挟んで約70kmです。

京寨ループは北に向かって下り坂、苦李井ループは北に向かって上り坂です。つまり都匀の町は周辺から見て窪んだ盆地にあることになります。実際この地域一帯の地形は大変複雑で、京寨ループより南はマカオの近くに河口のある珠江の流域、都匀の町の前後は長江の支流清水江(=沅江)の流域です。

また、苦李井ループ以北も同じく長江流域ですが、沅江よりも500kmも北の重慶の近くで本流から分かれる烏江の流域となっています。この地域ではちょっとした丘陵が分水嶺になっていたり、同じ谷の北と南で流域が違っていたり川の流れがこんがらがってめまいがしてきます。水域界マニアとか分水嶺マニアの方にはなかなか面白い地域だと思います。


  • 後進に道を譲って引退

黔桂線は山と川が織りなす景色のいい路線として中国の鉄道マニアには知られた存在でしたが、さすがに非電化・単線・カーブと勾配盛りだくさんの戦前規格そのままでは輸送力的に厳しくなり、2010年に全区間が160km対応の電化新線に付替えられ、旧線は廃止されました。廃線跡は「老黔桂」と言われています。

苦李井ループの現状。廃線愛好家にはいい雰囲気かもしれません
現在、旧線は線路もはがされて道路に転用されています。黔桂線旧線の現状を映した動画を二本見つけました。こちら →「追忆老黔桂铁路」(1:40あたりから苦李井ループが映ります)とこちら →「重走老黔桂线」。どちらも同じ方が作成された動画ですが、ドローン撮影を織り交ぜた無駄にハイクオリティな出来栄えには驚きます。

この黔桂線の新線、二点ほどとても中国的だなと思う点があります。

ひとつは、新線建設にあたって旧線ルートを完全に放棄したこと。

このあたりは比較的人口密度の高い地域ですが、新線に切り替わったせいで駅が遠くなり、列車が使えなくなった町や村がたくさん発生しました。新線は駅数も減らされており、20kmぐらいの移転は当たり前という状況です。地域住民の方はさぞ不便だと思うのですが、そもそも旅客輸送はおまけというのが中国の国鉄の発想なのでしょう。

もうひとつは大規模な付け替え新線を作ったにもかかわらず、さらに300km対応の高速新線も作ってしまったことです。新線はわずか5年の主役期間でした。この高速新線は、4時間かかっていた貴陽都匀間を40分、一昼夜かかっていた貴陽広州間を5時間で結んでしまうすぐれもので、2015年12月に開業したばかりです。高速新線は旅客列車専用で、貨物列車は引き続き付け替え新線を走っています。

まあ付け替え新線が廃止にならなかっただけましというものでしょうか。現在でも付け替え新線経由の旅客列車が9往復走っています。高速新線の方は13往復です。







  • おまけ~老黔桂回龍道と言えばコレ

このアングルの写真がたくさん見つかります
黔桂線のループ線と言えば上記の二つ以外に拉易ループ(中国語で拉易展線)というのが良く出てきます。これは京寨ループよりもさらに180kmほど南にあったシングルヘアピンカーブのことです。

残念ながら路線が自線と立体交差していないので当ブログではループ線に入れていませんが、あまりにも有名なのでご紹介しておきます。

高度を稼ぐためだけに細い谷の両側を寄り道しているという、釜石線の陸中大橋を大規模にした感じの路線です。

古くから鉄道写真の撮影名所だったようで、老黔桂の写真を探すとかなりの確率で見つかります。

ここも上記のループ線と同時に新線に付替えられて廃線となっています。




当ブログの記事のアクセス数ベスト3はずっと1位ゴッダルドバーン、2位樺太の宝台ループ、3位成昆線で安定していたのですが、世界一高い道路橋が北盤江に完成してから水柏線のアクセスが激増し、ついに3位を逆転しました。

ほとんどが道路橋完成のニュースから検索してきたループ線に興味のない方だと思いますが、マイナーだった水柏線が脚光を浴びてちょっとうれしいです。なお5位は台湾の阿里山森林鉄道です。あと前回ご紹介したブルガリアのシプカ峠がなぜか怒涛のアクセスを稼いでいます。

次回は有名どころでスイスの連続ループ線をご紹介します。

2016/11/22

中国⑨牡図線 見た目そっくりの連続ループ線

  • 在りし日の日満連絡北鮮ルート
今回は連続ループ線シリーズより中国東北部、牡図線の2つのループ線をご紹介します。

牡図線は中朝国境沿いの町、図們(トゥメン)~牡丹江(ムーダンジァン)間を中露国境の少し西側に南北に結ぶ路線で、1935年の開通です。開通時期から想像できるとおり、満州国鉄の建設した旧日本製の路線です。

所属は満州国鉄ですが、鉄道の運営は満鉄(南満州鉄道)が自社路線と一体的に運営していました。満鉄の自社路線は社線、満州国鉄線は国線と区分されていましたが、国線も建設・運営・保守を一括して満鉄に委託しており、満州国鉄に鉄道運営の実態はまったくなく、書類上の区分だけだったそうです。

満州鉄道の路線図
図の右端満ソ国境から二本目の南北の路線が牡図線です
この図では図佳線と表記されています
こちらからお借りしました →南満州鉄道資料室
この路線も日満連絡のために作られた路線です。東京~新潟~北朝鮮・羅津(ラジン)または清津(チョジン)~中国・図們~牡丹江~ハルビンのいわゆる北鮮ルートは、以前からあった釜山ルートや大連ルートよりも海上区間の距離が短かく、鉄道整備が進めば最短時間での日満連絡ルートになると期待されていました。

実際は大陸側の旅客列車が少なかったため終戦まで旅客ルートとしては釜山経由や大連経由よりもメジャーになることはありませんでした。一方貨物輸送では北朝鮮や満州の豊富な森林資源や鉱物資源輸送に活躍し、対ソ連国境線への軍用路線としても重要な役割を果たしました。

牡図線の建設は日本のゼネコン鹿島建設が請け負いましたが、当時の満州は匪賊が跋扈するまさに未開の大地、鉄道の建設よりも匪賊対策にお金がかかるという想像を絶する建設現場でした。トンネルを掘ってたら襲われて金目のものは根こそぎ取られ、最悪落命することもあったと言うから怖すぎです。

先達の苦労を偲ぶとともに、結果的には敗戦によって大陸から撤退することになったことを考えるとちょっと切なくなります。建設時の様子はこちらに詳しいです →鹿島建設HP「満州での工事と満州鹿島組」。文中に出てくる図寧線とは、工事区間が図們から牡丹江の少し南の寧安という町までだったことから付けられた牡図線の別称でしょう。中国語で検索してもヒットしてきませんので日本人だけが使った名称なのかもしれません。

なお、牡図線は牡丹江からさらに北に向かって建設が続き、1937年に佳木斯(ジャムス)まで延伸されました。図們から佳木斯までまとめて図佳線とも言います。現在では牡丹江を境に南北に運転系統が分断されていますが、どちらの名前も同じぐらい使われていて、どちらが正式かはよくわかりませんでした。

  • 少しの違いが大きな知名度の差に
さて、牡図線には図們から約40㎞の新興と約130㎞の老松嶺の2カ所にループ線があります。日本から見て手前の南側が新興ループ、奥の北側が老松嶺ループです。一見峠を挟む双子ループかと思いきや、実はどちらも牡丹江に向かって上り坂です。

老松嶺ループの北にある老松嶺トンネルが分水嶺になっており、トンネルの手前南側は図們江の水域、北側は1000㎞も北に河口があるアムール川水域です。

分水嶺はそれほど険しい山脈ではありませんが、河口までの距離の差がそのまま標高差になっており、峠の両側で200mほどの高低差があります。

地図で見ると二つのループ線は面白いぐらい形がそっくりなのですが、よく見ると老松嶺ループの方が輪の部分が少し大きいことが分かります。新興ループも老松嶺ループも曲線半径360m高低差約40mと同じスペックですが、老松嶺ループは直線を挟んで輪の部分を伸ばして勾配を緩和している様子が伺えます。

SL撮影で一世を風靡した新興ループ
羊肉様のサイト「中国大陸の蒸気機関車」からお借りしました
→こちら 
こちらのページによると、新興ループは16‰勾配、老松嶺ループは11.5‰勾配とのことです。

ここは1990年代の後半まで蒸気機関車が現役で走っており、南側の新興ループには日本から遠征して撮影に行かれた方も多かったようです。素晴らしい写真がWEB上で見つかります。ところが、なぜか老松嶺ループの方は写真がまるで見当たりません。

丘の上で見晴らしのよい新興ループに対して、林の中で見通しが効かず、駅からのアクセスも悪い老松嶺ループは、蒸気機関車の撮影に向かなかったのでしょうか。見た目がそっくりにもかかわらず、知名度的には随分な差がついているようです。

  • 旅客列車の運転状況は混乱中
現在、この二つのループ線には長春~牡丹江間の直通夜行急行と線内運転の普通列車がそれぞれ1往復ずつ、計2往復4本の旅客列車が走っています。

牡図線の紅葉は中国一美しいと言われるそうです
残念ながら適当な写真が見当たらないので
図們~長春間の長図線の写真で代用
時刻表上は比較的乗りやすそうなのですが、実はどの列車にも少しずつ難点があります。直通急行は確実に運転されていますが、下り牡丹江行は図們発がめちゃくちゃ早朝、上り長春行はループ線通過が日没後となっており、どちらも悪条件です。

一方、線内運転の普通列車は上下ともいい時間帯にループ線を通過するのですが、ここ数年、途中駅で打ち切りになったり全区間運休したりで運転状況が極端に不安定です。

たくさんある中国の列車時刻サイトでもサイトによってヒットしたりしなかったりで、本当に走っているのかよく分かりません。近年、長春~図們間とハルビン~牡丹江間の高速鉄道の建設が同時に進んでおり、その工事の影響でしょうか。

高速鉄道が完成するとこの地域の列車ダイヤは激変することは確実ですが、完成するまでの間も不安定な運転状態が続きそうです。特に線内普通列車の方を狙って乗車するならば、日程に余裕を持って行く方がよさそうです。






  • おまけ ~新興ループと廃線跡
 Googleの衛星写真で新興ループを見ていて、ループ線の麓にある廃線跡っぽい築堤(上記の衛星写真の中の青色の線)が気になっていたのですが、調べてみるとこれは旧満州国鉄興城線(興寧線)の跡でした。 1940年の開通で、牡図線よりもさらに東寄りの国境沿いを北上して、満露国境の町、東寧までの間を結んでいたものです。路線延長は210kmもある幹線級の路線だったそうです。終戦後はソ連によって一部は解体撤去され、残った部分も続く国共内戦で破壊されてしまったわずか5年の短命路線でした。参考資料はこちら

1970年代にナローゲージの森林鉄道として復旧した部分もありましたが、線路跡の大部分は道路に転用されています。

満州国が熱心にすすめた鉄道建設の残影を垣間見ることができます。



まだ中国には連続ループ線がありますが、一旦中国を離れて次回はイタリアの連続ループ線を見てみることにしたいと思います。

ここまで月3本のペースで記事を上げてきたのですが、今月は多忙だったためについに1本落としてしまいそうです。ぼちぼち頑張って書いていきたいと思います。


2016/10/31

中国⑧南疆線 天山山脈ループ線群 シルクロードをたどる4連ループ線 

  • 遥かなる古代シルクロード

今回から「連続するループ線」をテーマにご紹介していきます。

以前ご紹介した大規模ループ線シリーズとテーマ的にかぶる部分がありますが、「小さいループ線が連続するところ」という感じの路線を集めて行きたいと思います。これまで紹介した中ではタンド線ループ線群やアルゼンチンの雲への列車などはこのカテゴリに入るものですね。日本の上越線もこれになりそうです。ここしばらくマイナーなループ線が続いていましたが、メジャーどころが続々登場しますので乞うご期待。

さて連続ループ線の初回は、中国の西端部の南疆線天山山脈ループ線群をご紹介します。

シルクロードの町トルファンから砂漠のオアシスの町コルラまでの約300kmの間に4カ所のループ線があります。

そもそもこのトルファンが地形的に不思議な町です。タクラマカン砂漠に大きく窪んだところがあって、海抜は100mしかありません。一番低いところで海抜マイナス200mにもなっており、大昔は大きな湖だったのが干上がったものと言われています。

トルファン駅は市街地の中心から40kmも離れた標高600mの高台にあります。駅から市街地までは一直線の下り坂です。

トルファンから2つ目のループ線の先にある徳文託蓋の大カーブだと思います
 著名な鉄道写真家siyang xueさんのサイトからお借りしました →こちら
古代シルクロードの一つ天山南路は、平坦な砂漠をあえて避けて、標高3400mの峠越えをしていました。川沿いを通るので水に困らないのが何よりの利点でした。

南側の砂漠を通れば峠を登らなくてもいいかわりに、飲料水が全く手に入りません。水が手に入らないのは行商には致命的で、距離は短くても砂漠経由は通商路としてはまったく使えませんでした。

南疆線は忠実に古代シルクロードに沿って建設されましたが、標高差2500mの峠越えは鉄道には難題でした。

南疆線はこの区間をダブルヘアピン4カ所とループ線4カ所、それに加えて標高3000m全長6.1kmの奎先(クイシェン)トンネルが作られています。トルファン側から見て登りに2つ、下りに2つの二重双子ループになっています。


線内最高所の烏斯特駅
この区間の開通は1978年~79年で、当時は鉄道トンネルとして最高所で最長と中国語の文献にはありましたが、これはおそらく調査不足でしょう。南米のアンデス山脈には全長はともかくもっと標高の高いところにすでに鉄道トンネルがあったものと思います。

曲線半径は最小800mとさすがの幹線級ですが、中国の鉄道にしては珍しく22‰勾配まで許容しています。

トルファン・コルラ間350kmを通過するのに約9時間かかっていました。この区間にはおよそ10km間隔で37駅ありましたが、居住人口はごくわずかで、ほとんど旅客扱いはありませんでした。


  • 実は一番最近に旅客列車が走らなくなったループ線

さて、もともと南疆線自体、中国の西域開発のために建設されたものですが、2000年から始まった西域大開発政策に伴って、鉄道インフラの強化が加速します。

南疆線については1999年にカシュガルまで全通して一段落していましたが、さらなる輸送力強化としてこの天山山脈越え区間をショートカットする新線を建設することになります。

古代シルクロードが避けた南側の砂漠を21世紀の土木技術で克服しようとする壮大な試みです。

これが第二トルファン・コルラ線(吐庫二線)と呼ばれる全長240kmの160km/h対応電化複線の新線です。

このルートの目玉とも言える最難関が山脈をぶち抜いた全長21kmもある中天山トンネルです。夏は気温40度、冬は零下20度という超過酷な気象条件を克服して2014年に開通、2015年2月より旅客列車は全部新線経由に置き換わりました。

160km対応複線電化新線で吐庫間は劇的に短縮
 この写真は魚児溝駅近くの分岐点です
新華社のサイトからお借りしました
この区間の旧線末期には旅客列車が7往復設定されていました。新線の開通により4時間程度短縮されて、トルファン・コルラ間は現在は約5時間弱になっています。

さらっと書きましたが所要時間が9時間から5時間に半減する大交通革命をもたらしました。距離の短縮、最高速度引き上げ、複線化による待ち合わせ時間短縮の3つが最大限効果を発揮しています。現在、列車本数も18往復に倍増し、最速列車はなんと2時間50分でトルファン・コルラ間を走破するというから驚愕です。

中国の超著名な鉄道写真家王嵬さんの作品からお借りしました。
これも徳文託蓋の大カーブだと思います
その反面、ループ線マニアとしてはループ線を通る旅客列車が全滅してしまっており、残念なことこの上ありません。この区間は高地ステップ地帯と言うものでしょうか、全線にわたって極めて見晴らしの良い区間でした。写真を見ると一面の草原を走っていたようです。

この区間、日本から乗りにいかれた方もかなりいらっしゃったようで、WEB上に南疆線・トルファン・コルラで検索するとたくさん旅行記が出てきます。その中でも旧線区間のことが詳しく出ているサイトを一つご紹介しておきます。→こちら


  • 先のことは分からないがとりあえず存続中  

旅客列車はすでに新線に切り替わっている旧線ループ線群ですが、路線自体は廃止になっておらず2017年現在も引き続き貨物列車が走っているそうです。

将来的に旧線の途中から分岐してイリ(中国名伊寧、ウィグル名グルジャ)からカザフスタンのアルマトィへ乗り入れる国際路線を建設する計画があり、残してあるものと推測されます。単に新線を走れる機関車の増備が追い付いていないだけというコメントも中国語の掲示板で見かけましたが、それもあり得る話です。

計画通り路線が建設されれば再び旅客列車が走ることになりそうですが、政治的に微妙な東トルキスタン地域の中心地であるイリに向けて、ウィグル族の利便性が向上するような列車を中国政府が走らせる気があるのか多少疑問が残ります。この地区では急激な開発に伴って漢民族が大量移住して土着のウィグル族とせめぎ合いを起こしており、たまに大規模な暴動が発生したりしています。

雄大な景色の4連ループを持つ南疆線ですが、その存廃は微妙な国際政治のバランス次第ということになりそうです。



次回は中国からもう1ヵ所ドマイナーな連続ループをご紹介します。

2016/08/11

アジア⑦北朝鮮満浦線満浦大橋取付ループ線 ベールの向こうのまちなかループ線 

  • 大陸を目指した日本人たち
今回はヨーロッパを離れて北朝鮮と中国の国境にあるまちなかループ線をご紹介します。

まちなかループ線はヨーロッパ特有のものと思っていたのですが、今回テーマにするにあたって他地域のループ線をひととおりおさらいしてみたら、意外なところにまちなかループがありました。それが北朝鮮と中国の国境の町、満浦(マンポ)のループ線です。

満浦・集安の地形図。鴨緑江を挟んで北朝鮮側は断崖、中国側は広い河原です。
「百年の鉄道旅行」さんのサイトからお借りしました。→こちら
このループ線は1939年(昭和14年)の開通です。中国側は満州国、北朝鮮側は朝鮮総督府の統治だった時代です。

国境より北側は南満州鉄道(満鉄)の梅集線、南側は朝鮮総督府鉄道局(鮮鉄)の満浦線として建設され、国境の鴨緑江大橋を通じて直通列車も運転されていました。

要するにどちらも日本製ということです。ただし、満鉄と鮮鉄は今の某JR同士のように極めて仲が悪かったようです。

満浦の町は清の時代から中国と朝鮮の国境として重要な町でした。

現在の中朝連絡鉄道。オレンジが丹東・新義州、青が集安・満浦、紫が図們・南陽。
TMRはTrans Manchurian Railway(満州横断鉄道)の略と思います。
TCRはTrans China Railwayでしょうか。
中朝の国境線は大部分が鴨緑江と図們江(豆満江)という二つの大きな川に引かれており、鉄道橋は4か所にありました。

西から順に鴨緑江にかかる丹東・新義州間、上河口・青水間、集安・満浦間の3か所と図們江(豆満江)にかかる図們・南陽間です。

このうち上河口・青水間だけは第二次大戦後1950年の開通です。それ以外の3ヵ所はいずれも日本統治時代の満鉄と朝鮮総督府による満朝連絡運輸のために建設されたものです。

この中でメジャーなのは一番黄海側にある丹東・新義州間で、単に鴨緑江大橋と言った場合はこの橋を指す場合が多いです。

この丹東・新義州間の橋は朝鮮戦争で破壊されるまで複線化されていました。

一番北にある図們・南陽間の橋は、新潟・羅津航路経由により最短距離で東京と旧満州の首都長春を結んだ鉄道路線の途上にあったものです。

ここだけは朝鮮領内も満鉄が運営しましたが、戦後はすっかり寂れてしまい現在は国際列車は走っていないそうです。たまたま東京と長春の直線上にあっただけで、中国にとっても北朝鮮にとっても最辺境の地ですので、それも無理もありません。

日本の上越線は1931年(昭和6年)に開通していますが、実は東京新潟間だけではなく、その先満州を見据えていたものだったことは鉄道史を語る上で頭に入れておくべきかもしれません。なお、羅津・長春間の満鉄線は1933年(昭和8年)に全通しています。



  • ループ線だけでも開放してくれないかなあ
この満浦の町は鴨緑江の川面から40mぐらいの高台にあります。満浦から集安に向かう国境連絡線は、この40mの高低差をループ線を使って乗り越えて、国境を越える満浦鴨緑江大橋に繋がります。駅を出るとすぐループ線です。

超貴重なループ線の状態が分かる写真。列車が崖上に見えます。
トラスの向こうに信号機が見えますが、これが場内信号機でしょうか。
だとしたらここはまちなかどころではない「えきなかループ」ということになります。
現地の鉄道写真家のサイトからお借りしました。→こちら
航空写真からしか見ることができませんが実に興味深い風景です。北朝鮮では鉄道は軍事機密事項だそうで、現地の写真を手に入れるのは夢のまた夢です。幸い中国側から望遠レンズで撮影した写真をいくつかWEB上で見つけることができました。

ループ線は駅と直結した形になっており、曲線半径350m、全長は約2㎞です。高低差は地形図読みで約40mですので、20‰~25‰ぐらいの勾配と推定できます。比較的大きめの曲線半径を取っているのは高低差を稼ぎたかったためでしょう。

またループ線の末端では橋を渡らずに川沿いを西へ向かう貨物支線らしき線路が分岐しています。ここも希少な分岐のあるループ線です。

橋左の建物の向こうが満浦駅のはずです。
写真の緑の客車は中国の車両ですね。
「ぶんしゅう旅日記」さんのサイトからお借りしました。→こちら
さらに特徴的なのはこのループ線は一回転していない「一回転未満ループ」である点です。

東から来て北へ向かう鉄橋に繋がっているので、言うなれば回転角270度の「4分の3回転ループ」ですが、これはかなり希少だと思います。

現在、このループ線には貨客混合列車が1日1往復国境を越えて走っていますが、現地の朝鮮民族専用とのことで、日本人が乗るのはまず無理そうです。

歴史、立地、形状と3拍子揃ったなかなか貴重なループ線ですが、生きている間に自由に乗れるようになるとはちょっと思えません。世界中のループ線マニアが訪れる鉄道名所になりうるポテンシャルを秘めているだけに至極残念です。

北朝鮮が民主化されるなどして気軽に行けるようになったら、真っ先に訪れたいと思っているのですが・・・。



  • おまけ~ 中国梅集線老嶺ループ 忘れ去られた不遇のループ線
この満浦から繋がる中国国鉄(旧満鉄)の梅集線にも超地味なループ線がありますのでついでにご紹介しておきます。

梅集線は鴨緑江から離れるに従って標高が上がっていくのですが、結構な急勾配で、最後はループ線で高度を稼いでいます。これが梅集線老嶺ループです。上記のとおり旧満鉄の建設で1938年(昭和13年)の開通です。つまり、鴨緑江を挟んで岸の両岸にループ線があるということです。

中国ループ線一覧。素晴らしい資料なのですが、梅集線以外にも抜けているループ線がちらほら。

満浦ループと老嶺ループは、周辺の土地から見てかなり低いところを流れる鴨緑江を挟んだ双子ループと見ることもできます。

この梅集線の老嶺ループは、数ある中国国鉄のループ線の中で、知名度の低さで他を圧倒しています。おそらく中国人の鉄道ファンですらここにループ線があることに気が付いていないのではないでしょうか。現地写真もまったく見つかりませんでしたし、中国ループ線一覧にも記載されていません。

「中国人女子学生がこのループ線を設計し、その才能を恐れた日本人が日本に来るよう言ったが、女子学生が拒否したのでループ線完成後に殺してしまった」という噂話レベルの真偽不明なエピソードだけがヒットしてきました。これはさすがに超眉唾です。興味のある方は→こちら(中国語)



あまりにもかわいそうな梅集線老嶺ループですが、一応旅客列車も1日1往復走っており、一般の人が普通に訪れることが可能です(ただし北京から22時間かかります)。中国人の鉄道ファンの方の乗車記が見つかりましたが、ループ線についてはほとんど触れられていません。→こちら(中国語)

次回は再びヨーロッパに戻ってイタリアのまちなかループ線をご紹介します。イタリアはまちなかループの宝庫ですので、まずは南側からご紹介します。

2016/02/29

中国⑦水柏線 万丈の谷を越える三重らせん

  • チャイナバブルの申し子?

今回は中国西部、貴州省にある水柏線の大規模ループをご紹介します。

水柏線は比較的新しい路線で、2002年の開業です。四川省から昆明を通らずに直接南寧方面へ出るルートを確保することと、沿線から産出する石炭輸送が主な建設目的とされています。

ところが50kmほど西側には全線にわたって1966年開通の貴昆線が並行していて、あまり緊急度が高そうには見えません。しかもこの貴昆線が2012年に複線電化とともに160km/h対応で高速化され、通過輸送は現在のところどう見ても貴昆線経由の方がメインになっています。重複投資、過剰投資のような気もしますが、「需要は後から付いてくる」的な発想で建設されたのではと思ってしまいます。

水柏線は六盤水(リウパンシュイ)から紅果(ホングォ)まで貴州省の西の端を雲南省との州境に沿うようにして走ります。貴昆線は六盤水を出ると割とすぐに州境を越えて雲南省に入りますが、水柏線は最後まで貴州省内、それも六盤水市内です。

中間にある柏果(バイグォ)までは盤西線の一部として先に開業しており、後から開業した六盤水~柏果間を水柏線と称していましたが、現在ではまとめて水紅線と呼ぶ方が正式名称のようです。ちなみに貴昆線も、上海からのいくつかの区間を全部まとめて滬昆線(「滬」=上海)と呼ぶこともあります。

この貴州省西部の地形は極めて複雑、というよりもむしろ凶悪と言った方が正しいかもしれません。六盤水も紅果もどちらも標高1800mの高地の都市ですが、途中の北盤江という川の流域だけ標高が900m程度しかありません。

北盤江は標高2000m近い高原地帯におそろしく深い谷を作って流れる不思議な川で、その流域は凹んでいるというよりもえぐれているという感じです。

水柏線は全線で160kmと割と短い路線ですが、一度山を下って北盤江を渡り、また元の高さまで山を登るルートを走っていることになります。



  • インパクトは間違いなく世界一

今回ご紹介するループ線は、六盤水からおよそ70km、六盤水紅果のほぼ中間にあります。標高1200mまで下りてきた線路が、北盤江の深い谷を北盤江大橋で渡って一気に1600mまで再度登ります。

世界最新級にして最大級、3重らせん構造、全長26km、標高差400mのループ線は迫力満点。ループ線の輪の部分がきれいに3つ並ぶ様子は壮観の一言に尽きます。線形の派手さで世界一二を争うトップクラスのループ線と言えるでしょう。

また、北盤江大橋は2016年現在鉄道橋の高さ世界一の記録(275m)を持っており、実はループ線よりもこの鉄橋の方が有名です。緑の山間にある赤い超巨大鉄橋のインパクトは強烈です。

ただし、このループ線は21世紀生まれとあって標準勾配12‰(一部23.5‰勾配あり)、曲線半径450mと支線としては非常に高規格に作られており、標高差など一部のスペックではイラン縦貫線に負けていたりします。

また、世界最新ループ線の称号は2012年開業の韓国のソラントンネルのループ線に譲っています。

それでもこの水柏線のループ線は、ループ線マニアの心を捉えて離しません。線形が強く印象に残るのがその理由でしょう。

なお、この3重らせんの一番上にあるループ線は一周6.8㎞もあり、ループ線の輪の大きさで2016年現在世界一のタイトルを持っています。

  • まさしくマニア向け

水柏線の旅客列車は1日あたり5往復10本。そこそこの本数が走っていますが、そのうち3往復6本が普通列車または普通快速列車です。

これは長距離優等列車が主体の中国の鉄道では大変珍しいことです。やはり水柏線では長距離輸送よりも域内輸送がメインのようです。

お隣の貴昆線では旅客列車が24往復もあり、昆明~六盤水を平均4時間半、最速3時間40分で結んでいます。特急でも6時間以上かかる水柏線経由ではまるで勝負になりません。

昆明から六盤水あるいはその先貴州方面への移動は、普通の人が普通に選ぶと貴昆線経由一択ですが、マニア的には狙って水柏線経由で乗ってみたいですね。(実際にわざわざ狙って乗られたマニアな方のページはこちら



次回はヨーロッパからセルビアのループ線をご紹介します。