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2018/04/22

北米⑥D&RGW鉄道ティンティック支線 鉱山とともに消えたアメリカンなローカルスパイラル

  • 賑わいは鉱山とともに
今回はアメリカのデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道(D&RGW鉄道)ティンティック支線にあったゴールデン・サークルというゴージャスな名前のループ線をご紹介します。相変わらずアメリカのループ線はネーミングセンスが秀逸ですね。

貴重なゴールデンサークルの現役時代の写真です
4本映っている列車はすべて同じ向きのユーリカ方面行きです
閉塞もへったくれもない、なんともアメリカンな風景です

このデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道は、デンバー&リオグランデ鉄道がいくつかの鉄道会社と合併して1920年にできた会社です。あのローリンズ峠のループ線を作ったモファット氏のライバルだった会社の末裔です。

ティンティック支線で最後まで残ったのは
パール駅から分岐するゴーシェンヴァレー線でした
こちらからお借りしました
時代とともに勢力範囲と名称を変えながら存続して、21世紀の現在ではついにBNSF鉄道(バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道)というアメリカ第2位の鉄道会社にまで登りつめています。

ティンティック支線は元はティンティック地方鉄道Tintic Range Railwayというデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道の子会社が作った路線で、1891年に開通しています。ゴールデン・サークルのループ線もこの時の開通です。実は意外と古い歴史のループ線でした。

この鉄道はソルトレークシティ南のユタ湖の南岸を通って、西にある鉱山地帯を結ぶ鉱山鉄道でした。

一帯はグレートベースンと呼ばれる乾燥した盆地で、極めて人口の希薄な地帯です。そんな地域ですが、銀が豊富に採れたため、一気に町が形成され、鉄道が開通しました。

儲かりそうだとあれば節操なく線路を引くのがアメリカ流ですが、この周辺はデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道の縄張りだったので、あまり無茶な路線網にはなっていませんが、細かい鉱山の一つ一つに支線を伸ばして支線群を形成していきます。

  • とにかく線路を敷いてからが勝負

こちらからお借りしました
このティンティック支線が目指したのはEurekaという峠の上の鉱山の街でした。ついエウレカと読みたくなりますが、英語ではユーリカないしはユーレカと発音するそうです。

古代ギリシャ語で「見つけた!」という意味で、なんとなくロマンチックな名前ですが、それよりもアニメの印象が強いですよね。

ちなみに全米にはざっと調べたところ10か所程度Eurekaという名前の街がありますが、大多数は鉱山がらみというのがちょっと面白いです。

ユーリカの街の東側は大昔はボンネビル湖という大きな湖だったそうで、平らな板を傾けたような地形になっています。標高およそ1400mのユタ湖沿岸から今は干上がって水のなくなった谷を縫って峠の頂上付近にあるユーリカまでひたすら坂を上っていく路線でした。


ちなみにユーリカの西側は標高1800mのなだらかな丘陵です。 ゴールデン・サークルは典型的な片勾配の地形に作られた鉱山鉄道線でしたが、ローカル旅客輸送も少なからず実施しています。草木も生えない荒地の中をループしていく見晴らしの良いループ線だったと述懐されています。

ゴールデン・サークルの曲線半径は145m、勾配は30‰、高低差は約30mです。支線とは言っても鉱物の重量輸送を前提に作られたにしては随分低規格です。

一般的にヨーロッパの鉄道と比べてアメリカの鉄道は急勾配、急曲線を嫌がりません。これはアメリカの鉄道建設は民間資本による原則の副作用です。先に開通させたもん勝ち、初期コストをかけたくない、という民間の経営の理屈から出てきた発想でしょう。


  • 受け入れるべき運命とあらがうべき試練
このゴールデン・サークル、一見平凡ですが、よく見ると非常に異色のループ線であることが分かります。

一つは最初からはっきり支線として作られたという点。

アメリカ国内のループ線はここ以外はすべて地域間輸送を狙った幹線上に建設されています。結果的に幹線になりそこなったものもありますが、建設時点から明らかな支線にループ線を作ったのはアメリカでは極めて異例です。それほどこの地域の鉱山輸送が経営的においしかったのでしょう。
※コメントでご指摘をいただきました。建設時点ではネバダ州を横切るつもりだったそうです。それほど大それた野望を持っていたならこの規模のループ線を作ったのも合点がいきます。

ユーリカ周辺のティンティック支線
1940年の機関車大型化よりも後の写真のようです
こちらからお借りしました

もう一つは、世界でも珍しい「付け替えた新線の方が急勾配」なループ線である点。

ティンティック地方の鉱山輸送は第一次世界大戦後に最盛期を迎えますが、ゴールデン・サークルは1940年に廃止されて、短絡線で直接坂を上るルートに変更されました。

資料によると「ゴールデン・サークルの木造橋が火災にあった」という説と「機関車の大型化で木造橋が重量に耐えられなくなった」という二つの説が見られますが、個人的には両者はどちらも正解なのではないかと思っています。

こちらは付け替え後の地図。ループ線がなくなっています。
こちらからお借りしました
木造橋が火災にあったことは事実で、これを復旧する際に、せっかくだから大型機関車を走らせよう、大型機関車ならパワーがあるからループしなくても大丈夫だろう、というある意味合理的な判断がされたものと思われます。

この結果、付け替えられた新線は40‰勾配という強烈な超急勾配路線になりました。

鉱山鉄道という特性上、鉱物を積載した重い列車は下り向きにしか走らないので問題なし、ということでしょう。アメリカの民間会社らしい考えですよね。ちなみに日本では止まれないと危険なので下り坂の方がいろいろと制限が厳しいです。

  • 実はまだ死んでいない
ゴールデン・サークルは1940年に廃止されましたが、新線に切り替わったティンティック支線は戦後もしばらく鉱山輸送が続きました。しかし1960年ごろに鉱山が次々と閉山されて使用頻度が下がって行きます。端的にいうと儲からなくなり、ユーリカへの定期旅客列車は1960年12月を最後に廃止になります。

最近まで運行されていた区間では現在も線路が残っているところもあります
これはパール駅で分岐するゴーシェンヴァレー線と国道6号線の踏切
こちらからお借りしました。
貨物列車の運行はしばらく続いていましたが、1972年にD&RGW鉄道は「ユリーカまでの支線を放棄する」と宣言します。

ただ線路設備はそのまま残してあり、時々列車が走ったりしていたそうで、「宣言」が一体なんのことなのかよく分かりません。

結局1990年代の中ごろに、大規模なレールの盗難にあってしまったせいで、普通の廃線と変わらなくなりました。最後に列車が走ったのは1985年だそうです。

よく見ると書類上ティンティック支線は、正式には廃止ではなくて休止の状態だそうです。実際途中のエルバータ駅までなどの一部の区間では2000年代の中ごろまで時々工事用の資材運搬列車が走っていたそうです。

実は英語の資料を読んでいると、廃止された路線のことをdisused railroad,abandoned railroad,abolished railroadと言葉を使い分けているのが気になっていました。

日本語にすると全部「廃線」ですが、「使わないが管理はする」「使わないので管理しないが所有はする」「管理もしないし所有もしない」という使い分けなんですね。なるほど。





次回はフランスのループ線をご紹介します。

2017/08/31

北米⑤ローリンズ峠ライフルサイトノッチループ  ある鉄道屋が残した線路の物語

  • ロッキー山脈を貫け!

今回はアメリカコロラド州、ロッキー山脈にあったループ線をご紹介します。

アメリカでは鉄道建設は民間資本によるのが原則だったことは何度がご紹介しています。これはメリットデメリット両方あったのですが、有名な鉄道投資家を何人も輩出した効果もありました。日本では阪急の小林一三と東急の五島慶太の二人ぐらいしか思いつきませんが、アメリカには有名な鉄道投資家が各地に数えきれないほどたくさん生まれました。

赤がデンバー・NW・パシフィック鉄道
青がデンバー&リオグランデ鉄道
点線はその他の鉄道
鉄道が乱立しているのはアメリカならではです。
今回ご紹介するコロラド州のローリンズ峠にあるライフルサイトノッチループはそんな鉄道投資家の一人コロラド州デンバーの銀行家、デビッド・H・モファットという人が生涯をかけて開通させた大陸横断鉄道の一つでした。

時代は1890年ごろの話になります。

この時期、コロラドから西海岸のオークランドまで、既に大陸横断鉄道が完成していました。デンバー&リオグランデ鉄道の914mmゲージの路線がロッキー山脈を迂回してプエブロからマーシャル峠を越えるルートで開通しています。

モファット氏は一時期デンバー&リオグランデ鉄道の経営陣に名を連ねていましたが、社内紛争の結果1891年に辞任させられてしまいました。

さらにデンバー&リオグランデ鉄道は、1890年に途中のサライダから分岐してテネシー峠を越えてグランドジャンクションに至る二本目のロッキー越えルートを同じく狭軌で開通させています。こちらは、標準軌の列車も走れるように三線軌とされ、当時はこちらがメインルートになっていました。

鉄道建設に私財を投げ打って奮闘したモファット氏、何が彼をそこまで駆り立てたのかイマイチ分かりませんが、デンバー&リオグランデ鉄道には波々ならぬ対抗心があったようです。

彼はデンバー・ノースウェスト・パシフィック鉄道という会社を作り、「ロッキー山脈を迂回せずに貫け」
”Through the Rockies, not around them." を合言葉に、1902年ライバル会社のルートに距離の短さで対抗する新線の建設に取り掛かりました。

工事は順調というよりもむしろ突貫で進み、1904年には大陸分水嶺のローリンズ峠を越えてアロー駅まで開通します。

有名なライフルサイトノッチのループ線はこの時誕生しました。

モファット氏はもともと長大トンネルでこのローリンズ峠を越えようと目論んでいたのですが、20世紀初頭の技術では無理だったようです。

  • 偉大な志は名前となって今も受け継がれる

さて、このライフルサイトノッチのループ線は全長37㎞の峠越えの途中にあり、最急勾配40‰、冬季は豪雪となる難所中の難所でした。一周1.6kmと当時としてはかなり大規模な輪を描いており、高低差はループ線部分だけで約80mでした。
ライフルの照準に見えなくもないでしょうか

ライフルサイトは文字通りライフル銃の照準のことで、ノッチは”細い道”です。ちょうどループ線部分のトンネルと橋の組み合わせがライフル銃の照準に見えることから名付けられました。

ついでですが、このローリンズ峠越え区間にある駅名やトンネルの名前はアメリカンジョークのような名前が付いていて見ていると面白いです。一見普通の名前に見えるアロー駅、コロナ駅、パシフィック駅なんかもひねりのきいたジョークが隠されてるのかもしれません 。

鉄道にとっては難所中の難所でしたが、雄大なロッキー山脈の中の景色の良い場所を通っており、たちまちアメリカ人に人気の鉄道名所となりました。


ところが、モファット氏が1911年に急死するとデンバー・ノースウェスト・パシフィック鉄道の経営は途端に傾き、1913年にあえなく倒産。西海岸どころかソルトレイクシティにもたどり着けずに工事は中止になってしまいました。

完成していたデンバー・ノースウェスト・パシフィック鉄道の路線はデンバー・ソルトレイク鉄道に吸収されますが、それ以降も何度も経営主体が変わっています。

ただ、ロッキー山脈を迂回せずに貫いた峠の路線はその距離の短さが絶対的優位に働き、既存のテネシー峠を越える路線との連絡線(ドットセル連絡線)が建設されて大陸横断のメインルートの地位を確立していきました。
アロー駅。驚いたことに水平な引き出し線に
ホームを作った日本によくある構造のスィッチバックだったようです。
隣のランチクリーク駅も衛星写真から見る限り同じ構造でした。

1928年、 モファット氏の最初の構想どおりローリンズ峠を越える延長10km勾配8‰のトンネルが開通し、ライフルサイトノッチのループ線は新線に切り替えられて廃止されました。

26年間で使命を終えた比較的短命なループ線でした。新線の長大トンネルはモファットトンネルと名付けられています。西海岸までは届きませんでしたがロッキーを越えるモファット氏の志はトンネルの名前として今も残っています。


  • 古き良きアメリカの魂

廃止されたループ線の方はローリンズ峠トレッスル(通称モファットロード)として遊歩道兼車道になって大部分が残されていますが、トンネルや橋が崩落している部分があります。ちょうどループ線の部分は木造の橋もトンネルもどちらも通行止めで現在は車では通れません。
現在のループ線の状況
雰囲気はよく残っていますがトンネルは埋められています

このライフルサイトノッチのループ線はロッキー山脈に挑んだ点がアメリカン魂を刺激するのか、古くに廃止された割には全米の鉄道愛好家に愛されており、現地の写真が豊富に見つかります。

また、新線となったモファットトンネルにはロサンゼルスとシカゴを結ぶカルフォルニアゼファー号が毎日運転されています。カルフォルニアゼファー号はまる3日間かけて3000㎞を走る超長距離列車ですが、毎日運転されているのは結構すごいです。

西向きに乗った場合は2日目の午前中に、東向きに乗った場合は2日目の夕方にロッキー山脈越えのモファットトンネルを通ります。一部の区間だけでも乗れますので、デンバーから西向きに乗って途中で折り返してくることも可能です。

これも一度は乗ってみたい列車ですね。



次回はドイツのループ線をご紹介します。

2017/06/25

北米④アラスカ鉄道ザ・ループ ループ線が廃止になった前代未聞の理由とは

  • アメリカ最後のフロンティア、それがアラスカ
前回に引き続いてアメリカ合衆国内からアラスカのループ線をご紹介します。

アラスカがアメリカ領になったのは1867年で、割と最近のことです。

当時広大なアラスカはほとんど無人地帯でしたが、1900年ごろ金鉱が見つかり、山師が大量に押しかけてアラスカの町はおおいに賑わったそうです。

それでも1912年のアラスカの人口が58000人だったと言います。「58万人か、面積を考えるとちょっと鉄道輸送には人口が足りないかな」とか思っていたら、さらに一桁少ない5万8千人でした。これではとても鉄道輸送が成り立つ規模ではありません。

実際アラスカの南岸の港町シューワードを起点とする初代アラスカ鉄道は、1903年の開業からわずか6年で倒産しています。その後もいくつかの民間会社が内陸に向けて少しずつ路線を建設しては倒産するということを繰り返します。

鉄道は民間資本で建設されるのが原則だったアメリカですが、ここアラスカでは一般の民間企業が鉄道経営を行うのは経済的に無理だったようです。

1920年代になるとアメリカ連邦政府が民間会社を買収して、例外中の例外で直轄での鉄道運営に乗り出しました。現在は州政府が保有しているので国営鉄道ではなくて公営鉄道となっています。

アメリカ連邦政府が原則から外れてまでアラスカに鉄道を建設したのは、アラスカ内陸部の豊富な鉱物と木材の輸送と、冬の間の交通路確保の意味合いが強かったようです。

ゴールドラッシュ自体は10年ほどで鎮静化します。採掘管理が厳しくなり、誰でも一攫千金というわけにはいかなくなったのが原因です。金が採れなくなったわけではなく、採掘は今も続いています。

そんなアラスカの大地にあるループ線は1909年にシューワード・ウィッティアー間に作られました。氷河地形独特のU字谷の縁を越える位置にあり、全長5km、高低差約80m、最急勾配22‰、曲線半径160mと規模もスペックもごくごく普通のループ線でした。

1952年に新線に切り替えられるまで夏のアラスカの鉄道名所としてアメリカの主要都市でさかんに宣伝され、ループ線は"The Loop"、ループ線の前後の区間は"The Loop District"と地名のごとく呼ばれた全米で有名な鉄道名所でした。

個人的には、この "The Loop"というアメリカ的な豪快な名称がツボなんですが、単にこの周辺の人口が希薄すぎて地名がなかったようです。ちなみに周辺の山、川、町等の名称はほとんどゆかりのある人名に由来したものだそうです。

  • 驚きのループ線廃止の理由とは・・・
このループ線は氷河をまたぐ巨大な木造の橋とトンネルで有名でした。氷河そのものをまたぐ鉄道はおそらく世界でここだけだったでしょう。しかし、この巨大木造橋とトンネルにはメンテナンスにとんでもなく手間とコストがかかるものでした。

文字通り掃いて捨てるほどあるアラスカ産木材を使った
巨大な橋が氷河をまたいでいました
零下40度にもなるアラスカでは、トンネル内や橋梁上の線路がすぐ凍結してしまうため、冬の間は線路際の小屋で薪をたいて四六時中暖め続けるという気の遠くなるような手間のかかる保守をしていたそうです。

結局1952年にトンネルと橋を通らない新線が建設され、ループ線は廃止されました。

ところが、この新線、よく見るとかなり違和感があります。

長大トンネルを作ったわけでもないし、急カーブを解消したわけでもないし、少しルートを変えただけで似たような場所を通っており、勾配緩和にもなっていません。

最初からトンネルと橋のないルートで線路を引けば良かったのでは?なぜ当初わざわざメンテナンスに手間のかかるループ線を建設したのか、とずっと謎に思っていました。

新旧路線図。点線が旧線です。

このループ線地帯の中央部を流れるブレイザー川は1930年ごろまでバートレット氷河という氷河の一部で、アラスカ鉄道の木造の橋は文字通り氷の上に建設されていたのは前述の通りです。ところが調べていくと、温暖化のせいで1940年の後半には鉄道の路盤に影響がないところまで氷河が後退してしまったとありました。

こちらからお借りしました。貴重な現役時代のカラー写真です
そうなると氷河を避けるために作られた木造の橋とトンネルは無用の長物、ただのメンテコストの金食い虫に成り下がってしまいます。

もはや氷河の再前進が起こることはない、と専門家に判定されたことを受けて、冬季におそろしくメンテの手間のかかっていた木造橋とトンネルを廃止して、ヘアピンターン一か所だけのシンプルな新線に付替えられたのでした。


ループ線が廃止される場合の理由は、おおむね「輸送需要の減少」か「勾配をバイパスする新線の建設」のどちらかですが、ここは「地形が変わってループする必要が無くなった」のが廃止理由です。これは世界のループ線の中でも唯一無二の存在で、マニアとしては見逃せません。


  • 冬の鉄道の安心感は異常
アラスカでは今でも道路の通じていない町があり、道路があっても厳寒の極低温期には車が使いにくいため比較的鉄道輸送のシェアが高いのが特徴です。冬季の自動車輸送は、雪と氷で走りにくいのもありますが、ガス欠や故障イコール凍死なので移動手段として危険すぎるそうです。

現在のアラスカ鉄道→公式HPは観光鉄道のような雰囲気に見えますが、厳冬期でも数は減りますが旅客輸送が休止されることはありません。

この区間を通過する旅客列車は夏季は毎日2往復運転されています。

アンカレッジ発のCoastal Classic Train と Glacier Discovery Trainの2列車が旧ループ区間を通過しています。

名物だった木造橋はすでに残っていませんが、今でも車内から氷河を遠くに見ることができます。

  • おまけ~世界最長の併用トンネル
アラスカ西部の不凍港のウィッティアーへ行く路線に、アントン・アンダーソン・メモリアルトンネルという全長4kmのトンネルがあります。これがなかなかの鉄道名所で、世界最長の鉄道道路併用トンネルです。

 このトンネルは零下40度、風速70m/秒になる冬場の気候に耐えられるように設計されているとのことですが、鉄道と道路の共用で車道は一車線分しかありません。

当然、車は一方通行で、1時間に1回、15分間だけ車が通れるそうです。トンネルの両側に大きな駐車場があり、通れるようになるまで駐車場で待ちます。夏場のシーズンなどは2時間待ちぐらいになったりするそうです。

なお、トンネルの通行は鉄道優先で、列車が通過する場合は車の方があらかじめ通行止めになるそうです。

通行料は13ドルと結構高いですね。こちらに詳しく出ています →アラスカ政府公式ページ



なかなかアラスカは鉄道マニア的にも面白そうな場所が点在していますね。





次回はアフリカの絶景ループ線をご紹介します。




2017/05/29

北米③テハチャピ峠 フロンティアスピリッツあふれる全米NO1ループ線

  • ロスからサンフランシスコへ続くフリーウェイを…

今回は北米からアメリカの超有名なテハチャピループをご紹介します。北米のループ線をご紹介するのはカナダのニューファンドランド島トリニティループをご紹介して以来です。合衆国国内のループ線は初めてになります。

テハチャピループはロサンゼルスからサンフランシスコに向かう途中にあるループ線です。

こちらからお借りしました →Pinterest
もともとロサンゼルスからサンフランシスコに向かう鉄道路線は主に2つのルートが作られました。

海岸沿い北上してサンホセを経由するルートと、先にシェラネバダ山脈を越えてベイカーズフィールドからサンホアキンバレーを北上するルートです。

このうち海岸ルートは海沿いの断崖絶壁と山脈を越える勾配で重量貨物輸送には不向きだったため、ロサンゼルスから一旦モハーヴェ砂漠を通ってサンホアキンバレーに抜ける山側のルートが重宝されました。

このモハーヴェ砂漠とサンホアキンバレーの間のシェラネヴァダ山脈を越えるところに建設されたのがテハチャピループです。

テハチャピループの開通は1876年で、サンフランシスコからロサンゼルスに向かって南向きに建設されました。この時代、北米大陸横断鉄道の終着点はサンフランシスコ(正確には少し内陸のサクラメント)で、そこから西海岸沿いに路線が延伸していった形でした。この区間は当時のサザンパシフィック鉄道が開通させています。ループ線としては1882年開通のゴッダルドバーンよりも早い世界最古のループ線の一つです。

ロサンゼルスは背後の山を越えるとすぐ広大なモハーヴェ砂漠で、この時代は山越えよりも砂漠越えの方が難易度が高かったのでしょう。

ループ線の勾配は22‰、曲線半径は直径1210フィートと資料にあり、これを換算すると半径184mになりますが、衛星写真で測ってみるとそんなにありませんでした。おそらく半径175mだと思います。

ベーカーズフィールドから南に向かって上り坂で、ループ線の南西にあるテハチャピの町が最高点です。ベーカーズフィールド・テハチャピ間は直線距離約40kmで高低差約1000mを上るかなりの連続急勾配となっています。

  • 今も残る西部開拓時代の雰囲気

テハチャピループは、いかにもカリフォルニアという雄大な景観の中を、全長1.6kmにもなる超重量貨物列車が頻繁に走っており、全米の鉄道写真愛好家には絶大な知名度の撮影地となっています。

WEB上で見つかる写真の数ではブルージオを上回っているかもしれません。

また、テハチャピループは非常に変わった形状をしているところも見逃せません。ω型といいましょうか、ハート形といいましょうか、ループ線進入前と退出後に輪の外側をさらに半周ずつ回っています。このような形のループ線は世界でもここだけです。衛星写真で見るとタコのようにも見えます。

ここでは単線区間にもかかわらず1日20往復40本(通常時)の貨物列車が走る超高密度区間です。

「1日40本なんて大したことない」と感じるかもしれませんが、1本の列車が通過するのに5分以上かかる長大列車ばかりですので、実はこれはなかなかすごいことです。

ベイカーズフィールドとテハチャピの間には全部で10箇所の信号場があり、貨物列車の長さに合わせた有効長の信号場を選びながら運行しているそうです。とんでもない綱渡り運用ですね。

なお、テハチャピループのほとんどはワロング信号場の構内になっており、一見したところ複線のように見えます。

  • 狙えば乗れないこともないと言われると乗りたくなるのがマニア

現在、テハチャピ峠では各信号場の有効長拡大と信号所間の複線化工事を随所で行っています。これだけの輸送を担っている重要区間ですのでこれでも今さら感がありますが、なぜ全区間複線化という話にならないのかちょっと不思議です。このあたりの土地代はただ同然ですしね。ちょっと投資に慎重すぎるような気もします。

黄色の単線区間が現在複線化工事中
実はアメリカでは19世紀の鉄道黎明期から現在に至るまで、戦争中を除いて国営鉄道が存在したことがありません。テハチャピループも開通当初からずっと私鉄の一路線です。

大部分の国で国土交通政策の一つとして計画建設される鉄道路線が、アメリカではずっと私企業の営利目的で建設されていたのはちょっと興味深いです。

これには功罪両面があると思いますが、儲かるところに複数社が路線が競合して運賃安売り競争の末共倒れしたり、儲からないところは速攻で廃線になったりすることや、建設費圧縮と早期利権確保を狙って粗雑な設備でとりあえず開通し、その結果事故が多発すること、利幅の少ない鉄道旅客輸送が早々に見捨てられたことなどは明らかに負の側面です。

現在ではおおむね日本のJRのような地域路線保有会社に運行会社の車両が乗り入れる運営形態で安定しているようですが、世界的に流行している高速鉄道がアメリカでなかなか具体化しないのは今も続く民間優先思想の弊害でしょう。

このテハチャピループでは残念ながら現在定期の旅客列車はありません。ベーカーズフィールド以北はサンフランシスコまで旅客列車が毎日走っているのですが、ベーカーズフィールド・ロサンゼルス間はバス連絡となっています。

ところが、ロサンゼルス~シアトル間を結ぶコーストスターライト号という特急列車が、海岸線の工事運休期間中テハチャピ経由で迂回運転をすることがあります。

最近では2017年2月5日~2月21日の間、テハチャピループ経由で運転されていました。その前が2012年、さらにその前が2008年だったそうなので、だいたい5年に1回ぐらい迂回運転があるようです。次は2021年~22年ごろでしょうか。実際の乗車記がありました。→こちら

You Tube に動画もありました。







次回は北米大陸からもう1ヵ所、前代未聞のループ線をご紹介します。

2016/05/14

北米②カナダ・ニューファンドランド島 池のまわりの廃止ループ線

  • 独立国のプライド

今回はカナダの東の端、ニューファンドランド島のループ線をご紹介します。

ニューファンドランド島は大西洋に面した東西約450km、南北約560kmの北海道よりも一回り大きい島です。日本の一般的な世界地図では右端にちょろっと描かれていて、北米大陸にまぎれて相対的に小さく感じますが、実は北海道の1.3倍もあるかなり大きな島です。高い山がないため強い海風が吹き、沖合を流れる寒流の影響で冬は厳寒、夏は濃霧という住むには厳しい気候です。

そんなニューファンドランド島ですが、沿海に世界有数の漁場があったため、古くからヨーロッパ人の入植が進みました。島で一番大きなセントジョンズの町がカナダ側ではなく、大西洋側にあるのはその名残です。

18世紀までの間はイギリスとフランスで領土争奪戦が繰り広げられましたが、1713年に最終的にイギリス領に落ち着きました。

時代は進んで20世紀に入ると、カナダが自治領としてイギリスから独立する際にニューファンドランドを併合しようとする動きがありました。

ニューファンドランドは住民投票の結果これを拒否して、独自の自治領となる道を選び、カナダとは別の独立国を目指したのでした。

こうしてニューファンドランドは1907年に自治領(ドミニオン)となり、カナダ、オーストリラリアに続いて実質的に独立を果たします。

  • 鉄路は死なず、ただ去りゆくのみ 

鉄道も標準軌のカナダ本土とは異なる1067mmゲージで建設が進み、1898年には島内を縦断する鉄道が完成しています。島の西端カナダ本土側のポート・オ・バスクからセントジョンズまでの本線は890kmもの長さになる長大路線でした。

ところが、あらゆるところで独自路線を突き進んだニューファンドランド島ですが、当時人口は30万人弱と独立国になるには少し人口規模が足りなかったようです。鉄道建設も資金的に相当無理をしたようで、開通当初から財政負担に苦しみます。「国の財政を良くするために作った鉄道が財政を苦しめている」と言われたりしました。

廃止直前のトリニティ湾を行く混合列車
さらに追い打ちをかけたのが第一次世界大戦でした。ニューファンドランド島はイギリス側で派兵しましたが、若年人口の4分の1が戦死してしまいます。

大戦後の大恐慌を乗り越えられず、1934年、ついに実質的な独立国の地位を返上して、イギリス領の植民地に戻ることとなってしまいました。

第二次大戦後の1949年にカナダに併合されて、ニューファンドランド州となって現在に至ります。住民投票ではカナダ併合賛成50.5対反対49.5の僅差だったそうです。

このような経緯でカナダ本土とは異なる気風が残るニューファンドランド島ですが、島内の鉄道路線はカナダ併合以降はカナダ国鉄CNRが運営していました。人口は少し増えて40万人程度になりましたが、やはり支線を含めて1000kmの鉄道路線網を維持するにはまだ少なかったようです。赤字に耐え切れず1988年に島内の鉄道路線は全線廃止されました。

  • 鉄道の歴史に留められるべきと思う
さて、ループ線ですが、島の南部のショールハーバーから北に分岐するボナヴィスタ支線のトリニティ湾の近くにありました。

ボナヴィスタ支線トリニティループとトリニティ湾
点線部分は遊園地時代に増設した短絡線

ニューファンドランド島は高い山がないおおよそ平らな島ですが、島の中央部は標高数百m程度の台地になっています。この台地と海岸沿いの境目にあったのがトリニティループです。

その名もループ池(Loop Pond)という池の周りをぐるりと回る、前代未聞、空前絶後の形状のループ線でした。世界中のループ線の中で「池の周りをループ」するループ線はここにしかありません。

しかも写真を見ると交差部の高低差はどう見ても20mもありません。池の一周は2kmぐらいなので勾配は10‰あるかないかです。

他にいくらでもループ線を使わないで海岸に至るルートが選定できたと思いますが、建設費の関係からトンネルを掘るのを意地でも避けたかったのでしょう。ニューファンドランド島内には鉄道トンネルが一つもなかったそうです。

超貴重な現役時代のトリニティループ
交差部の高低差は10m程度です。こちらからお借りしました

ボナヴィスタ支線は、1911年に開業し本線よりも先に1984年に廃止されています。廃止後しばらくの間はループ線跡を含めた池のほとりが、トリニィティループ鉄道村 Trinity Loop Railway Villageという遊園地っぽい公園になっていました。

旧ループ線上をディーゼル機関車牽引の客車で走れるアトラクションもあったのですが、それも2010年のハリケーンによる土砂崩れにあって今は廃園になっています。(You Tubeに激レアな公園時代のループ線の動画がありました。→こちら

このトリニティループはかえすがえすも惜しいです。形状といい立地といい景色といい、世界中のループ線の中でも抜群の異彩を放っていました。ボナヴィスタ支線全体的に言えますが、現役時代の写真もあまり残っておらず、話題にならずにひっそりと消えて行った感じです。


遊園地時代はそれなりに賑わっていたようですが、土砂崩れ以降は放置されています。今も交差部の鉄橋がかろうじて残っていて往時を偲べるのですが、観光列車としてでも再開できないものでしょうかね。それだけの価値はあるとは思います。

なお、島内には昔の駅跡を鉄道記念館のようにしているところが何か所かあり、機関車などが保存されているそうです。また、本線跡の全長890㎞ほぼ全部がNew Foundland T'Railwayというサイクリングロードになっています。






次回は島にあるループ線の中で廃止されたものから、一部で有名な樺太の宝台ループをご紹介します。

2015/11/22

北米①キッキングホース峠 北米随一の鉄道名所

  • 大陸横断の障害
さて今回はカナダの大陸横断鉄道がロッキー山脈を越えるキッキングホース峠をご紹介します。

南北アメリカ大陸はどちらも太平洋側の山脈が大陸横断の障害となっていました。その北米側の障壁だったロッキー山脈は北アメリカ大陸南部カリフォルニア付近では砂漠の岩山が中心ですが、カナダまで来ると森と氷河の山脈になります。いわゆるカナディアンロッキーです。

人口の希薄さはどちらも似たようなもんですが、水と木がふんだんにある分気分的に落ち着きます。少なくとも南米アンデス山脈に横たわるアタカマ砂漠の無人地帯に比べると寂寥感・世紀末感はありません。それでも地形的には砂漠とは違った険しさがあり、鉄道建設の先人の苦労が見て取れます。氷河が作るU字谷は谷底は平らなのですが、どこへ行くにも絶壁を上ることになる鉄道の最も苦手な地形です。

  • カナディアンパシフィックの挑戦


カナディアンロッキー山脈の内部では基本的に川は南北方向に流れています。従って東西の大陸横断を試みようとすると何度もU字谷を上って降りることになります。それでも果敢に挑んだのがカナディアン・パシフィック鉄道、現在のカナダ・ナショナル・レイルウェイです。ナショナルと付いていますが民営会社でCNと略称します。

ちなみに昔は本当に国有でCNRと称していたのですが、1995年の民営時にそのままの名称で略号をCNとしたようです。CRと略していれば日本のJNR⇒JRと同じだったんですが、惜しいですね。

カナディアン・パシフィック鉄道がこの峠に線路を初めて開通させたのは1884年で、実は大変歴史のある鉄路です。

当時大陸横断一番乗りを目指して鉄道会社同志で建設を競っており、一刻でも早く開通させたかったことから、建設期間短縮をするためにまっすぐ坂を下る45‰の急勾配の線路で当初開業しました。

目論見どおり、カナディアンパシフィック鉄道は単独の鉄道会社として初めて北米大陸の東西を結び、開業後は東西輸送で大変賑わったようです。キッキングホース峠の急坂にはThe Big Hillといういかにもアメリカ大陸的なニックネームが付く鉄道名所となりました。

  • 新線への付け替えとループトンネル

ところが、日本で言えば明治初期のこの時代の非力な蒸気機関車に7km続く45‰の連続勾配はさすがに酷でした。 前部2両、後部2両の蒸気機関車を連結し、旅客列車は13km/h、貨物列車は10km/hの速度制限で急坂を下っていったとあります。上りよりも下りに苦労したらしいことは、設備的に下り坂の途中に3か所非常停止用待避線が作られていることからも分かります。簡単に言えば規模の大きな脱線転轍機なのですが、それでも何回か下り坂で止まれないという暴走事故を起こしてしまいました。

線路図 左に向かって下り坂
そのうち補機必須かつ厳しい速度制限のThe Big Hillは輸送需要に応えきれなくなり、1909年に新線を建設して急勾配を解消することになりました。その際にできたのがスパイラルトンネルです。

新線の建設で勾配は22‰になり、輸送力も上がりました。ダブルヘアピンの両側がループトンネルというインパクトの強い線形ができるまでには、こんな経緯があったんですね。現在、旧線の上半分は高速道路建設の際になくなったようですが、下半分は遊歩道になっているとのことです。


  • 世界でも珍しいアレが見られる
先頭の機関車がループを抜けてます
ところでこのループトンネル、上下どちらも曲線半径が175mだそうです。現代的な感覚ではもう少し曲線半径を取りたくなる急カーブですが、曲線半径を広げてトンネルが長くなるのは避けたかったのでしょう。ループのほとんどがトンネル内という構造上仕方がありません。

しかし、この急曲線ループのおかげで、ここでは世界でも珍しいものが見ることができます。それは何かと言うと「最後尾の車両がループに入る前に先頭車がループを抜ける」現象、長ったらしいですが要するに蛇のとぐろ列車が見られるということです。私の調べた限り、こことアメリカのテハチャピループだけと思われます。残念ながら確証はありません。他でもあるよ、という情報がありましたらお知らせください。

  • 旅客列車も
旅客輸送の衰退した北米の鉄道網ですが、キッキングホース峠には観光列車としてまだ旅客列車が残っています。ロッキーマウンテニア鉄道の観光列車、"First Passage to the West"号が4月~10月の間、週に2往復程度走っています。ハイシーズンは3往復に増便されます。バンクーバー発レイクルイーズ行きとバンフ行きがありますが、どちらでもキッキングホース峠を通過することができます。また逆向きのバンクーバー行でも通過することができます。



こちらのブログでもキッキングホース峠について解説されています。地形から線路を追う感覚で世界のいろいろな鉄道を紹介されているサイトです。他にあまりない視点ですが、当ブログと趣旨がかぶる部分もあり個人的に非常に尊敬しています。是非ご一読いただければと思います。

次回はオーストラリアからベサングラのループ線をご紹介します。