2016/10/16

欧州⑰ドイツ・レンツブルグハイブリッジ 超異色の鉄橋ループ線

  • 船を通すために作った超巨大鉄橋ループ線
まちなかループ線シリーズもラストスパートに入りました。今回はドイツのまちなかループ線を二つご紹介します。今回も山岳鉄道ではありませんが、強烈な存在感を放つ世界でも異色のループ線です。

レンツブルグはシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州にある人口3万人の都市です。ここも中世以降ドイツとデンマークとの間で帰属が揺れた地域でもあります。

シュレスヴィッヒ・ホルシュタイン州はもともと神聖ローマ帝国領でしたが、15世紀ごろからしばらくデンマーク王国の領土となっていました。2度のシュレスヴィッヒ・ホルシュタイン戦争の結果、ちょうど日本の明治維新と同じ時期に当時のプロイセン領となっています。

第一次世界大戦後に半島の中央部、北部シュレスヴィッヒと言われている地域はデンマーク領に復帰しましたが、南部は住民投票の結果ドイツに残留しています。

さて、ユトラント半島の付け根にはデンマーク領だった1784年にキールとテンニングを結ぶ自然河川を利用したアイダー運河が建設されていました。レンツブルグはそのころから河川港の町として発展していきます。

鉄道の開通も古く、1845年にはノイミュンスターからレンツブルグまでの間でデンマーク系の鉄道会社によって開通しています。この時はまだ運河を越える橋はスイングブリッジ=旋回橋で、船が通るたびにレールを回転させていました。

ところが、1868年に一帯がプロイセン領になると、飛躍的に運河の重要度が高まります。列車が通る暇がなくなるほど船の通行量が増えました。航行距離の短縮に加えて、自国の内水だけで北海とバルト海を行き来できる点が軍事的に極めて重要でした。そこでドイツ帝国は新しい運河を開削します。これが1895年に開通したキール運河です。スエズ運河、パナマ運河と並んで世界3大運河と呼ばれています。

キール運河開通後もしばらくは旋回橋を使っていましたが、軍艦の往来に備えるため運河を拡張することになり、旋回橋を廃止して高い鉄橋で運河をまたぐことにしました。この時、レンツブルグ駅を移転させずに運河をまたぐだけの高さを稼ぐ方法として考え出されたのが、ループ線を使ったレンツブルグハイブリッジです。

こうして鉄橋部の全長2400m、鉄橋部の勾配6.6‰、取付部勾配12‰、高低差60mの全長5.5kmにもなる特大ループ鉄橋が1912年に完成しました。

文章にすると簡単そうですが、100年以上前の話です。よくこんなもの考えついて実際に作ってしまったものです。当時のドイツは恐ろしいですね。

さすがにこれだけの高さと長さの鉄橋だけあって見晴らし抜群、地上からの見た目のインパクトも強烈です。あまりにも上空から目立つため、第二次世界大戦中は鉄橋を守る専用の守備隊が置かれていたそうです。なお、鉄道橋の下に車と人を運ぶゴンドラが付いていて、渡し船のような使い方をする運搬橋という構造になっているそうです。

  • 圧倒的通行量を誇る
レンツブルク・ハイブリッジは現在でも旅客列車がものすごい頻度で走っており、ドイツからデンマークへ向かう重要な大幹線です。

キール・フースム線が日中30分ヘッドで1日41往復、ノイミュンスター・フレンスブルグ線が日中1時間ヘッドで1日21往復あります。

それに加えてハンブルグからノイミュンスター・フレンスブルグ経由でデンマークへ向かう国際特急が1日4往復(うち1往復は夜行のコペンハーゲン直行便)あり、合計で1日66往復132本の列車が行きかいます。 これ以外に貨物列車もあるので、かなりのへヴィートラフィックです。実際に乗車された方のページは→こちら


その他、週末にはミュンヘンまでドイツの南北を縦貫する特急や西部ケルンへの直行特急も運転されています。ハンブルグからレンツブルグまでは約1時間20分です。

旅客列車の運行本数では間違いなく世界一のループ線なのですが、山岳鉄道ではないのでナポリ地下鉄同様参考記録ですね。

列車ダイヤがらみで注目なのはキール~レンツブルグ間のローカル列車です。ローカル便にもかかわらず、始発がレンツブルグ発午前4時29分、金曜日の終電はなんと午前1時53分です。

平日でも午前0時31分まで運転されており、山手線も驚く脅威の運転時間。毎週末が大みそか状態のほとんど終夜運転のノリです。ちなみにキール発レンツブルグ行きは始発が午前3時48分!、金曜日の終電が午前1時08分ともっとすごいことになっています。

運転時間が長い割には朝夕のラッシュ時にも毎時2本ずつしかないのが不思議です。一体この区間の輸送需要はどうなっているんでしょうか。キールもレンツブルグも港町なので深夜にも移動需要があるのでしょうか。ちょっと現地を見てみたくなりますね。キールからレンツブルグまでは約40分です。

You Tubeに前面展望の動画がありました。想像以上の迫力ですが、橋の中央付近ではなぜか徐行していますね。



  • ドイツらしいと言えばドイツらしい連絡線ループ
さてドイツのまちなかループ線、もう一カ所は先ほどからちょろちょろ名前の出ているフレンスブルグにある連絡線です。ここも残念ながら山岳鉄道とは言い難いものですが、間違いなくループ線です。


フレンスブルグはどちらかというと商業港で、第一次大戦以降はドイツ最北端のデンマークとの国境の町となっています。

デンマーク領時代の1854年に作られたフレンスブルグ中央駅は、港のそばに作られた手狭なものでした。開通時はノイミュンスターからの路線だけでしたが、1864年にはデンマーク方面に線路が延長されています。この時に手狭なフレンスブルグ中央駅を避け、南側にフレンスブルグ・ヴァイヒェ駅を作ってそこから分岐する形態としました。

その後、ドイツ領になって続々と路線が増えていきます。1881年にはキールへ向かう路線が、1889年には北海側のリントホルムへ向かう線が開通します。ジェノヴァ港近辺と似たようなごちゃごちゃ状態になっていたのですが、ドイツ人はそういうのが許せなかったのでしょう。第一次世界大戦後の1927年にフレンスブルグ中央駅を移転させて、操車場機能はフレンスブルグ・ヴァイヒェ駅に集約しました。この時にできたのがフレンスブルグ連絡線のループ線です。

フレンスブルグ・フリーデンスヴェーク信号場
左の単線が中央駅からくるループ線
右の複線がヴァイヒェ駅に繋がっています
イタリア人とドイツ人の気質の違いが見えるようで面白いのですが、第一次世界大戦のドイツ敗戦後に作られた点も興味深いです。この時代、ドイツは戦後処理が一段落してハイパーインフレも収まり、相対的安定期と言われる束の間の好況期でした。ちなみにこの時日本では大戦中の好景気の反動と関東大震災による戦後不況の真っただ中でした。

フレンスブルグ連絡線には現在デンマーク方面への特急が1日10往復乗り入れています。このうち6往復はフレンスブルグ中央駅の始発・終着ですので、ループ線全体を通過するためにはハンブルグからのデンマーク直通国際特急4往復(うち1往復は夜行便)に乗らないといけません。

2016年現在、フレンスブルグ市では、デンマーク領内の鉄道路線高速化に合わせてヴァイヒェ駅を改築し、長距離列車は中央駅を通らずにデンマーク方面へ直行させる計画があるそうです。現在の中央駅は近郊列車専用にするようです。確かにそれだけでデンマーク方面へは15分ほど短縮できるので合理的ではあります。今のところ議論の段階ですが、この連絡線ループは将来安泰という訳ではなさそうです。





次回はまちなかループ最終回、ブルガリアのループ線をご紹介します。久しぶりに山岳ループ線です。

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