2018/04/22

北米⑥D&RGW鉄道ティンティック支線 鉱山とともに消えたアメリカンなローカルスパイラル

  • 賑わいは鉱山とともに
今回はアメリカのデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道(D&RGW鉄道)ティンティック支線にあったゴールデン・サークルというゴージャスな名前のループ線をご紹介します。相変わらずアメリカのループ線はネーミングセンスが秀逸ですね。

貴重なゴールデンサークルの現役時代の写真です
4本映っている列車はすべて同じ向きのユーリカ方面行きです
閉塞もへったくれもない、なんともアメリカンな風景です

このデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道は、デンバー&リオグランデ鉄道がいくつかの鉄道会社と合併して1920年にできた会社です。あのローリンズ峠のループ線を作ったモファット氏のライバルだった会社の末裔です。

ティンティック支線で最後まで残ったのは
パール駅から分岐するゴーシェンヴァレー線でした
こちらからお借りしました
時代とともに勢力範囲と名称を変えながら存続して、21世紀の現在ではついにBNSF鉄道(バーリントン・ノーザン・サンタフェ鉄道)というアメリカ第2位の鉄道会社にまで登りつめています。

ティンティック支線は元はティンティック地方鉄道Tintic Range Railwayというデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道の子会社が作った路線で、1891年に開通しています。ゴールデン・サークルのループ線もこの時の開通です。実は意外と古い歴史のループ線でした。

この鉄道はソルトレークシティ南のユタ湖の南岸を通って、西にある鉱山地帯を結ぶ鉱山鉄道でした。

一帯はグレートベースンと呼ばれる乾燥した盆地で、極めて人口の希薄な地帯です。そんな地域ですが、銀が豊富に採れたため、一気に町が形成され、鉄道が開通しました。

儲かりそうだとあれば節操なく線路を引くのがアメリカ流ですが、この周辺はデンバー&リオグランデ・ウェスト鉄道の縄張りだったので、あまり無茶な路線網にはなっていませんが、細かい鉱山の一つ一つに支線を伸ばして支線群を形成していきます。

  • とにかく線路を敷いてからが勝負

こちらからお借りしました
このティンティック支線が目指したのはEurekaという峠の上の鉱山の街でした。ついエウレカと読みたくなりますが、英語ではユーリカないしはユーレカと発音するそうです。

古代ギリシャ語で「見つけた!」という意味で、なんとなくロマンチックな名前ですが、それよりもアニメの印象が強いですよね。

ちなみに全米にはざっと調べたところ10か所程度Eurekaという名前の街がありますが、大多数は鉱山がらみというのがちょっと面白いです。

ユーリカの街の東側は大昔はボンネビル湖という大きな湖だったそうで、平らな板を傾けたような地形になっています。標高およそ1400mのユタ湖沿岸から今は干上がって水のなくなった谷を縫って峠の頂上付近にあるユーリカまでひたすら坂を上っていく路線でした。


ちなみにユーリカの西側は標高1800mのなだらかな丘陵です。 ゴールデン・サークルは典型的な片勾配の地形に作られた鉱山鉄道線でしたが、ローカル旅客輸送も少なからず実施しています。草木も生えない荒地の中をループしていく見晴らしの良いループ線だったと述懐されています。

ゴールデン・サークルの曲線半径は145m、勾配は30‰、高低差は約30mです。支線とは言っても鉱物の重量輸送を前提に作られたにしては随分低規格です。

一般的にヨーロッパの鉄道と比べてアメリカの鉄道は急勾配、急曲線を嫌がりません。これはアメリカの鉄道建設は民間資本による原則の副作用です。先に開通させたもん勝ち、初期コストをかけたくない、という民間の経営の理屈から出てきた発想でしょう。


  • 受け入れるべき運命とあらがうべき試練
このゴールデン・サークル、一見平凡ですが、よく見ると非常に異色のループ線であることが分かります。

一つは最初からはっきり支線として作られたという点。

アメリカ国内のループ線はここ以外はすべて地域間輸送を狙った幹線上に建設されています。結果的に幹線になりそこなったものもありますが、建設時点から明らかな支線にループ線を作ったのはアメリカでは極めて異例です。それほどこの地域の鉱山輸送が経営的においしかったのでしょう。
※コメントでご指摘をいただきました。建設時点ではネバダ州を横切るつもりだったそうです。それほど大それた野望を持っていたならこの規模のループ線を作ったのも合点がいきます。

ユーリカ周辺のティンティック支線
1940年の機関車大型化よりも後の写真のようです
こちらからお借りしました

もう一つは、世界でも珍しい「付け替えた新線の方が急勾配」なループ線である点。

ティンティック地方の鉱山輸送は第一次世界大戦後に最盛期を迎えますが、ゴールデン・サークルは1940年に廃止されて、短絡線で直接坂を上るルートに変更されました。

資料によると「ゴールデン・サークルの木造橋が火災にあった」という説と「機関車の大型化で木造橋が重量に耐えられなくなった」という二つの説が見られますが、個人的には両者はどちらも正解なのではないかと思っています。

こちらは付け替え後の地図。ループ線がなくなっています。
こちらからお借りしました
木造橋が火災にあったことは事実で、これを復旧する際に、せっかくだから大型機関車を走らせよう、大型機関車ならパワーがあるからループしなくても大丈夫だろう、というある意味合理的な判断がされたものと思われます。

この結果、付け替えられた新線は40‰勾配という強烈な超急勾配路線になりました。

鉱山鉄道という特性上、鉱物を積載した重い列車は下り向きにしか走らないので問題なし、ということでしょう。アメリカの民間会社らしい考えですよね。ちなみに日本では止まれないと危険なので下り坂の方がいろいろと制限が厳しいです。

  • 実はまだ死んでいない
ゴールデン・サークルは1940年に廃止されましたが、新線に切り替わったティンティック支線は戦後もしばらく鉱山輸送が続きました。しかし1960年ごろに鉱山が次々と閉山されて使用頻度が下がって行きます。端的にいうと儲からなくなり、ユーリカへの定期旅客列車は1960年12月を最後に廃止になります。

最近まで運行されていた区間では現在も線路が残っているところもあります
これはパール駅で分岐するゴーシェンヴァレー線と国道6号線の踏切
こちらからお借りしました。
貨物列車の運行はしばらく続いていましたが、1972年にD&RGW鉄道は「ユリーカまでの支線を放棄する」と宣言します。

ただ線路設備はそのまま残してあり、時々列車が走ったりしていたそうで、「宣言」が一体なんのことなのかよく分かりません。

結局1990年代の中ごろに、大規模なレールの盗難にあってしまったせいで、普通の廃線と変わらなくなりました。最後に列車が走ったのは1985年だそうです。

よく見ると書類上ティンティック支線は、正式には廃止ではなくて休止の状態だそうです。実際途中のエルバータ駅までなどの一部の区間では2000年代の中ごろまで時々工事用の資材運搬列車が走っていたそうです。

実は英語の資料を読んでいると、廃止された路線のことをdisused railroad,abandoned railroad,abolished railroadと言葉を使い分けているのが気になっていました。

日本語にすると全部「廃線」ですが、「使わないが管理はする」「使わないので管理しないが所有はする」「管理もしないし所有もしない」という使い分けなんですね。なるほど。





次回はフランスのループ線をご紹介します。