- 欲張りすぎてはいけない
今回は不幸にも列車が走らなかった未成ループ線をご紹介します。完成したかどうかは別にして、工事したにもかかわらず列車が走らなかったというループ線を超マニアックに取り上げていきます。まずはヨーロッパの未成ループ線を2か所見てみましょう。
1ヵ所目はイタリア・シチリア島南西部のリエージ・スパイラルです。
シチリア島の南西部のカニカッティ近郊にはトラビア・タッラリータ鉱山という大規模な硫黄鉱山があり、19世紀には多くの人口を有していました。鉱石の搬出と鉱山労働者の通勤用に早くから鉄道建設が望まれていました。
ロープウェイのような運搬機械を使って鉱石輸送を行っていたようですが、イタリア国鉄線がカニカッティまで完成したことから、鉱山労働者が多数住んでいたリエージとカニカッティ間の全長34kmの鉄道建設が1910年ごろから始まりました。
まるで古代遺跡のような風景が続きます 開通していれば景色の良さではトップクラスになれたのに惜しいです Ruggero Russoさんのサイトよりお借りしました →UNA FERROVIA MAI NATA: LA CANICATTI' - RIESI |
第1次大戦後の1930年代後半に工事を再開した際に、国鉄線と直通しシチリア島東西を結ぶ幹線級の路線にしようとの目論見で標準軌規格での建設に変更しました。
カニカッティ~ソマンティーノ間約20kmは既に950mmゲージ規格で土木工事の大半が完了していましたが、残りの区間の完成に合わせて標準軌規格に修正する計画だったようです。
ところが、1940年代に第2次世界大戦で再度工事が中断してしまいます。戦後は肝心の硫黄鉱山がすっかり斜陽化してしまい、ほとんど完成していた土木構造物だけを残して、線路が敷かれることなく1950年代に正式に放棄されました。
結果的には、標準軌規格に変更したことが敗着となってしまいました。なんとも皮肉なものです。950mmゲージのまま建設が続けられていれば、少なくとも一度は開業できたと思われます。
標準軌に変更したがために完成が遅れ、その数年の遅れが致命傷となった世界でも指折りのかわいそうな路線です。もっとも950mmゲージのまま開業していたとしても第2次大戦後のモータリゼーションで結局廃止になっていた可能性も否定できませんが。
衛星写真でもはっきりと痕跡が残っており、線路さえ引けばすぐにでも列車が走れた様子が伺えます。
なお、リエージは現在治安最悪のマフィアの町として有名になってしまっているようです。現地に行くには相当の気合いが必要かもしれません。
全線の様子はこちらが詳しいです。→Ferrovie Abbandonate イタリアの廃線
これを見ると950mm規格の西半分カニカッティ・ソンマティーノ間と標準軌規格の東半分ソンマティーノ・リエージ間では明らかに線形に差があるのが分かります。
- 合併された側の悲哀
もう1ヵ所はフランスの南部、ローヌアルプ地方の深い山の中に建設されたトランセヴナール線です。
ラ・ルー峠以北はほとんど完成していました |
ところが、グランドセントラル鉄道は1859年にパリ・リヨン・地中海鉄道(PLM鉄道)に吸収合併されてしまいます。
PLM鉄道は独自にクレルモンフェラン・ニーム間をアレス経由で結ぶセヴェンヌ線を建設している最中で、セヴェンヌ線が1870年に先に開業します。普通に考えて自社線の建設を優先しますよね。
クレルモンフェラン・ニーム間の幹線となる目標を失ったトランセヴナール線は地域ローカル線として引き続き建設されますが、重要度が大きく下がってなかなか工事が進まなくなりました。
30年かかってやっと起点のル・ピュイから約60kmのラ・ルー峠まで工事が進みましたが、ここで第1次世界大戦で工事中止のお決まりのパターンにはまります。
全長90kmのうちラ・ルー峠以北約60kmはほとんど完成していたにもかかわらず、1937年に発足したフランス国鉄SNCFはこの路線の工事続行を断念してしまいます。
ついに1941年にトランセヴナール線は正式に放棄されることが決定しました。せめて完成していた北半分だけでも開業させればよかったのにと思いますが、全線まとめて放棄された理由はよく分かりません。
最初に着工してから90年、結局トランセヴナール線には一度も列車が走ることはありませんでした。
トランセヴナール線の予定線が描かれている地図 |
一般的にループ線は標高の低い側から建設していくことが多いのですが、ここは逆だったようです。標高の高い方に工事の痕跡が残っています。ただし、ほとんど完成していた峠以北と比べると着工したばかりだったのでしょうか、衛星写真ではほとんど見分けが付きません。
右下から山脈を2回トンネルで横切ってモンペザ駅、その後ダブルへアピン、 最後にループ線という超大規模計画でした。この区間だけで高低差200mを上っています |
マニア的にも完成していればヨーロッパ最大規模となっていた二重ループ線は非常に惜しい存在です。
企業経済と戦争に屈した未成ループ線。 歴史にifは禁物ですが、グランドセントラル鉄道が吸収合併される前に完成までこぎつけていれば、今でもフランス中央高地を南北に結ぶ幹線の一つとして活躍していたかもしれません。
ループ線付近は痕跡が少ないので路線図はほとんど推測になってしまいました。
- おまけ~ 実は日本にも・・・
さらにもう一か所。未成ループ線と言えば実は日本にもあります。奈良県の五新線立川渡トンネルです。
ここは奈良県の五条と和歌山県の新宮を結ぶ吉野杉の運搬用路線として計画され、戦時中の1939年から建設が始まっています。戦後1957年に思い出したように工事が再開し、1970年代まで少しずつ工事が進行していましたが、国鉄の累積赤字が問題となった1982年に全線工事凍結されてしまいました。
この路線の途中に立川渡トンネルというところが高低差50mのループトンネルになる予定でした。
立川渡トンネル前後の路盤は完成していましたが、肝心のループトンネルだけが未着工で、残念ながらループ線自体の痕跡はまったくありません。難易度の高いループトンネルは後回しにしたのでしょうか。詳しくは→こちら
ディープなループ線マニアの世界、次回もおそらく世界でも知っている人が1万人いるかいないかの超マニアックな未成・短命ループ線をご紹介します。
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