2016/02/29

中国⑦水柏線 万丈の谷を越える三重らせん

  • チャイナバブルの申し子?

今回は中国西部、貴州省にある水柏線の大規模ループをご紹介します。

水柏線は比較的新しい路線で、2002年の開業です。四川省から昆明を通らずに直接南寧方面へ出るルートを確保することと、沿線から産出する石炭輸送が主な建設目的とされています。

ところが50kmほど西側には全線にわたって1966年開通の貴昆線が並行していて、あまり緊急度が高そうには見えません。しかもこの貴昆線が2012年に複線電化とともに160km/h対応で高速化され、通過輸送は現在のところどう見ても貴昆線経由の方がメインになっています。重複投資、過剰投資のような気もしますが、「需要は後から付いてくる」的な発想で建設されたのではと思ってしまいます。

水柏線は六盤水(リウパンシュイ)から紅果(ホングォ)まで貴州省の西の端を雲南省との州境に沿うようにして走ります。貴昆線は六盤水を出ると割とすぐに州境を越えて雲南省に入りますが、水柏線は最後まで貴州省内、それも六盤水市内です。

中間にある柏果(バイグォ)までは盤西線の一部として先に開業しており、後から開業した六盤水~柏果間を水柏線と称していましたが、現在ではまとめて水紅線と呼ぶ方が正式名称のようです。ちなみに貴昆線も、上海からのいくつかの区間を全部まとめて滬昆線(「滬」=上海)と呼ぶこともあります。

この貴州省西部の地形は極めて複雑、というよりもむしろ凶悪と言った方が正しいかもしれません。六盤水も紅果もどちらも標高1800mの高地の都市ですが、途中の北盤江という川の流域だけ標高が900m程度しかありません。

北盤江は標高2000m近い高原地帯におそろしく深い谷を作って流れる不思議な川で、その流域は凹んでいるというよりもえぐれているという感じです。

水柏線は全線で160kmと割と短い路線ですが、一度山を下って北盤江を渡り、また元の高さまで山を登るルートを走っていることになります。



  • インパクトは間違いなく世界一

今回ご紹介するループ線は、六盤水からおよそ70km、六盤水紅果のほぼ中間にあります。標高1200mまで下りてきた線路が、北盤江の深い谷を北盤江大橋で渡って一気に1600mまで再度登ります。

世界最新級にして最大級、3重らせん構造、全長26km、標高差400mのループ線は迫力満点。ループ線の輪の部分がきれいに3つ並ぶ様子は壮観の一言に尽きます。線形の派手さで世界一二を争うトップクラスのループ線と言えるでしょう。

また、北盤江大橋は2016年現在鉄道橋の高さ世界一の記録(275m)を持っており、実はループ線よりもこの鉄橋の方が有名です。緑の山間にある赤い超巨大鉄橋のインパクトは強烈です。

ただし、このループ線は21世紀生まれとあって標準勾配12‰(一部23.5‰勾配あり)、曲線半径450mと支線としては非常に高規格に作られており、標高差など一部のスペックではイラン縦貫線に負けていたりします。

また、世界最新ループ線の称号は2012年開業の韓国のソラントンネルのループ線に譲っています。

それでもこの水柏線のループ線は、ループ線マニアの心を捉えて離しません。線形が強く印象に残るのがその理由でしょう。

なお、この3重らせんの一番上にあるループ線は一周6.8㎞もあり、ループ線の輪の大きさで2016年現在世界一のタイトルを持っています。

  • まさしくマニア向け

水柏線の旅客列車は1日あたり5往復10本。そこそこの本数が走っていますが、そのうち3往復6本が普通列車または普通快速列車です。

これは長距離優等列車が主体の中国の鉄道では大変珍しいことです。やはり水柏線では長距離輸送よりも域内輸送がメインのようです。

お隣の貴昆線では旅客列車が24往復もあり、昆明~六盤水を平均4時間半、最速3時間40分で結んでいます。特急でも6時間以上かかる水柏線経由ではまるで勝負になりません。

昆明から六盤水あるいはその先貴州方面への移動は、普通の人が普通に選ぶと貴昆線経由一択ですが、マニア的には狙って水柏線経由で乗ってみたいですね。(実際にわざわざ狙って乗られたマニアな方のページはこちら



次回はヨーロッパからセルビアのループ線をご紹介します。



2016/02/17

アジア②イラン国鉄イラン縦貫線 驚異の6連ヘアピン

  • 世界史をも動かした重要路線
今回は中央アジア、カスピ海沿岸とイランの首都テヘランを結ぶイラン国鉄のイラン縦貫線Trans Iranian Railwayの超大規模ループ線をご紹介します。イラン国鉄と勝手に略していますが、正式にはイランイスラム共和国鉄道といういかつい名前です。
テヘランから北方向カスピ海に向かって伸びるのが縦貫線

カスピ海とペルシャ湾を結ぶイラン縦貫線はペルシャ帝国が近代化政策の一環として国威をかけて建設したもので、1937年の開通です。当時の皇帝レザー・シャー・パーレビ―が親独家だったため、鉄道建設にもドイツ人(正確にはオーストリア人らしいです)の技術者が携わりました。

開通年から見て推測できるとおり、この路線は軍事的な性格の強い路線でもあります。しかもカスピ海とペルシャ湾を結ぶという路線の性格上、極めて重要な役割を担っていました。第2次世界大戦中はドイツと戦争中のソヴィエトに向けての物資輸送に使うため、鉄道路線ごとイギリスに接収されたりしています。いわゆる連合軍のペルシャ回廊です。第2次世界大戦の趨勢に大きな影響を与えた鉄道と言えます。

イランの国土の大部分は岩山と低木からなる乾燥したステップ地帯ですが、カスピ海沿岸部だけは細長く横に伸びるアルボルズ山脈に湿気を含んだ風が当たり、豊富に雨が降る温暖な気候です。ちょうど日本海からの風が本州中央部の山地にあたって降雪するのと同じ原理です。アルボルズ山脈の標高は高いところで5000mを超えるため高地では雪も降ります。

一方イラン縦貫線の南半分ペルシャ湾側はガチの砂漠地帯で日中の気温は冬でも20度、夏は40度を超える灼熱地獄です。これだけの気温差のあるところを一気に通過するには鉄道にもそれなりの気候対策が必要だと思うのですが、そのあたりについて記述された文献があまり見当たらないのが不思議です。

  • 超ド級6連ヘアピンと8の字ループ
Veresk鉄道橋
さて、この狭くて高いアルボルズ山脈を越えるのは必然的にとてつもなく急な山越えになります。

特に峠の北側(カスピ海側)は標高0mから2300mまでを直線距離70kmほどで一気に上ります。普通であれば鉄道建設をあきらめるレベルの急勾配をまさに気合いと根性で通したというのが伝わってきます。

ハイライトはソルクハバード駅から峠の分水嶺トンネル手前のショウラブという集落までの約40kmで、ヘアピンと8の字ループで900mの標高差を登ります。

下段のソルクハバード駅付近ではダブルヘアピンだけでは高さが足りず、高度を稼ぐためさらに90度折り曲げた靴下型ヘアピンとしています。


上段のヴェレスク駅からドゴール(ドウギャル)駅付近までは、黄金の三本線(The Three Golden Lines)というニックネームを持つ4連ヘアピンになっており、途中の谷をまたぐヴェレスク鉄道橋はイランではお札に印刷されるほど有名な美しい橋です。

合計6つのヘアピンターンを繰り返して、最後に8の字ループで標高2000mに達します。この間の勾配は27.7‰、全長と標高差で世界トップのループ線です。


  • 上り方向で乗りたいところだけど・・・ 

下から見上げる黄金の三本線。すごいところを通っています
 現在、このイラン縦貫線には3往復6本の定期旅客列車があり、多客期には1往復2本の臨時便が追加して運転されます。

意外と言っては失礼ですが、イランの長距離列車は設備も整っていて快適に乗れるそうです。

しかも日本人的感覚からすると異常に安く、テヘラン~サーリー間の400km7時間が93500イランリアル=約360円、一等車の個室でも約960円です。桁を間違えてるのかと心配になります。

比較的乗りやすそうに見えますが、残念なことに計8本の旅客列車のうちの7本がこのループ区間を夜間に通過する夜行列車です。昼行列車はテヘラン発サーリー行の1本だけしかありません。

夜行列車のうちマシュハド発サーリー行の1本はサーリー着が朝の10時過ぎと遅いため、日の長い時期なら辛うじて朝方明るくなってからこのループ区間を通過できるかもしれません。どちらにしてもカスピ海側からループを登って行く方向の列車は日没後ばかりです。


  • おまけ~岩山の合間のダブルヘアピン
イラン縦貫線の南半分には、約200kmに渡って岩山の間の峡谷沿いを走る区間があります。その途中に突如出現するダブルヘアピン区間があります。線路同士がぎりぎり重なっていませんので当ブログではループ線に入れていませんが、ついでにご紹介しておきます。町の中をぐるっと鉄道が回っているなかなか面白いところです。おそらく鉄道の開通に伴って開かれた鉄道関係者の街なんじゃないかと思います。

現在イラン縦貫線の南北を直通する列車はなく、途中のテヘラン等で一度乗り換えが必要ですが、一度は乗りとおしてみたいです。



次回は中国貴州省から水拍線のループ線をご紹介します。

2016/02/05

アフリカ①エリトリア国鉄 新しい国の古い鉄道


  •   アフリカの断崖絶壁に挑め

今回はアフリカ大陸からエリトリア国鉄Eritrean Railwayのループ線をご紹介します。

アフリカ大陸には現在判明している限りループ線が8カ所ありますが、そのすべてが植民地時代に宗主国が建設したものです。そのため意外と歴史が古いものばかりなのが特徴です。今回ご紹介するエリトリアという国自体知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、1993年にお隣のエチオピアから独立した平成生まれの新しい国です。

エリトリアはかつてイタリア領で、鉄道もイタリア製の車両が日本よりも一回り小さい950mmゲージの路線を走っています。橋やトンネルといった土木構造物から車両に至るまで、随所にイタリアっぽさが絶妙に残っています。

この950mmゲージは特殊なナローゲージでイタリア本国とアフリカの旧イタリア領にしか見られません。

ちなみに隣接国ではエジプト・スーダンは日本と同じ1067mmゲージ、ケニア・タンザニアはメーターゲージです。ソマリアは同じ旧イタリア領だった関係で950mmゲージの鉄道が走っていましたが、現存していません。

エリトリア国鉄は1887年に紅海に面した港湾都市マッサワから建設が始まり、1911年に首都アスマラまで開通しました。その先もスーダンとの国境を目指して建設が続きましたが、第2次世界大戦後1975年のエチオピアからの独立戦争時に破壊されてしまい現存していません。マッサワ~アスマラ間の約120kmだけが独立後に再建されて2003年に復活しています。

エリトリアの地形は極めて特徴的です。紅海沿岸のマッサワから約70kmの区間は丘陵地帯で、雨が降った時だけ水が流れる涸れ川に沿ったゆるい登り坂(と言っても20‰勾配)ですが、終点のアスマラは標高2400mの断崖絶壁の上です。

最後の20kmネファジット~アスマラ間の標高差は650mにもなり、35‰勾配で一気に登ります。この絶壁の途中にループ線があります。

なお、この絶壁はヴィクトリア湖に続くアフリカ大地溝帯の一部で、エリトリアの国内を南北に縦貫しており、海からエリトリアの内陸部を目指す場合、必ずどこかで絶壁を登らなければいけません。

  • ループ線と言えるのか?

この図では表記されていませんが、実際はTunnel25と
110キロポスト付近で線路同士が交差しています。
実はこのループ線、意図してループ線として建設されたものではありません。できるだけ地形に沿って線路を敷設したらダブルヘアピンの途中で上下の線路が一部交差してしまったというのが真相です。これをループ線と呼ぶかどうかは結構微妙です。

当ブログでは自分自身と立体交差する線路をループ線としており、その定義では間違いなくループ線なのですが、一般的ないわゆるループ線として認めるのは少数派のようです。

2010年代とは思えないのどかさ
こちらのページから拝借しました)
ループ線といえるかどうかは多少微妙ではありますが、崖から伸びる尾根を足掛かりに絶壁を登っていく姿はなかなか見事で、イタリアの鉄道土木の技術力が垣間見えます。

また、この線はSLが現役で走っている路線として世界中のSL趣味者に超有名な存在でもあります。残念ながら定期旅客列車はないようですが、アスマラ~ネファジット間を観光列車が週1本毎週日曜日に走っています。

2010年代に撮影されたとはにわかに信じがたいのどかでレトロな蒸気機関車の写真がWEB上で豊富に見つかります。

  • 鉄道員魂を感じる


とはいえさすがにSL車両はだいたい1940年ごろの製造で老朽化は否めません。補修して使うのにも限界があるので、いずれ車両の置き換えをしていかないとせっかく再建した鉄道も使えなくなってしまわないかちょっと心配です。

全盛期には1日30本の列車が走っていたこと、独立して最初に手掛けたのが廃止から30年も経った鉄道の再開だったこと、古い車両を直しながら使っていることなど、実は現地の人は相当鉄道に思い入れがあるのではないかと思います(→関連記事はこちら)。これからも元気に走り続けてほしいですね。

大規模ループシリーズに入れるにはちょっと規模感が足りませんし、そもそもループ線かどうかすら怪しいのですが、エリトリアの人たちの鉄道にかける思いに免じてということで。



次回は正真正銘大規模な中東イランのループ線をご紹介します。

2016/01/26

欧州④ゴッタルド・バーン ループ線の帝王、見参


  • 生まれた時からループ線の帝王

今回は超有名なループ線群、スイス国鉄ゴッタルド・バーンをご紹介します。

ゴッタルドバーンは横長のスイスの国のほぼ中央部、イタリアにはみ出した部分に向かって南北に結ぶアルプス山脈横断路線です。スイスの東側4分の3はドイツ語圏で、ゴッタルドバーンもドイツ語です。直訳するとゴッタルド鉄道ですが、日本語でいうと「ゴッタルド線」に近いニュアンスだと思います。ちなみにゴッタルドバーン(Gotthard Bahn)で検索すると「マッターホルンゴッタルド鉄道」というメーターゲージの私鉄もひっかかってきますが、両者は別物です。

世界史の苦手だった私にはとても調べきれませんが、どうやらアルプスの南北を結ぶのは12世紀の神聖ローマ帝国時代からの悲願のようなものだったようです。実際にゴッタルド峠にトンネルを掘ってヨーロッパ南北を鉄道で直結しようとしたのは、19世紀後半のドイツとイタリアでした。この当時ドイツは現在のポーランドまで領土があった帝政ドイツ、イタリアは領土拡大に命をかける統一イタリア王国、フランスはフランス革命から続いた政体の変遷がやっと落ち着いた第三共和政の初期です。こう書くとものすごい昔のような感覚になりますね。

1871年から工事が始まったゴッタルド鉄道は、イタリアとドイツが出資して作った民間企業体でした。神聖ローマ帝国のDNAを受け継いだ帝政ドイツがイタリアを目指したのもむべなるかな、というところです。

さて、ゴッタルドバーンは1882年に開通したのち、1916年に複線化、1920年に電化されています。文献をあさっていると電化については専用の水力発電所を作ったとか、スパーク防止のために最初は低電圧で走らせたとかいろいろエピソードが出てきますが、複線化についてはほんの一行触れてある程度です。

どうやらゴッタルドバーンは開業当初から複線化を見越して、複線路盤で作ってあったようです。グーグルの空中写真を目を皿のようにして見ても、付け替えられた旧線が見当たりません。これは恐るべき先見性ですね。曲がりなりにも現代でも通用するスペックを19世紀の開通当初から備えていたということになります。


  • 機能美は美しい

ゴッタルドバーンはゴッタルドトンネルを頂点に両側にループ線を備えた典型的な拝み勾配の双子ループの形状ですが、北側のループをNorth Ramp(Nordrampe独)、南側のループをSouth Ramp(Südrampe独)と独特の名称で呼んでいます。どちらも非常に印象的な線形をしています。

North Rampはヴァッセン駅の手前から始まり、ループと長いダブルヘアピンになっています。South Rampはゴッタルドトンネルの南口にあるアイロロ駅からイタリアに向かっての下り勾配を二組4つのループで下っていきます。

特に一番イタリア側のビアシーナループ(Biaschina Loop)は、二つのループが一体となった二重螺旋構造のきれいな眼鏡型になっています。標高も稼ぎながら前進もするという極めて合理的な線形です。勾配は全線にわたって25‰です。

ビアシーナループの前面展望のビデオがYouTubeにありました。 →こちら 思った以上に高低差を稼いでいる様子が分かりますね。 2016/7/20 追記

左がNorth Ramp、右がSouth Ramp


  • 世界一じゃなくなっても

NorthRamp ヴァッセン周辺
ゴッタルドバーンループ線群はいろいろな点で世界トップレベルです。

歴史の古さ(1882年開通)、短時間に多数のループ線を通過するループ線密集度(アルトゴルタウArth-Goldau~ベリンゾーナBellinzona間1時間30分でループ線5カ所ダブルヘアピン1カ所を通過)、一日の旅客列車通過本数(40往復80本)、ループ線が複線軌道(山岳用のループ線では2016年現在ここと同じスイスのレッチュベルグ線のループ線だけ。なお、先日ご紹介したサヴォナループも複線路盤で建設されていますが、今のところ単線運用です)などはおそらく世界一だと思います。まさに帝王の風格です。

SouthRampビアシーナループ。定番アングルのようです。
そんなループ線の帝王ですが、青函トンネルを抜いて全長57kmの世界最長鉄道トンネル、ゴッタルドベーストンネルでループ線をバイパスする工事が進行中です。

もうすでに建設工事は終わり、現在試運転中で2016年8月から旅客列車が走り出すそうです。やはり帝王といえども双子ループ、長大トンネルには弱かったということですね。(※竣工したのは2016年6月で旅客列車の営業は2016年12月からになったようです。2016/6/2追記)

帝王からの陥落もすでにカウントダウンの段階に入っていますが、新トンネル開業後もゴッタルドバーンのループ線群は廃止されず、ローカル輸送用として生き残ることが決定しています。

ただし、特急はすべて新トンネル経由になり、単線化されるとのことですので、先にあげたいろいろなトップの座を他のループ線に譲ることになりそうです。まあ、廃止されないだけ良かったということでしょうか。当面ゴッタルドバーンループ線群に列車が走り続けると分かって一安心です。





なお、私の調べた限りでは、旅客列車の通過本数世界一の座は北陸線の鳩原ループが獲得することになりそうです。上り線だけの片方向、定期の旅客列車だけで一日60本が通過する鳩原ループは世界的にはモンスターループ線なんですね。

次回はアフリカの大規模ループをご紹介します。

2016/01/09

欧州③アヴラモーヴォ ナローゲージの生活ループ線


  • のどかな高原鉄道の実態は・・・

今回はブルガリア国鉄セプテンブリ・ドブリニーシュテ線のアヴラモーヴォ・ループをご紹介します。

ブルガリア南部、バルカン半島のほぼ中央のムサラ山のふもとの高原地帯を行くセプテンブリ・ドブリニーシュテ線は非電化の760mmゲージ路線で、セプテンブリからドブリニーシュテに向けて1921年から順次延伸していき、1945年に今の形になりました。125kmを約5時間かけて走るのどかな高原のローカル線です。

建設年代から見ておよそ見当がつくとおり、もともと軍事目的で「森を利用する」ために計画・建設された路線です。当方ブルガリア語はまるで分かりませんが、Google翻訳にぶち込むとそう出てきます。軍用の木材を調達するために、という意味でしょうか。直接の軍事輸送に使うのにナローゲージではちょっと心もとないです。

このムサラ山はバルカン半島の最高峰です。南麓東側はギリシャ領トラキアからエーゲ海に流れるメスタ川(ギリシャ名ネストス川)水域、南麓西側はギリシャトルコ国境を流れるマリーツァ川水域です。両者の分水域を超えるセプテンブリ・ドブリニーシュテ線は、のどかな見た目とは裏腹に、標高差1000mを走る本格的な山岳路線でもあります。ちなみにムサラ山の北、首都ソフィア側はドナウ川の水域です。


  • ナローゲージと侮るなかれ
アヴラモーヴォループは起点セプテンブリから60kmのスヴェタペトカ駅から始まります。セプテンブリの標高は200m、スヴェタペトカの標高は800m登った1000mです。ここまでもかなりな勾配です。甲府から野辺山まで中央本線小海線で行くとちょうど距離60km、標高差800mぐらいですのであんな感じの上りが続くのでしょう。

そこから線内最高点のアヴラモーヴォ駅までのループ線は全長10km、標高差230m、最急勾配30‰と本格的です。


760mmゲージは軽便鉄道と日本語に訳された影響で、どちらかというと簡易な乗り物という印象を受けますが、ここはそんな間違った概念を軽く吹き飛ばしてくれます。巨大なダブルヘアピンの途中でループを二つ持つ世界でも有数の大規模なループ線です。

機関車がDD54に似ています

冬のアヴラモーヴォ駅の交換風景。右側通行なんですね。
ナローゲージの鉄道は手軽に敷設できる反面、その線路規格の低さが災いしてモータリゼーションの波に飲まれて公共輸送機関から脱落するケースが世界中で見られますが、ここでは立派にローカル輸送の一翼を担っているようです。

旅客列車はH28年1月現在一日4往復8本あり(この他にループ線まで行かないセプテンブリ~ベニングラード間の区間列車が1往復あり)、ナローゲージとは思えない立派なディーゼル機関車が客車を4~5両引いて走っています。貨物列車も少数ですが走っているようです。また、団体で予約すると蒸気機関車牽引のチャーター列車を走らせてくれるというサービスもあります。これはなかなか魅力的ですね。

  • もうひとつの世界トップレベル

緑色の蒸気機関車のチャーター列車
セプテンブリ・ドブリニーシュテ線はアヴラモーヴォを頂点にその先西側は下り坂になりますが、下り側にも2連のループ線(スモレーヴォ・ループ)があります。

こちらはアヴラモーヴォループとは対照的に極めて小規模なもので、特に下側のループは760mmゲージの小回りを生かした半径80m全長600m弱の非常に小さいループ線です。

これはおそらく世界最小規模クラスだと思います。最大クラスと最小クラスを一度に体験できてお得感がありますね。

ブルガリアと言えばコマーシャルの影響でヨーグルトしか思いつかない人が多いと思いますが、このセプテンブリ・ドブリニーシュテ線は鉄道ファンには様々な面でとても魅力的です。

動画がみつかりました。スモレヴォの上側ループです。 →こちら(ただし激重です)。

ただ、あまりの知名度の低さに、この路線に乗られた日本の鉄道ファンの方は極めて少ないのが残念です。(かろうじて現地在住の日本人の方の乗車記をみつけました →こちら






次回は有名どころでスイス・ゴッタルド線をご紹介します。