2016/02/05

アフリカ①エリトリア国鉄 新しい国の古い鉄道


  •   アフリカの断崖絶壁に挑め

今回はアフリカ大陸からエリトリア国鉄Eritrean Railwayのループ線をご紹介します。

アフリカ大陸には現在判明している限りループ線が8カ所ありますが、そのすべてが植民地時代に宗主国が建設したものです。そのため意外と歴史が古いものばかりなのが特徴です。今回ご紹介するエリトリアという国自体知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、1993年にお隣のエチオピアから独立した平成生まれの新しい国です。

エリトリアはかつてイタリア領で、鉄道もイタリア製の車両が日本よりも一回り小さい950mmゲージの路線を走っています。橋やトンネルといった土木構造物から車両に至るまで、随所にイタリアっぽさが絶妙に残っています。

この950mmゲージは特殊なナローゲージでイタリア本国とアフリカの旧イタリア領にしか見られません。

ちなみに隣接国ではエジプト・スーダンは日本と同じ1067mmゲージ、ケニア・タンザニアはメーターゲージです。ソマリアは同じ旧イタリア領だった関係で950mmゲージの鉄道が走っていましたが、現存していません。

エリトリア国鉄は1887年に紅海に面した港湾都市マッサワから建設が始まり、1911年に首都アスマラまで開通しました。その先もスーダンとの国境を目指して建設が続きましたが、第2次世界大戦後1975年のエチオピアからの独立戦争時に破壊されてしまい現存していません。マッサワ~アスマラ間の約120kmだけが独立後に再建されて2003年に復活しています。

エリトリアの地形は極めて特徴的です。紅海沿岸のマッサワから約70kmの区間は丘陵地帯で、雨が降った時だけ水が流れる涸れ川に沿ったゆるい登り坂(と言っても20‰勾配)ですが、終点のアスマラは標高2400mの断崖絶壁の上です。

最後の20kmネファジット~アスマラ間の標高差は650mにもなり、35‰勾配で一気に登ります。この絶壁の途中にループ線があります。

なお、この絶壁はヴィクトリア湖に続くアフリカ大地溝帯の一部で、エリトリアの国内を南北に縦貫しており、海からエリトリアの内陸部を目指す場合、必ずどこかで絶壁を登らなければいけません。

  • ループ線と言えるのか?

この図では表記されていませんが、実際はTunnel25と
110キロポスト付近で線路同士が交差しています。
実はこのループ線、意図してループ線として建設されたものではありません。できるだけ地形に沿って線路を敷設したらダブルヘアピンの途中で上下の線路が一部交差してしまったというのが真相です。これをループ線と呼ぶかどうかは結構微妙です。

当ブログでは自分自身と立体交差する線路をループ線としており、その定義では間違いなくループ線なのですが、一般的ないわゆるループ線として認めるのは少数派のようです。

2010年代とは思えないのどかさ
こちらのページから拝借しました)
ループ線といえるかどうかは多少微妙ではありますが、崖から伸びる尾根を足掛かりに絶壁を登っていく姿はなかなか見事で、イタリアの鉄道土木の技術力が垣間見えます。

また、この線はSLが現役で走っている路線として世界中のSL趣味者に超有名な存在でもあります。残念ながら定期旅客列車はないようですが、アスマラ~ネファジット間を観光列車が週1本毎週日曜日に走っています。

2010年代に撮影されたとはにわかに信じがたいのどかでレトロな蒸気機関車の写真がWEB上で豊富に見つかります。

  • 鉄道員魂を感じる


とはいえさすがにSL車両はだいたい1940年ごろの製造で老朽化は否めません。補修して使うのにも限界があるので、いずれ車両の置き換えをしていかないとせっかく再建した鉄道も使えなくなってしまわないかちょっと心配です。

全盛期には1日30本の列車が走っていたこと、独立して最初に手掛けたのが廃止から30年も経った鉄道の再開だったこと、古い車両を直しながら使っていることなど、実は現地の人は相当鉄道に思い入れがあるのではないかと思います(→関連記事はこちら)。これからも元気に走り続けてほしいですね。

大規模ループシリーズに入れるにはちょっと規模感が足りませんし、そもそもループ線かどうかすら怪しいのですが、エリトリアの人たちの鉄道にかける思いに免じてということで。



次回は正真正銘大規模な中東イランのループ線をご紹介します。

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