- ボスニアンゲージの貴重な生き残り
今回はセルビアの西部、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境近くにあるループ線、シャルガンエイトをご紹介します。シャルガンはループ線のある峠の名前、エイトはループ線が8の字を描いていることから付いたニックネームです。ニックネームとは言え、セルビア国鉄のHPに堂々と名前が出ていますので公式名称に近いものでしょう。
この線はボスニアのサラエヴォとセルビアのベオグラードを結ぶ鉄道として1922年に開通した760mmゲージの路線です。開通時は東ボスニア鉄道 Bosnische Ostbahn というオーストリア系の民間会社でしたが、東側のおよそ半分はセルビア領土内を走っていました。
バルカン半島では760mmゲージの鉄道が第一次世界大戦の始まる前ぐらいの時期から盛んに建設されていました。760mmゲージのことをボスニアンゲージと呼ぶほど広まりましたが、20世紀中盤ごろから幹線は標準軌に改軌されていき、ローカル線は自動車に役目を譲って廃止され、現代にはほんのわずかしか残っていません。今では貴重な存在となっています。
- ヨーロッパの火薬庫への引き込み線
セルビアとボスニア・ヘルツェゴヴィナは隣接していて同じ南スラヴ系の人々が住んでいるにもかかわらず、歴史上何かあるたびにお互いに殺し合いをするほど仲が良くありません。鉄道が国境を越えて通じていること自体が不思議ですが、そこはヨーロッパの火薬庫と言われたバルカン半島の歴史と深く関係しています。
ディーゼル機関車。かなり独特の風貌です |
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは1900年代の始めごろはオーストリア・ハンガリー帝国の領土でした。だから鉄道もオーストリア資本だったのですね。
ところが、オーストリア・ハンガリー帝国は第一次世界大戦で敗戦し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはセルビアに併合されてセルボ・クロアート・スロヴェーヌ連合王国(のちのユーゴスラヴィア)という国になります。
この鉄道がサラエヴォから国境手前のヴィシェグラードまで開通したのは1906年で、この時はまだオーストリア・ハンガリー帝国領土内だけの路線だったのですが、ヴィシェグラードから現在の国境以東ベオグラードまでが開通した1922年には全線がユーゴスラヴィア領内になっていました。結局、1920年代の終わりに全線まとめてユーゴスラヴィア国鉄の一路線となっています。ここでも線路が歴史に翻弄されていますよね。まったくヨーロッパの鉄道の歴史と戦争は密接不可分です。
- 観光鉄道として華麗にカムバック
例によってO-銛様のサイトからお借りしました |
さて、このループ線、全長15km、高低差220m、勾配18‰とスペック的にはそこそこですが、線形の見た目のインパクトが強く、眺望が抜群に良かったため古くからヨーロッパでは鉄道名所として知られる存在でした。細い谷を巻く長いヘアピンと8の字ループ、レールが4層に重なる部分などマニア的になかなか見逃せないものがあります。広い谷間を見下ろす眺望のいい路線にビンテージなSL。これを観光資源に活用したセルビア観光局はなかなか慧眼です。
ヴィシェグラード試運転時の新聞記事から 熱狂しすぎです |
列車はハイシーズンには1日4往復(閑散期は1日1往復)あり、モクラゴーラから出発して戻ってくる1往復2時間程度の小旅行です。1乗車600円とお手頃価格で、モクラゴーラの駅舎がホテルになっており泊まることもできます。
モクラゴーラ駅 後ろはホテル |
また貸切列車はディーゼル機関車6万円、蒸気機関車12万円です。割と貸切で乗ってみようかな、と思える絶妙な金額設定です。ヨーロッパのSL趣味者にかなりの人気で、ヨーロッパ各地から1泊~数泊のツアーが出ています。まったくセルビア観光局は商売が上手です。
現代は少なくとも観光列車が走れるぐらいには平和だということですが、末永く平和に走り続けてほしいと思います。
蛇足ですが、セルビアの通貨セルビアン・ディナール(RSD)は、世界の通貨の中で一番日本円に換算しやすい通貨です。2016年3月現在、1RSD=1.015円ですので2%も違いません。そのまま単位を円に変えれば良く、例えばシャルガンエイトの料金は600RSD=約600円、蒸気機関車の貸切は120,000RSD=約121,000円といった具合で簡単に換算できます。
大規模ループ線シリーズも終盤に入ってきました。次回はアジアからパキスタンのループ線をご紹介します。
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