- 産業革命の原動力
グレートブリテン島は今さら説明するものでもないでしょうが、南北約1000km弱、東西200km~400kmと面積的には本州より少し小さい島です。イギリスはグレートブリテン島にあるイングランド・スコットランド・ウェールズとアイルランド島にある北アイルランドの4つの国の連合王国ですが、今回のループ線は島の西側ウェールズにあります。
ウェールズの北部の山地と丘陵地帯は石炭と石灰石がよく採れて、イギリス産業革命の原動力となりました。ここでは採れる石炭は良質な無煙炭で、それを使った製鉄業がイギリスの工業化を引っ張っていくことになります。
石炭の輸送手段として蒸気機関車が開発され、鉄道網を広げるためにさらに鉄が必要になり、鉄を作るためにまた石炭が必要になるという循環作用を生み、19世紀中盤に鉄道狂時代と呼ばれる鉄道建設バブルが到来します。イギリスでは1840年代に急速に路線網が拡大し、1850年までに総延長1万㎞、1880年には総延長3万kmとなっています。日本の国鉄の総延長が1980年代のピーク時で本州以外の路線を含めて2万2千kmだったことを考えると、これはとんでもない線路密度だと言えます。
- 廃止されてからが本番
古い路線がたくさんあるイギリスの鉄道の中でも相当古く、フェスティニオグ鉄道は現存する鉄道会社としては世界最古です。ただし、開業当初は山の上にあるブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogからポースマドッグ・ハーバーまで重力で坂を下り、登りは馬が引いて上るというトロッコ馬車軌道でした。これで旅客営業もやっていたというから驚きです。現代的視点からだとちょっと怖いですね。
1860年代に入ると蒸気機関車が導入されて現代的な鉄道営業となりましたが、その後石炭需要が低下して、1946年に一旦廃線となりました。
しかし、ここからがフェスティニオグ鉄道の歴史の本番のようなものでした。
1951年には早くも復活運転に向けて運動が始まり、1955年にまず海側の終点ポースマードック・ハーバーとボストンロッジの一駅間で運転が再開されます。復活に向けての工事はほとんどボランティアの手によるものだったそうです。
その後一駅ずつ復活区間が伸びていき、1968年にはループ線の手前のDdaullt駅まで復活しました。ついデュオルト駅と読みたくなりますが、ウェールズ語読みでジアスト駅と発音するのが正しいようです。まったく初見殺しの駅名です。
- 違和感があればあなたもループ線マニア
が、線形に何か違和感を感じないでしょうか?よく見るとループ線といいながら線路が丸くなっていません。北西に向かって進む線路を無理に捻じ曲げたようになっています。
実は現役時代のフェスティニオグ鉄道は、ジアスト駅を出てループせずにそのまま北西に直進し、正面の山を800m近いトンネルで抜けていました。ところが 廃止されていた1950年代にダムと水力発電所が計画され、ジアストと隣のタナグリサイ駅との間の線路が水没することになってしまいました。
点線が旧線です |
ジアスト駅周辺。旧線時代はそのまま直進していました。よく見ると実に 変わった形状のループ線です。 |
普通なら廃止された鉄道の復活など諦めてしまうところですが、ここの人々は違いました。中央電力庁相手に裁判を起こし、18年もかかってその裁判に勝利します。判決に基づいて用地補償を受け、1978年に付け替えた新線で復活しました。ジアスト駅のループ線はこの時にできたものです。
世界最古のループ線かと思いきや、実はむしろループ線としては新しい部類のものだったんですね。このループ線も、付け替え線上の新トンネルもボランティアが作ったそうです。用地は補償してもらえましたが、工事までは補償してもらえなかったんですね。
こうして1986年、ブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogまでの全線が再開しました。最初に廃止されてから全線再開まで実に40年の歳月が経っていました。
- トーマスの世界を味わえる
下手なローカル線よりも本数があるのですが、なぜか土日よりも火水木曜日の方が運転本数が多いという謎の運転スケジュールになっているので実際に行かれる際は要注意です。
運賃は1日乗車券が22.8£≒約3700円、片道券が約1500円、一等車は片道1100円増しとなっています。時刻表はこちら。乗車時間は片道約1時間10分です。
また、起点のポースマードックではスノードン山に向かうウェールズ・ハイランド鉄道と連絡しています。このウェールズ・ハイランド鉄道も長い工事の末に復活した597mmゲージの保存鉄道です。
こちらは1937年廃止、2011年全線運転再開とフェスティニオグ鉄道をしのぐ歳月を経ての全線再開です。ウェールズの人々の鉄道復活にかける情熱には頭が下がります。
日本では地価や法規制の関係でなかなかこういう鉄道保存活動は具体化しませんね。そもそも何十年もこつこつと復活に向けて運動を続けることが難しいのでしょうか。
次回はアフリカ大陸の横にあるマダガスカル島のループ線をご紹介します。
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