- 独立国のプライド
今回はカナダの東の端、ニューファンドランド島のループ線をご紹介します。
ニューファンドランド島は大西洋に面した東西約450km、南北約560kmの北海道よりも一回り大きい島です。日本の一般的な世界地図では右端にちょろっと描かれていて、北米大陸にまぎれて相対的に小さく感じますが、実は北海道の1.3倍もあるかなり大きな島です。高い山がないため強い海風が吹き、沖合を流れる寒流の影響で冬は厳寒、夏は濃霧という住むには厳しい気候です。
そんなニューファンドランド島ですが、沿海に世界有数の漁場があったため、古くからヨーロッパ人の入植が進みました。島で一番大きなセントジョンズの町がカナダ側ではなく、大西洋側にあるのはその名残です。
18世紀までの間はイギリスとフランスで領土争奪戦が繰り広げられましたが、1713年に最終的にイギリス領に落ち着きました。
時代は進んで20世紀に入ると、カナダが自治領としてイギリスから独立する際にニューファンドランドを併合しようとする動きがありました。
ニューファンドランドは住民投票の結果これを拒否して、独自の自治領となる道を選び、カナダとは別の独立国を目指したのでした。
こうしてニューファンドランドは1907年に自治領(ドミニオン)となり、カナダ、オーストリラリアに続いて実質的に独立を果たします。
- 鉄路は死なず、ただ去りゆくのみ
鉄道も標準軌のカナダ本土とは異なる1067mmゲージで建設が進み、1898年には島内を縦断する鉄道が完成しています。島の西端カナダ本土側のポート・オ・バスクからセントジョンズまでの本線は890kmもの長さになる長大路線でした。
ところが、あらゆるところで独自路線を突き進んだニューファンドランド島ですが、当時人口は30万人弱と独立国になるには少し人口規模が足りなかったようです。鉄道建設も資金的に相当無理をしたようで、開通当初から財政負担に苦しみます。「国の財政を良くするために作った鉄道が財政を苦しめている」と言われたりしました。
廃止直前のトリニティ湾を行く混合列車 |
大戦後の大恐慌を乗り越えられず、1934年、ついに実質的な独立国の地位を返上して、イギリス領の植民地に戻ることとなってしまいました。
第二次大戦後の1949年にカナダに併合されて、ニューファンドランド州となって現在に至ります。住民投票ではカナダ併合賛成50.5対反対49.5の僅差だったそうです。
このような経緯でカナダ本土とは異なる気風が残るニューファンドランド島ですが、島内の鉄道路線はカナダ併合以降はカナダ国鉄CNRが運営していました。人口は少し増えて40万人程度になりましたが、やはり支線を含めて1000kmの鉄道路線網を維持するにはまだ少なかったようです。赤字に耐え切れず1988年に島内の鉄道路線は全線廃止されました。
- 鉄道の歴史に留められるべきと思う
ボナヴィスタ支線トリニティループとトリニティ湾 点線部分は遊園地時代に増設した短絡線 |
ニューファンドランド島は高い山がないおおよそ平らな島ですが、島の中央部は標高数百m程度の台地になっています。この台地と海岸沿いの境目にあったのがトリニティループです。
その名もループ池(Loop Pond)という池の周りをぐるりと回る、前代未聞、空前絶後の形状のループ線でした。世界中のループ線の中で「池の周りをループ」するループ線はここにしかありません。
しかも写真を見ると交差部の高低差はどう見ても20mもありません。池の一周は2kmぐらいなので勾配は10‰あるかないかです。
他にいくらでもループ線を使わないで海岸に至るルートが選定できたと思いますが、建設費の関係からトンネルを掘るのを意地でも避けたかったのでしょう。ニューファンドランド島内には鉄道トンネルが一つもなかったそうです。
超貴重な現役時代のトリニティループ 交差部の高低差は10m程度です。こちらからお借りしました |
ボナヴィスタ支線は、1911年に開業し本線よりも先に1984年に廃止されています。廃止後しばらくの間はループ線跡を含めた池のほとりが、トリニィティループ鉄道村 Trinity Loop Railway Villageという遊園地っぽい公園になっていました。
旧ループ線上をディーゼル機関車牽引の客車で走れるアトラクションもあったのですが、それも2010年のハリケーンによる土砂崩れにあって今は廃園になっています。(You Tubeに激レアな公園時代のループ線の動画がありました。→こちら)
このトリニティループはかえすがえすも惜しいです。形状といい立地といい景色といい、世界中のループ線の中でも抜群の異彩を放っていました。ボナヴィスタ支線全体的に言えますが、現役時代の写真もあまり残っておらず、話題にならずにひっそりと消えて行った感じです。
遊園地時代はそれなりに賑わっていたようですが、土砂崩れ以降は放置されています。今も交差部の鉄橋がかろうじて残っていて往時を偲べるのですが、観光列車としてでも再開できないものでしょうかね。それだけの価値はあるとは思います。
なお、島内には昔の駅跡を鉄道記念館のようにしているところが何か所かあり、機関車などが保存されているそうです。また、本線跡の全長890㎞ほぼ全部がNew Foundland T'Railwayというサイクリングロードになっています。
次回は島にあるループ線の中で廃止されたものから、一部で有名な樺太の宝台ループをご紹介します。
はじめまして。鉄道ネタのブログを開設しているものです。あなたのブログを拝見させていただきました。
返信削除私もループ線には興味を持っていますが、書籍やネット上になかなかないもどかしさの中、あなたのブログに巡り合えて非常にうれしく思います。
記事中のループ線の線形やその由来を毎回楽しく拝見しています。今後とも世界の面白いループ線の記事待っています。
また、もしよろしければ私のブログの方もよろしくお願いします。
太郎の部屋(http://tarouroom.blog89.fc2.com/)
太郎様
削除ご覧いただいてありがとうございます。
5年ほど前から「太郎の部屋」は読ませていただいていました。これほどの老舗サイトさんからアクセスいただいて光栄の限りです。
これからもぼつぼつ投稿してまいりますのでよろしくお願いします。
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