2017/01/15

欧州㉑ブルガリア国鉄4号線シプカ峠 バルカン山脈を貫く双子ループ



  • マニア受けするループ線の国、ブルガリア

今回はブルガリアのバルカン山脈を貫く異色の連続ループをご紹介します。

ブルガリアは北海道ほどの面積の国ですが、ドヴリニーシュテ線のアヴラモーヴォの前後に4つ、クリスラに1つ、今回ご紹介する4号線に2つと計7か所ループ線があり、ヨーロッパではスイス、イタリアに次ぐループ線大国です。

しかもブルガリアのループ線はすべて現役で旅客列車が走っており、一つも廃止になっていません。これは割と地味にすごいかもしれません。

右から2番目の南北を結ぶ路線が4号線
ブルガリア国鉄4号線はバルカン山脈を横断してブルガリアの国土を南北に結ぶ幹線です。

1900年代の初頭から建設されていましたが、標高1200mのシプカ峠を越える山間部の工事に手間取り、予定よりもだいぶ遅れて1913年に開通しました。この最後の開通区間に二つループ線が作られています。ここはシプカ峠の上りと下りに一つずつループ線がある双子ループになっています。

  • 8の字ループと6の字ループ

この4号線の双子ループは南側のループ線をオスモルカータ、北側のループ線をシェストルカータと呼びます。日本語にするとオスモルカータは「8の字」、シェストルカータは「6の字」ですが、地図を見ると納得、まさに線路が6の字と8の字を描いています。

どちらも25‰勾配、曲線半径275mとスペック的にはこの時代の幹線級鉄道の標準スペックです。

オスモルカータの線路図
オスモルカータ「8の字」はゴッタルドのヴァッセンやレッチュベルグに見られるダブルヘアピンの一部が重なっている形状で、割とよくある形のループ線です。8の字の中央部分にラドゥンツィ駅が作られています。

ラドゥンツイ駅。山間にしてはかなり大規模な駅です

一方シェストルカータ「6の字」の方は見た感じ普通の4分の3回転ループ線なのですが、ひそかに世界トップレベルだったりします。何がトップレベルなのか、一発で正解できれば相当のループ線マニアだと思いますが、お分かりでしょうか。
こちらはシェストルカータ

実はシェストルカータはループ線の輪の部分の大きさが世界トップレベルなのです。輪の部分の全長が4.8kmあり、一周するだけで標高差を約90mを稼ぎます。舞浜のディズニーリゾートラインと同じぐらいの周回距離と言えば分かりやすいでしょうか。

バゾヴェッツ駅のハイキングコース案内版
これまでにも丘を巻いて線路が引かれているループ線をいくつかご紹介してきましたが、このシェストルカータもその一つに分類できます。ただ、ループ線の輪の中にある丘がえらい細長い形をしていたために、こんな特徴的な形状のループ線になってしまったのでしょう。

ちなみにループ線の輪の長さランキングで、一位は中国水柏線三重ループの一番上のループ線で約6.8km、二位はスペインのレオン=コルーニャ線にあるラ・グランハのループ線の約5.0kmです。シェストルカータは3位ですが、一周で稼ぐ標高差では25‰勾配のシェストルカータがトップです。

シェストルカータのちょうど線路の交差部分にバゾヴェッツというホームだけの無人駅があります。ここ一帯はブルガリアでは割と有名なハイキングコースになっています。

  • 旅客列車は豊富だけど・・・・

シェストルカータの交差部のトンネルだそうです。
トンネル上部を線路が通っているはずですがまるで見えません
そんな4号線ですが、首都ソフィアから黒海沿岸の主要な港町ヴァルナに向かう特急列車はバルカン山脈の北を迂回する2号線経由で運転されています。

4号線はマイナールート扱いで、ローカルの普通と快速だけが運転されています。貨物列車の方が多く走っているそうですが、それでも旅客列車は1日5往復10本あり、乗車するのはそれほど難しくありません。

どの列車も二つのループ線をセットで走ります。片道約2時間の行程です。首都ソフィアから5時間ほどかかりますので日帰りはちょっと難しいかもしれません。

ところが、残念なことにこの4号線のループ線は、線路の引かれている部分の地形と、森林が豊富なブルガリアの山並みの両方の要因で、どちらも致命的に視界が効きません。

乗ってるだけではループ線と気が付かず、ちょっとカーブが多いかなぐらいで通り過ぎるのではないかと思います。自分の通ってきた線路を車窓から見るというループ線の楽しみにも期待できません。

You Tube にオスモルカータ(8の字)の方の動画がありましたので引用しておきます。ラドゥンツイ駅から山を下る列車です。眺望の効かない様子がよく分かります。

ループ線は景色のために作られているわけではないので、これはしょうがないですよね。









次回は再び中国の連続ループ線をご紹介します。


 

2016/12/31

アフリカ③ケニア ウガンダ鉄道  絶滅寸前!ブリティッシュアフリカの4連オープンループ


  • 大英帝国の本気を見た

今回はアフリカ大陸のど真ん中にあるウガンダ鉄道のループ線を4つまとめてご紹介します。

ウガンダ鉄道はイギリスがアフリカ植民地経営の柱として建設した鉄道です。ケニアの港町モンバサからケニア領内を通ってウガンダへ向かうメーターゲージの路線です。

ウガンダ鉄道といいつつ、全長の4分の3くらいはケニア国内を走ります。「ウガンダへ向かう鉄道」と考えると分かりやすいでしょうか。

このウガンダ鉄道という名称はケニア・ウガンダの両国がイギリスの植民地時代に「英領東アフリカ」とまとめて呼ばれていた名残です。インド洋に面する港町モンバサからウガンダの西の端、コンゴとの国境近くのカセッセまでその全長は1800kmにもなる長大路線です。

独立後も「東アフリカ鉄道」と一体的に運営されていたあと、国境線を境にケニア国鉄とウガンダ国鉄に分割されました。現在は民営化されてリフトバレー鉄道という南アフリカ資本の民間会社が再び両国鉄をまとめて傘下においていますが、運営はケニアとウガンダのそれぞれの国内で別個になっているようです。

ウガンダ鉄道にはケニア国内のモンバサを出てすぐのところに1ヵ所と中央部に2か所、ウガンダ国内のコンゴ国境近くに1ヵ所の計4か所ループ線があります。連続ループ線というにはいささか距離が離れすぎではありますが、東から順にご紹介します。


  • 余命あとわずか

まずは、モンバサの北20kmのマゼラススパイラル。

マゼラススパイラル。 写真で見ると高低差は10mぐらいですね
ウガンダ鉄道に関しては圧倒的情報量のこちらのサイトからお借りしました。

基本的にこの区間はナイロビに向かって一直線の上り坂です。モンバサの近くの海岸段丘をループ線で上っているステップ地帯の中にある4分の3回転ループです。

曲線半径は175m、高低差ははっきり分かりませんでしたが、写真で見る限り10mぐらいですので勾配は12‰ぐらいでしょうか。

1896年とかなり早い段階で開通しています。

この区間は2016年現在も夜行の旅客列車が走っています。週3往復あったのが最近減便されて週2往復になっています。

数時間単位の遅れや突発運休は日常茶飯事らしいのですが、乗っている限りは比較的快適だそうです。明るい時間帯に確実に通るならナイロビ発モンバサ行に乗るのがよさそうです。

なお、この区間、現在中国資本による標準軌新線が建設中で、Googleの衛星写真にもループ線の左下に工事区間が映っています。

予定通りならば2017年6月に開業とのことです。新線が開業するとおそらくループ線は廃止でしょう。WEB上のニュース写真を見る限りは、とても2017年中に開業できそうには見えませんが、いずれにしても遠くない将来廃止になりそうです。※2017年に開通したそうです。→こちら マダラカ・エクスプレスという新線を走る特急がナイロビ~モンバサ間を1日2往復走り出しています。→こちら 旧線はナイロビ市内の一部区間を除いて廃止になったようです。


このナイロビ・モンバサ間の列車は鉄道旅行愛好家には割とメジャーで、WEB上に乗車記が比較的たくさん見つかります。




  • ホワイトハイランドを駆け上がれ

続いてモンバサから800kmほど、ナイロビから300kmほど北上したところにある2つのループ線を見てみましょう。

個人的に激萌えしたナクル駅の腕木信号機群
こちらからお借りしました
ウガンダ鉄道はナイロビから180km北にあるナクルで左右に分岐します。 左に向かうのは1901年に開通した旧線のキスム線で、当初はキスム港からビクトリア湖上の鉄道連絡船でウガンダ方面へ輸送していました。

ところが当時フランスとアフリカ中央部の領土獲得競争を繰り広げていた大英帝国はこれで満足せず、ウガンダまでの鉄道直結を狙って新線を建設します。これがナクルから右に分岐するウガンダ直通線で、1931年に開通しています。

モンバサからナイロビまで500kmはほぼ一直線の上り坂です。
ナクルから先の峠がウガンダ鉄道の最高所です。

この右に分岐するウガンダ直通線上に設置されたのが、マクタノ・スパイラルとイクエイター・スパイラルです。イクエイタ―・スパイラルEquator Spiralはその名の通り赤道直下にあります。

二つのループ線の間隔は約15kmほどで近接しているのですが、マクタノ・スパイラルは標高2500m、イクエイタ・スパイラルは標高2700mです。

15kmで200mの標高差を登っており、最急勾配は20‰だそうです。この時代のメーターゲージの蒸気機関車にはかなり厳しい連続勾配だったことでしょう。

詳細不明ですが、ループ線付近の車窓らしいです
航空写真で見るとこの二つのループ線は畑の中にあります。アフリカのど真ん中に畑というとちょっと不思議な感じがしますが、標高のおかげで気温がちょうどよく、雨量も豊富なので農耕に適しているそうです。イギリス植民地時代に白人が独占したためホワイトハイランドという別名があります。写真で見ると東南アジアっぽい感じがしますね。

この区間は2000年代の中ごろまで週に1往復程度旅客列車が走っていたそうですが、現在は休止中です。おそらく貨物列車も走っていないものと思われます。

ループ線の他にも細かいヘアピンターンが続いており、何度もターンを繰り返しながら高度を上げて行くハイライト区間だったようです。残念ながら復活の見込みは少なそうです。



  • 廃止したとは言っていない
さて、最後は国境を越えてウガンダの首都カンパラと西の端カセッセを結ぶウガンダ鉄道西部線Uganda Railway Western Extension にあるループ線です。モンバサからは1800km離れたウガンダ鉄道路線の最西端、この先はすぐ旧フランス領のコンゴとの国境です。

開通直後のループ線
Googleの衛星写真と比べると格段に路盤良好です
こちらのサイトからお借りしました。
ここは1956年開通と戦後生まれの随分新しいループ線ですが、1998年には閉鎖されています。

閉鎖というのは微妙な表現ですが、メンテナンスが悪くて列車が走れない状態で放置されたというのが実態のようです。特に首都カンパラ付近では衛星写真にレールが映らないぐらいですので路盤状況は相当悪そうです。

西部線は標高1200mのカンパラからほとんど高低差のない台地を走りますが、最後のカセッセの町を含むジョージ湖からエドワード湖にかけてはアフリカ大地溝帯の一部になっていて、標高1000mと周囲から大きく窪んだ地形となっています。

ここはそのくぼみに向けて坂を下るループ線です。 曲線半径は175m、勾配は12‰です。世界有数の人里離れたループ線であると同時に、世界有数の綺麗な形のオープンループだと思うのですがいかがでしょうか。しかもフルオープンで1回転半しているのがなかなかの高ポイントだと思います。

この西部線はカセッセ近郊の鉱山で採れる銅やコバルトの運搬用に建設されたものです。英領時代は旅客列車がカンパラ・カセッセ間300kmを12時間かけて走っていましたが、独立後のウガンダ国鉄時代は旅客営業の実績はないのではないかと思います。ここは相当短命なループ線ですね。旅客営業の終了時期がはっきり分かりませんが、短命さでサンマリノ鉄道をしのぎそうです。さすがにここのループ線を列車で通ったことのある日本人はいないでしょう。

現在、ウガンダの都市間交通は自動車中心になっており、ここに列車が復活する可能性は残念ながらないでしょう。あるとしたらマニア向けの観光列車ですが、この極限的なアクセスの悪さを考えると絶望的に難しそうです。




  • イギリス流ループ線の共通点とは

以上、ウガンダ鉄道の4カ所のループ線をご紹介しました。どれも非常に魅力的ですが、悲しいかな絶滅寸前です。

実は4つとも丘を巻いて高度を上げるオープンループだという共通点があります。ループの輪の中央に丘があるため、オープンループの割には比較的眺望に恵まれていません。

また、4カ所とも曲線半径175mのカーブという点も共通です。 僻地に建設される鉄道では難しい施工を避けるために可能な限り同じ半径のカーブを使いますが、このウガンダ鉄道ではそれが特に顕著で、あちこちで半径175mカーブばかり出てきます。写真で見る限り緩和曲線が入っているかどうかも怪しいです。まったく緩和曲線なしでは列車が走れませんので、少しは入っているとは思うのですが。

同じアフリカ植民地鉄道でもイタリアの作ったエリトリア鉄道は律儀に緩和曲線を使ってるのが衛星写真からも分かります。これはお国柄なんでしょうかね。なお、この半径175mカーブというのは最小曲線半径のイギリスの規格で、イギリス由来の鉄道路線で良く出てきます。

次回はヨーロッパからブルガリアの連続ループ線をご紹介します。

年末ぎりぎりの更新になってしまいましたが、来年も「ループ線マニア」をよろしくお願いいたします。


2016/12/16

欧州⑳レッチュベルグ鉄道&シンプロントンネル線 裏街道と呼ばないで


  • フランス語圏の町を結ぶ

今回はスイスとイタリアを結ぶアルプス横断鉄道の一つ、レッチュベルグ鉄道とシンプロントンネル線のループ線をご紹介します。

レッチュベルグ鉄道Lötschbergbahnはゴッダルドバーンの西側約60㎞フランス寄りのところでアルプス山脈を南北に横断する私鉄の路線です。スイス国鉄のゴッタルドバーンと違って、こちらは民間会社の路線ですのでレッチュベルグ鉄道と訳してみました。

民間会社といってもスイス連邦政府が約半分、ベルン州が約4分の1の株式を保有する日本で言えば第3セクター路線です。しかもスイス国鉄の列車がばんばん乗り入れているので、実体は国鉄線とあまり違いはありません。

ゴッタルドバーンの開通で鉄道の便利さが知られると、スイス西部のローザンヌやジュネーブからイタリア方面へも鉄道がほしいという要望が起こり、1880年代の終盤にジュネーブからローザンヌ、モントルー、ブリークを通ってシンプロン峠からイタリアに至るアルプス横断ルートが着工されます。

このルートは地名からも分かるように主にフランス語圏で、昔ナポレオンが開いた街道と言われています。いわばフランス系スイス人のためのアルプス横断ルートでした。ただし、不思議なことにローヌ谷の最奥部ブリークの町周辺だけはドイツ語圏だそうです。

ジュネーブからレマン湖畔を通って、ローヌ川のU字谷に沿って順調に工事が進み、1874年にブリークまで開通します。このローヌ川に沿って走るのがスイス国鉄のシンプロンバーンです。

さらに、ブリークから国境を越えてイタリアのドモドッソラへ向かう全長19㎞のシンプロントンネルが1906年に開通します。

ゴッタルドトンネルがスイス領内で完結していたのに対して、シンプロントンネルはスイスとイタリアの国境を越える国際トンネルです。

シンプロントンネルは上越新幹線の大清水トンネルが開通する1982年まで長らくの間、世界最長鉄道トンネルのタイトルホルダーでした。そういえば私も幼少の頃の鉄道大百科系の本でよくその名前が紹介されてたのを覚えています。ぶっちゃけ年がばれます。


  • これはヤバい

ところが、こうしてめでたく開通した2本目のアルプス横断ルートに危機感を覚えたのがスイス連邦の首都だったベルン周辺の地域です。東のチューリヒやバーゼルがゴッダルドバーンで、西のジュネーブやローザンヌがシンプロントンネルでアルプス横断ルートにそれぞれ直結するとなると、相対的に都市の重要度が低下しかねません。

レッチュベルガーの車両は黄緑色で山手線ぽいです
そこでベルン周辺の地方公共団体や有力企業がお金を出し合って独自のアルプス横断ルートを建設することとし、レッチュベルグ鉄道会社が設立されました。ベルンーレッチュベルグーシンプロンの頭文字を取ってBLS鉄道と名付けられます。

1913年にベルンからブリークまでの路線がBLS鉄道によって開通します。途中延長14㎞のレッチュベルグトンネルの掘削と、レッチュベルグトンネルからブリークまでのローヌ谷北岸の絶壁沿いは、地すべりや雪崩が多発する相当な難工事でした。

シンプロントンネルは以上のような経緯からジュネーブへ向かうシンプロンバーンと、ベルンへ向かうBLS鉄道線の二本のアプローチ線を持っていることになります。建設時の経緯から、シンプロントンネルの南側ドモドッソラまではイタリア国内ですが、国際特急以外は主にスイスの列車が走っています。

  • 変形ダブルヘアピンと完全トンネルループ

BLS線のループ線はレッチュベルグトンネルの北側とシンプロントンネルの南側に一つずつあります。

北側はダブルヘアピンの一部で線路が交差する珍しい形で、周辺の地名からミットホルツループと呼ばれています。BLS鉄道によって1913年の開業です。


南側はシンプロントンネルを出た谷沿いにあるヴァルツォスパイラルで、ループ線のほとんどがトンネル内です。こちらは前述のとおりシンプロントンネルと同時にスイス国鉄によって一足早く1906年に開通しています。

北はループで南はスパイラルと呼び方が違うのが気になりますが、南はイタリア語のElicoidale di Varzoを訳しているからだと思います。また、ゴッタルドバーンにならって、北側をLötschberg North Ramp、南側をSimplon South Rampという呼び方もするようです。

どちらも勾配27‰、曲線半径200mで、幹線としてはやや物足らないもののぎりぎり許せるスペックですが、開通時から電化複線だったのはさすがです。

ゴッタルドバーンのページにも書きましたが、山岳路線での複線のループ線は世界中でゴッタルドバーンとここだけです。(山岳路線以外ではレンツブルグハイブリッジナポリ地下鉄が複線ループですね。)

ループ線の前後は眺望のいい区間を走りますが、残念ながらループ線自体の眺望はトンネルに阻まれてあまり期待できないようです。


  • レッチュベルガーで連続通過を狙え

実は、2007年にレッチュベルグベーストンネルという全長34㎞の長大バイパストンネルが開通しており、スイスイタリア間の国際特急は全部北側のミットホルツループを通らなくなっています。

大自然の中を走るレッチュベルガ―。
色は似ていますが、山手線とは全く違った雰囲気です
しかし、建設資金不足でレッチュベルグベーストンネルの全長の約半分が単線になってしまい、線路容量確保のために旧線がほとんどそのまま残されました。資金はゴッタルドベーストンネルの建設に回されたそうです。

今のところレッチュベルガーという愛称のついた山手線によく似た色のローカル列車が毎時1往復(1日19往復)、ミットホルツループ線を走っています。そのうちの4往復がシンプロントンネルを越えてドモドッソラまでの直通便で、この直通便に乗るとミットホルツループとヴァルツォスパイラルを連続通過することができます。

ただし、直通便4往復のうち、1往復は深夜便、2往復はハイシーズン以外はブリーク止まりです。普段の日の直通列車は1日1往復ですが、ループ線マニアとしては狙い乗りして二つのループ線を同じ列車で連続で体験したいところです。

ミットホルツ駅を通過する客車列車
これは臨時列車でしょうか
なお、南側のヴァルツォスパイラルはミラノからスイス方面への特急列車が毎時1往復走っているので、同一列車での連続体験にこだわらなければ乗車機会は極めて豊富です。また、どちらのループ線も貨物列車が旅客列車の倍近くの頻度で走っているそうです。

BLS線は開通の経緯からどうしてもゴッタルドバーンの裏街道的な雰囲気が漂っています。

レッチュベルグベーストンネルが資金不足で単線になったり、チザルピーノという高速振子電車特急が故障多発で廃止されたり、派手なゴッタルドバーンループ線群から比べると撮影地に恵まれなかったり。日本での知名度も今一つなところがあります。

そんなちょっとかわいそうなレッチュベルグのループ線ですが、ゴッタルドバーンと比べなければ列車の通過本数などは世界トップクラスです。ループ線マニアとしてはチェックしておきたいですね。






次回はアフリカの連続ループ線をご紹介します。

2016/11/30

欧州⑲イタリア・ノルチャ線 伝説のイタリアのゴッタルド

  • 伝説の大規模ループ線

今回はイタリア中部、ローマの東北にあったスポレト・ノルチャ線の連続ループ線をご紹介します。

このループ線は世界的に見ても相当大規模なものでした。現存していれば間違いなく「大規模ループ線」のカテゴリに入れていました。

スポレト・ノルチャ線はローマの東北、ウンブリア州のスポレトからイタリア半島の中央にそびえるアペニン山脈の中腹の町ノルチャを結んでいた全長50kmのイタリアンナローゲージの民有鉄道でした。第一次世界大戦後の1926年に開通し、1968年に廃止されています。ちょうど戦間のイタリア好況期に開通し、モータリゼーションの進展とともに廃止された典型的なイタリアの地方鉄道でした。


もともとこの鉄道はアペニン山脈を越えたアドリア海側の町、アスコリピチェーノとを結ぶことを念頭に置いていたようです。ところがアペニン山脈の地形は想像以上に険しく、当初検討していたリエーティ~アントロドーコ~グリシャノ~アスコリピチェーノ間の路線を断念し、スポレト~ノルチャ~グリシャノ~アスコリピチェーノのルートで着工しました。

完成後はサブアルプス鉄道株式会社というスイス・イタリア間に路線を持つ民間会社が、ぽつんと離れ小島的に所有・運営していました。何とも不思議な運営形態の民間鉄道です。スイスのレッチュブルグ線の建設を担当したスイス人技師アーウィン・トーマンErwin Thomanという人が建設した関係でしょうか。

結局第二次大戦の敗戦により、アペニン山脈横断の夢は果たされないまま、分不相応な大規模な構造物を持つローカル盲腸線として戦後を走ることになります。


  • 古今東西廃線跡の再利用と言えば

 ところがスポレートは人口2万、ノルチャは人口5千人の小さな町です。山中の小村に向かう人々ではどう考えても鉄道を経営していくには需要不足でした。

1965年にサブアルプス鉄道株式会社は民間運営を諦め、スポレート運輸企業協会という半官半民のよく分からない協会に運営を譲渡しますが、あっさり3年で廃線となってしまいました。

しかし、廃線直後から「ウンブリア地方のゴッダルド」とも呼ばれたその雄大な車窓風景を惜しむ声が上がり、観光鉄道として存続を模索する話が出ます。

とりあえず自転車道として保存されましたが、これが予想外の人気となり、イタリアで有名なMTBコースとして知られるようになります。

今ではMTBの大会なども開かれています。そのおかげでノルチャ駅付近の自動車道路に転用された部分以外では構造物はほぼ完ぺきな形で残されています。

また、ループ線部分を含む20㎞程度を観光鉄道として再生する計画もたびたび出ていますが、今度はMTB愛好家から観光鉄道化反対の声が上がるというなかなかカオスな状態になったりもしています。


  • 帝王にも負けないインパクト


カプラレッチァ陸橋と大掘割
さて、ノルチャ線のループ線は、カプラレッチァ・トンネルを挟んで峠の西側に1つ、東側に2つループがある双子ループでした。

第1のループは、峠の西、スポレト側の標高550mの丘陵地帯にあるカプラレッチァ陸橋で自線をまたぐフルオープンループです。

尾根筋を使って高さを稼いでいるため、少し変わった形状をしていました。

このループ部分の約半分は大規模な掘割になっており、さすがにこの部分は崩落の危険が大きいとして現在通行止めになっています。


ここで80mほど高さを稼いで標高約630mにあるイタリア狭軌線最長だった1936mのカプラレッチァ・トンネルに入っていました。

トンネルの東側は断崖絶壁で、標高350mのネラ川沿いまで高低差280mを7㎞で駆け下りていました。ロングダートでダウンヒル、適度なカーブがあってトンネルと眺めの良い橋がある、とまさにMTBに打ってつけですね。

この東側の断崖がウンブリア・ゴッダルドと異名を取ったヘアピンターン5カ所のうち2カ所がループ線になっている大規模ループ区間です。曲線半径は最小80m、最急勾配は45‰と一般の粘着式鉄道としては限界に近いハードスペックでした。

確かに本家ゴッダルドバーンに一歩も引けを取らないド派手なループ線です。


  • ローカルゆえに廃止になり、ローカルゆえに愛される

ところがゴッタルドバーンに圧倒的に負けていたのが輸送力と輸送量でした。

冷静に見てみるとノリチャ線は極めて低規格で、開業時から電化されていたにも関わらず、スポレト・ノルチャ間の50㎞を2時間以上かかっていました。

需要が少なかったのはアペニン山脈を越えられなかったからだと書きましたが、本当に横断する気があったのか疑問が残ります。

少なくとも幹線鉄道としてイタリア東西横断を目指したものでなかったことは、ナローゲージである点や曲線半径・勾配などの線路規格を見る限り間違いなさそうです。

仮に山脈を越えて東西横断が実現していたとしても、このスペックではいずれモータリゼーションの波に飲まれていたのではないかと思います。その点では開業時から21世紀水準の高規格だったゴッダルド・バーンの足元にも及ばないでしょう。

とは言え、イタリアの美しい山並みを行く超大規模ループ線は記録よりも記憶に残る鉄道として、その痕跡は今でも人々に愛されています。私の最も行ってみたい廃線ループ区間の一つです。

なお、このノルチャ線沿線は昔から地震の多い地域で、つい先日2016年11月にも大きな地震があったそうです。ノルチャ線跡には調べた限り被害はなさそうですが、何かわかったらここに追記して行きたいと思います。




次回はこれまでにも話に出てきたレッチュベルグ線のループ線をご紹介します。






2016/11/22

中国⑨牡図線 見た目そっくりの連続ループ線

  • 在りし日の日満連絡北鮮ルート
今回は連続ループ線シリーズより中国東北部、牡図線の2つのループ線をご紹介します。

牡図線は中朝国境沿いの町、図們(トゥメン)~牡丹江(ムーダンジァン)間を中露国境の少し西側に南北に結ぶ路線で、1935年の開通です。開通時期から想像できるとおり、満州国鉄の建設した旧日本製の路線です。

所属は満州国鉄ですが、鉄道の運営は満鉄(南満州鉄道)が自社路線と一体的に運営していました。満鉄の自社路線は社線、満州国鉄線は国線と区分されていましたが、国線も建設・運営・保守を一括して満鉄に委託しており、満州国鉄に鉄道運営の実態はまったくなく、書類上の区分だけだったそうです。

満州鉄道の路線図
図の右端満ソ国境から二本目の南北の路線が牡図線です
この図では図佳線と表記されています
こちらからお借りしました →南満州鉄道資料室
この路線も日満連絡のために作られた路線です。東京~新潟~北朝鮮・羅津(ラジン)または清津(チョジン)~中国・図們~牡丹江~ハルビンのいわゆる北鮮ルートは、以前からあった釜山ルートや大連ルートよりも海上区間の距離が短かく、鉄道整備が進めば最短時間での日満連絡ルートになると期待されていました。

実際は大陸側の旅客列車が少なかったため終戦まで旅客ルートとしては釜山経由や大連経由よりもメジャーになることはありませんでした。一方貨物輸送では北朝鮮や満州の豊富な森林資源や鉱物資源輸送に活躍し、対ソ連国境線への軍用路線としても重要な役割を果たしました。

牡図線の建設は日本のゼネコン鹿島建設が請け負いましたが、当時の満州は匪賊が跋扈するまさに未開の大地、鉄道の建設よりも匪賊対策にお金がかかるという想像を絶する建設現場でした。トンネルを掘ってたら襲われて金目のものは根こそぎ取られ、最悪落命することもあったと言うから怖すぎです。

先達の苦労を偲ぶとともに、結果的には敗戦によって大陸から撤退することになったことを考えるとちょっと切なくなります。建設時の様子はこちらに詳しいです →鹿島建設HP「満州での工事と満州鹿島組」。文中に出てくる図寧線とは、工事区間が図們から牡丹江の少し南の寧安という町までだったことから付けられた牡図線の別称でしょう。中国語で検索してもヒットしてきませんので日本人だけが使った名称なのかもしれません。

なお、牡図線は牡丹江からさらに北に向かって建設が続き、1937年に佳木斯(ジャムス)まで延伸されました。図們から佳木斯までまとめて図佳線とも言います。現在では牡丹江を境に南北に運転系統が分断されていますが、どちらの名前も同じぐらい使われていて、どちらが正式かはよくわかりませんでした。

  • 少しの違いが大きな知名度の差に
さて、牡図線には図們から約40㎞の新興と約130㎞の老松嶺の2カ所にループ線があります。日本から見て手前の南側が新興ループ、奥の北側が老松嶺ループです。一見峠を挟む双子ループかと思いきや、実はどちらも牡丹江に向かって上り坂です。

老松嶺ループの北にある老松嶺トンネルが分水嶺になっており、トンネルの手前南側は図們江の水域、北側は1000㎞も北に河口があるアムール川水域です。

分水嶺はそれほど険しい山脈ではありませんが、河口までの距離の差がそのまま標高差になっており、峠の両側で200mほどの高低差があります。

地図で見ると二つのループ線は面白いぐらい形がそっくりなのですが、よく見ると老松嶺ループの方が輪の部分が少し大きいことが分かります。新興ループも老松嶺ループも曲線半径360m高低差約40mと同じスペックですが、老松嶺ループは直線を挟んで輪の部分を伸ばして勾配を緩和している様子が伺えます。

SL撮影で一世を風靡した新興ループ
羊肉様のサイト「中国大陸の蒸気機関車」からお借りしました
→こちら 
こちらのページによると、新興ループは16‰勾配、老松嶺ループは11.5‰勾配とのことです。

ここは1990年代の後半まで蒸気機関車が現役で走っており、南側の新興ループには日本から遠征して撮影に行かれた方も多かったようです。素晴らしい写真がWEB上で見つかります。ところが、なぜか老松嶺ループの方は写真がまるで見当たりません。

丘の上で見晴らしのよい新興ループに対して、林の中で見通しが効かず、駅からのアクセスも悪い老松嶺ループは、蒸気機関車の撮影に向かなかったのでしょうか。見た目がそっくりにもかかわらず、知名度的には随分な差がついているようです。

  • 旅客列車の運転状況は混乱中
現在、この二つのループ線には長春~牡丹江間の直通夜行急行と線内運転の普通列車がそれぞれ1往復ずつ、計2往復4本の旅客列車が走っています。

牡図線の紅葉は中国一美しいと言われるそうです
残念ながら適当な写真が見当たらないので
図們~長春間の長図線の写真で代用
時刻表上は比較的乗りやすそうなのですが、実はどの列車にも少しずつ難点があります。直通急行は確実に運転されていますが、下り牡丹江行は図們発がめちゃくちゃ早朝、上り長春行はループ線通過が日没後となっており、どちらも悪条件です。

一方、線内運転の普通列車は上下ともいい時間帯にループ線を通過するのですが、ここ数年、途中駅で打ち切りになったり全区間運休したりで運転状況が極端に不安定です。

たくさんある中国の列車時刻サイトでもサイトによってヒットしたりしなかったりで、本当に走っているのかよく分かりません。近年、長春~図們間とハルビン~牡丹江間の高速鉄道の建設が同時に進んでおり、その工事の影響でしょうか。

高速鉄道が完成するとこの地域の列車ダイヤは激変することは確実ですが、完成するまでの間も不安定な運転状態が続きそうです。特に線内普通列車の方を狙って乗車するならば、日程に余裕を持って行く方がよさそうです。






  • おまけ ~新興ループと廃線跡
 Googleの衛星写真で新興ループを見ていて、ループ線の麓にある廃線跡っぽい築堤(上記の衛星写真の中の青色の線)が気になっていたのですが、調べてみるとこれは旧満州国鉄興城線(興寧線)の跡でした。 1940年の開通で、牡図線よりもさらに東寄りの国境沿いを北上して、満露国境の町、東寧までの間を結んでいたものです。路線延長は210kmもある幹線級の路線だったそうです。終戦後はソ連によって一部は解体撤去され、残った部分も続く国共内戦で破壊されてしまったわずか5年の短命路線でした。参考資料はこちら

1970年代にナローゲージの森林鉄道として復旧した部分もありましたが、線路跡の大部分は道路に転用されています。

満州国が熱心にすすめた鉄道建設の残影を垣間見ることができます。



まだ中国には連続ループ線がありますが、一旦中国を離れて次回はイタリアの連続ループ線を見てみることにしたいと思います。

ここまで月3本のペースで記事を上げてきたのですが、今月は多忙だったためについに1本落としてしまいそうです。ぼちぼち頑張って書いていきたいと思います。