2016/05/28

欧州⑦イギリス・ウェールズ フェスティニオグ鉄道 リアルきかんしゃトーマスの世界

  • 産業革命の原動力
今回はイギリス・ウェールズにあるフェスティニオグ鉄道Ffestiniog Railwayのループ線をご紹介します。

グレートブリテン島は今さら説明するものでもないでしょうが、南北約1000km弱、東西200km~400kmと面積的には本州より少し小さい島です。イギリスはグレートブリテン島にあるイングランド・スコットランド・ウェールズとアイルランド島にある北アイルランドの4つの国の連合王国ですが、今回のループ線は島の西側ウェールズにあります。


ウェールズの北部の山地と丘陵地帯は石炭と石灰石がよく採れて、イギリス産業革命の原動力となりました。ここでは採れる石炭は良質な無煙炭で、それを使った製鉄業がイギリスの工業化を引っ張っていくことになります。

石炭の輸送手段として蒸気機関車が開発され、鉄道網を広げるためにさらに鉄が必要になり、鉄を作るためにまた石炭が必要になるという循環作用を生み、19世紀中盤に鉄道狂時代と呼ばれる鉄道建設バブルが到来します。イギリスでは1840年代に急速に路線網が拡大し、1850年までに総延長1万㎞、1880年には総延長3万kmとなっています。日本の国鉄の総延長が1980年代のピーク時で本州以外の路線を含めて2万2千kmだったことを考えると、これはとんでもない線路密度だと言えます。

  • 廃止されてからが本番
さて、フェスティニオグ鉄道は1836年に開通したウェールズの最高峰スノードン山の麓を走る炭鉱鉄道を起源とする路線です。鉄道黎明期で規格が固まっていなかったのか597mmゲージという実に半端なゲージです。この他にもイギリスには603mmゲージとか610mmゲージといった半端なゲージの路線が現存しています。

古い路線がたくさんあるイギリスの鉄道の中でも相当古く、フェスティニオグ鉄道は現存する鉄道会社としては世界最古です。ただし、開業当初は山の上にあるブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogからポースマドッグ・ハーバーまで重力で坂を下り、登りは馬が引いて上るというトロッコ馬車軌道でした。これで旅客営業もやっていたというから驚きです。現代的視点からだとちょっと怖いですね。


1860年代に入ると蒸気機関車が導入されて現代的な鉄道営業となりましたが、その後石炭需要が低下して、1946年に一旦廃線となりました。

しかし、ここからがフェスティニオグ鉄道の歴史の本番のようなものでした。

1951年には早くも復活運転に向けて運動が始まり、1955年にまず海側の終点ポースマードック・ハーバーとボストンロッジの一駅間で運転が再開されます。復活に向けての工事はほとんどボランティアの手によるものだったそうです。

その後一駅ずつ復活区間が伸びていき、1968年にはループ線の手前のDdaullt駅まで復活しました。ついデュオルト駅と読みたくなりますが、ウェールズ語読みでジアスト駅と発音するのが正しいようです。まったく初見殺しの駅名です。

  • 違和感があればあなたもループ線マニア
歴史は一旦おいておいて、ループ線の線形を見てみましょう。のどかな丘をまたぐ丘陵型のオープンループです。

が、線形に何か違和感を感じないでしょうか?よく見るとループ線といいながら線路が丸くなっていません。北西に向かって進む線路を無理に捻じ曲げたようになっています。

実は現役時代のフェスティニオグ鉄道は、ジアスト駅を出てループせずにそのまま北西に直進し、正面の山を800m近いトンネルで抜けていました。ところが 廃止されていた1950年代にダムと水力発電所が計画され、ジアストと隣のタナグリサイ駅との間の線路が水没することになってしまいました。

点線が旧線です

ジアスト駅周辺。旧線時代はそのまま直進していました。よく見ると実に
変わった形状のループ線です。

普通なら廃止された鉄道の復活など諦めてしまうところですが、ここの人々は違いました。中央電力庁相手に裁判を起こし、18年もかかってその裁判に勝利します。判決に基づいて用地補償を受け、1978年に付け替えた新線で復活しました。ジアスト駅のループ線はこの時にできたものです。

世界最古のループ線かと思いきや、実はむしろループ線としては新しい部類のものだったんですね。このループ線も、付け替え線上の新トンネルもボランティアが作ったそうです。用地は補償してもらえましたが、工事までは補償してもらえなかったんですね。

こうして1986年、ブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogまでの全線が再開しました。最初に廃止されてから全線再開まで実に40年の歳月が経っていました。

  • トーマスの世界を味わえる
さて、そんなフェスティニオグ鉄道ですが、現在はウェールズ観光の目玉として熱心に運転されています。3月~10月は少ない日で1日2往復、多い日で6往復~7往復の列車が走っています(11月~2月は運休日あり)。すべて実写版きかんしゃトーマスという風情のSL列車です。


下手なローカル線よりも本数があるのですが、なぜか土日よりも火水木曜日の方が運転本数が多いという謎の運転スケジュールになっているので実際に行かれる際は要注意です。

運賃は1日乗車券が22.8£≒約3700円、片道券が約1500円、一等車は片道1100円増しとなっています。時刻表はこちら。乗車時間は片道約1時間10分です。

また、起点のポースマードックではスノードン山に向かうウェールズ・ハイランド鉄道と連絡しています。このウェールズ・ハイランド鉄道も長い工事の末に復活した597mmゲージの保存鉄道です。

こちらは1937年廃止、2011年全線運転再開とフェスティニオグ鉄道をしのぐ歳月を経ての全線再開です。ウェールズの人々の鉄道復活にかける情熱には頭が下がります。

日本では地価や法規制の関係でなかなかこういう鉄道保存活動は具体化しませんね。そもそも何十年もこつこつと復活に向けて運動を続けることが難しいのでしょうか。



次回はアフリカ大陸の横にあるマダガスカル島のループ線をご紹介します。

2016/05/19

アジア⑤樺太豊真線宝台ループ 北の大地に眠るメイド・イン・ジャパン

  • サハリンの灯は消えず

今回は樺太の豊真線宝台ループをご紹介します。

海外のループ線に興味を持たれた方は、だいたい一度は目にしていると思われる有名なループ線です。

北緯50度線以北の鉄道はすべて
戦後の開通です
樺太=サハリン島は南北約1000㎞の細長い島です。南北の長さは本州の半分ぐらいありますが、東西の幅が最も広いところでも160㎞しかないため、面積は北海道よりも小さいです。西海岸(大陸側)の南部は暖流の影響で比較的暖かいのですが、北部と島の東側はオホーツク海の影響で極寒です。

ところが、島の中央部を南北に走る1300mクラスの樺太山脈が強風を遮断しているおかげで、島の南部を中心に森林が発達しています。これがほぼ同じ緯度にあるにもかかわらず強風で森林ができなかったニューファンドランド島との大きな違いです。

樺太の南半分は日露戦争後の1905年から第二次世界大戦の終わる1945年まで日本領だったのは日本史で習ったとおりですが、その時代の主要な産業は漁業と石炭採掘、そして豊富な森林資源をもとにした製紙業でした。人口は1900年代初頭は3万人程度だったのが、終戦直前には南樺太だけで40万人となっています。

ある程度の人口密度と陸上産業をベースにした貨物需要、そして忘れてはならないのが国境を背負っているという軍需、この3つによって樺太の鉄道輸送は順調に成長していきます。1910年に樺太東線、1920年に樺太西線と東西の両幹線がそれぞれ開通しています。

いちいち比較するのも申し訳なくなりますが、漁業一本やりだったニューファンドランド島とは経済環境がかなり異なりますね。当然ですが、漁業は水運中心ですので鉄道輸送の出る幕はあまりありません。

  • 日本人の琴線に触れるもの

樺太東線の起点で当時稚内からの玄関口になっていた大泊(現コルサコフ)港は冬季は氷結するため、西海岸の不凍港真岡港(現ホルムスク)との間を鉄道で連絡する必要が早くから論じられていました。

しかし、樺太山脈を越えるのに思いのほか手こずり、この区間が開通したのは1928年のことでした。これが豊原(現ユジノサハリンスク)と真岡(現ホルムスク)を結ぶ豊真線です。上越線の湯檜曽松川ループ(1931年開通)よりも実は早い開通だった点は注目です。

樺太山脈を越えるルート選定については山下さんのブログでも詳しく取り上げられています。→こちら。勾配は22‰、高低差はループ線部分だけで40mです。ループ線自体はシンプルな形状ですが、自線との交差箇所が鉄橋になっているのが特徴です。この鉄橋にはロシア語で「悪魔の橋」というニックネームがついています。

現在日本国内に現存しているループ線はすべて自線の交差箇所はトンネル内です。やはり日本製であることに対して郷愁にかられるのでしょうか、古い時代のものから最近のものまでネット上で豊富に写真が見つかります。

こちらからお借りしました
これもあちこちで取り上げられていてご存知の方も多いと思いますが、ソ連領となった後も使われていた宝台ループですが、1990年代に老朽化が進み、残念ながらトンネル崩落で廃止されてしまっています。

豊真線の両端部分(真岡ー池之端間と豊原ー奥鈴屋間)は細々と残る通勤需要のために今でも旅客列車が走っているそうですが、中間部分は人家も少なく、道路も整備され、東西樺太連絡は1970年代にソ連によって開通した新線(久春内ー真縫間。現イリンスクーアルセンチェフカ間)に移行したとあっては存続を望む方が無理というものでしょう。

2010年の撮影だそうです
ただ、衛星写真で見るとほぼ全線にわたってまだ路盤が残っており、やる気と金さえあれば再び列車を走らせることはできそうではあります。

樺太では現在改軌工事が進行中で、2016年中にも樺太全土がロシア本土と同じ1520mmゲージになるそうです。

ここも観光鉄道として復活すれば日本からの旅行者が大量に行くと思うのですが、どうでしょうか。









  • おまけ~架鉄を極めると・・・
ループ線と直接関係ありませんが、「もし樺太が今でも日本領だったら」という想定を前提にした架空鉄道サイト「樺太旅客鉄道株式会社」さんはすごすぎて痺れます。ここまで突き抜けた架空鉄道はなかなかお目にかかれません。

地形図まで作ってあって、その完成度には戦慄します。一瞬本物かと思ってしまいますよね。どうやって作ったのでしょうか。いやはや恐れ入ります。 是非一度驚愕のパラレルワールドをご覧ください。

また樺太の鉄道史についてはこちらのサイトが詳しいです。



次回は鉄道の本場イギリスのループ線をご紹介します。

2016/05/14

北米②カナダ・ニューファンドランド島 池のまわりの廃止ループ線

  • 独立国のプライド

今回はカナダの東の端、ニューファンドランド島のループ線をご紹介します。

ニューファンドランド島は大西洋に面した東西約450km、南北約560kmの北海道よりも一回り大きい島です。日本の一般的な世界地図では右端にちょろっと描かれていて、北米大陸にまぎれて相対的に小さく感じますが、実は北海道の1.3倍もあるかなり大きな島です。高い山がないため強い海風が吹き、沖合を流れる寒流の影響で冬は厳寒、夏は濃霧という住むには厳しい気候です。

そんなニューファンドランド島ですが、沿海に世界有数の漁場があったため、古くからヨーロッパ人の入植が進みました。島で一番大きなセントジョンズの町がカナダ側ではなく、大西洋側にあるのはその名残です。

18世紀までの間はイギリスとフランスで領土争奪戦が繰り広げられましたが、1713年に最終的にイギリス領に落ち着きました。

時代は進んで20世紀に入ると、カナダが自治領としてイギリスから独立する際にニューファンドランドを併合しようとする動きがありました。

ニューファンドランドは住民投票の結果これを拒否して、独自の自治領となる道を選び、カナダとは別の独立国を目指したのでした。

こうしてニューファンドランドは1907年に自治領(ドミニオン)となり、カナダ、オーストリラリアに続いて実質的に独立を果たします。

  • 鉄路は死なず、ただ去りゆくのみ 

鉄道も標準軌のカナダ本土とは異なる1067mmゲージで建設が進み、1898年には島内を縦断する鉄道が完成しています。島の西端カナダ本土側のポート・オ・バスクからセントジョンズまでの本線は890kmもの長さになる長大路線でした。

ところが、あらゆるところで独自路線を突き進んだニューファンドランド島ですが、当時人口は30万人弱と独立国になるには少し人口規模が足りなかったようです。鉄道建設も資金的に相当無理をしたようで、開通当初から財政負担に苦しみます。「国の財政を良くするために作った鉄道が財政を苦しめている」と言われたりしました。

廃止直前のトリニティ湾を行く混合列車
さらに追い打ちをかけたのが第一次世界大戦でした。ニューファンドランド島はイギリス側で派兵しましたが、若年人口の4分の1が戦死してしまいます。

大戦後の大恐慌を乗り越えられず、1934年、ついに実質的な独立国の地位を返上して、イギリス領の植民地に戻ることとなってしまいました。

第二次大戦後の1949年にカナダに併合されて、ニューファンドランド州となって現在に至ります。住民投票ではカナダ併合賛成50.5対反対49.5の僅差だったそうです。

このような経緯でカナダ本土とは異なる気風が残るニューファンドランド島ですが、島内の鉄道路線はカナダ併合以降はカナダ国鉄CNRが運営していました。人口は少し増えて40万人程度になりましたが、やはり支線を含めて1000kmの鉄道路線網を維持するにはまだ少なかったようです。赤字に耐え切れず1988年に島内の鉄道路線は全線廃止されました。

  • 鉄道の歴史に留められるべきと思う
さて、ループ線ですが、島の南部のショールハーバーから北に分岐するボナヴィスタ支線のトリニティ湾の近くにありました。

ボナヴィスタ支線トリニティループとトリニティ湾
点線部分は遊園地時代に増設した短絡線

ニューファンドランド島は高い山がないおおよそ平らな島ですが、島の中央部は標高数百m程度の台地になっています。この台地と海岸沿いの境目にあったのがトリニティループです。

その名もループ池(Loop Pond)という池の周りをぐるりと回る、前代未聞、空前絶後の形状のループ線でした。世界中のループ線の中で「池の周りをループ」するループ線はここにしかありません。

しかも写真を見ると交差部の高低差はどう見ても20mもありません。池の一周は2kmぐらいなので勾配は10‰あるかないかです。

他にいくらでもループ線を使わないで海岸に至るルートが選定できたと思いますが、建設費の関係からトンネルを掘るのを意地でも避けたかったのでしょう。ニューファンドランド島内には鉄道トンネルが一つもなかったそうです。

超貴重な現役時代のトリニティループ
交差部の高低差は10m程度です。こちらからお借りしました

ボナヴィスタ支線は、1911年に開業し本線よりも先に1984年に廃止されています。廃止後しばらくの間はループ線跡を含めた池のほとりが、トリニィティループ鉄道村 Trinity Loop Railway Villageという遊園地っぽい公園になっていました。

旧ループ線上をディーゼル機関車牽引の客車で走れるアトラクションもあったのですが、それも2010年のハリケーンによる土砂崩れにあって今は廃園になっています。(You Tubeに激レアな公園時代のループ線の動画がありました。→こちら

このトリニティループはかえすがえすも惜しいです。形状といい立地といい景色といい、世界中のループ線の中でも抜群の異彩を放っていました。ボナヴィスタ支線全体的に言えますが、現役時代の写真もあまり残っておらず、話題にならずにひっそりと消えて行った感じです。


遊園地時代はそれなりに賑わっていたようですが、土砂崩れ以降は放置されています。今も交差部の鉄橋がかろうじて残っていて往時を偲べるのですが、観光列車としてでも再開できないものでしょうかね。それだけの価値はあるとは思います。

なお、島内には昔の駅跡を鉄道記念館のようにしているところが何か所かあり、機関車などが保存されているそうです。また、本線跡の全長890㎞ほぼ全部がNew Foundland T'Railwayというサイクリングロードになっています。






次回は島にあるループ線の中で廃止されたものから、一部で有名な樺太の宝台ループをご紹介します。

2016/04/24

欧州⑥イタリア・サルデーニャ島 小さくても面白いループ線

  • 歴史と文化とビーチリゾートの島

今回は地中海のサルデーニャ島のループ線2カ所をご紹介します。

サルデーニャ島は地中海に浮かぶ南北約270㎞、東西約110㎞の島です。九州から佐賀長崎のでっぱりを取ったのとほぼ同じくらいの大きさで、ビーチリゾートで有名です。超おおざっぱに言って島の左半分西側は平地で、右半分東側は標高1000mクラスの山岳地帯です。

黒線がトレニタリア線
緑が950mmゲージのARST線
サルデーニャ島は古代ローマの歴史にも登場する古い歴史を持っています。スペイン領、オーストリア領を経て19世紀初頭ごろからサルデーニャ王国の支配となり、最終的にサルデーニャ王がイタリア全土を統一してイタリア王国となりました。

ですので、場所的にはイタリアのはずれですが、イタリアの歴史にとっては重要な島でもあります。イタリア本土よりもアフリカの方に近い地理的な関係から、古代エジプトのフェニキア人の言葉やスペイン語の影響を受けた本土のイタリア語とはかなり異なるサルデーニャ語が使われているそうです。

島の中央部の山地から石炭が採れたためサルデーニャ島には早くから鉄道が引かれました。島の南端アフリカ側のカリアリから北東端イタリア本土側のオルビア間を繋ぐのがサルデーニャ島の一番の幹線です。九州の鹿児島本線みたいなものですね。1883年とかなり早い段階で全通しており、今では高速振り子気動車が走る1435mmゲージのトレニタリア(イタリア国鉄)線になっています。

それとは別にサルデーニャ鉄道という地方鉄道会社が運営する950mmゲージの狭軌鉄道も開通していきました。以前にも少し触れましたが、950mmゲージはイタリア独特の狭軌ゲージです。

現在はサルデーニャ地域交通会社(ARST)が路線バスなどと一緒に運営しています。このARSTの運営する路線は主にサルデーニャ島の山間部を結び、景色の良い路線が多数あります。そのARST線の路線にループ線が2か所あります。


  • 規模だけではないループ線の面白さ

ラヌゼイの町とループ線。アルバタクス発の列車の場合、
常に進行方向左側が谷になります
1ヵ所目は島の東側、少し南寄りにあるマンダス・アルバタクス線のループ線ピチュエクック・スパイラル Elicoidale Pitzu ‘e Cuccuです。九州で言うと高千穂のあたりになるでしょうか。1893年の開通とかなり歴史のあるループ線です。
ピチュエクック・スパイラル。こちらのページからお借りしました。

ここはラヌゼイ駅を過ぎた25‰の上り坂の途中にあるコンパクトな形状のループ線です。

ラヌゼイの町の下端を一旦通り過ぎて、また戻ってきて再度町の上端をかすめていくという面白いルートになっています。

そもそもラヌゼイの町自体が山の北斜面にへばりつくように位置しており、不思議な感じがします。

どうしてもっと山裾の平地とか、同じ斜面でも日当たりのいい南斜面に町ができなかったのかと思って調べてみると、どうやらこのラヌゼイには水量豊富な泉があったからのようです。

日差しの強い地中海では日当たりよりも水が手に入る方が重要だったのでしょうか。






もう1ヵ所は島の北東部、九州でいうと筑豊のあたりでしょうか。サルデーニャ島の中心都市の一つサッサリから東の港町パラウを結ぶサッサリ・パラウ線のボルティジャーダス・スパイラル Elicoidale Bortigiadas です。

ボルティジャーダスの1回転半ループ。右に向かって上り坂です。
こちらも25‰勾配で、ループの半分がトンネルになっています。よく見ると360度以上回っている1回転半ループです。

3回転以上の大規模ループを見てきたので少々麻痺していますが、1回転を超えるループ線は世界的にも数が少なく、その意味でかなり特徴的な面白いループ線です。こちらは1931年の開通です。

  • 観光列車が今も走る

サルデーニャ島の2カ所のループ線では1997年に一般旅客輸送が廃止されましたが、トレニーノ・ヴェルデ Trenino Verdeと呼ばれる観光列車が引き続き今でも走っています。直訳すると「緑の小さい列車」です。あまり観光列車っぽい味付けのされていない素朴な感じの単行ディーゼルカーがのんびり走っています。

マンダス・アルバタックス線セウイ駅のトレニーノ・ヴェルデ
まったく俗化していない素朴なローカル線風情です
2016年度の運行ダイヤはまだ発表されていませんが、2015年度のダイヤによるとピチュエクック・スパイラルへはアルバタックスから片道約1時間半で、シーズン中1日1往復(ただし火曜日は運休)、ボルティジャーダス・スパイラルへはサッサリから片道約3時間で、シーズン中毎週土曜日のみ1往復の運行です。

※2016年ダイヤではアルバタックス線はセウイ~アルバタックス間が運休となってしまいました。沿線で火災があったようです。サッサリ~パラウ線は週1往復運転は変わりませんが、運転日が木曜日になっています。2016/9/3追記
※2018年ダイヤが発表されました。アルバタックス線も部分開通してピチュエクックスパイラルへの列車も週に3往復復活しています。しかし、まだアルバタックス側からアクセスできません。ボルティジャーダススパイラルは7月以降の運行でまだ運転が始まっていません。詳しくは→こちら 2018/5/26追記

値段はどちらも往復で約2500円程度です。貸し切り列車ありとHPには出ていますが、具体的な内容は分かりませんでした。2011年ごろまでは貸し切りSL列車が走っていたそうですが、2016年現在はやっていないようです。

ピチュエクックへは起点のアルバタックスまでのアクセスが困難で、ボルティジャーダスへは1週間に1回しか列車がないため、1週間程度のサルデーニャ島滞在で両方のループ線を制覇するのは結構大変そうです。

まあ、世界的な保養地で分刻みの駆け足旅行をするのも無粋ですので、日程に余裕をもって乗りに行くのがよさそうですね。





次回は、残念ながらすでに廃止されているカナダ・ニューファンドランド島のループ線をご紹介します。







2016/04/18

オセアニア③ニュージーランドその2 キーワードは手作り

  • 今は人気のハイキングコースに

前回に引き続きニュージーランドのループ線を見ていきましょう。

まずは北島中央部のエリス&バーナンド・トラムウェイ Ellis & Burnand Tramway のループ線跡、オンガルエ・スパイラル(Ongarue Spiral)です。現在は廃線になっています。

ニュージーランドは森林資源と畜産資源が豊富で、その輸出が主要な産業の一つでした。そんな歴史的な背景から森林鉄道が発達しました。


現役時代のエリス&バーナンドトラムウェイ
残念ながらほとんどトラック輸送に置き換わって現代には残っていません。そのような森林鉄道の一つ、エリス&バーナンド・トラムウェイはエリス&バーナンド社という製材会社が木材の切り出し用に作った専用線でした。

なお、ここでいうTramwayには「路面電車」という意味はなく「専用軌道」ぐらいのニュアンスだと思います。少なくともこのエリス&バーナンド・トラムウェイが旅客営業を行ったという記録は見当たりませんでした。

現在のオンガルエ・スパイラル。雰囲気は良く残っています
1960年代の中ごろ廃止されて、現在はTimber Trail というハイキングコースになっています。ここをMTBで走るのが人気のようで、自転車ごと運んでくれるツアーがオークランドから出ていたりします。ニュージーランドの人はMTB好きなようですね。

写真を見る限り本線と同じ1067mmゲージだと思うのですが、なぜか現役時代の軌道のスペックがいくら調べても分かりませんでした。

鉄道としては廃線になりましたが、ループ線の跡は比較的はっきり残っており、人気のハイキングコースとして今でも人々が訪れているある意味幸せな廃ループかもしれません。


  • 鉄道趣味の究極形「作鉄」

もう一か所は同じ北島のドライビング・クリーク鉄道 Driving Creek Railway です。

オークランドの近く、湾を挟んだ向かい側のコロマンデル半島にあるドライビング・クリーク鉄道は、陶芸のための木材や粘土の積み出し用に鉄道マニアでもあった陶芸家バリー・ブリッケル氏が手作りした381mmゲージの鉄道です。路線はすべて個人所有の敷地内を走っているそうです。

どちらかというと、遊園地のアトラクションに限りなく近い存在ですが、全長6kmもあり、意外と本格的なスィッチバックで山を登って行きます。

その途中に2段橋梁の下段を通り、ぐるっと回ってきて再度上段を通過するという超絶ユニークな構造のループ線があります。また空中に突き出した桟橋でスィッチバックする点などは個人の手作りだからこそできる芸当ですね。普通の鉄道では止まれなかった場合のことを考えてこんな作りにはとてもできません。


名物空中スィッチバック。怖すぎて笑えません

1975年に開通しましたが、観光客向けに開放したのは1990年からだそうです。現在、一日4本~6本の列車が走っていて、出発駅から山頂まで行って戻ってくるコースを走ります。

ここで生産された陶芸品を買うこともでき、オークランドから近いこともあってかなりの人気観光地となっています。運賃は一乗車35NZ$≒2600円と少し高めです。




  • 最新ループ線の誕生なるか?

最後にもう一か所。

北島の南端、ウェリントンの手前にリムタカ峠という難所がありますが、1955年の全長8700mのリムタカトンネルが開通するまで使われていたキウィレールのワイパララ線の旧線跡に保存列車を走らせようという計画があります。


この保存鉄道は、旧線から大きく外れた位置に作られた新線のメイモーン駅を起点としたため、旧線の線路跡までの2kmほどを新しく線路を作って接続する計画になりました。
接続線の計画図。左上の赤線が現在線。下の赤線が旧線

その接続線のプランのうちの一つが見事なループ線となっています。メイモーン駅から旧線跡までの高低差40mを25‰以内の勾配で接続するためにいくつかの案を検討しているらしいのですが、このループ線の案も有力な候補の一つと書いてあります。

最終的にどの案に決まるかループ線マニアとしては興味津々です。もしループ線案が実現すれば世界最新となるはずです。

このリムタカ・インクライン・レイルウェイ Rimutaka Incline Railwayは、なんと鉄道マニアのおっさん達が趣味で手作りしているというから驚愕です。世界には自分で鉄道を作る趣味カテゴリがあって、ニュージーランドにもこのような手作り保存鉄道が各地にあるようです

旧線のフェル式ラックレール区間。4重連SLは大迫力です。
リムタカ・インクライン・レイルウェイは2003年からこつこつと作ってきて、やっとメイモーン駅周辺に車庫と線路が数百メートルできた段階だそうですが、全通はいつになるのでしょうか。ちなみにリムタカ旧線は全長22kmですので単純計算であと30年ぐらいはかかることになってしまいますが・・・。

なお、旧線区間には66.7‰のラックレール区間がありました。ラック式というと日本ではアプト式と同じ意味で使っていますが、ここはフェル式という少し珍しい形式でした。(ラックレール区間は77‰だったようです。2016/4/19追記)



3か所まとめて上の地図に落としてあります。拡大してそれぞれをご覧ください。
ニュージーランドはループ線のバラエティがとても豊富ですね。
次回は地中海のサルデーニャ島Trenino Verde(緑の列車)のループ線をご紹介します。