- 海の見えるループ線
今回はイタリア西部海岸沿いのサヴォナ・ループをご紹介します。
イタリア北部は19世紀から工業が発展し、すでにトリノとミラノはその代表的な工業都市となっていました。交通網もこの二つの都市と港町の代表ジェノヴァを中心に建設されていきました。日本がまだ明治になる前の話です。
サヴォナ市は鉄鋼業と造船業が発達した港町です。1868年にはジェノヴァから海岸線沿いの路線が、1874年には山を越えてトリノと直結する路線がそれぞれ開通しています。 19世紀の中盤に既に2方向の鉄道網を持っていたとは恐れ入りますよね。
今回ご紹介するのはこのトリノとサヴォナを直結する山越え線、トリノ・サヴォナ線です。
このトリノ・サヴォナ線を地図で見ると、「ああ、後から線路容量が足りなくなってループ線を増設したんだな」と一目で分かる線形です。その推測はおおむね間違っていないのですが、実はこのループ線は完成するまでに紆余曲折がありました。
- 工業都市と港を結んで
ループ線と既存線の分岐点、サン・ジュゼッペ・ディ・カイロ駅は北イタリアの代表的な工業都市トリノとアレッサンドリア両方から線路が通じており、19世紀終盤に輸送量も増大していきました。早くも1900年代の初頭ころから、サヴォナとサン・ジョッセッペ・ディ・カイロ間の線路容量不足に悩まされるようになります。
世界最長のロープウェーとループ線 |
なお、サン・ジュゼッペ・ディ・カイロとサヴォナ港の間には線増工事の完成が待ちきれずに18kmに及ぶ石炭運搬用のロープウェーが作られていたりします。このロープウェーは今でも世界最長だそうで、なかなかすごいです。ループ線とまるで関係ありませんがちょっと男心をくすぐります。
- どうしてこうなった・・・・
さて、中断されていた線増工事ですが、第一次世界大戦が終わるとアルターレに軍の駐屯地があったため軍事輸送目的で軍部から強く建設を督促されるようになりました。その結果、難工事を避けた簡単なルートに変更して、陸軍自らが工事にあたり1923年にサン・ジュセッペ・ディ・カイロ~アルターレ間が開通します。この区間は終戦までは軍の専用線として使われました。
この時、開通を急いだせいでしょうか、アルターレ駅はサン・ジュゼッペ・ディ・カイロ駅よりも標高が高いところに作られました。サン・ジュゼッペ・ディ・カイロからサヴォナまでの下り坂の前に一旦坂を上るということですね。
戦後1954年に改めてアルターレ・サヴォナ間が開通し、この時にループ線が採用されました。勾配は旧線25‰に対して新線30‰。区間距離は旧線19kmに対して新線は24km。新しい方が遠回りでしかも急勾配という謎の新線となってしまいました。
サヴォナループの勾配図。左が旧線、右がループのある新線です。 |
新線の風景。よく見ると路盤は複線分あります。 |
結局、新しく作られたループ線はサン・ジュゼッペ・ディ・カイロからサヴォナへ向かって坂を下る列車が使用し、サヴォナ発の坂を上る列車は引き続き旧線を走ることになりました。増設した新線の方が急勾配というのは世界でもここだけでしょう。
ただ、イタリア国鉄の名誉のために言っておきますと、この区間は早い段階で(おそらく第一次大戦以前に)電化され機関車の牽引力も向上していたため、勾配緩和はそれほど重要でなく、純粋に線増の方が狙いだったと思われます。また、新線は曲線改良されており、制限速度が旧線の65km/hから80km/hに引き上げられています。
- 旅客列車は豊富
こちらは旧線の風景 |
ループ線を通過する旅客列車はサヴォナ方面行き15本、サン・ジュセッペ・ディ・カイロ方面行き7本の計22本あります(2015年12月平日ダイヤ。休日は若干運転本数が減ります)。
サヴォナとサン・ジュセッペ・ディ・カイロ間無停車の快速列車は列車の待ち合わせを見て推測するしかありませんが、ざっと見たところ逆向き運転の快速列車は上下1本ずつ、計2本だけのようです。1日20本超えの旅客列車が通るのは世界のループ線ではかなり多い方です。
ここは列車本数も多く、ジェノヴァやトリノなどの主要都市からも近いのに、日本から乗りに行った方はほとんどいらっしゃらないようです。タンド線と比べるとはるかに手軽に行けそうなんですが。
なお、アルターレ駅近くに高速道路が通っているのですが、この高速道路も豪快にループしています。道路の方は普通に上りがループ線になっています。
次回は増設ループ線第3弾で韓国から咸白線をご紹介します。
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