2018/03/25

中国⑬川黔線大河壩ループ ギリギリ生き残った幹線ループ


  • 中国の発展を支えたループ線

 今回はループ線大国中国の重慶と貴陽を結ぶ川黔線にあるループ線をご紹介します。

重慶貴陽間が川黔線です。
香港を目指しているのがこの図で分かります


 川黔線はせんけん線と読みます。川黔線の川は四川省、黔は貴州省の略称です。現在重慶市は直轄市となって四川省から分離したため、四川省内を通っていないのに正式名称は川黔線のまま取り残された形になっています。

 マスコミや市民には重慶市の略称の渝(ゆ)の字を使って渝黔(ゆけん)線あるいは渝貴線と呼ぶ方が一般的だそうです。蛇足になりますが、重慶市は人口3千万人、面積8万平方キロと余裕で小さ目のヨーロッパの国一つ分ぐらいの規模があります。面積ではオーストリアと同じぐらいですね。

 川黔線は以前ご紹介した黔桂線と合わせて、八縦八横と呼ばれた中国の鉄道幹線網の西から2番目の縦のラインを形成しています。



 川黔線黔桂線のラインも厳しい地形を越えていますが、宝成線成昆線よりは随分ましです。重慶、貴陽、柳州、桂林と重要都市を結んで海沿いの広州を結んでいることもあって、開通直後から超大列車が行き交う大幹線となっています。

 川黔線は実は清朝時代の1911年から建設計画がありましたが、実際に開通したのは中華人民共和国成立後の1965年のことです。この1960年代前後は中国南西部の骨格となる重要路線がたくさん開通しています。宝成線は1958年、成昆線は1970年の開通です。 これらの路線はいずれも現在まで中国の発展を支える大動脈です。


  • ループ線を抜けるとそこは高原地帯

 さて、川黔線は長江の流域では最大規模の都市重慶を起点に、まっすぐ南下して貴陽を目指す全長500km弱の路線です。中国の幹線にしては割と短めです。




大河壩駅からの眺め。
中央右寄りにループ線の下層部を走る列車が映っています。
こちらからお借りしました
全線が長江の水域になりますが、細かく見ると北側の約200km弱が長江本流の水域、中間部の桐梓前後の約100kmが重慶から150km上流で本流に合流する赤水河の水域、南側貴陽周辺の約100kmが重慶の約100km下流で本流に合流する烏江の水域です。赤水河も烏江も支流とはいえ500kmぐらい長さのある日本で言えば利根川クラスの大河ばかりです。



 今回ご紹介する大河壩ループは、この本流と赤水河の分水嶺の峠に作られています。峠の北側は標高600m程度の狭い谷ですが、南側は標高900mぐらいの高原地帯になっています。一方、赤水江と烏江の境には目立った標高差はなく、分水嶺の山脈をトンネルで越えるだけです。川黔線は重慶を出て約200kmは上り勾配で、その後はほぼ標高900m前後を走る片勾配の路線ということになります。



こちらからお借りしました
大河壩ループは狭い谷の片側の起伏をうまく使って高度を稼ぐという、なかなかテクニカルなルートを選定しています。曲線半径は250m、勾配は16.7‰で高低差は約100m。細長い独特の形状のループ線です。

 ループ線の出口には大河壩駅が作られており、そのホームからループ線のおよそ半分を見渡すことができます。

 この駅は谷底の川辺にある大河鎮の集落からはかなり山を登ったところに駅があることになりますが、これは分水嶺の向こう側の標高900mを目指して高度を上げて行っている途中だからですね。


  • まさに紙一重での生き残り

 さて、この川黔線、つい先日までは客貨合わせて1日50往復の列車が走る超過密路線だったのですが、路線が古いため全線にわたって最高速度60kmに制限されており、500km弱を特急列車でも9時間かかっていました。

 ところが、つい先日の2018年の1月、重慶~貴陽間の高速新線が開業し、旅客列車が一斉に新線に移りました。重慶~貴陽間はなんと最速2時間10分になっています。



下に向かって上り坂です。こちらからお借りしました
高速新線では旅客列車だけで1日48往復、日中はほぼ20分ヘッドで列車が行き交っています。それでも時間帯のいい列車は1ヶ月先まで予約で売り切れになっていますので、それだけ輸送需要が大きい区間だったのでしょう。この所要時間短縮と列車本数倍増はかなりの交通革命だと思われます。

 この高速新線の開通に伴って心配された旧線の処遇ですが、幸いなことに廃止されずに貨物用として存続しています。旅客列車が走らなくなっても1日20往復の貨物列車が走っており、堂々たる幹線であり続けています。



 これだけなら旅客列車がなくなって残念という話なのですが、なぜかこの区間、2往復だけ旅客列車が残されているというので驚きです。



 重慶・貴陽間の列車時刻表を見ると2時間~2時間40分程度の所要時間の列車がずらりと並ぶ中に、1本だけ8時間58分もかかる列車があって異彩を放っています。この1往復が現在も引き続き旧線経由で運転され、ループ線を通過している列車です。この列車は西安行の直通列車で、新線を走れない旧型車両による運行のために残されたのでしょう。(2018年3月現在南行K4633列車・北行K4634列車 →2020年4月現在新線経由に置き換わったようです





 また、上記の他に重慶から途中の遵義までの区間列車一往復が旧線ループ線経由で走っています。この列車は重慶から遵義までの300kmを10時間もかかって走るものすごい鈍足列車です。確証はありませんが、スピードの遅さと停車駅の多さから見てこれは客貨混合列車ではないかと推測しています。貨車併結で高速新線を走れないという理由で旧線経由で残されたのではないでしょうか。(2018年3月現在南行5629列車、北行5630列車 →この列車は2020年4月現在まだ健在です




高速新線の遵義駅。中都市の駅ですが、この威圧感はさすが中国

 上に紹介した2往復4本の列車は、高速新線の停車駅遵義駅ではなく旧線上の遵義西駅に発着しており、ループ線と遵義西駅の間に高速新線と旧線を行き来できる線路はありません。従ってこの2往復4本の列車がループ線経由であることは現時点では確定しています。



 しかし、いずれも過渡的措置の臭いがぷんぷんしますので、興味のある方は今のうちに乗っておきたいところです。個人的にはループ線マニアとして今すぐにでも乗りに行きたいところですが、なかなかひょいと行けないところがつらいです。

 なお、2018年2月の春節期間中は、この2往復以外に臨時列車が数本旧線経由で運転されていましたが、これも来年以降どうなるか分かりません。


  • 悠久の大河を渡るループ線(ただし絶滅寸前)

 川黔線にはもう一カ所見逃せないところがあります。

 川黔線の起点重慶駅は長江の北岸の狭い中心部に作られましたが、高速鉄道を建設するにあたって駅を拡張する余地がなかったため、中心部から20㎞ほど離れたところに重慶西駅を作り、重慶の南と西の貴陽・成都方面からの高速列車をそこに集約しました。なお、重慶の東と北側から来る列車は同じように中心部から10㎞ほど離れたところに作られた重慶北駅に集約されています。




重慶市域の国鉄路線図。是非拡大してご覧ください。

 この拡張に伴って既存の重慶駅は成都方面発着専用となったのですが、新しい重慶西、重慶北駅と既存の重慶駅を連絡線で直結したため、もともとあった連絡線も含めて重慶周辺の鉄道路線は大変複雑になり、路線図好きの人には楽しい区域になっています。





 川黔線は以前、重慶を出ると成都方面へ行く成渝線と同じ線路を30㎞ほど走り、小南海駅で成渝線と別れて白沙沱長江大橋で長江を渡って南に向かっていました。実はここがループ線構造になっていて、毎日多数の列車がループして白沙沱長江大橋を渡っていたのですが、日本ではほとんど知名度がありません。



 白沙沱長江大橋は余裕で関門海峡ぐらいの川幅があるところを渡る特大の鉄道橋で、これだけでも見所になってもおかしくありません。規模的にもドイツのレンツブルク・ハイブリッジにひけを取らないのですが、ちょっと不遇ですね。






圧倒的存在感の新橋、奥が旧橋。
こちらからお借りしました。
 現在は重慶西駅へ直結する高速鉄道対応の新白沙沱長江大橋が開通し、そちらに旅客列車は移転しました。この新白沙沱長江大橋は上層が複々線の高速線、下層が複線の貨物線という2層式6線の超大規模鉄道橋(おそらく世界最大)です。これはこれですごいです。詳細は→こちら








 ところが白沙沱長江大橋の旧橋の方は、将来的には廃止される予定ですが、2018年3月現在、まだ貨物列車が若干走っています。おそらく新長江大橋前後の貨物線の取り付け工事が完了していないためでしょう。

 その中には重慶方面へ直通する列車も含まれており、先ほどの重慶・遵義間の5629列車・5630列車もここを経由しています。



 この列車だけ重慶西駅発着ではなく、重慶駅発着で小南海駅も停車しています。時刻表が正しければ、ループ線を通って旧橋を渡らないと川黔線方面には行けません。この5629列車/5630列車は客貨混合列車ではないかと推測しましたが、これもその根拠の一つです。( →2020年4月現在5629列車/5630列車は小南海駅を通過するようになりました。旧橋を通っていたとしてもループ線を通らない連絡線経由になっている可能性があります




 ・・・ということはこの5629列車/5630列車、廃止寸前のループ線二つにまとめて乗れる実に貴重な列車だということになります。広大な中国を走る多数の列車の中で、最もアツい激アツ列車と言っても過言ではありません。



 いつまで走っているかわかりませんが、取り付け線の工事などすぐ出来てしまうことでしょう。書いていると乗りに行きたくなってきました。やばいです。










次回はアメリカのループ線をご紹介します。



2018/02/15

欧州㉔スペイン ア・コルーニャ線ラ・グランハ・スパイラル 異色の巨大スパイラル

  • 情熱の大輪ループ線
今回はスペイン北西部、ポルトガルとの国境付近にある異色のループ線をご紹介します。

ピレネー山脈よりも南のイベリア半島はいわゆるヨーロッパとは気候も雰囲気も大きく異なります。歴史上イスラム教の影響下にもあったこともあります。

1910年ごろのスペインの鉄道路線図
ループ線は図中央のレオンから海沿いのアコルーニャに向かうオレンジ色の線上にあります
図中の黒い線はメーターゲージの路線です。
スペインの国土は海岸部は断崖で内陸部は標高500m~1000mの台地となっています。従って海岸部から内陸に向かう際には必ず山を登る必要がありました。フライパンを裏返したような地形と言えばだいたい合っていると思います。

さて、一時期は世界征服も夢ではなかったスペイン帝国ですが、17世紀に入るとイギリスに海上での争いで負けて没落してしまいきます。18世紀には王朝が途絶えたり、ナポレオンのフランスに占領されたり、アメリカと戦争してぼこぼこにされたり、まさに踏んだり蹴ったりの100年間を経験します。

鉄道もヨーロッパ諸国が1848年にバルセロナで開通したのが最初で、他のヨーロッパ諸国と比べると10年~20年程度遅れていました。

それでも1850年代には鉄道投資熱の高まりに乗って各地に鉄道が建設されており、急速に路線網拡大していっています。

そんな中でどうしても海岸沿いに出るところで急勾配になる地形的制約に苦しめられることになります。イベリアゲージと言われる1668mmのブロードゲージは山間部の路線建設にひどく難航し、標準軌を採用しなかったことを当時のスペインの鉄道技術者は随分後悔したそうです。スペインでは海岸沿いを中心に1000mmのナローゲージ路線が残っているのは山間部のブロードゲージ路線建設を諦めてナローゲージ路線を敷設した名残です。

このア・コルーニャ線も内陸側からはブラニュエラスまでが1868年に、海岸側からはルーゴまでが1875年に開通していましたが、ループ線を含む部分の開通は1883年のことになります。この間、列車はブラニュエラス止まりで「coachでルーゴまでの約50kmを連絡していた」そうです。ここでいうcoachはバスではなく文字通り馬車だろうと思います。ヨーロッパではゴッタルドバーンに次ぐトップクラスの歴史の古いループ線でもあります。

もともと海洋国家だったスペインは海岸沿いに有力都市が多くあり、王室のあったマドリードと海岸沿いを結ぶ路線はどこも重要路線だったと言えます。ア・コルーニャ線もそのような海岸沿いの有力都市と首都を結ぶ幹線と位置付けられています。

  • いまだ色あせない往年の世界一
さて、このループ線、最初からブロードゲージの幹線規格で作られていました。山の尾根をダイナミックに使った壮大なループ線です。

輪の大きさは一周5.8kmあり、1883年の開通から2004年に中国の水柏線の3重ループ線が開通するまで実に120年間、世界最大のタイトルを保持していました。曲線半径は最小280m、勾配は20‰、輪の大きさを目一杯使ってトータル220mの高低差を登ります。建設時期を考えるとかなりの高規格と言えるでしょう。



あまりにも輪が大きいのでループ線ぽい写真は撮りづらいようです
ループ線の向き(写真では右巻き)とは逆の左カーブである点も注目
あまりにも輪が大きかったので、ループ区間中にも直線がふんだんにあり、なかなかループしている感覚が掴みづらいという特徴があります。さらに、ループとは反対方向に曲がる逆向きの曲線まである点がマニア的には要チェックです。

この「ループ線の途中に、ループとは逆向きの曲線のあるループ線」というのはあまり他に思い当たりません。世界唯一とは断言しにくいのですが、かなり珍しいものだと思います。

レオン側から来ると台地の上のブラニュエラス駅を出て山の尾根沿いに進み、5km以上もあるループ区間を通り、トンネル・デル・ラソで自線の下をくぐります。ラソはスペイン語で輪の意味なので、英語に訳すとループトンネルというそのままの名前になります。

また、現在の世界の大輪ループ線を見てみると、1位の韓国のソラントンネルは全区間トンネル内、2位の中国水拍線も全体の3分の2がトンネル内ですが、このグランハ・スパイラルは交差部のトンネル・デル・ラソも含めて比較的短いトンネルばかりです。大きな谷を豪快に見下ろす長いループ線の車窓風景は抜群です。(ちなみに4位はブルガリアのシプカ峠のループ線、ここもあまり車窓には期待できません)

  • 将来不透明ながら、今のところは特急街道
この区間には駅が3か所ありました。ループの途中、山の中腹にあるのがラ・グランハ駅、トンネルエルラーゾのすぐ手前にあったのがラ・シルヴァ信号場、ループトンネルを抜けた後にあるアルバレス信号場です。

ラグランハ駅を通過する特急列車
こちらからお借りしました
幹線の勾配区間とは言え10km弱の間に3か所も駅があるのはさすがに過剰なのですが、ラ・シルヴァ信号場は現在は廃止されている近くの炭坑とを結ぶ軽便鉄道の発着駅だったところだそうです。またアルバレス信号場は開業当初から客扱いをしていません。

ここは現在でも西部ガリシア州と首都マドリードを結ぶ幹線となっており、毎日3往復~5往復の特急列車、2往復のローカル列車、2往復の夜行特急が走っています。

もともと幹線規格の線路をかなり高速で列車が行きかう様子はなかなか迫力があります。一応160km対応らしいですが、動画で見る限りそこまでスピード出ていません。

また、他のヨーロッパ諸国のローカル線同様、ここもローカル列車が思い切り減便されています。



実は現在マドリードからポルトガルとの国境沿いを通って沿岸部を結ぶ標準軌の高速鉄道線が建設中で、そちらが開通すると一気に立場が危うくなる可能性があるので要注意な区間ではあります。




次回は中国のループ線をご紹介します。

2018/01/07

欧州㉓ロシア・北コーカサス鉄道トゥアプセ線 欧亜をまたぐステルスループ線

  • 南を目指すのがロシア人の本能

今回はヨーロッパとアジアの境目、黒海とカスピ海の間を走る北コーカサス鉄道のループ線をご紹介します。

黒海から内陸に直角に曲がっているところがトゥアプセ
ループ線は128という数字の書いてあるあたりにあります
この地図にはまだクラスノダール支線は描かれていません
黒海とカスピ海の間には標高5000mを超えるコーカサス山脈がそびえています。この山脈がヨーロッパとアジアの境目になっており、この山脈よりも北側がヨーロッパ、南側は中央アジアです。

ちょうど4年前、冬季オリンピックが開催されたソチは黒海沿岸にあるロシア共和国の最南部の街ですが、コーカサス山脈よりも南側に位置しているので地理学上はアジアに分類されます。

ソチから黒海沿岸を走っているのが北コーカサス鉄道で、北上するとトゥアプセという町にたどり着きます。最高部で標高5000mを超えるコーカサス山脈もトゥアプセ近辺まで来ると山並みはずっと穏やかになっています。北コーカサス鉄道は標高わずか300mのシャウミヤン峠を越えて内陸に向かい、最終的にはモスクワまでつながっています。この峠越の部分にロシア製のループ線があることはあまり知られていません。

このシャウミヤン峠は高さは大したことありませんが、れっきとしたコーカサス山脈の末端部分でもあります。従ってこのループ線はアジアとヨーロッパをまたいでいることになります。ループ線の南側は黒海水域でアジアに属し、北側はアゾフ海に河口のあるクバン川流域でヨーロッパです。

この北コーカサス鉄道は帝政ロシア時代から旧ソ連時代にかけて怒涛の勢いで建設されて行った鉄道の一部です。ジョージア(旧グルジア)やアゼルバイジャンまでくまなく路線網があり、イランやトルコとも線路が繋がっていたこともあったようです。考えてみたら1991年までは全部旧ソ連領で同じ国内だったんですね。

  • 世界大戦よりも内戦の影響が大きい
帝政ロシア末期の鉄道路線図
さて、このループ線は1912年にトゥアプセ鉄道という民間会社の私営鉄道として開通しました。ぎりぎり帝政ロシアの時代です。

ロシア人が南を目指すのは本能のようなもので、この時代の鉄道建設もすごい勢いでした。1918年のロシア革命でソビエト連邦が成立し、鉄道に限らずすべての民間企業は国有化されました。

トゥアプセ鉄道はモスクワからの鉄道との連絡駅アルマヴィルを越えてスタヴロポリまで線路が続いていましたが、共産革命後の内戦で破壊されてしまい、アルマヴィルよりも東の区間は復旧されずそのまま廃止になっています。

現在はロシア政府100%出資のロシア鉄道北コーカサス支社が運営しています。当ブログでは北コーカサス鉄道と書きましたが、実際はロシア国鉄の一部となっています。

  • さすがロシア製。抜群のステルス性能だ
さて、このループ線は尾根筋を使って高度を稼ぐ形式になっており、3つのトンネルでループ線を構成しています。

トンネルは、下から順にボリショイ・ペトレボイ(大ループ)トンネル、マーリュイ・ペトレボイ(小ループ)トンネル、スレドニー・ペトレボイ(中ループ)トンネルと名前が付いています。

トンネルと木々で視界が効かず、さらにループ線の輪の中央部には山の尾根があって、ループ線を走っていることにとても気が付きにくい構造になっています。

上流のアルマヴィル側からトゥアプセに向かって走って来ると、常に左側が谷になっているので、普通に車窓を眺めているとループ線を通ったことに気が付かないことが多いのではないかと思います。

さらに、勾配12.5‰、曲線半径350m、輪の周囲約3kmとかなり高規格で作られてあって山越えの難所感が少ないことや、自線との交差点がボリショイ・ペトレボイ・トンネルの中にあることも加わって、意図的ではないかと思うほどループ線の存在感を消しています。

欧亜をまたがるという壮大な立地にありますが、ループ線としては非常に地味で目立たないもので、マニアでないと気が付かない極めてステルスなループ線と言えるでしょう。

ループ線全景の写真はいいのが見つかりませんでした
これはインジュク駅付近(上の地図の7番の赤丸あたり)の貨物列車
こちらからお借りしました

また、軌間はロシアン・ブロードゲージの1520mmゲージとなっています。広軌のループ線は世界でも珍しく、パキスタンのカイバル峠スリランカのデモダーラ、スペイン2ヶ所とここの5カ所にしかありません。

中国の興安嶺ループも開通時は、ロシアンブロードゲージでしたが、満鉄に移管された時に標準軌に改軌されています。

アルマヴィル方面のゴイトフ駅からインジュク駅までトゥアプセに向かってループ線を下る前面展望動画です。
6:50からループ開始、8:15からスレドニー・ペトレボイ・トンネル、最後ボリショイ・ペトレボイ・トンネルを抜けるとすぐインジュク駅です。
なお、この区間1990年代まで蒸気機関車が走っていたそうです

  • 盛り盛りの時刻表を読み解くと・・・
ループ線としては地味極まりない北コーカサス鉄道のループ線ですが、ロシアの南端部と中心部を結ぶ大動脈となっており、旅客列車も貨物列車もばんばん走っています。

時刻表には急行列車だけで1日16往復も記載されていますが、さすがにこれは盛った数字で、同じ日に全列車が運転されることはありません。ほとんどの列車が隔日運転もしくは週2回の運転なので、1日あたりでは多い日でも6~7往復程度です。貨物列車が1日40往復とか書いてある資料がありましたが、これも盛り盛りの数字でしょうね。

トゥアプセ以南は黒海沿岸の素晴らしいコーストラインを走ります
こちらからお借りしました

急行列車は主にジョージアとの国境の駅アドレルからソチを通って、ロシア内陸部のノヴォシビルスクやモスクワ方面に3日間かけて走る豪華長距離列車です。

その他に平日だけ運転される都市近郊列車が2~3往復あります。また夏のシーズン中はこれに臨時列車が加わるそうです。

ところで、ループ線の手前で分岐して左上へ向かう路線が地図で見えると思います。

この路線は、トゥアプセと中心工業都市クラスノダールを結ぶ短絡線で、1978年に建設されました。こちらの方が現在は本線ぽくなっており、旅客列車は1日最大で23往復運転されています。例によって盛ってある数字ですので普段は15往復程度でしょうか。この中にはアドレルから国境を越えてジョージアのスフミまで行く国際列車もあります。

このクラスノダール短絡線はループ線のすぐ下を通っており、ループ線通過中の車窓から見ることができるそうです。ちょうど鳩原ループから小浜線が見えるような感じでしょうか。上のYouTubeの動画の9:00あたりで並走しているはずですが、動画ではちょっと判別できません。




いつもループ線マニアをご覧いただきありがとうございます。

遅ればせながら今年も当ブログをよろしくお願いいたします。

次回はブロードゲージ・ループ線の残る二つのうちの一つ、スペインのループ線をご紹介いたします。





2017/11/21

中国⑫青蔵線旧関角ループ線群 思い出の高山ループ線

  • はるかなる天空へ続く鉄路
今回は中国青海省の青蔵線(通称チベット鉄道)のループ線をご紹介します。

青蔵線は世界最高所を走る鉄道として有名ですが、その成り立ちは極めて政治的な背景によるものでした。

1949年中華人民共和国が成立すると1950年にチベットに侵攻し、中華人民共和国領土であると宣言し、漢民族が大量に入植して人数でチベット人を圧迫していきます。その流れで着工されたのが青蔵線です。結局のところ兵士と入植者をチベットへ送り込むのが最大の建設目的だったことになります。

こちらからお借りしました
1958年にチベットへの入り口だった西寧から工事が始まり、文化大革命の混乱で一時工事がストップしたりしましたが、1979年に西寧~ゴルムド間830kmの第一期区間が開通しました。

高速鉄道を5年ぐらいで作ってしまう中国では、これは異例の長期プロジェクトだったと言えるでしょう。当初は軍用輸送専用でしたが1984年に一般旅客営業を開始しています。

なお、世界最高所を通る「天空の鉄道」として有名な海抜4000m以上の超高地区間は一期の開通区間内にはありません。海抜4000m超区間は2001年着工2006年開業の第二期区間ゴルムド~ラサ間です。こちらは延長1160kmと第一期区間よりも距離が長いにもかかわらず着工から5年で開通しています。


  • 富士山よりも高い大規模ループ線群
さて、青蔵線のループ線はチベット高原の入り口、青海湖の先にありました。元来標高は高くても全体的に比較的なだらかなチベット高原ですが、ところどころ急峻な山脈があり、交通を遮っていました。青海湖とその左下にポツンとあるツァカ湖(チャカ湖、茶卡盐湖)の境にある関角峠もその一つです。青海湖側はなだらかな丘陵になっていますが、峠の西側ツァカ湖側は急激に落ち込む鋭い谷になっています。

こちらからお借りしました
青蔵線は青海湖の周囲をぐるっと回って少しずつ高度を上げていき、峠を標高3800mの旧関角トンネルで越えたあと、深く切れ込む谷に向かって全長24km標高差400mをループ線とヘアピンターンの組み合わせで克服するルートで当初建設されました。

これが旧関角ループ線群です。へアピンターン群のちょうど中央にループ線があり、曲線半径は300m、勾配は15‰でした。ループ線は直近の駅名から二郎ループ線(二郎螺旋展線)と呼ばれていました。

ループ線と7か所のヘアピンターンが合わさった世界的にも大規模なループ線群でしたが、このループ線群は世界最高所にあるループ線でもありました。ループ線群の全体が富士山よりも高いところにあったと聞くとそのスケールに驚きます。


こちらからお借りしました
そのあまりにダイナミックな風景は中国の鉄道写真家の羨望の的でした。中国のループ線のフラッグシップ的位置づけでもあったようです。一応道路はありますが、近づくのも困難なこのループ線の写真がWEB上でいくつも見つかります。

鉄道写真撮影だけでも高山病になりそうで心配になりますし、加えて一番近くの町まで軽く100kmはある人跡未踏の辺境の地だったことも重要です。事故で死んでも誰にも気づいてもらえないところでした。鉄道写真のためにかなり本格的な登山装備が必要な、割と真剣に命がけの撮影だったと思われます。

  • 関角、再見!
冬の写真がほしい、と思ったけどよく考えると無理な注文ですね
こちらからお借りしました
この青蔵線がチベット地区にもたらした交通便益はまさに革命的でした。良いか悪いかは別にして、人も物も交流が一気に進み、もはやチベットは僻地ではないと言われるまでになりました。

さらに輸送強化を図るべく、第二期工事完成前の2005年から輸送力増強工事を実施してゴルムドまでの区間を複線電化することになりました。

この時、旧関角峠の部分は全長34㎞の新関角トンネルを建設して旧関角ループ線群を一気にバイパスしてしまうという中国らしい大胆な計画となりました。

新線の開通で30㎞距離が短くなり、所要時間が2時間短縮されました
この工事が完成した2012年以降、列車はすべて新関角トンネル経由に変更され、旧関角ループ線群は廃止されました。旧線が一般旅客営業していたのは28年間と比較的短命なループ線でした。

この青蔵線、現在はチベット地区への一大幹線となっており、旅客列車が北京、上海、広州、重慶、蘭州と中国各地から1日5往復走っています(重慶発着と成都発着は隔日交互運行、蘭州発着は隔日で西寧止まり)。西寧からゴルムドまで約7時間、ゴルムドからラサまで約13時間かかりますので、全線を日中に乗ろうと思うと途中駅で一泊必要になります。




  • 今なお開発が続くチベット
上の方で少し触れたツァカ湖は「中国のウユニ」と言われる非常に美しい湖で、ちょっと行ってみたいところです。ここにはシーズン中、毎日西寧から観光列車が出ており、西寧から日帰りできます。

また、チベット地区では鉄道建設のビックプロジェクトが目白押しです。

2017年11月現在、ゴルムド~コルラ線、ゴルムド~敦煌線がそれぞれ建設中です。タクラマカン砂漠を貫いて線路を敷くとかスケールでかすぎです。一般旅客営業をすぐ開始するかは分かりませんが、どちらもあと数年で開通する段階だそうです。

東洋のウユニ、ツァカ湖 
ただし本家よりも晴天率が著しく低いため青空の日に当たるには相当な強運が必要だそうです
さらにラサから先、ネパール国境までの鉄道も建設中で、途中のシガツェまでは2014年に開通しています。

またラサ~シャングリラ~大里~昆明の路線も建設中です。

地図上での距離は近くても一切の交通が断絶されていたチベットと雲南省・四川省が鉄道で結ばれるとどういう変化がおきるのか。

長江、メコン川、サルウィン川の三大河川が並んで流れる三江併流地域をどのようなルートで鉄道を建設するのか、興味は尽きません。ここも途中のラサ~林芝間400kmが2021年に開通予定です。

青蔵線自体もロマンあふれる鉄道ですが、今後しばらくチベット地区の鉄道網の発達は見逃せません。



有名なループ線シリーズは今回で終了です。

世界のループ線を紹介して丸2年、だいぶ残りが少なくなってきました。しかも有名なところをまとめて紹介してしまったのでマイナーどころばかり残ってしまいました。これはちょっとマズかったかもしれません。

次回からは残りのループ線をランダムにご紹介していきます。まずはヨーロッパなのかアジアなのか微妙なところにあるロシアのループ線をご紹介します。

2017/11/07

オセアニア④オーストラリア クーガル・スパイラル シンプルな味わいのオージーループ線


  • 日本の県境とはかなり違う

今回はオーストラリアのループ線をご紹介します。

オーストラリアは土地が広大で人口密度が少ないため、もともと鉄道旅客輸送にはあまり向いていません。実際オーストラリアの長距離旅客輸送は現在ではほとんど壊滅状態です。

一方石炭や鉄鉱石などの鉱物資源の鉄道輸送は大活躍しています。鉄道は運転士一人で何万トンもの鉱物を運べますが、トラック一台につきドライバー一人必須となるトラック輸送では、せいぜい200トンが限界です。人ひとりあたりの輸送効率では鉄道の圧勝です。今も昔も鉄道の最大のお客さんは鉱石です。

さて、オーストラリアの鉄道は州ごとに全然別の規格で独自に鉄道網を構築していったことが特徴です。それぞれの州政府が建設した公設鉄道を基に発展していますが、メルボルンを中心とするビクトリア州は1600㎜ゲージの広軌、シドニー中心のニューサウスウェールズ州は標準軌、ブリスベン中心のクィーンズランド州は日本と同じ1067㎜ゲージでした。

それぞれ州境での乗り換えや積み替えを余儀なくされており、不便なことこの上ありませんでした。この軌間混在は根本的には今でも解消されておらず、オーストラリアではあちこちにごく当たり前に三線軌区間が存在しています。

もっともオーストラリアの州境は、borderという単語で表されるとおり日本の県境よりもはるかに境界の意味が強く、どちらかというと国境に近いニュアンスです。

ニューサウスウェールズ州とクイーンズランド州の間では、1888年からニューサウスウェールズ鉄道北本線とクィーンズランド鉄道南線が州境のワランガラ駅で連絡していました。前述のとおりシドニー側が標準軌、ブリスベン側が狭軌で列車の乗り入れはできません。しかも海岸沿いに屏風のように立ちはだかる中央山脈を避けたルートだったため、かなりの遠回りとなっていました。

一時期中央山脈をループ線で越えるブリスベンからワランガラまでの短絡線が割と真剣に検討されましたが、ニューサウスウェールズ鉄道北海岸線をブリスベンまで延長することになり、短絡線計画はお蔵入りになってしまいました。もしもこの時、ワランガラへの短絡線が開通していれば、もう一か所ループ線ができていたことになります。マニア的にはちょっとだけ残念です。

  • 展望台から眺めるループ線

 こうして1930年にニューサウスウェールズ鉄道が標準軌のままクイーンズランド州に乗り入れるという形で、シドニー・ブリスベン間の直通列車が走るようになりました。この時州境の峠越えに建設されたのがクーガルスパイラルです。

クーガルスパイラルは峠のシドニー側の麓の街、カイオーグルからローガン川を遡った谷の突き当りにあります。

張り出した山の尾根を使って高度を稼ぐ形になっており、曲線半径は250m、勾配は15‰と資料にありましたが、おそらくこれは平均勾配でしょう。ループ線部分の高低差が地形図読みで70mほどですので、最急勾配は20‰ぐらいはありそうです。

見た目も形状も非常にシンプルなループ線ですが、尾根を回り込む形になっているため見通しはあまりよくなくて、列車の車窓からの眺めは期待できません。

ところが、このループ線付近一帯が国立公園になっており、ループ線を見下ろす場所にある道路がライオンズロードと呼ばれる州境地区国立公園の観光道路となっています。

ボーダーループ・ルックアウトBorder Loop Lookoutというループ線を一望のもとに見下ろす展望台が作られたり、ボーダーループ・ウォークというハイキング道も整備されるなど、積極的に観光資源化されています。
ボーダーループルックアウトからの眺め
1970年の写真だそうです。こちらからお借りしました

オーストラリアに2ヶ所しかないループ線のうちの一つでもあり、オーストラリアの鉄道趣味人にはアクセスしやすい格好の撮影スポットになっています。

難点は列車本数が少ないことです。テハチャピ峠や鳩原のようにばんばん列車が来ればいいのですが、ここは1日数回しか列車が通りません。

  • 旅客列車もまだ存命中


オーストラリアでは前述のとおり旅客輸送はほとんど瀕死ではありますが、さすがに人口500万人のシドニーと人口200万人ブリスベンの両大都市間には、一定の鉄道での旅客移動需要があるようです。

2017年11月現在、シドニーブリスベン間の夜行特急列車が1日1往復、クーガルスパイラルを越えて走っています。

ただし北向きのシドニー発ブリスベン行列車は深夜帯にループ線を通過するダイヤになっているのでループ線見物には使えません。ループ線通過を見物するのであれば南向きブリスベン発シドニー行列車に乗る必要があります。

また、この他に一日数本貨物列車が走っているそうです。

ループ線を走る夜行列車。4時間遅れで偶然日中撮影できたそうです。
こちらからお借りしました
オーストラリア大陸のループ線というと豪快なのをイメージしますが、ここクーガルスパイラルは規模も風景も極めてこぢんまりとした箱庭のようなループ線で、日本人の感覚にはマッチしているかもしれません。車でならブリスベンやゴールドコーストから余裕で日帰りできます。





次回は有名なループ線の最終回、中国のあのループ線をご紹介します。