2018/07/16

欧州㉗イタリア・地中海鉄道ラゴネグロ線 結局廃止になった地中海鉄道の傑作ループ線

  • 今はなき傑作路線のループ線

今回は、前回に引き続いてイタリアの迷鉄道会社、地中海鉄道MCLの作った3か所のループ線のうちの最後の一つ、ラゴネグロ線のカスペルッチオ・スパイラルをご紹介します。

1977年ループ線周辺を走るサヨナラ列車だそうです。
こちらからお借りしました
このラゴネグロ線は、ほとんどが全通できなかった地中海鉄道会社の路線の中にあって珍しく全線開通した950㎜の鉄道です。

地中海鉄道の概要に関しては前回のエントリをご参照ください。→こちら

起点は前回ご紹介したマルシコ・ヌォヴォ線の起点アテナ・ルカーノから南へ30㎞ほどイタリア国鉄線を走ったところにあるラゴネグロで、標準軌の国鉄線の終点です。

ここから複雑なアップダウンで半島を横断して、イオニア海側の国鉄線のスペッツァーノ・アルバネーゼ駅まで104kmを結んでいました。

この路線は海側から建設が始まり1915年に最初のカストリヴィラッリ駅~スペッツァーノ・アルバネーゼ・テルメ駅間の28㎞が開業しました。

例によって人口の少ない山の中を通る路線で、このカストロヴィラッリはラゴネグロ線沿線で最大の街ですが、それでも人口3万人ほどです。

1929年にはラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業、1931年には残りの峠の区間も開通し、地中海鉄道念願の半島横断がついに実現しました。

ループ線は1929年ラゴネグロ駅~ライーノボルゴ駅間が開業した時にカステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅の間に作られました。

曲線半径は上半分が100m、下半分が120m、勾配は地中海鉄道の標準規格でもあった60‰でした。カステルッチオ・スペリオーレ駅とカステルッチオ・インフェリオーレ駅間の3kmという比較的短い駅間距離で、160mもの高低差を上下しています。


  • 狂ってる?それ、褒め言葉ね
このラゴネグロ線、世界でも二カ所しかないラック式とループ線の両用線区だったことが最大の特色でした。ループ線だけでは高低差を吸収しきれなかったため、ラック式併用の100‰勾配を設けて無理やり乗り切るという荒業を使った地中海鉄道の傑作路線でした。ちなみに残りのもう一箇所のラック式併用ループ線はスイスのフルカ峠です。

ラゴネグロ線の勾配断面図。赤線はラック式区間です。
3カ所にピークのある複雑な上下動をする路線でした。
ループ線は左から右に向かって二つ目の谷に向かう下り坂の途中にありました
ラゴネグロ線には起点のラゴネグロ駅と隣のリベッロ駅間と、終点近くのカッサーノ駅前後に2ヶ所、合計3か所のシュトループ式という簡易な方式のラック式区間が設けられています。

ラゴネグロ駅~リベッロ駅間のラック式区間は85‰勾配の途中に全長200m高さ40mのセッラ陸橋を作って、その陸橋の上をラック式で登るという、現代から見るとかなり「頭おかしいの?」的なルート選定がなされています。

ド派手なセッラ陸橋。もはやオーパーツと言っても過言ではありません
こんな深い谷を直接跨ぐことはしないで、遠巻きするルートにするのが普通でしょう。陸橋でショートカットしたためにかえって勾配がきつくなっているようにも見えます。

建設年代を考えるととんでもなく傑出した土木技術ではありますが、ラック式で最高速度が時速15kmに制限されており、まるで時間短縮にはなっていません。

むしろ谷を遠巻きして30‰ぐらいの勾配にした方が距離が伸びても到達時間は早かったのではないかと思います。

どうも技術力を誇示したかったがためのラック式大規模陸橋ルートだったかのように思えてなりません。プロモーションビデオっぽいものがYouTubeにありました。これは必見です。



  • 創業と守成といずれか難き
ところが、せっかく全通したラゴネグロ線ですが、率直に言ってルート選定に無理があったようです。1952年に地すべりでセッラ陸橋が折れ曲がってしまって不通になってしまいました。

地すべりで折れ曲がったセッラ陸橋
今でもこの状態で放置してあるそうです
日本だと危ないと言って即撤去されそうです

こちらからお借りしました
地すべりと和訳しましたが、数年単位で地面が動く土地隆起に近い Bradyseismという現象だそうです。ほれ見ろ言わんこっちゃない、と突っ込みたくなりますよね。

セッラ陸橋を含む区間はバス代行にして営業は継続されましたが、1970年に今度は海側のラック式区間でエイアノ川にかかる鉄橋が流されてしまい、ここも不通となります。

つまり国鉄線に通じる両端部分がどちらも運転できない状態になってしまいました。

それでも両端区間をバス代行して離れ小島の中間部分だけで頑張って営業を続けていましたが、1978年についにギブアップ。全線廃止となり、この時にループ線も廃止されました。結局全線を通して列車が走っていたのは1931年から1952年までの約20年強だけだったことになります。

  • 我こそは地中海鉄道マニア
さてさて、この地中海鉄道、調べれば調べるほど面白い鉄道会社です。それだけで別のブログが立ち上げられそうな勢いですが、ここでは簡単にこの鉄道会社の特徴を列記してみましょう。いずれも後知恵の結果論の部分もありますが、そこはご容赦ください。

まず、最初に押さえておきたい特徴は「豊富な資金を持っていた」「かなりの高度な土木技術力と車両技術力があった」「需要とは無関係に壮大なイタリア南部路線網構築を夢見ていた」、この3点です。

地中海鉄道の路線図を再掲しておきます
現存しているのは中央上部のポテンツァから
右上のバーリを結ぶ路線だけです
これらの要素が複合して「無理なルート選定を無駄に高い技術力で補った、むしろ補えてしまった」「イタリア半島を横断することばかりに捉われて、都市間の移動需要にはまるで無頓着だった」という点が出てきます。

もともと粘着鉄道で最小曲線半径80m、勾配60‰(しかも連続勾配)は相当無理があるのですが、なぜか地中海鉄道ではこれがスタンダードで、どの線もこの規格で作られています。

ところが大型車は走らせられないし、スピードは上げられないしで第二次大戦以降自動車にまったく対抗できない主要因になってしまいました。その豊富な資金と技術をまっすぐ平坦に線路を敷くことに向けていれば、違った結果になっていたかもしれません。

無理なルート選定は、災害運休が続発したことに繋がりますが、とりあえず部分開業した路線が軒並み赤字路線になってしまったのも、突き詰めるとルート選定の問題と言えそうです。

さらに壮大な鉄道路線網を夢見て何か所も同時に着工した挙句、どこも全通できなかったのもまずかったです。末期は赤字盲腸線ばかりになって保守もままならなかったようです。ただし全通してももともとも需要のないところに引いた低規格な路線ばかりなので、どこかのタイミングで廃止された可能性が高いです。

地中海鉄道は、末期には豊富だった資金も底を付き、ついに1961年に整備不良による脱線転落事故を起こして多数の死者を出し、イタリア政府から事業免許を取り消されるという空前絶後の最後を遂げました。路線はすべてカラブロ・ルカノ鉄道(FCL)という別の民間会社に引き継がれています。

こうして見てみると地中海鉄道はマーケティング的経営学的観点からでは相当ダメな鉄道会社だったと言わざるを得ませんが、地方の一民間鉄道会社が3つもループ線を作ったその技術力・資金力と、ひたすらに半島横断にかけた情熱はむしろ讃えるべきかもしれません。とは言え整備不良で事故を起こして多数の死傷者を出すのはNGですね。

個人的には、この「細けーことはいいんだよ」的なノリでループ線をがんがん作って、もれなく廃止した地中海鉄道、嫌いではなくむしろ大好きです。




ループ線とは関係ありませんが、インフェリオーレ、スペリオーレと聞くと日本語で優等劣等のイメージがあってそんな言葉地名に使っていいのかよ、と思いますが、イタリア語では単に土地の高低を表すものでしかないようです。イタリア国内にインフェリオーレ、スペリオーレを頭に付けた地名がたくさん見つかります。日本語で下カステルッチオ、上カステルッチオと言ってるのと同じ感覚なんでしょうね。

次回は、上で少し触れたスイスのフルカ鉄道のループ線をご紹介します。