- ローリンズ峠のスィッチバック
写真に残る通り、旧アロー駅は水平に引き出した折り返し線上にホームがあったのは間違いないのですが、写真の手前側がどうなっていたかかなり調べたのですが分かりませんでした。
現地の航空写真と突き合わせてみるとこんな感じではないかと思います。右に向かって上り坂です。
もう一度上のアロー駅の写真をご覧ください。右手側列車の止まっている線路がホームのある引き上げ線、左手は40‰下り勾配の本線、手前右側から合流してくるのは方向転換用のY線からの側線です。
ホームのある引き上げ線に停車した列車が、そのまま退行運転で本線に戻って40‰勾配を下って行ったのか、方転線に引き上げて折り返していたのか、なんとも言えません。昔のアメリカで細かいことを気にしない時代感覚から想像するに、本線上で折り返していたんではないかと思いますが・・・。
当時の資料をもとにCGで再現された1910年のアロー駅。こちらからお借りしました このCGが正しければ、右手前の線路から本線へは直接出られなかったようです。 しかし、このCGの完成度には感嘆です。まさに不気味の谷の向こう側 |
なお、このアロー駅から2㎞しか離れていないところにパシフィック駅という駅があり、列車交換はそちらで行っていた可能性が高いです。上の地図からも分かるとおりアロー駅・パシフィック駅間だけが極端に駅間距離が短くなっています。
もともとアロー駅は方転用のY線だけを作る予定だったところ、たまたま平らな土地があったので人が住み着き、後からスィッチバック線を付け足して補給駅にしたのではないかと思います。
- 幻の同方向引き出し型スイッチバック
アロー駅のお隣のランチクリーク駅も通過可能なスィッチバック駅でした。
こちらは上下両方に引き出し線を持つまさに日本の通過可能スィッチバックと同じ配線で、上の地図では右に向かって上り坂です。
ここは本線に向かって同じ側に引き出し線を持つ非常に珍しい形のスィッチバック駅でした。
駅間距離から考えてこのランチクリーク駅では列車交換を行っていた可能性が高いです。
上の航空写真で引き上げ線と本線の交差するところがちょうど尾根の鞍部になっている関係でこのような配線になっていました。日本では幻の函館本線東山信号場がこの配線だったのではないかと言われています。→こちら
Google Mapの地形図表示だと分かりやすいかもしれません。ちょうど引き上げ線と本線の間に小高い(といっても標高3000mぐらいあるのですが)山があったのですね。ちなみにお昼ご飯のランチではなく、Ranch=農場です。
- 希少な通過可能型のスィッチバックは他にどこにある?
せっかくですので、世界に残る通過可能型スィッチバックをまとめてご紹介しておきます。台湾に1カ所、北朝鮮に
残る北朝鮮3カ所のうちの二つは連続スイッチバックでした。北朝鮮の日本海側と中国国境を結ぶ鮮鉄の恵山線という路線にあります。
左に向かって上り坂です。右の合水(ハプス)駅と左の南渓(ナムゲ)駅との間は直線距離でわずか500mですが、150mも高低差があります。両駅間の勾配は30‰~33‰だったようです。どちらも見事な日本式スイッチバックです。合水駅は通常の引き上げ線の上の方にもう一本引き上げ線がありますが、これはおそらく加速線なのではないかと思います。衛星写真から見るに合水駅には木材、南渓駅には鉱石のそれぞれ積み出しヤードがあったようです。
南渓駅は元々長く伸びた引き上げ線の奥に駅舎とホームがあったのを、本線のすぐ傍に移転したようです。駅を集落に近づけようとしたのでしょうか。ちなみこのあたり、今話題の北朝鮮の地下核実験場に近いそうです。
もう一カ所は北朝鮮の幹線、平羅線の土嶺(トリョン)駅です。これも日本統治時代に咸鏡線として開業したものです。首都平壌と鉱山や林業が盛んな北朝鮮東北部を結ぶ大幹線でした。
左に向かって上り坂です。こちらは引き上げ線上にホーム跡が見当たりません。おそらく昔は旅客扱いをしない信号場だったのではないかと思われます。ただ、引き上げ線が600mクラスの有効長があったようなので、長大貨物列車の待避交換に使われていたものと思われます。なおこの駅のすぐ左側に長いトンネルがあります。現在はスイッチバックは使われていない感じですね。
- まだまだ見つかる北朝鮮スィッチバック
このページを公開してから衛星写真をたどって見ていると、いきなりスィッチバックが見つかりました。先の土嶺駅からトンネルを越えて平壌側にある内洞(ノドン)駅です。ここは引き上げ線に立派な駅舎とホームが見えます。右に向かって上り坂です。
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