2017/08/31

北米⑤ローリンズ峠ライフルサイトノッチループ  ある鉄道屋が残した線路の物語

  • ロッキー山脈を貫け!

今回はアメリカコロラド州、ロッキー山脈にあったループ線をご紹介します。

アメリカでは鉄道建設は民間資本によるのが原則だったことは何度がご紹介しています。これはメリットデメリット両方あったのですが、有名な鉄道投資家を何人も輩出した効果もありました。日本では阪急の小林一三と東急の五島慶太の二人ぐらいしか思いつきませんが、アメリカには有名な鉄道投資家が各地に数えきれないほどたくさん生まれました。

赤がデンバー・NW・パシフィック鉄道
青がデンバー&リオグランデ鉄道
点線はその他の鉄道
鉄道が乱立しているのはアメリカならではです。
今回ご紹介するコロラド州のローリンズ峠にあるライフルサイトノッチループはそんな鉄道投資家の一人コロラド州デンバーの銀行家、デビッド・H・モファットという人が生涯をかけて開通させた大陸横断鉄道の一つでした。

時代は1890年ごろの話になります。

この時期、コロラドから西海岸のオークランドまで、既に大陸横断鉄道が完成していました。デンバー&リオグランデ鉄道の914mmゲージの路線がロッキー山脈を迂回してプエブロからマーシャル峠を越えるルートで開通しています。

モファット氏は一時期デンバー&リオグランデ鉄道の経営陣に名を連ねていましたが、社内紛争の結果1891年に辞任させられてしまいました。

さらにデンバー&リオグランデ鉄道は、1890年に途中のサライダから分岐してテネシー峠を越えてグランドジャンクションに至る二本目のロッキー越えルートを同じく狭軌で開通させています。こちらは、標準軌の列車も走れるように三線軌とされ、当時はこちらがメインルートになっていました。

鉄道建設に私財を投げ打って奮闘したモファット氏、何が彼をそこまで駆り立てたのかイマイチ分かりませんが、デンバー&リオグランデ鉄道には波々ならぬ対抗心があったようです。

彼はデンバー・ノースウェスト・パシフィック鉄道という会社を作り、「ロッキー山脈を迂回せずに貫け」
”Through the Rockies, not around them." を合言葉に、1902年ライバル会社のルートに距離の短さで対抗する新線の建設に取り掛かりました。

工事は順調というよりもむしろ突貫で進み、1904年には大陸分水嶺のローリンズ峠を越えてアロー駅まで開通します。

有名なライフルサイトノッチのループ線はこの時誕生しました。

モファット氏はもともと長大トンネルでこのローリンズ峠を越えようと目論んでいたのですが、20世紀初頭の技術では無理だったようです。

  • 偉大な志は名前となって今も受け継がれる

さて、このライフルサイトノッチのループ線は全長37㎞の峠越えの途中にあり、最急勾配40‰、冬季は豪雪となる難所中の難所でした。一周1.6kmと当時としてはかなり大規模な輪を描いており、高低差はループ線部分だけで約80mでした。
ライフルの照準に見えなくもないでしょうか

ライフルサイトは文字通りライフル銃の照準のことで、ノッチは”細い道”です。ちょうどループ線部分のトンネルと橋の組み合わせがライフル銃の照準に見えることから名付けられました。

ついでですが、このローリンズ峠越え区間にある駅名やトンネルの名前はアメリカンジョークのような名前が付いていて見ていると面白いです。一見普通の名前に見えるアロー駅、コロナ駅、パシフィック駅なんかもひねりのきいたジョークが隠されてるのかもしれません 。

鉄道にとっては難所中の難所でしたが、雄大なロッキー山脈の中の景色の良い場所を通っており、たちまちアメリカ人に人気の鉄道名所となりました。


ところが、モファット氏が1911年に急死するとデンバー・ノースウェスト・パシフィック鉄道の経営は途端に傾き、1913年にあえなく倒産。西海岸どころかソルトレイクシティにもたどり着けずに工事は中止になってしまいました。

完成していたデンバー・ノースウェスト・パシフィック鉄道の路線はデンバー・ソルトレイク鉄道に吸収されますが、それ以降も何度も経営主体が変わっています。

ただ、ロッキー山脈を迂回せずに貫いた峠の路線はその距離の短さが絶対的優位に働き、既存のテネシー峠を越える路線との連絡線(ドットセル連絡線)が建設されて大陸横断のメインルートの地位を確立していきました。
アロー駅。驚いたことに水平な引き出し線に
ホームを作った日本によくある構造のスィッチバックだったようです。
隣のランチクリーク駅も衛星写真から見る限り同じ構造でした。

1928年、 モファット氏の最初の構想どおりローリンズ峠を越える延長10km勾配8‰のトンネルが開通し、ライフルサイトノッチのループ線は新線に切り替えられて廃止されました。

26年間で使命を終えた比較的短命なループ線でした。新線の長大トンネルはモファットトンネルと名付けられています。西海岸までは届きませんでしたがロッキーを越えるモファット氏の志はトンネルの名前として今も残っています。


  • 古き良きアメリカの魂

廃止されたループ線の方はローリンズ峠トレッスル(通称モファットロード)として遊歩道兼車道になって大部分が残されていますが、トンネルや橋が崩落している部分があります。ちょうどループ線の部分は木造の橋もトンネルもどちらも通行止めで現在は車では通れません。
現在のループ線の状況
雰囲気はよく残っていますがトンネルは埋められています

このライフルサイトノッチのループ線はロッキー山脈に挑んだ点がアメリカン魂を刺激するのか、古くに廃止された割には全米の鉄道愛好家に愛されており、現地の写真が豊富に見つかります。

また、新線となったモファットトンネルにはロサンゼルスとシカゴを結ぶカルフォルニアゼファー号が毎日運転されています。カルフォルニアゼファー号はまる3日間かけて3000㎞を走る超長距離列車ですが、毎日運転されているのは結構すごいです。

西向きに乗った場合は2日目の午前中に、東向きに乗った場合は2日目の夕方にロッキー山脈越えのモファットトンネルを通ります。一部の区間だけでも乗れますので、デンバーから西向きに乗って途中で折り返してくることも可能です。

これも一度は乗ってみたい列車ですね。



次回はドイツのループ線をご紹介します。

2017/08/15

アジア⑪韓国嶺東線ソラントンネル 三冠に輝くループ線のプリンス


  • 東洋のプリンス・オブ・スパイラル

今回は韓国Korail嶺東線のループ線をご紹介します。現時点でいくつものループ線に関する世界タイトルを持っているループ線のプリンスです。

ソラントンネルの北口
旧線の最終日だそうです。こちらからお借りしました。
韓国の嶺東線は太白山脈東側の東海岸部とソウルを中心とする韓国中央部を結ぶ唯一の鉄道路線です。東部の海岸沿いを走る部分は戦前から工事されていましたが終戦までに完成せず未成線となっていました。

また、山越え部分は三附鉄道という私鉄線として1940年に開通しました。有名な嶺東線の二段スィッチバック(羅漢亭ナハムジョン、興田フンジョン)もこの時の開通です。三附(サムチョク)には小野田セメントの工場があり、付近から産出される石炭や石灰などを使った工業が発達していました。三附鉄道は終戦後の1948年に韓国国鉄に編入されています。

開通時は最後の峠越えの部分桶里(トンリ)~深浦里(シンポリ)間はインクライン輸送となっていました。鉄道線で海岸沿いから来た貨車を深浦里で切り離し、貨車だけをインクライン(ケーブルカー)で引っ張り上げて桶里で再度貨物列車に編成し直すという運用を行っていたそうです。

桶里~深浦里間にあったインクライン
これはどれぐらいの勾配なんでしょうか
「鋼索鉄道のインクラインに直接貨車が乗り入れていた」と書いてある資料がありましたが、普通の鉄道貨車を鋼索鉄道上で走らせるのは、連結器性能や非常時のブレーキ性能から考えるととんでもなく危険です。

「ケーブルカーに(貨物を)積み替えていた」と書く資料もあり、普通に考えるとこちらだと思います。もし本当に普通の鉄道貨車を鋼索鉄道上に直通させていたとすれば、これは世界の鉄道史上かなり珍しい運行形態です。

なお、旅客は両駅間を徒歩で乗り継いでいたそうです。

さて1960年代に輸送力の限界に来たところで、インクライン部分を直結するバイパスルートの建設が進めら、 1963年にバイパス線が開通してインクラインは廃止されました。これが先日まで稼働していた嶺東線の旧線ルートです。この旧線の完成後もこの区間は30‰の連続勾配と曲線半径250mのカーブが続く超難所でした。


  • 三冠王には違いないけど…

この超難所を抜本的に解消するために建設されたのがソラン・ループトンネルです。漢字では率安と書きます。2001年から建設が始まり、トンネル自体は2006年ごろには完成していました。当初2009年開業予定でしたが何度か延期され、結局2012年に開業しています。前後の取付線の工事に手間取ったそうです。

ソラントンネル山上側の東栢山口こちらからお借りしました
将来はもう一本トンネルを掘って複線化する計画がありますが、まずは単線で開業しています。ちょうど中間地点にあるソラン信号場付近だけは二本目のトンネルが先行して掘られており、列車交換ができるようになっています。

トンネルの全長は16.2kmですが、ループ形状になっているのはこのうち半分だけです。トンネルの両端には380mの高低差があり、トンネル内の勾配は24.5‰もあります。

最新の長大ループトンネルをもってしてもなお25‰クラスの勾配が残るという極めて急峻な地形だったことが分かります。

また、この沿線では良質な石灰や石炭を産出していたのですが、大変もろくて崩れやすい地形だったそうです。ソラントンネルはちょっと不思議な形状をしているように見えますが、これは崩れやすい地層帯を避けながらルートを決めたためです。


ソラントンネルのループ線の曲線半径が分かる資料が残念ながら見つかりませんでしたが、You Tubeにあった走行ビデオから計算してみると曲線半径1400m、輪の大きさはおよそ8.8kmと推定されます。

設計速度は150km/hですが、実際の営業運転では85㎞/hぐらいで使用されているようです。また一周8.8㎞のループ線は現在世界最大で、しかも線路規格が最高ランクです。ソラントンネルは2017年時点で世界最新・世界最大・世界最高規格の三冠を持っていることになります。


ソラントンネルの通過動画です。道渓駅から東栢山駅までを3倍速で撮影しています。
2分23秒のソラン信号場あたりから4分30秒ぐらいまでがループ線です。

ただし、全線がトンネル内ですので眺望はまったく期待できませんし、線路同士の立体交差点も乗車中にはまったく分かりません。極論するとただの長いトンネルです。

鉄道趣味的に新線のループトンネルと旧線のスィッチバックとどちらがよいか、と言われると難しいですね。ループ線マニア的にも、最新はともかく、最大最高の2つは参考記録にしておくべきかちょっと悩ましいところです。とは言え一般旅客にとっては嶺東線の旅客列車は軒並み20分程度所要時間が短縮されていますので、やはりソラントンネルのメリットは大きいです。

現在、ソラントンネルには夜行列車を含めて9往復の旅客列車が走っています。ソウルから5時間弱かかりますが、日帰りもできなくはありません。


  • 観光施設として引き続き活躍中

せっかくですので韓国随一の鉄道名所として有名だった旧線の二段スィッチバックも少しご紹介しておきましょう。

旧線では海側から登ってきた列車はナハムジョン駅とフンジョン駅で二回スィッチバックしていたことは上述のとおりです。両駅とも駅を出るといきなり30‰勾配が始まるという凶悪な線形で、しかもここを通る列車は後退運転の苦手な機関車牽引の列車ばかりでした。

フンジョン駅から旧線のスィッチバックを下っていく貨物列車
推進運転中なので機関車が最後尾です
こちらからお借りしました
ここの特徴はナハムジョン・フンジョンが両方とも日本でいうところの停車場扱いだったことです。現存している日本のJRのZ型スィッチバックはすべて最初の折り返しから最後の折り返しまでが一つの停車場扱いになっています。つまり列車がすれ違えるのはスィッチバック全体で1回だけです。

ところがここの場合、下段のナハムジョン駅ですれ違って、さらに上段のフンジョン駅ですれ違うというダブル待避が可能でした。これは両者が別の駅とされていたからこそできたことでした。

両者の駅間は1.5kmしかありませんでしたが、輸送需要の増加に対応するために1990年代にフンジョン駅を停車場に格上げしたそうです。詳細は分かりませんでしたが、それまではおそらくフンジョン駅はナハムジョン駅の構内だったのではないかと思います。


スィッチバック推進運転中の客車からの前面展望
見張り員さんを差し置いてどうやって撮影したんでしょうね
ナハムジョン・フンジョン両駅で貨物列車と連続交換しているところにも注目です
機関車が最後尾になるスィッチバック区間中では先頭に見張り員が乗車し、信号を確認して無線機で機関士に指示を出す運転をしていたそうです。こちらのページに詳しく出ています →東アジア鉄道イソウロウ事務所

嶺東線のスィッチバックは韓国の鉄道名所として鉄道ファンに愛され、日本からわざわざ乗りに行った方も多数いました。WEB上で検索するとたくさん現地レポートが見つかります。

旧線は現在韓国鉄道施設公団が運営する鉄道記念鉄道公園チューチューレールパークとなっています。スィッチバック設備も残されていて観光列車が走っています。またチューチューレールパークでは昔のインクラインも復元されていて、レールバイク(足こぎトロッコ)で旧線を走り降りてくることができるそうです。これは結構楽しそうです。




次回はアメリカのループ線をもう一カ所ご紹介します。