2016/03/27

アジア④台湾・阿里山森林鉄道 山岳鉄道の魅力満載の3重スパイラル

  • ザ・グレイテスト・スパイラル・イン・フォルモサ

大規模ループ線シリーズの最終回は台湾の阿里山森林鉄道をご紹介します。

日本からも近い有名な観光路線ですので、実際に行かれたことがある方も多いと思います。

阿里山森林鉄道は日本統治時代の1908年から1914年にかけて順次開通した762mmゲージの鉄道で、台湾の豊富な森林資源の搬出用に活躍しました。

全長70kmで2000mを登るワールドクラスの標高差を持つ山岳路線です。現在は木材輸送の使命は終え、もっぱら観光鉄道として台湾林務局と台湾鉄道管理局によって運営されています。

全長約70kmの路線は大きく三つの区間に分かれます。始発駅の嘉義駅から竹崎駅までの序盤約15kmは平坦線区間、竹崎駅から奮起湖駅までの中盤30kmは今回ご紹介するループ線区間、奮起湖駅から終点の阿里山駅までの終盤25kmはスィッチバック区間です。

このうち終盤のスィッチバック区間の大部分は2009年の台風による土砂崩れの被害に遭い、2016年現在は運休中です。実は2015年夏ごろの段階で復旧工事が完了し運転再開目前だったのですが、不幸にも2015年10月の台風で再度ダメージを受け、またもや無期限運休となってしまっていました。さすがにちょっとかわいそうです。


  • 何かに似ていると思ったら

さて、阿里山森林鉄道のループ線区間は、嘉義駅から約23km、1時間ほどの距離のところにあり、付近の地名から独立山ループと呼ばれています。

ソフトクリームのように円周をだんだん小さくしながら山を登っていくという独特な形状をした3重スパイラルと8の字ループで、21世紀の現代においても構造の複雑さで世界最強と言ってもいいでしょう。

ループ線の入り口にある樟脳寮(チャンナオリャオ)駅から次の独立山(ドゥーリーシャン)駅の先のループ線の出口まで直線距離わずか800mのところを5kmかけて走っており、6倍強になる迂回率は世界一ではないかと思います。

この区間だけで標高差は220mあり、最急勾配は62.5‰で、5万の1の地図だと線路がぐしゃぐしゃになってよく分かりません。この5kmの間に線路が自分自身と10回も交差しており、自線との交差回数では二位以下をダブルスコアで引き離してぶっちぎりの世界一です。(二位はちゃんと検証していませんが中国の水柏線の5回だと思います)

率直に言ってこんなところに線路を引くのは根性というよりも狂気の沙汰に近いものがありますが、それだけ台湾の森林資源が魅力だったということなのでしょう。ここで生産されたヒノキ材は日本の神社の建築に盛んに利用されたそうです。この路線については山下さんの「地図と鉄道のブログ」でも詳しく取り上げられています。


  • 現地の人にも大人気

前述のとおりZ型スイッチバックが連続する後半部分の奮起湖~神木間は運休中ですが、ループ線のある独立山駅までは平日は1往復、土曜日は2往復、日曜祝日は4往復の観光列車が走っています(時刻表はこちら)。

現地の方にも大変人気のある観光地なので、予約なしでは乗れないことが多いようです。ネットで見ていると線路上をハイキングするのが流行っているようですが、危なくないんですかね。

また、運休区間の向こう側には山頂の阿里山駅を中心に祝山、神木、沼平までそれぞれ区間列車が走っています。

神木、沼平行きは片道10分程度の乗車時間で、山頂まで直接バスで来る人が気分を味わうためのものでしょうか。祝山行きはご来光を見るための列車で日の出に合わせて運転されており、山頂付近で一泊する人でないと事実上利用できません。


  • Jスタイルのスイッチバックも見逃せない

阿里山森林鉄道ではループ線の魅力もさることながら、ループ線の手前にある樟脳寮駅の構造もマニア的に見逃せません。


樟脳寮駅は勾配のある本線から水平な折り返し線を引き出し、そこにホームを作っている通過可能型のスイッチバック駅です。

実は海外ではスイッチバックと言えば通過不能のZ型が標準で、日本でよく見る通過可能なスイッチバック駅は極めてレアです。

日本ではおなじみの通過可能型スイッチバックの樟脳寮駅
私の探した範囲では海外では阿里山森林鉄道と北朝鮮だけにしか見つかりませんでした。なんとなく中国黒竜江省の旧満州地方にも残っていそうだと思って探してみましたが、今のところ見つかっていません。

北朝鮮の鉄道ももともと日本が建設したものですので、結局のところ日本人だけが通過可能型スイッチバック駅を作っていたということなのでしょうか。

※意外なことにアメリカのロッキー山脈のローリンズ峠に通過可能型のスィッチバック駅がありました。→こちら H29.9.2追記

そもそも海外では勾配の途中に駅を作る必要があまりなかったのかもしれません。

日本でも近年急速に数を減らしてきている通過可能型スイッチバック駅ですが、世界的に見て希少性が高いことをよく理解しておかないといけないと思います。






世界の大規模なループ線を紹介する大規模ループシリーズ、いかがでしたでしょうか。

次回からは台湾のように「島にあるループ線」をご紹介していきたいと思います。世界では島ごとの風土に適応したバラエティ豊かなループ線が揃っています。

まず、次回はニュージーランド北島のラウリム・スパイラルRaurimu Spiralをご紹介します。


2016/03/11

アジア③パキスタン・カイバル峠鉄道 復活せよ!危険地帯のループ線

  • 越えられなかった国境

今回はパキスタンとアフガニスタンの国境を走るカイバル峠のループ線をご紹介します。

カイバル峠はヨーロッパと南アジアを結ぶ通過点としてたびたび歴史に登場します。

そんな歴史のある峠道に鉄道を引いたのは植民地時代のイギリスでした。20世紀初頭に英領インドとアフガニスタン間を結ぶべくカイバル峠鉄道の建設に取り掛かっています。当時アフガニスタンはロシアと取り合った末にイギリスの保護国となっており、パキスタンはまだ英領インド帝国の一部でした。

とりあえず英領インド帝国側で先に工事が進み、1926年にペシャワールから国境の町トルクハムのランディカーナ駅まで完成しました。

国境を越えてアフガニスタンのカブールまたはジャララバードまで鉄道が通じていたかのように書いている資料もありますが、調べてみたところどうやら「アフガニスタン側に列車が走ったことはない」のが正解のようです。

ジャララバードまでのアフガニスタン側の工事もだいぶ進んでいたらしく、Google航空写真で線路跡らしいものが道路脇にちらほら映っています。本当に線路を敷く寸前まで完成していたようですが、結局線路がつながることはありませんでした。現在は未完成線路の跡の大部分がアジアハイウェイ1号線という高速道路になっています。

  • 世界一危険なループ線
さて、そんなカイバル峠鉄道のループ線ですが、二つの点で世界でも希少な存在となっています。

一つは1676mmゲージの超広軌ループ線であること。

もともと広軌(ブロードゲージ)はカーブに弱く、山岳路線には不向きなため、世界中見ても広軌のループ線はここと1668mmゲージのスペイン2か所と1520mmゲージのロシア1ヵ所でしか見られません。その中でも最も広いゲージのループ線です。(※訂正  スリランカのループ線も1676mmゲージでした。また、一般的にゲージの広さとカーブの大小は直接関係なく、カーブに弱いとの表現は不正確でした。O-銛様ご指摘ありがとうございます。2016/3/12追記)


もう一つは外務省の危険情報レベル4「退避勧告区域」内にあるループ線であること。

この一帯には古来パシュトゥン人というイスラム教徒の遊牧民が住んでいましたが、イギリスが適当に国境を引いたのが原因で、居住地域が英領インドとアフガニスタンの二つの国に分かれてしまいました。

第二次大戦後、英領インドが独立してパキスタンができた際に、パシュトゥン人居住地域を分離独立する動きもありましたが、結局パキスタン政府が大幅な自治権を認める代わりにパキスタン領に留まっています。

このような経緯から、現在でもパキスタン憲法に「パキスタン議会はこの地域に立法権限が及ばない」と明記してあるというから恐ろしいです。パキスタンの法律はここでは通用しませんよと言っているわけですので、ほとんど実態は独立国ですね。現在では連邦直轄部族地域(トライバルエリア)と呼ばれています。なお、政府が認めた自治権の中に「カイバル峠鉄道にタダで乗る権利」というものもあったそうです。

それだけならパシュトゥン人の自治独立国家みたいなもんなので、おとなしくしていれば旅行者に危害が及ぶことはなかったようですが、2000年代に入り政情不安定になったアフガニスタンから、パシュトゥン人が主体のタリバンの面々がこの地域に逃げ込んできて一気にきな臭くなりました。

おかげでこの地域にはイスラム過激派の巣窟という有難くないニックネームが付いてしまい、日本人の渡航禁止と退避勧告が出てその状態が現在まで続いています。


  • スィッチバック付きループ線か、ループ線付きスィッチバックか

そんな行くに行けないカイバル峠の鉄道ですが、スィッチバック2回を組み合わせた3段ループという、相当大規模で珍しい線形になっており、ループ線マニアとしては見逃せません。

地図で見るとクェスチョンマークが3つ並んでいるように見えます。どちらかというとスィッチバックの方に目が行ってしまいますが、第2スィッチバックの手前で自分自身と交差しており、当ブログでの分類上は立派なループ線です。

ここは全長約10kmで400mの高度差を稼ぐ40‰勾配で、世界でも有数の急勾配路線です。第1スィッチバックと第2スィッチバックは地図上では近接していますが、100m近い高低差があります。

カイバル峠鉄道はこの急勾配を列車の両端に機関車を繋げるプッシュプル運転で越えていました。スィッチバックによる逆転時間を短縮するためでしょう。広軌は山岳鉄道に不向き、と書きましたが、機関車を大型にできる分単純な勾配には強かったようですね。

  • この地に再び汽笛の響かんことを

第1スィッチバック
手前の坂は逸走防止の安全側線
カイバル峠鉄道の一般旅客輸送は1980年代に赤字のため廃止されましたが、以降もパキスタン国鉄は「カイバル・トレイン・サファリ」という民間会社チャーターのSL観光列車を月に1回程度走らせていました。珍しい広軌用蒸気機関車と雄大なループ線からの景色で結構な人気でしたが、洪水に弱く、しばしば運休していました。

残念ながら2008年ごろの洪水で鉄橋が流失して現在も運休中です。この地域は基本的に少雨なのですが、上流の山岳地帯で降った雨がすぐ鉄砲水となって洪水を起こすのでしょう。

しかも前述のとおり、パキスタン国内であってパキスタン国内でないところを走る路線ですのでパキスタン国鉄も思うように復旧工事ができないようです。

既に列車が走らなくなって10年になろうとしていますが、雄大なループとスィッチバックを越えて再び列車が走れることを願うばかりです。




次回は大規模ループ線シリーズの最終回、台湾の阿里山鉄道をご紹介します。



2016/03/06

欧州⑤セルビア・シャルガンエイト 平和の象徴の蒸気機関車

  • ボスニアンゲージの貴重な生き残り

今回はセルビアの西部、ボスニア・ヘルツェゴヴィナとの国境近くにあるループ線、シャルガンエイトをご紹介します。シャルガンはループ線のある峠の名前、エイトはループ線が8の字を描いていることから付いたニックネームです。ニックネームとは言え、セルビア国鉄のHPに堂々と名前が出ていますので公式名称に近いものでしょう。

この線はボスニアのサラエヴォとセルビアのベオグラードを結ぶ鉄道として1922年に開通した760mmゲージの路線です。開通時は東ボスニア鉄道 Bosnische Ostbahn というオーストリア系の民間会社でしたが、東側のおよそ半分はセルビア領土内を走っていました。

バルカン半島では760mmゲージの鉄道が第一次世界大戦の始まる前ぐらいの時期から盛んに建設されていました。760mmゲージのことをボスニアンゲージと呼ぶほど広まりましたが、20世紀中盤ごろから幹線は標準軌に改軌されていき、ローカル線は自動車に役目を譲って廃止され、現代にはほんのわずかしか残っていません。今では貴重な存在となっています。


  • ヨーロッパの火薬庫への引き込み線

セルビアとボスニア・ヘルツェゴヴィナは隣接していて同じ南スラヴ系の人々が住んでいるにもかかわらず、歴史上何かあるたびにお互いに殺し合いをするほど仲が良くありません。鉄道が国境を越えて通じていること自体が不思議ですが、そこはヨーロッパの火薬庫と言われたバルカン半島の歴史と深く関係しています。

ディーゼル機関車。かなり独特の風貌です

ボスニア・ヘルツェゴヴィナは1900年代の始めごろはオーストリア・ハンガリー帝国の領土でした。だから鉄道もオーストリア資本だったのですね。

ところが、オーストリア・ハンガリー帝国は第一次世界大戦で敗戦し、ボスニア・ヘルツェゴヴィナはセルビアに併合されてセルボ・クロアート・スロヴェーヌ連合王国(のちのユーゴスラヴィア)という国になります。

この鉄道がサラエヴォから国境手前のヴィシェグラードまで開通したのは1906年で、この時はまだオーストリア・ハンガリー帝国領土内だけの路線だったのですが、ヴィシェグラードから現在の国境以東ベオグラードまでが開通した1922年には全線がユーゴスラヴィア領内になっていました。結局、1920年代の終わりに全線まとめてユーゴスラヴィア国鉄の一路線となっています。ここでも線路が歴史に翻弄されていますよね。まったくヨーロッパの鉄道の歴史と戦争は密接不可分です。


  • 観光鉄道として華麗にカムバック

例によってO-銛様のサイトからお借りしました
このシャルガンエイトは1978年に需要減少で一旦廃止されましたが、ユーゴスラヴィア崩壊後の2003年にセルヴィア国鉄によってループ線を含む峠の部分が観光鉄道として再建されました。サラエヴォ出身のエミール・クストリッツァという世界的に著名な映画監督が多額の寄付をしています。この人は映画の撮影用にわざわざ駅のセットを作ったり、撮影した際に現地が気に入ってそのまま自分の家を作って住み着いてしまったりとなかなか豪傑です。

さて、このループ線、全長15km、高低差220m、勾配18‰とスペック的にはそこそこですが、線形の見た目のインパクトが強く、眺望が抜群に良かったため古くからヨーロッパでは鉄道名所として知られる存在でした。細い谷を巻く長いヘアピンと8の字ループ、レールが4層に重なる部分などマニア的になかなか見逃せないものがあります。広い谷間を見下ろす眺望のいい路線にビンテージなSL。これを観光資源に活用したセルビア観光局はなかなか慧眼です。

ヴィシェグラード試運転時の新聞記事から
熱狂しすぎです
この観光鉄道は現在ループ線を挟むモクラゴーラMocra Goraからシャルガン・ヴィタシSargan Vitaciの二駅間だけ営業していますが、将来的には東は幹線鉄道の駅があるウジツェまで、西は国境を越えてボスニア・ヘルツェゴヴィナ領のヴィシェグラードまで再建する計画があります。2010年にはヴィシェグラードまでの工事が完了して試運転が始まったという記事がありましたが、今のところまだ営業運転は再開しておらず、貸切運転だけやっているようです。

列車はハイシーズンには1日4往復(閑散期は1日1往復)あり、モクラゴーラから出発して戻ってくる1往復2時間程度の小旅行です。1乗車600円とお手頃価格で、モクラゴーラの駅舎がホテルになっており泊まることもできます。

モクラゴーラ駅
後ろはホテル

また貸切列車はディーゼル機関車6万円、蒸気機関車12万円です。割と貸切で乗ってみようかな、と思える絶妙な金額設定です。ヨーロッパのSL趣味者にかなりの人気で、ヨーロッパ各地から1泊~数泊のツアーが出ています。まったくセルビア観光局は商売が上手です。

現代は少なくとも観光列車が走れるぐらいには平和だということですが、末永く平和に走り続けてほしいと思います。





蛇足ですが、セルビアの通貨セルビアン・ディナール(RSD)は、世界の通貨の中で一番日本円に換算しやすい通貨です。2016年3月現在、1RSD=1.015円ですので2%も違いません。そのまま単位を円に変えれば良く、例えばシャルガンエイトの料金は600RSD=約600円、蒸気機関車の貸切は120,000RSD=約121,000円といった具合で簡単に換算できます。

大規模ループ線シリーズも終盤に入ってきました。次回はアジアからパキスタンのループ線をご紹介します。