2016/06/27

欧州⑧シチリア島ラグーザ・ループ ループ線以外の圧倒的な見所

  • 火山とともに暮らす島
ニュージーランドから始めた世界の島にあるループ線を紹介するシリーズ、今回はその最終回、イタリア・シチリア島のラグーザ・ループです。

シチリア島はイタリアの南端、長靴のつま先の部分にある三角形の島です。温暖な気候と肥沃な土地に恵まれて農産物がよく取れ、紀元前からの長い歴史を誇ります。また島の一帯は火山地帯で島の東側のやや北よりにあるエトナ火山はヨーロッパ随一の活火山です。現在でもほとんど常に噴火しているとのことです。日本風の公衆浴場とまでは行きませんが、ホテルには温泉スパが付随しているところもあります。火山とくれば温泉がセットの日本人的には面白そうです。

シラクサ・カニカッティ線
ジェーラ以西はバス代行になっていて列車は走っていません

2018年4月現在は列車が復活しています
このエトナ火山がシチリア島に肥沃な土壌をもたらし、島ではブドウやオリーブなどが古来から栽培されていました。また、硫黄や岩塩といった火山由来の鉱石も産出しており、これもシチリア島の重要な産業の一つです。まさに恵みの山です。

とは言っても火山ですので、過去には大噴火を起こして町を全滅させたり、地震を引き起こしたりと自然災害もそれなりにあったのがシチリア島の特色です。面積は九州よりも一回り小さく、人口は500万人です。

シチリア島は標高3300mのエトナ山のまわりに標高400mほどの丘陵地帯が広がる地形ですが、ところどころ非常に深い谷があります。これは古い噴火の際にできた溶岩台地が風雨に侵食されたものかと思いますが、確証は見つかりませんでした。なだらかな丘陵地帯に突如数百メートルの深さの谷が出現し、谷の向こうにまたもとと同じぐらいの標高の丘陵地帯という鉄道泣かせの地形が随所に出現します。

  • バロック建築のまちなみから線路を見下ろす
シチリア島では1863年にローマに面した港町パレルモと東海岸の中心都市カターニアの間で鉄道営業が始まっています。

この地図は上下が逆で上が南(カニカッティ方面)、
下が北(モディカ・シラクサ方面)。上に向かって上り坂です
今回ご紹介するラグーザ・ループは、島の南端部を結ぶシラクサ・カニカッティ線のモディカ駅~ラグーザ駅間にあり、1893年の開通です。シラクサ・カニカッティ線はこれでも島内の路線としては開業が遅い方で、おおむね1900年初頭までには現在の島内の路線網が形成されています。

島内の路線は大半がイタリア国鉄トレニタリアの運営する標準軌の路線です。950mmのイタリアンナローゲージの路線もかつてありましたが、1960年代までにほとんど廃止になり、現在は私鉄のエトナ山周遊鉄道だけが生き残っています。

さて、このラグーザ・ループは、ループ線で町の下をくぐるという極めて特徴的な線形になっています。

そもそもこのラグーザの町自体が深い谷に面した崖の上にあるのが原因なのですが、ループ線を上ったところが町というのはなかなかインパクトがあります。

このループ線の建設にあたってゴッタルドバーンのワッセンを参考にしたそうですが、イギリス人の技師責任者は計算が間違っていたら自決する覚悟だったそうです。ループ区間の勾配は30‰です。


ラグーザの町は駅のある高台のラグーザスペリオール地区と崖の上に飛び出した離れ小島のようなラグーザイブラ地区に分かれています。線路は街はずれの丘を一周して高度を下げ、スペリオール地区の端の地下をくぐってイブラ地区の崖下に出ます。

ラグーザイブラ駅。イブラ地区は左の崖の上です。
このイブラ地区は見た目の危なっかしさと裏腹に、17世紀にこの地域を大きな地震が襲った際、比較的被害が少なかったそうです。

そのためスペリオール地区よりも古い建物がたくさん残っており、中世の雰囲気を残す町並みは世界遺産になっています。

シラクサ・カニカッティ線にはラグーザイブラ駅がありますが、世界遺産のあるイブラ地区とは崖の上下で離れており、まったく観光地要素はありません。

現在はラグーザイブラ駅は旅客扱いは廃止されています。昔の出雲大社口駅みたいなもんですが、観光客が間違って降りることはなかったようです。

  • 乗って残そうループ線
『景色は乗った後に【遠距離館】さんからお借りしました(→こちら
このレジェンド級の町並みの中を走るラグーザ・ループですが、現在では整備された道路を走るバスに対抗できず、旅客営業はまさに瀕死の状態です。

ここを通る旅客列車はだんだん減らされて、現在では1日3往復6本になってしまいました。そのうち1往復2本は早朝にモディカ~ヴィットーレを往復する通学用の区間列車で学休日運休です。実質的には1日2往復4本です。

しかもシラクサ・カニカッティ線の末端区間は既にバス代行になっており、現在はシラクサからジェーラまでしか列車で行くことができません。

廃止になったわけではなさそうですが、かなりヤバいです。せっかくの世界遺産の町並み+ループ線という世界に誇れる観光資源がこのままでは廃線になりかねません。

※上記はどうやら工事中か何かで列車が減便されていたようです。2018年4月現在は上下合わせて15本の列車が運転さており、ジェーラから先カニカッティまでの直通列車も復活していました。時刻表は→こちら 廃止になることはなさそうですね。 2018.4追記


ラグーザイブラの街並み
一応トレニタリアでもバロック列車Il Treno del Baroccoというシラクサを朝出て夜に戻ってくる観光ツアー列車をシーズン中毎週日曜日に走らせ、観光需要の取り込みを図っていますが、サルデーニャ島のトレニーノ・ヴェルデと比べるとイマイチ広報力に欠けているようです。

バロック列車の2016年の運転計画はまだ発表されていませんが、この列車でもループ線を通ることができます。沿線の見どころや博物館などを見学しながらシラクサ・カニカッティ線を往復するツアーです。※2016年も3月から10月にかけて運転されていました。詳細はこちら →http://treno-barocco.blogspot.jp/p/prenotazioni.html

いずれにしても貴重な「世界遺産の町から見下ろすループ線」は安泰とは程遠い状況です。 シチリア島はループ線以外にも盛りだくさんの見どころがあり、是非足を運んでみたいところですね。個人的にはシチリア島からローマに直通する夜行列車で列車ごと連絡船に乗るのを体験してみたいところです。




さて、世界の島にあるループ線をご紹介してきましたが、実はシチリア島にはもう一か所未成のループ線があります。これについては後日未成ループ線の中でまとめてご紹介します。

次回からはしばらくラグーザループのように「町のループ線」をご紹介していきたいと思います。ちょっとヨーロッパに偏りますが、バラエティに富んだ内容ですのでご期待いただければと思います。

まず次回はフランスの「まちなかループ線」をご紹介します。

2016/06/17

アジア⑥スリランカ デモダーラ・ループ ループ線はちょっと残念だけど…

  • 歴史と自然満載、インド洋の真珠

島にあるループ線シリーズ、ラス前はスリランカ国鉄のデモダーラ・ループDemodara Loopをご紹介します。

緑の線がMainLine
スリランカ・セイロン島はインドの東の海上にある南北約450km、東西約200km強の北海道より一回り小さい島です。

南半分は標高2000mを超える高山地帯で、海からの湿った風を受けて1年に2回雨季があります。日本の梅雨と違って短時間に集中的に降るのが特徴です。なお、セイロンとは欧米人の呼び方らしいので、ここではスリランカに統一しておきます。

スリランカは16世紀はポルトガル領、17世紀はオランダ領、18世紀から第二次世界大戦後までイギリス領でした。タイ・ミャンマーと並ぶ仏教国で、豊富な雨によって古代からいろいろな農作物が採れていました。

人口は2000万人で世界の島を人口順に並べると第7位だそうです。ちなみにトップ3はジャワ島・本州・グレートブリテン島です。

人口が多くて農業が盛んで山がちな国土で国外輸出がメイン、と鉄道輸送が威力を発揮しやすい条件が揃っており、イギリス植民地時代の1864年から鉄道輸送が始まっています。山で採れる紅茶や天然ゴムなどの農産物を港まで運ぶことを主眼に鉄道が敷設されていきました。そのため首都コロンボから南部山岳地帯の中心都市バドゥーラ間までが本線MainLineとなっています。

これは先に開通していたインドのラーメシュワラム・パーンバン海上橋
なかなかカッコいいです(天気が良ければ)

スリランカの鉄道は地域的にインドと結びつきが強かったため、インドと同じ1676㎜ゲージで建設されました。広大なインドと比べると狭い山岳地帯を走るスリランカではブロードゲージの利点を活かしきれているとは思えませんが、開通当初からインドと海上鉄道橋で直結する計画があり、実際に1940年代の初めごろまで着々と工事が進んでいました。

そのおかげで世界でも珍しいブロードゲージのループ線が作られています。1676mmゲージのループ線はこことパキスタンのカイバル峠にしかありません。



とりあえず両国間の連絡は今のところフェリー輸送に頼っていますが、2000年代になってスリランカの政情が安定すると、再びインドスリランカ鉄道橋の建設話が持ち上がってきています。

  • 眺望への過度の期待は禁物

北に向かって下り坂です。西側は高さ300mの絶壁です
さて、デモダーラ・ループは島の南の中央部の山岳地帯にあります。

本線MainLineはスリランカの山岳地帯を縦断する路線で、コロンボから山に向かって順次開業していき、1924年に最後のバダラウェラ~バドゥーラ間が開業していますが、この最後の開通区間にループ線が作られました。

尾根伝いに下ってきた線路が、山のまわりをぐるっとまわってトンネルでくぐるシンプルなループ線です。ループ線が自線をトンネルでくぐっているちょうど真上がデモダーラ駅です。

本線MainLineは全長約290kmの路線ですが、途中のパティポーラまでの230kmが上り坂で、標高1900mの峠をトンネルで越えると残りの60kmは長い下り坂になります。

ループ線のあるデモダーラはコロンボから278km標高912mですので、50kmで1000mの高低差を下るハードな連続勾配です。ループ線のあるデモダーラから先も20‰の連続勾配が続いており、終点のバトゥーラは標高650mまで下がったところにあります。ループ線の部分の勾配は22.7‰です。


ループ線の輪の中心に丘や山があるループ線はこれまでにもいくつかご紹介してきましたが(例えばオーストラリアのベサングラスパイラルとか、台湾の阿里山鉄道など)、ここデモダーラループは割と高い山を巻いてループすることと、熱帯の成育力の強い樹木に囲まれていることから、ぶっちぎりで視界が効きません。

ここを通られた方のブログを読むと「同じ方向のカーブが続くのでループ線だとかろうじて分かる」状態だそうです。コロンボから乗ってくるとループの最後のトンネルの手前でちらっとデモダーラ駅が見えるとのことです。⇒こちら

駅から山道を30分ほど歩くとループ線全体が見渡せる場所があり、そこからの写真はネット上でよく見つかりますが、残念ながら車窓からの眺めには期待できないようです。

  • 活気ある鉄路はいいものだ
スリランカでは道路事情が良くないこともあって現在でも鉄道が地域間輸送の主役です。ループ線を通る旅客列車は急行3往復、夜行1往復、キャンディからの区間列車が1往復の計5往復10本あります。首都コロンボからループ線のあるデモダーラまで約9時間30分です。

名物9連レンガ橋Nine Arch Bridgeを渡るウダラータマニケ号
3往復の急行列車のうち2往復にはウダラータ・マニケ(ウダラータの娘)号、ポディ・マニケ(小さな娘)号という愛称がついており、中国製の青い新型客車で運行されています。ウダラータはバドゥーラ周辺の地方を指す旧称だそうです。日本の旧国名みたいなもんでしょうか。

愛称のないもう一本の急行列車には展望車とビジネスクラス車が連結されていて、展望車はラジャダハニ社、ビジネスクラス車はエキスポレイル社という民間会社が運営しています。新幹線のグリーン車だけをJTBのような旅行会社が貸切っているような感じだと思いますが、設備も整っていてこれは楽しそうです。車内で本場の紅茶が飲み放題というのも魅力的です。

また、運賃は列車種別にかかわらずどのクラスの車両に乗るかで決まります。コロンボ~バドゥーラ間は3等車400LKR(スリランカルピー)≒300円、2等車600LKR≒450円、1等車1000LKR≒700円です。 ラジャダハニ社の展望客車はスナック付きで1750LKR≒1300円、エクスポレイル社のビジネスクラスは食事付で2400LKR≒1800円です。詳細はこちら(英語)

日本人的な感覚からすると金額的にはどれも手頃な値段です。2等車・3等車は予約なしで乗れますが、かなり強烈な混雑を覚悟しないといけないそうです。

スリランカではループ線の車窓はイマイチですが、鉄道の旅はいろいろ楽しそうですよね。




次回は島のループ線シリーズの最終回、イタリア・シチリア島のループ線をご紹介します。




2016/06/03

アフリカ②マダガスカル島 世界遺産を狙ってみるべき

  • 島というには大きすぎ

島のループ線シリーズ、今回はアフリカの東にあるマダガスカル島のループ線をご紹介します。

マダガスカル島は南北1200km、東西460kmの大きな島です。本州ですらすっぽり収まるという世界4位の面積を持つ巨大な島です。

マダガスカル島はアフリカの傍にありますが、島の中央部が2000m級の山岳地帯になっていて、さらにインド洋からモンスーンが吹き込むおかげで、特に島の東側で十分な降雨があります。住民の大部分はマレーポリネシア系で、言葉もマレー系の言葉が使われており、一般的なアフリカのイメージよりもむしろ東南アジアに近い雰囲気があるそうです。アフリカに一番近いアジアとも言われており、主要な農作物はなんと稲作だというから驚きです。


島のほぼ中心にある標高1300mの首都アンタナナリヴォは、赤道に近いにもかかわらず一年中過ごしやすい常春の町だそうです。

マダガスカルはかつてフランスの植民地だったため、鉄道もフランス製のメーターゲージで建設されました。植民地時代の1909年に島の東側のブリッカビル(ヴォイビナニー)から首都アンタナナリヴォまで開通しています。ブリッカビルは大きな川沿いの港町でフランス人のブリッカ氏にちなんで付けられた町の名前です。地図によっては現地語のヴォイビナニーと表記されている場合があって混乱しますが、どちらも同じ町です。

1913年にはブリッカビルの北にあるマダガスカル最大の港町トゥアマシーナまで開通しています。このトゥアマシーナも地図によっては現地語でタマターヴェと書いてある場合があります。

アフリカ大陸側ではなくインド洋側に向かって鉄道が敷かれたのは、ヨーロッパの植民地政策の影響でしょう。もしアフリカ大陸の対岸のモザンビークと同じ宗主国になっていたら、今とは違った鉄道路線図になっていた可能性が高いと思います。

  • 丘陵地帯のフルオープン一回転半ループ線

そんなマダガスカルのループ線は、海沿いから高山地帯にある首都へ向かう上り坂の途中にあります。海沿いと高山地帯の間には断崖絶壁の箇所があり、正面から上れなかったため、川の支流に沿って一旦迂回して断崖絶壁を斜めに上って行きます。
断崖を斜めに上っています
この区間の標高差は280m,勾配は20‰です(最急25‰)

衛星写真で見ると、畑と田んぼの混在した丘に見事なフルオープンのループ線が見えます。南から来て一回転半してまた南に向かうというかなり特徴的な形態です。上手に宣伝すれば世界的な鉄道名所になれるぐらいの見事な景観です。

マダガスカルの鉄道は1960年のマダガスカル独立以降はマダガスカル国鉄が運営していましたが、メンテナンス不足と老朽化で1990年ごろには存続が危ぶまれるほど荒廃していました。

そこでベルギーから資本協力を受けて2002年からマダレールという会社に民営化されました。マダガスカル政府も出資しているので正確にいうと第三セクター運営ですね。

民営化後は駅や線路に積極的にメンテナンスを入れて、ずいぶん綺麗になったそうです。関連記事はこちら。実際衛星写真で見ると、路盤がきれいに整備されているのが分かります。

旅客列車も一時絶滅しかけていましたが、現在はかなり復活してきています。ムラマンガ~トアマシーナ間は週1往復、ムラマンガ~アンビラ・レメイトソ間の区間列車が週1往復、支線へ行くムラマンガ~アンバトンドラザカ間の列車が週2往復です。

運賃はムラマンガ~トアマシーナ間で10,000Ar≒600円です。マダレールの公式ページはこちら

ところが肝心のループ線を含むアンタナナリヴォ~ムラマンガ間は、2014年に「安全性に重大な問題が生じた」とのことで旅客列車は再度運休になってしまいました。具体的に何があったのか調べてもわかりませんでしたが、これは痛いです。

  • もう一つの見どころは…

マダレールは一般の旅客列車のほかに、貸し切り列車用のミシュラン製のレールバスを保有しており、運休中の区間以外で現在でも乗ることができます。

このレールバスが実は世界の鉄道車両の中でも珍車中の珍車で、3軸ボギー台車にゴムタイヤという謎の仕様です。


はっきり言ってぶさいくですよね
車輪の騒音を防ぐ目的でゴムタイヤ製にしたのですが、車両重量を支えきれなかったため3軸ボギーにしたという、本末転倒じゃね?と突っ込みたくなる設計です。

しかもよくパンクするためにスペアタイアを積んでいるというから、なんだかいろいろ衝撃的です。

フランスで1930年代後半にぼちぼち使われていたらしいのですが、広まることなく1950年ごろには廃車になっていき、現存しているのは世界中でここだけだそうです。

くわしくはこちら


ループ線と珍レールバスの組み合わせは正直世界遺産狙えるのではないかと思えるのですが、運行されなければどうにもなりません。無事にループ線区間の運転が再開されることを祈りたいですね。

 

島のループ線シリーズも残すところあと2カ所です。
次回はスリランカ・セイロン島のループ線をご紹介します。

2016/05/28

欧州⑦イギリス・ウェールズ フェスティニオグ鉄道 リアルきかんしゃトーマスの世界

  • 産業革命の原動力
今回はイギリス・ウェールズにあるフェスティニオグ鉄道Ffestiniog Railwayのループ線をご紹介します。

グレートブリテン島は今さら説明するものでもないでしょうが、南北約1000km弱、東西200km~400kmと面積的には本州より少し小さい島です。イギリスはグレートブリテン島にあるイングランド・スコットランド・ウェールズとアイルランド島にある北アイルランドの4つの国の連合王国ですが、今回のループ線は島の西側ウェールズにあります。


ウェールズの北部の山地と丘陵地帯は石炭と石灰石がよく採れて、イギリス産業革命の原動力となりました。ここでは採れる石炭は良質な無煙炭で、それを使った製鉄業がイギリスの工業化を引っ張っていくことになります。

石炭の輸送手段として蒸気機関車が開発され、鉄道網を広げるためにさらに鉄が必要になり、鉄を作るためにまた石炭が必要になるという循環作用を生み、19世紀中盤に鉄道狂時代と呼ばれる鉄道建設バブルが到来します。イギリスでは1840年代に急速に路線網が拡大し、1850年までに総延長1万㎞、1880年には総延長3万kmとなっています。日本の国鉄の総延長が1980年代のピーク時で本州以外の路線を含めて2万2千kmだったことを考えると、これはとんでもない線路密度だと言えます。

  • 廃止されてからが本番
さて、フェスティニオグ鉄道は1836年に開通したウェールズの最高峰スノードン山の麓を走る炭鉱鉄道を起源とする路線です。鉄道黎明期で規格が固まっていなかったのか597mmゲージという実に半端なゲージです。この他にもイギリスには603mmゲージとか610mmゲージといった半端なゲージの路線が現存しています。

古い路線がたくさんあるイギリスの鉄道の中でも相当古く、フェスティニオグ鉄道は現存する鉄道会社としては世界最古です。ただし、開業当初は山の上にあるブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogからポースマドッグ・ハーバーまで重力で坂を下り、登りは馬が引いて上るというトロッコ馬車軌道でした。これで旅客営業もやっていたというから驚きです。現代的視点からだとちょっと怖いですね。


1860年代に入ると蒸気機関車が導入されて現代的な鉄道営業となりましたが、その後石炭需要が低下して、1946年に一旦廃線となりました。

しかし、ここからがフェスティニオグ鉄道の歴史の本番のようなものでした。

1951年には早くも復活運転に向けて運動が始まり、1955年にまず海側の終点ポースマードック・ハーバーとボストンロッジの一駅間で運転が再開されます。復活に向けての工事はほとんどボランティアの手によるものだったそうです。

その後一駅ずつ復活区間が伸びていき、1968年にはループ線の手前のDdaullt駅まで復活しました。ついデュオルト駅と読みたくなりますが、ウェールズ語読みでジアスト駅と発音するのが正しいようです。まったく初見殺しの駅名です。

  • 違和感があればあなたもループ線マニア
歴史は一旦おいておいて、ループ線の線形を見てみましょう。のどかな丘をまたぐ丘陵型のオープンループです。

が、線形に何か違和感を感じないでしょうか?よく見るとループ線といいながら線路が丸くなっていません。北西に向かって進む線路を無理に捻じ曲げたようになっています。

実は現役時代のフェスティニオグ鉄道は、ジアスト駅を出てループせずにそのまま北西に直進し、正面の山を800m近いトンネルで抜けていました。ところが 廃止されていた1950年代にダムと水力発電所が計画され、ジアストと隣のタナグリサイ駅との間の線路が水没することになってしまいました。

点線が旧線です

ジアスト駅周辺。旧線時代はそのまま直進していました。よく見ると実に
変わった形状のループ線です。

普通なら廃止された鉄道の復活など諦めてしまうところですが、ここの人々は違いました。中央電力庁相手に裁判を起こし、18年もかかってその裁判に勝利します。判決に基づいて用地補償を受け、1978年に付け替えた新線で復活しました。ジアスト駅のループ線はこの時にできたものです。

世界最古のループ線かと思いきや、実はむしろループ線としては新しい部類のものだったんですね。このループ線も、付け替え線上の新トンネルもボランティアが作ったそうです。用地は補償してもらえましたが、工事までは補償してもらえなかったんですね。

こうして1986年、ブライナイ・フェスティニオグ Bleanau Ffestiniogまでの全線が再開しました。最初に廃止されてから全線再開まで実に40年の歳月が経っていました。

  • トーマスの世界を味わえる
さて、そんなフェスティニオグ鉄道ですが、現在はウェールズ観光の目玉として熱心に運転されています。3月~10月は少ない日で1日2往復、多い日で6往復~7往復の列車が走っています(11月~2月は運休日あり)。すべて実写版きかんしゃトーマスという風情のSL列車です。


下手なローカル線よりも本数があるのですが、なぜか土日よりも火水木曜日の方が運転本数が多いという謎の運転スケジュールになっているので実際に行かれる際は要注意です。

運賃は1日乗車券が22.8£≒約3700円、片道券が約1500円、一等車は片道1100円増しとなっています。時刻表はこちら。乗車時間は片道約1時間10分です。

また、起点のポースマードックではスノードン山に向かうウェールズ・ハイランド鉄道と連絡しています。このウェールズ・ハイランド鉄道も長い工事の末に復活した597mmゲージの保存鉄道です。

こちらは1937年廃止、2011年全線運転再開とフェスティニオグ鉄道をしのぐ歳月を経ての全線再開です。ウェールズの人々の鉄道復活にかける情熱には頭が下がります。

日本では地価や法規制の関係でなかなかこういう鉄道保存活動は具体化しませんね。そもそも何十年もこつこつと復活に向けて運動を続けることが難しいのでしょうか。



次回はアフリカ大陸の横にあるマダガスカル島のループ線をご紹介します。

2016/05/19

アジア⑤樺太豊真線宝台ループ 北の大地に眠るメイド・イン・ジャパン

  • サハリンの灯は消えず

今回は樺太の豊真線宝台ループをご紹介します。

海外のループ線に興味を持たれた方は、だいたい一度は目にしていると思われる有名なループ線です。

北緯50度線以北の鉄道はすべて
戦後の開通です
樺太=サハリン島は南北約1000㎞の細長い島です。南北の長さは本州の半分ぐらいありますが、東西の幅が最も広いところでも160㎞しかないため、面積は北海道よりも小さいです。西海岸(大陸側)の南部は暖流の影響で比較的暖かいのですが、北部と島の東側はオホーツク海の影響で極寒です。

ところが、島の中央部を南北に走る1300mクラスの樺太山脈が強風を遮断しているおかげで、島の南部を中心に森林が発達しています。これがほぼ同じ緯度にあるにもかかわらず強風で森林ができなかったニューファンドランド島との大きな違いです。

樺太の南半分は日露戦争後の1905年から第二次世界大戦の終わる1945年まで日本領だったのは日本史で習ったとおりですが、その時代の主要な産業は漁業と石炭採掘、そして豊富な森林資源をもとにした製紙業でした。人口は1900年代初頭は3万人程度だったのが、終戦直前には南樺太だけで40万人となっています。

ある程度の人口密度と陸上産業をベースにした貨物需要、そして忘れてはならないのが国境を背負っているという軍需、この3つによって樺太の鉄道輸送は順調に成長していきます。1910年に樺太東線、1920年に樺太西線と東西の両幹線がそれぞれ開通しています。

いちいち比較するのも申し訳なくなりますが、漁業一本やりだったニューファンドランド島とは経済環境がかなり異なりますね。当然ですが、漁業は水運中心ですので鉄道輸送の出る幕はあまりありません。

  • 日本人の琴線に触れるもの

樺太東線の起点で当時稚内からの玄関口になっていた大泊(現コルサコフ)港は冬季は氷結するため、西海岸の不凍港真岡港(現ホルムスク)との間を鉄道で連絡する必要が早くから論じられていました。

しかし、樺太山脈を越えるのに思いのほか手こずり、この区間が開通したのは1928年のことでした。これが豊原(現ユジノサハリンスク)と真岡(現ホルムスク)を結ぶ豊真線です。上越線の湯檜曽松川ループ(1931年開通)よりも実は早い開通だった点は注目です。

樺太山脈を越えるルート選定については山下さんのブログでも詳しく取り上げられています。→こちら。勾配は22‰、高低差はループ線部分だけで40mです。ループ線自体はシンプルな形状ですが、自線との交差箇所が鉄橋になっているのが特徴です。この鉄橋にはロシア語で「悪魔の橋」というニックネームがついています。

現在日本国内に現存しているループ線はすべて自線の交差箇所はトンネル内です。やはり日本製であることに対して郷愁にかられるのでしょうか、古い時代のものから最近のものまでネット上で豊富に写真が見つかります。

こちらからお借りしました
これもあちこちで取り上げられていてご存知の方も多いと思いますが、ソ連領となった後も使われていた宝台ループですが、1990年代に老朽化が進み、残念ながらトンネル崩落で廃止されてしまっています。

豊真線の両端部分(真岡ー池之端間と豊原ー奥鈴屋間)は細々と残る通勤需要のために今でも旅客列車が走っているそうですが、中間部分は人家も少なく、道路も整備され、東西樺太連絡は1970年代にソ連によって開通した新線(久春内ー真縫間。現イリンスクーアルセンチェフカ間)に移行したとあっては存続を望む方が無理というものでしょう。

2010年の撮影だそうです
ただ、衛星写真で見るとほぼ全線にわたってまだ路盤が残っており、やる気と金さえあれば再び列車を走らせることはできそうではあります。

樺太では現在改軌工事が進行中で、2016年中にも樺太全土がロシア本土と同じ1520mmゲージになるそうです。

ここも観光鉄道として復活すれば日本からの旅行者が大量に行くと思うのですが、どうでしょうか。









  • おまけ~架鉄を極めると・・・
ループ線と直接関係ありませんが、「もし樺太が今でも日本領だったら」という想定を前提にした架空鉄道サイト「樺太旅客鉄道株式会社」さんはすごすぎて痺れます。ここまで突き抜けた架空鉄道はなかなかお目にかかれません。

地形図まで作ってあって、その完成度には戦慄します。一瞬本物かと思ってしまいますよね。どうやって作ったのでしょうか。いやはや恐れ入ります。 是非一度驚愕のパラレルワールドをご覧ください。

また樺太の鉄道史についてはこちらのサイトが詳しいです。



次回は鉄道の本場イギリスのループ線をご紹介します。