- 戦後生まれの末っ子幹線
まちなかループ線の最終回はブルガリアの南バルカン線にあるクリスラループをご紹介します。
ブルガリアではナローゲージのアヴラモーヴォループをご紹介しましたが、今回ご紹介する南バルカン線はブルガリアの国土を東西に結ぶ3本ある幹線鉄道の真ん中を通る標準軌路線です。
ブルガリア国鉄路線図 開通年度が入っていますがなぜかドイツ語です |
バルカン山脈の北を通って黒海に面した港町ヴァルナを目指す2号線も1899年に開通しています。1号線と2号線を補完するために作られたのが3号線で、バルカン山脈の南側を通っているので南バルカン線と呼ばれています。南バルカン線の開通で2号線経由よりも30㎞ほどヴァルナまでの距離が短縮されました。
南バルカン線は東西両方向から工事が進められましたが、ソフィアから130kmほど東にあるコズニッツア峠越え区間の工事が難しく、全通したのは第二次大戦後の1952年と比較的最近の話です。この峠区間にブルガリア最長のコズニッツアトンネルとクリスラ・ループが作られました。この区間が南バルカン線の最後の開通区間です。
- ブルガリア人にとって無視できない小村
クリスラ・ループには二つ特徴があります。
一つは勾配15‰、曲線半径500mと非常に高規格で作らている点。第3の東西幹線を作るというブルガリア国鉄の意気込みが感じられます。
もう一つは、村落をきれいに避けて線路が引かれている点です。コズニッツア峠のトンネルを抜けてストリャーマ駅から13‰勾配で坂を下ってきた線路は、クリスラの町はずれの丘を村落とは反対の方向に輪を描く形でループし、村落の下をトンネルで抜けて川沿いに出ています。
クリスラの町を包むように線路が引かれています |
1950年代はブルガリアはスターリン主義が幅を利かせていた時代です。民衆の意見など聞かぬ媚びぬ省みぬのバリバリの全体主義共産国家でした。
ところがクリスラは1878年に起こったブルガリア人のオスマントルコに対する反乱の中心となった町の一つでもあり、たかだか人口1500人の小村であっても素通りする訳にはいかなかったのではないかと思われます。クリスラにはこの反乱を記念した歴史博物館があり、反乱のリーダーの像が飾られているそうです。
ループ線が村落を避けて通っているため、クリスラの町から線路が見えるところはあまりありませんが、川をまたぐ石積みのクリスラ大橋は鉄道名所となっています。ループ線の高低差は100mです。
- 減便中につきご注意を
2016年10月現在、南バルカン線にはブルガスまで直通する特急1往復、快速列車と普通列車が2往復ずつ、区間運転の普通列車1往復の計6往復がループ線区間を通過して行きます。いずれも朝と夕方以降の発着で昼間の列車はありません。
本来はもう少し列車があるようですが、現在は線路改良工事で一時的に列車が減らされているようです。昨年段階では特急4往復、快速と普通が7往復の計11往復あったそうです。
首都ソフィアから2時間ほどですので、ブルガリア観光ついでにソフィアから日帰りで見に行くこともできますが、列車の時間はよく調べて行かないとハマります。
You Tubeに前面展望ビデオがありました。最初の10分間はコズニッツアトンネルの中で、10分27秒にストリャーマ駅、12分40秒ぐらいからループ線を通過します。16分40秒に通過するのがクリスラ大橋です。
まちなかループ線シリーズは今回で終了です。
次回からは連続ループ線シリーズをご紹介していきたいと思います。既にいくつか紹介しているところもありますが、一つの列車が連続してループ線を通るところを紹介していきたいと思います。
まず次回は中国の連続ループ線をご紹介します。
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