- 兵どもが夢の跡
超大雑把に言うと、もともとドイツ系の住民が住んでいたのですが、1600年代にフランスが占領し、1700年代前半は神聖ローマ帝国が奪還してドイツ領となったところを、1700年代後半から1800年代前半まで再びフランスが支配、1870年から第一次大戦までビスマルク率いるプロイセン領、第一次大戦後から第二次大戦までの戦間期はフランス領、第二次大戦中はナチスドイツ領、戦後またフランス領という経緯をたどっています。歴史についてはこちらが詳しいです。
灰色の部分は鉱山地帯 |
この町から20㎞ほど南にオーダン・ル・ロマンという町がありますがこちらは「ロマンス語(=フランス語)のオーダンの町」という意味で、ちょうどこの二つのオーダンの町の間にドイツ系住民とフランス系住民の境があったことが分かります。オーダン・ル・ロマンの方は戦争中以外は一貫してフランス領でした。
この地方で話されるドイツ語は標準ドイツ語とはかなり異なり、ドイツ領だった時期も普通のドイツ人とは一体感を持ちづらかったようですが、さりとてパリのフランス政府のいうことを聞くのもいやだ、というなかなか難しい地域感情があるようです。
ここまで帰属が揺れ動くと、住民も自分がドイツ人なのかフランス人なのかよく分からなくなってしまうようです。実際、第一次大戦直後にはアルザス・ロレーヌ共和国として独立を宣言しましたが、これはあっさりフランス軍に鎮圧されてしまいました。
長々と歴史の話を書いたのは、ループ線の成立と実は密接に関わっているからでして、このループ線のあるフォントワ線が完成した1904年はこの地方はドイツ領の時代でした。ドイツ帝国鉄道直轄のエルザス・ロートリンゲン鉄道が鉄鉱石輸送用に鉄道を開設しています。
- 世界でも珍しいデルタ分岐付きループ線
フォントワ線はルクセンブルグ・フランス・旧ドイツ領にまたがる鉱山を目指して南側から建設されていきました。フォントワ線のすぐ西側のフランス領内にも平行してフランス国鉄のヴィルリュプト線がありますが、これは独仏がお互いの領土を通らないで鉱山に直結しようと競って線路を引いた名残です。
点線が旧国境。ひげのついた線は工場の引き込み線です リュムランジュ・ブランジュ間の路線だけは第二次大戦後の開業 |
おかげでたかだか30km四方の狭い範囲に鉄道が乱立しました。20世紀後半の鉄鋼不況のあおりでほとんどが廃止になっていて、今ではこの地域一帯は廃線跡パラダイスと化しています。
フォントワ線のループ線は大きな弧を描いて町を一周し、オーダン・ル・ティッシュ大鉄橋で自線をオーバークロスしてドイツ本国方面へと向かっていました。どちらかというとループ線に沿って後から町ができた感じです。ループ線の内側は大きな積み出しヤードだったようです。
ループ線は全長5km高低差50mで勾配は10‰です。鉱山列車は一般的には下りが積載車、上りが空車となる場合が多いのですが、ここでは鉱石を満載した状態で坂を上ることになるため、超重量輸送を考慮して緩勾配で作られています。
こういうところはさすがドイツ製という感じがしますが、実際は細長いドイツ領内だけを通り、できるだけゆるい勾配でドイツ本国方面へ向かう苦心のルート選定の結果、大鉄橋を使ったループ線になったものと思われます。
フォントワ線の配線図 オーダン・ル・ティッシュ駅の規模の大きさに注目 |
ルクセンブルク側からみたオーダン・ル・ティッシュ大鉄橋 |
また、フランス領のユシニー・ゴドブランジュまでを結んでいたレダンジュ線がループ線内で分岐していたのも大きな特徴です。分岐のあるループ線は日本では四国にありますが、実は世界的にもかなり珍しいものです。しかもここは三角線になっていました。
レダンジュ線は、当初旧ドイツ領内のルダンジュ鉱山までの路線でしたが、第一次大戦中の1917年にドイツ軍がこの一帯を占領した時にユシニー・ゴドブランジュまで列車が直通しています。
フォントワ線もレダンジュ線もまとめて第一次大戦後にフランス国鉄に編入されています。しかし、そうなると今度は線路が多すぎることになってしまいますが、元からフランス国鉄のヴィルリュプト線の方が先に廃止されています。(ユシニーゴドブランジュ~ヴィルリュプト・ミシュヴィル間1978年廃止、ヴィルリュプト・ミシュヴィル~ティエルスレ間1983年廃止)
- 再び列車が走るかもしれない
フォントワ線は1999年にオーダン・ル・ティッシュ~フォントワ間の旅客営業が廃止されました。貨物輸送はその後もしばらく続いたようですが、今はそれも廃止されています。
現在はループ線の全線を乗ることはできなくなってしまっていますが、近年廃止区間のフォントワ線沿線の町が国境を越えてルクセンブルグに通う人たちのベッドタウンとなってきており、じわじわと発展しています。
沿線の道路が貧弱なこともあって通勤鉄道路線として根強く復活運動がなされており、2007年には行政裁判所が廃線の構造物の撤去を保留するよう採決したという記事がありました。
現在もエルゼ・シュル・アルゼット~オーダン・ル・ティッシュ間の一駅間だけを1日33往復、終日にわたっておよそ30分間隔で列車が走っており(ただし休日は全便運休)、ルクセンブルグ側からオーダン・ル・ティッシュ大鉄橋をくぐることは比較的容易です。「欧州ローカル列車の旅」さんのサイトに実際に乗られた時の様子がアップされています。現地の様子がよく分かります。→こちら
オーダン・ル・ティッシュの街並みと大鉄橋 右端にホームが見えます 左側の駐車場から森にかけてすべて線路でした 現地の方の鉄道ファンサイトThe Railways in and around Luxembourgさん からお借りしました。→こちら |
これは貴重な現役時代の写真です。 フランス側から見た風景。2000年の撮影だそうです。 |
よく見ると橋脚は複線分あります 複線化するつもりだったんですね |
オーダン・ル・ティッシュ駅はルクセンブルグ方面にしか列車はありませんし、フランス領土内を走るのはほんの1km程度ですが、いまだにフランス国鉄SNCFの管理になっているのは、ひょっとすると将来のフォントワ方面への旅客列車復活の布石なのではないかと期待してしまいます。これまでにご紹介した廃止ループ線の中ではかなり復活の見込みの強い方だと思います。
ヨーロッパの鉄道は多かれ少なかれ戦争の影響を受けているもんですが、フォントワ線の歴史は戦争の歴史そのものでもあります。
今また難民問題などで揺れるヨーロッパですが、平和な町の庶民の足としてループ線が復活するといいのですが。
次回は東欧、スロヴァキアのテルガルトループをご紹介します。
0 件のコメント:
コメントを投稿