- サハリンの灯は消えず
今回は樺太の豊真線宝台ループをご紹介します。
海外のループ線に興味を持たれた方は、だいたい一度は目にしていると思われる有名なループ線です。
北緯50度線以北の鉄道はすべて 戦後の開通です |
ところが、島の中央部を南北に走る1300mクラスの樺太山脈が強風を遮断しているおかげで、島の南部を中心に森林が発達しています。これがほぼ同じ緯度にあるにもかかわらず強風で森林ができなかったニューファンドランド島との大きな違いです。
樺太の南半分は日露戦争後の1905年から第二次世界大戦の終わる1945年まで日本領だったのは日本史で習ったとおりですが、その時代の主要な産業は漁業と石炭採掘、そして豊富な森林資源をもとにした製紙業でした。人口は1900年代初頭は3万人程度だったのが、終戦直前には南樺太だけで40万人となっています。
ある程度の人口密度と陸上産業をベースにした貨物需要、そして忘れてはならないのが国境を背負っているという軍需、この3つによって樺太の鉄道輸送は順調に成長していきます。1910年に樺太東線、1920年に樺太西線と東西の両幹線がそれぞれ開通しています。
いちいち比較するのも申し訳なくなりますが、漁業一本やりだったニューファンドランド島とは経済環境がかなり異なりますね。当然ですが、漁業は水運中心ですので鉄道輸送の出る幕はあまりありません。
- 日本人の琴線に触れるもの
樺太東線の起点で当時稚内からの玄関口になっていた大泊(現コルサコフ)港は冬季は氷結するため、西海岸の不凍港真岡港(現ホルムスク)との間を鉄道で連絡する必要が早くから論じられていました。
しかし、樺太山脈を越えるのに思いのほか手こずり、この区間が開通したのは1928年のことでした。これが豊原(現ユジノサハリンスク)と真岡(現ホルムスク)を結ぶ豊真線です。上越線の湯檜曽松川ループ(1931年開通)よりも実は早い開通だった点は注目です。
樺太山脈を越えるルート選定については山下さんのブログでも詳しく取り上げられています。→こちら。勾配は22‰、高低差はループ線部分だけで40mです。ループ線自体はシンプルな形状ですが、自線との交差箇所が鉄橋になっているのが特徴です。この鉄橋にはロシア語で「悪魔の橋」というニックネームがついています。
現在日本国内に現存しているループ線はすべて自線の交差箇所はトンネル内です。やはり日本製であることに対して郷愁にかられるのでしょうか、古い時代のものから最近のものまでネット上で豊富に写真が見つかります。
こちらからお借りしました |
豊真線の両端部分(真岡ー池之端間と豊原ー奥鈴屋間)は細々と残る通勤需要のために今でも旅客列車が走っているそうですが、中間部分は人家も少なく、道路も整備され、東西樺太連絡は1970年代にソ連によって開通した新線(久春内ー真縫間。現イリンスクーアルセンチェフカ間)に移行したとあっては存続を望む方が無理というものでしょう。
2010年の撮影だそうです |
樺太では現在改軌工事が進行中で、2016年中にも樺太全土がロシア本土と同じ1520mmゲージになるそうです。
ここも観光鉄道として復活すれば日本からの旅行者が大量に行くと思うのですが、どうでしょうか。
- おまけ~架鉄を極めると・・・
地形図まで作ってあって、その完成度には戦慄します。一瞬本物かと思ってしまいますよね。どうやって作ったのでしょうか。いやはや恐れ入ります。 是非一度驚愕のパラレルワールドをご覧ください。
また樺太の鉄道史についてはこちらのサイトが詳しいです。
次回は鉄道の本場イギリスのループ線をご紹介します。
0 件のコメント:
コメントを投稿